帰郷
静かな、柔らかな風が私を包んで行く。 身体は一切ブレず、振動も最小限。 心地よい空気の中、薄っすらと眼を開けると、眩い光が見えた。 赤い太陽は、今にも沈んでしまいそうで、照らされた雲が朱に染まっていた。
「起きた?」
淡い藍色の髪がなびき、私の鼻をくすぐった。 リースさんは一度、バサッと翼を羽ばたかせ、風に乗る様に滑った。 リースさんに背負われていた私は、その白い翼に眼を移した。 黒衣から見える白銀の翼。 思わず、見惚れてしまった。 ほんとに、綺麗。
随分と見惚れていた私だったが、リースさんの問いに答えていなかったのを思い出して、呟く様に答えた。
「はい。 すいません」
小さく答える私に、リースさんは言葉を掛けた。
「頑張ったね。 ライが集めた人達に怪我もなかった。 アンタが守った。 良くやったね」
その言葉を聞いた時、私の中で様々な感情が渦巻いた。 何よりも聞きたかった言葉。 でも、私は知っている。 私じゃない。 この言葉は、私に向けて言われた言葉じゃない。 “守れて良かった”そう思う感情と、あの人達への苛立ちの感情。 そんな私の心の中を見透かしているかの様に、リースさんは更に言葉を掛けた。
「辛い事があったね。 それでも、アンタはあの人達を守った」
「私じゃ、ないです」
私の言葉に、リースさんは翼を羽ばたかせて答えた。 私はリースさんの背中にしがみつき、感情を抑えられなくなった。
「私、じゃない。 私、私、勝てません、でした」
泣きながら言う私に対して、リースさんは言葉を返さなかった。 ただ、規則的に翼を羽ばたかせているだけだった。
「勝てなかったんです! ぐすっ。 相手にもならなかったんです。 私の名前なんてどうだっていいって。 きょ、興味、ないって・・・!」
強くなる為に、錬磨を続けてきた。 最初は自惚れていた所もあったけど、ロイヤルクラウンに入って、オリガさんに打ちのめされて、ノーティスやエマと出会って、ダリアやフレデリカと友達になって。
そして、あの雨が降る悪夢の日。 私達は沢山の仲間を一遍に失くした。 辛くて、悲しくて。 自分の弱さに腹が立って。 それでも、前に進む為に、リースさんと二人で旅に出て、錬磨を続けてきた。
強くなる。 強くなって、魔物や魔族を倒して、そして───
皆に、凄いって、恰好いいって、言われたかった。 世界中の人を私のファンにする。 それが、私の夢。 結局、私は“皆に私を見て欲しかったんだ”。
「強くなったよ」
私の独白に、リースさんが言葉を返した。 たった一言だけど、リースさんは確かにそう言った。 その言葉を聞いた時、私の中で感情が爆発してしまった。
「強くなんかない! ヴァレリアーナにも! ガデルベルナにも! ベルビューヌにだって勝てなかった!! こんなの、こんなの私じゃない!!」
私は強いんだ。 誰にも負けないんだ。 トレブルっていう特殊な身体をしてて、特別な人間なんだ。 だけど、だけど───
「じゃあ、アンタは誰?」
「誰・・・? 私は───」
それ以上答えられなかった。 私は誰何だろう。 トレブルっていう特別な存在? 違う。 私は、私? 違う。 私の中にある母様と、魔女の血。 この二つを抱えた歪な存在。 私は誰でもない、のかもしれない。
「アンタはアンタでしょ」
リースさんの言葉はハッキリした物だった。 先程より速度を遅め、ゆっくりと羽ばたく姿に、私は気づかなかった。
「いつも早とちり。 感情的で、自分の強さを過信して突っ込む。 勇ましく相手に向かったかと思えば、格上の相手にビビリ散らかしてへっぴり腰になる。 ちょっと得意な事があればお得意のドヤ顔で鼻を鳴らす。 まぁ、めんどくさい奴だよね」
リースさんの言葉に私は小さくなっていく。 それと同時に、心の中で小さくて、暖かい物が生まれた気がした。
「でも」
そう言って、リースさんは続けた。
「魔族のガキ達を救った。 ヴラナ達を救った。 そして、疎開していた人達を救った。 感謝してたよ。 ありがとうございます、このご恩は忘れませんってさ。 勿論、ライも感謝してたし、凄い心配してた」
「・・・」
「魔族だろうが、ダブルだろうが、人間だろうが、自分が正しいと思ったからやったんでしょ? それが、アンタでしょ」
リースさんの背中に顔を埋めていた私は、震えながら声を聞いていた。
「誰もアンタを見てない? そんな訳ないでしょ。 アンタが気づいてないだけだよ。 皆、アンタを見てる。 よく思い出してみな」
ゆっくりと、思い出していく。 ノーティス、エマ。 ダリア、フレデリカ。 オリガさん、イディスさん、ロザリーさん。 アンナさんイリーナさん。 ロイヤルクラウンの仲間達。 それに、ヴラナさん、ライさん。 そして、リースさん。
「私も、人間は嫌いだった。 ダブルのアタシがどれだけの迫害を受けてきたか、別に話す程も無いけどね。 でも、アタシは出会ったよ。 仲間って呼べる奴等にね。 変人ばっかりで嫌になる時もあるけど」
今、リースさんの胸にはアンナさんはレイメイさんが浮かんでいると思った。
「アンタも出会ってるでしょ。 アンタは自分が何者か分からないんだろうけど、母親でもない、魔女でもない、アンタはアンタ。 ドヤ顔で勘違いして五月蠅くて。 でも、そういう所が、羨ましくもあるよ」
リースさんの言葉が、一つ一つ染み込んで来る。 皆、見ててくれていた。 私という存在を認めてくれていた。
「顔を上げな。 確かに、ベルビューヌ?だっけ。 そいつには“アンタ自身”は負けたかもしれない。 でも、命がある。 アンタには次があるんだよ。 口惜しく死んでいった奴等なんて腐る程いる。 どういった事情があっても、アンタは生き延びた。 今は、それでいい」
命さえあればいい。 リースさんがいつも言っていた言葉。 死んでしまったら、何も残らないけど、命さえあれば、出来る事がある。 今更になって、改めてその言葉を反芻した。
「目標が、出来たね」
「えっ?」
「アンタも分かってるんでしょ? ベルビューヌを退けたのはアンタじゃない。 多分、母親だろうね」
やっぱり、母様だったんだ。 あの時、完全に死んでしまいそうな時、母様の空気が私を包み込んだ気がした。 また、母様に守られてしまった。 情けない。
「情けないって思ったら、行動あるのみだよ」
私の心の内を読んだかの様に、リースさんは力強く言った。
「アンタの母親はきっと強かったんだと思う。 それなら、その母親に追いつく様に、追い越す様に自分の強さに磨きをかける。 それが次の目標だよ」
「錬磨なら、してます」
「目標の違いだよ。 アンタは魔物や魔族を倒して皆から褒められたいって気持ちだったでしょ? 悪くはない。 悪くはないけど、それだけじゃダメ。 アンタの母親を超す。 それを目標にしてみな。 きっと、自分がやるべき錬磨、研鑽が見えてくる」
母様を超す? そんな事、考えた事も無かった。 そもそも、私には母様が戦っている姿を見た事も無い。 唯、優しくて、暖かくて、いつも私の事を一番に考えてくれていた人だった。 母様の事を考えている内に、母様の言葉を思い出した。
『皆を愛して、そして沢山の人から愛されるようになりなさい』
「皆を愛す・・・愛される」
「それがアンタの母親の言葉? いい言葉だね。 それが出来たら理想だろうけどね。 でも、アンタなら出来るかもしれないね。 世界中の人をファンにする、そう言ったの覚えてる?」
「はい」
「ん。 その為には強さだけを求めていたら出来ないだろうね。 でも、大丈夫。 アンタなら出来るよ。 そしたらさ、アタシをファンの一番にしてよ」
笑いながらそう言うリースさんに、私は涙を浮かべながらも、笑いながら口を開いた。
「一番はエマです。 二番はノーティス、かな。 それに、ダリアもフレデリカもいますから。 リースさんは大分後ろですよ」
「ありゃ、そうなの? それなら、世界中にファンがいる女の師匠って肩書も悪くないね」
二人して笑いながら空を駆けた。 大丈夫。 私は、一人じゃない。 今は帰って、皆の顔を直ぐにでも見たい。 笑い合って沢山の事を話したい。 そんな気持ちを汲んでくれたのか、リースさんは力強く翼を羽ばたかせた。
(だけどね、自分では気づいてないかな。 この娘、アタシと会った時程に自分に自身を持てなくなってる。 色々な経験をしてきたから当然かもしれないけど。 それでも、あれだけドヤ顔で五月蠅かったのが少なくなってる。 少しずつだけど、侵されてる。 今回は“母親が上手く出て来てくれた”けど、次は分からない。 早く、この娘自身が力を付けないと・・・)
今になって、フラウノアの言葉が突き刺さる。
───全てを受け止めてやれ───
もしも、もしも・・・この娘から魔女が出てきたら、アタシはこの娘を殺さないといけない
私とリースさんは、久しぶりに傭兵国ロイヤルミュートへと戻って来た。 旅立つ前、リースさんに教えられたヴァルハラ門は大きく広いており、多くの人々が行き交っている。 遠くに見えながらも、巨大ながら静かに佇むロイヤルクラウン城を目にした時、私には充実感と、嬉しさと、恥ずかしさと、悔しさの入り混じった感情だった。
帰って来た、わね。 ノーティスやエマは元気にしてるかしら? ダリアにフレデリカも。 ロザリーさんは変わらず宿舎兵長として、皆の錬磨を見てるんでしょうね。 胸は、張れないわね。 もう少し、戦果を上げたかったわ。 強くならないといけない。 誰にも負けないくらい。
「よし。 アンタは取り合えず城に行ってな。 アタシは食べ歩きして行くからさ」
「分かりました。 そう言えば、リースさん。 ロイヤルクラウンのカードは返して貰ったんですか?」
「ライと街に行った時に返して貰ってるよ」
「良かったです」
「いいから。 さっさと行きな」
急かすリースさん対して、私は向き合う形でリースさんの目をしっかりと見つめながら口を開いた。
「リースさん。 食べ歩きが終わったら、直ぐに錬磨を見てください」
真剣な私を見て、リースさんはただ黙って此方を見つめた。 そして、小さく笑いながら口を開いた。
「しょうがないね。 でも、先ずは旅の疲れを取りな。 怪我だってある程度は治ってるとはいえ、しっかり診て貰わないとね」
「はい」
「お墨付きの医者がいる。 根暗で引き籠りだけど、腕は間違いないよ。 アタシが戻ったら紹介して上げるよ」
言いながら、リースさんは受付へと向かって行く。 そんな姿を目で追うと、受付にはクロウさん、エルダさん、ザラさんが忙しなく動いていた。 そんな中、二人のメイドさんが此方を見て笑顔で手を振ってくれた。 手を振ってくれたのはエルダさんとザラさんだけ、だけど。 クロウさんは相変わらずクールで、少しだけ頷いてくれるだけだった。
そんな三人に、私も手を振って答える。 仕事の邪魔はしちゃいけないわよね。 うん。 先ずは旅の疲れを取る、か。 そうよね。 何だかんだ、旅してる間、ゆっくりは出来なかった訳だし、久しぶりに羽を伸ばしてもいいかな。
早く強くなりない気持ちを抑えつつ、私はヴァルハラ門をくぐった。
大勢の人々が行き交うロイヤルミュートの街並みを歩きながら、私は自分でも違和感しかない感情を持った。
この人達も、私の事は唯のロイヤルクラウンの一人、としか見てくれていないのかしら、ね。 でも、大丈夫。 私を私として、見てくれている人達はいるから。 大丈夫。 きっと、大丈夫、な筈。
リースさんと話した手前、自分に言い聞かせてきたが、不安もある。 本当に皆は私を見てくれているのか、私を認めてくれているのか。 どうしても、気になってしまう。
そんな不安と、心配と、無理矢理に自信を持つ気持ちを持ちつつ、大通りを歩いていると、前から見知った二人が此方へと歩いて来ていた。 周りの人々も、道を開け、その二人に視線が釘付けになっている。 羨望の眼差し、というのはこういう事を言うのだろう。
「あら? ドヤ顔?」
「久しいな」
「オリガさん、イディスさん。 お久しぶりです」
前から歩いて来たのは、深紅の鎧に身を包んだオリガさんと、白銀の鎧に身を包んだイディスさんだった。 双子なだけあって良く似ているけど、私には分かるわ。 肌に感じる空気が違う。
「戻って来ていたのね? 貴女、馬鹿だからリース様の邪魔にならなかったかしら?」
「もう! イディスさん、相変わらずの毒舌ですね」
「本当の事じゃない。 ねえ、姉さん」
「そうだな」
二人揃って酷い。 でも、何だか懐かしい気もする。 そんな懐かしさを感じながらも、私は少しだけ嬉しくなった。
「これから遠征ですか?」
「ああ」
「門番ではなくなったんですか?」
「今は私も姉さんも第九部隊・部隊長と副部隊長よ。 たまには宿舎兵の錬磨も見て上げるけど、基本的には遠征よ」
「えっ、そうなんですか。 それは、おめでとうございます」
「ああ」
「そう言えば、リース様との旅はどうだったの?」
長い話になりそうな中、イディスさんの言葉に、オリガさんが横から口を挟んだ。
「イディス。 時間」
「いけない。 悪いわね、ドヤ顔。 また、今度ね」
「あっ、はい。 また、話しますね」
言いながら、私は道を譲った。 その時、オリガさんが戦斧を私に向かって振り下ろした。 だけど、私はそれを躱し、銀雪花の鞘を走らせ、オリガさんに向かって剣撃を放った。
しかし、オリガさんは私の剣撃を戦斧で防いでいた。 その光景を見た周囲の人々から歓声の様な、驚きと戸惑いの声が上がった。
「腕を、上げた」
「当然です。 沢山、錬磨してきましたから」
「でも、まだまだ、ね」
イディスさんの言葉の意味が分かったのは、直ぐ後だった。 気づくと、オリガさんの戦斧を持っていない拳が、私の腹部に当てられていた。
「はぁ・・・やっぱり、適いません、ね」
「姉さんに勝つにはまだ早いわね。 当然、私にもね」
「しかし、力は付けた。 合格」
「ありがとうございます」
オリガさんの“二度目”の合格をもらった私は、改めて力の差を思い知らされた。 まだまだ、レベルが低い。 この二人にも、もっと、もっと私を見てもらいたい。
銀雪花を納めた私は、歩き出した二人に向かって声を掛けた。
「オリガさん、イディスさん。 戻ったら錬磨を見てください。 今度はもっと強くなってますから。 きっと、ですよ」
「楽しみだ」
「楽しみね」
私の言葉に、二人は同時に振り向き、同じ言葉を発した。 二人のその姿を見た時、私の中で、小さな不安が募っていたのを、私は気づかなかった。




