レディ・シルバリオ
「んあ・・・ふぁ~・・・寝過ぎちゃったわね」
私は大きく伸びをすると、寝ぼけ眼で辺りを見渡した。 外は既に暗くなっており、昼間は心地よかった風も、少し肌寒く感じた。 私は窓を締めると、シーツに皺の一つもない二つのベッドに目を向けた。
「二人共、錬磨から帰って来てないのかしら。 感心だけど、あまり無理はして欲しくないわね」
自分の事を棚に上げ、私は背伸びをし、軽く上体を後ろに反らす。 ボキボキと骨がなる音がすると、随分深く眠っていた事を実感した。 それと同時に──
「お腹空いたわね。 食堂、まだ空いてるわよね?」
ベルビューヌに砕かれた背骨や、内臓の痛みが消えていることは分かっていた。 だけど、私はそれに対して、驚きも、戸惑いも“何も意識しなかった”。
独り言をいいながら部屋を出ると、以前感じていた肌寒さは無かった。 誰かが進言でもして改善されたのかしらね。 あの寒さは凄かったし、まあ、当然よね。 それにしても、本当に誰もいないわね。 人の気配が全くないわ。
辺りに人の気配がないか、気を配りながら食堂への道を進んだ。 歩く間、メイドの一人すら擦れ違う事はなかった。 少し、不気味に感じながらも、通いなれた廊下を進むと、開かれた食堂が目に映った。 それと同時に、安著する。
「あれ、少ない・・・わね。 時間が遅かったからかしら」
広い食堂に入ると、明らかに人が少ないのが目についた。 数人の人がそれぞれ好きな所で食事を取っており、以前の活気は全く無かった。 人がいる事に嬉しくもなりつつ、私はトレイを手に、置かれているビュッフェから好きな物を集めて行く。
「んーと、何処で・・・」
食事を手にした私は、何処で食べようか歩きながら思案すると、後ろから聞き覚えのある声を聞いた。
「ドヤ顔・・・か?」
「えっ?」
振り向くと、そこには私と同じように、トレイに食事を取ったロザリーさんが立っていた。 久しぶりに見るロザリーさんは、以前より髪が伸びており、前より柔らかい空気を感じた。
「ロザリーさん! お久ぶりです」
「あ、ああ。 一瞬分からなかった。 あまりに空気が違いすぎてな」
「そうですか? 強くなりましたからね。 それでだと思います」
「・・・そうか。 今から食事か? この時間は部隊兵達や長が食事を取る時間なんだが、お前ならいいだろう。 こっちだ」
言いながらロザリーさんが歩いて行く。 私もその後についていき、壁際の四人掛けの丸いテーブル席に腰を下ろした。
「戻って来ていたのか。 リース様もか?」
「はい。 今度は北の大陸に行くみたいで、一旦戻って来ました」
私は、ベルビューヌの事を伏せながら話した。 無様に負けた事をロザリー様に言うと、どんな小言を言われるか分からないし、食事くらい楽しく摂りたいしね。
「うん。 北の大陸か。 丁度、北の大陸から御二人、来客がある。 丁度良い。 北の大陸について聞いておくといい」
「分かりました。 明日にでも聞いてみます」
「失礼がないようにな。 来客といっても、ただの来客ではない。 私なんか相手にならない程だ」
「そんなに凄いんですか? 緊張しちゃいますね」
「お前の頭に緊張という言葉があったのか? 何にせよ、無礼な物言いはするな」
ロザリーさんはそう言うと、食事を摂り始めた。 それを見て、私も取って来た料理に口をつける。 やっぱり美味しい。 リースさんとの旅でもいろいろ食べてきたけど、ロイヤルクラウンでの食事は本当に美味しいと思う。 改めて、帰って来たという実感が沸いた。
食事を摂りながらロザリーさんと沢山話した。 南の大陸で三美凶と戦った事、ヴラナさんの事、ガデルベルナとの死に掛けた戦闘。 私が話す度に、ロザリーさんはゆっくり頷きながら黙って話を聞いてくれた。 ベルビューヌの事だけは話さず、ライさんとの出会いの話を終えると、ロザリーさんが口を開いた。
「うん。 大変な旅だったな。 しかし、どれもお前の成長の糧になっただろう。 リース様との旅は、実に意味のあるものだったな」
「はい。 あの時、リースさんについて行って良かったです」
「そうだな。 一つ、聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「お前、身体に何か異変はないか? 悪魔の力を使っているのだろう?」
「はい。 今の所は、特に。 リースさんと、血を馴染ませる為に特別な錬磨もしてますから」
私の答えに、ロザリーさんはジッと此方を見つめた。 そして、それ以上何も言わず、トレイを手に立ち上がった。
「そうか。 それならいい。 時間があるなら、暫く此処にいろ。 そろそろ、お前の友達が来る」
「ノーティスですか? エマ? あっ、ダリアですか?」
「エマだ。 ダリアはリハビリ中。 ノーティスは今、遠征だ」
「え? リハビリ? 遠征?」
「そうか、お前は知らなかったな。 三人共部隊兵だ。 エマは基本的には城で武器の製造や補助を行っているがな。 ノーティスはまだ前線にはやれないが、今回の遠征は特別でな。 無事に戻ってくればいいが・・・。 ダリアは戦闘時に負傷した。 怪我を治す為にリハビリに励んでいる」
「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってください! 情報が多すぎて・・・」
混乱した。 あの三人が部隊兵になってたのも驚いたけど、あれだけ強かったダリアが負傷? ノーティスがもう遠征に行っているし。 それも、特別な遠征。 ロザリーさんも心配そうな顔をしているし、大丈夫なのかしら。 でも、エマは城に居るのね。 正直、エマに戦闘は向かないから安心したわ。
情報を処理していると、ロザリーさんは『後はエマに聞け』と、言いながら歩き出した。 そんな中、ポケッとした顔でロザリーさんの後ろ姿を見ていたが、立ち止まったロザリーさんが振り向きながら口を開いた。
「ドヤ顔、自分を見失うな。 お前は一人じゃない。 この言葉を忘れるな。 私からの最後の命令だ」
「は、はい」
真剣で、それでいてちょっと怒りを込めた言い方に、私は思わず唾を飲み込んだ。 歩き出したロザリーさんの後ろ姿は、以前見た時より小さく見えた。
トレイを片付け、食堂を後にするロザリーは、早足で幹部部隊長の住居区へと足を運んだ。
(何だ、あの空気は・・・あれがドヤ顔? リース様は一番傍にいて分かっておられなかったのか? あれは、あの空気はもう、人間のものではない)
まだ、リース達がロイヤルクラウンへ戻ってくる前。 西の大陸へ侵攻してくる魔物の数は、日を追うごとに増えていた。 それを抑え込んでいたミルノアの部隊が、ダリアを残して壊滅し、アンナとソフィア、そしてイリーナの三名で侵攻を抑え続けていた。
三名の強さに、魔族達は一時的に侵攻を中止。 その間に、交代要員として、レディを部隊長とし、レディ、ノーティスの二名が派遣されて来た。 当初は、ジュナをロイヤルクラウンへ送り届けた後、改めて戻って来たイリーナも残る予定ではあったが、レディを見たアンナから共に戻る様に命令された為、現在では二名が前線で戦闘を繰り返していた。
否、実際は現在までたった一人で戦闘を行っている。
「はぁはぁ・・・」
ノーティスは今、魔物の群れの中に一人いた。 いや、正確には一人ではない。 一人、魔物を倒すノーティスの後ろには、適度な岩に腰かけ、地面をジッと見つめる人物がいた。 傍に鋼で出来た巨大な棍棒が置かれており、重さからか、地面にヒビが入っている。 そんな重量級の獲物を持つ様には見えない容姿のレディだが、黙って見つめる視線の先には何もなく、ただ黙って地を見つめ、目の前での戦闘にはまるで興味を示していなかった。
「レディ様! そろそろ腰を上げてはいかがですか!?」
此処に来てから、一度も腰を上げないレディに対して、ノーティスは声をあげた。 しかし、レディは何の反応も見せなかった。 小さく舌打ちしたノーティスは、迫りくる魔物の群れにナイフを投げていく。 的確に急所を付き、倒れていく魔物の中にも、隙間を抜けてノーティスに迫る者もいたが、ロザリーとの錬磨によって近接戦も鍛え上げたノーティスには通用しなかった。
器用に態勢を整え、間合いに入った魔物をナイフで仕留めて行く。 ノーティスはもう、問題児と呼ばれる人物ではなかった。 ロイヤルクラウンの部隊兵として、確実に戦力になっていた。
そんな時、ノーティスによって倒されていく魔物の群れの後方で、声がした。
「いつまでチンタラやってんだ!! プリミアもイルミディーテもようやく死にやがったんだ! これからはあたしの名を人間共に知らしめてやろうってのによお!」
その声で、ノーティスは確信した。 戦闘に入った時から分かっていた。 魔族の空気がある。 少なくても自分より格上の魔族だ。 しかし、此方にはレディがいる。 レディなら、魔族にだって勝算はある。
勝算と、ノーティスが思ったのは、レディの空気にある。 初めて会った時、小さく、弱い空気だった。 これで部隊長かと疑問にも思ったが、しかし、よく眼を凝らすと、レディの纏う空気が不安定なものだという事が分かる。 弱い空気でありながら、ゆらゆらと動いているようで、どうにも実態が掴めない。
「もういい!! あたしが殺る! 雑魚共は消えてろ!」
声が響くと、周りの魔物達が慌てて逃げ出して行った。 そして、牙と爪を剥き出しにした一人の魔族が姿を現した。
「使えねえ奴等だ! おい人間! あたしが直々に殺ってやるんだ。 感謝しろよ!」
そう言うと、魔族の女は牙を剥き出しに構えた。 肩で息をするノーティスは、格上相手にもナイフを構えるが、自身の後ろから足音が聞こえ、魔族が目の前にいるというのに、思わず振り向いた。
「レディ様?」
レディはノーティスを視界にすら入れず、横を通り抜けると、巨大な棍棒を片手で肩に担いだ。 瞬間、レディの足が地面にめり込んだ。 それを見て、ノーティスは冷や汗をかいた。
(未だにレディ様が戦闘する所は見た事がないから、詳しくは分からない。 けど、あんな、あんな身体であれ程の重さの武器を振り回すなんて・・・信じられない)
「あん? なんだてめえ。 はははっ! まさかてめえがあたしを相手にするってのか?」
前に出たレディに対して、魔族は腹を抱えて笑った。
「そんなゴミクズみてえな空気であたしと殺り合う!? ちっとは力が自慢か知らねえがなあ・・・あたしの速さについてこれる訳ねえだろうが! なめてんじゃねーぞ人間!!」
魔族はノーティスの目に止まらない程の速さでレディに迫った。 しかし、レディは一歩も動かず、魔族の爪を躱した。 躱された事に驚愕した魔族だったが、更にレディに連続で攻撃を繰り出した。
(速すぎて、軌道が追えない! でも、レディ様はそれを躱されている・・・)
「ちょこまかしやがって!! このゴミがあ!」
(レディ様の空気が、変わった!?)
遂に、苛立ちが頂点になった魔族は、レディに牙を向けた。 我を忘れ、レディの空気が変わった事にも気づかない魔族は、レディの首筋を狙い、牙を間合いに入り込ませた。 それが、悪手とも知らずに。
「あがっ!!」
レディは棍棒を持たない手で、魔族の女の頭を掴むと、そのまま宙に浮かせた。 レディが掴んだ頭に力を込めると、魔族は悲鳴を上げ始めた。
「ぎいいっ!! あ、頭・・・あたしの頭がああっ!!」
ミシミシと何かが砕かれていく音が響くと、魔族は必死にレディの腕を掴み、何とか引き剥がしにかかった。 しかし、レディの腕が動く事は一切なく、更に力を込め始める。
(何なんだこの腕力はっ!? 魔族であるこのあたしが・・・そんな馬鹿な!)
(魔族の力でさえ引き剥がせない!? なんて力なの)
「いぎぃ!」
遂に、レディの力に抗う事が出来なくなった魔族は、両手をダラリと力なく下ろした。 決着はついた、ノーティスはそう思った。 しかし、レディは掴んだ魔族の頭を、勢いをつけて地面へと叩きつけた。
「ぶがぁ!! うああっ・・・」
(魔族が死んだ振りなんて。 狡猾な)
血反吐と、顔面を叩き割られた事で、魔族の顔は見るも無残な姿になっていた。 その姿をジッと見つめていたレディだったが、突如、魔族が笑い出した。
「へ・・・ははっ・・・」
「何?」
気でも触れたのか、そう思ったノーティスがレディに近づくと、魔族の女は口を大きく開き、吼えた。 その声量の大きさに、ノーティスが自身の耳を防いだ瞬間、魔族の口から、赤く、巨大な炎が吐かれた。 傍に来ていたノーティスは咄嗟にそれを躱したが、魔族の頭を掴んでいたレディは正面から炎に焼かれた。
「くっ! レディ様!!」
「はははっ・・・馬鹿力女が! 頭の方はお粗末だったみたいだな! 焼け死・・・!!」
炎と黒煙に包まれた相手に対し、魔族は違和感を覚えた。 おかしい。 この炎であいつは死んだ筈だ。 それなら、何故? 何故───
あたしは掴まれてるんだ?
黒煙が晴れると、そこには薄汚れてはいるが、火傷の一つもないレディが立っていた。 レディは魔族を放すと、手に持った棍棒を大きく振りかぶった。
「う・・・うそ?」
(まずいっ!!)
次に何が起こるか、瞬時に判断したノーティスはその場から大きく上方へ飛んだ。 錬磨し続けた結果から、随分高く飛び上がり、その目で魔族の最後を見届けた。
「まっ・・・まて・・・おい!! 待てえ!!」
完全に戦意を喪失し、自身の命が此処までだと察した魔族は、最後の言葉を放ったが、振り下ろされた一撃は、全てを粉砕した。
天変地異が起こったのか、将又、神の怒りか。 後に残ったのは、大規模なクレーターと、そこに佇む一人の女性だった。




