6.リンスレッド・ウィンチェスター
レジーの一番古い記憶は、暖かな母の腕に抱かれ、柔らかな笑顔を浮かべた父に頬を突かれていたことだ。
一番古くて、一番優しくて――幸せな記憶。
レジーことリンスレッド・ウィンチェスターは裕福なある貴族の一人娘だった。
リンスレッドは両親に溺愛され、蝶よ花よと育ち、リンスと愛情をこめて呼ばれていた。人は誰にでも優しく接するべきであり、自身も皆に平等に愛情深く接するべきであると、心から信じた子供になった。
使用人にも親愛の情を持って育ったリンスレッドは可愛がられて育った。
「リンス。見てごらん。王都で人気のお菓子なんだ」
「まぁ、すごく可愛い!ニア、一緒に食べましょ!」
ある時父が王都で人気の、花を模した砂糖菓子を買ってきてくれた。リンスレッドは父に感謝を告げて、その足でメイドの皆と一緒に食べた。メイドの皆と紅茶を飲みながらつまむ砂糖菓子は甘くておいしかった。
「リンス。こんな綺麗に刺繍ができたのね。とっても偉いわ」
「ほんとう?いっぱいがんばったの」
チクチクと刺繍を刺したハンカチを母に見せると、裏地も確認して褒めてくれた。その刺繍は花と草のシンプルな刺繍ではあったが、丁寧に刺していたおかげもあって綺麗な仕上がりになっていた。リンスレッドはそのハンカチを使用人にプレゼントした。受け取った使用人は誰もが頭を撫でてくれて、嬉しかった。
「リンスお嬢様、こちら私たちからの贈り物なのですが、受け取っていただけますか?」
「くれるの?とってもうれしい!」
そういって恐る恐る差し出してきたのは、ガラス細工で飾られたオルゴールだった。ねじを巻けば子守唄が流れてくる。それはリンスレッドが一人寝を始めたころに、母やメイドが傍で歌ってくれた子守歌だった。その日以降、一人寝が寂しく感じるリンスレッドも、オルゴールを鳴らせば寂しさを薄れさせてくれた。
母と父、そして使用人も、穏やかで優しい屋敷だった。
そんな日々は続かなかった。
ある日、父の友人夫婦の訃報が届けられた。
友人夫婦は庶民ではあったが、商人として優秀な家だった。アカデミーに特待生で入学し、父と交流を持っていたそうだ。
友人の死に悲しむ父と、慰めるために寄り添う母の姿をみて、会ったこともない他人の訃報なのにリンスレッドは胸を痛ませた。父の友人夫婦は強盗に襲われ、一人娘を残して帰らぬ人となったそうだ。誰に言われるまでもなく、父は友人夫婦の一人娘を引き取ることを決めた。
「初めまして、ロザリーです」
薄茶色の髪にくりっと丸いピンク色の瞳、可愛い顔だち。愛らしい服を身に纏ったロザリーと名乗った少女は、リンスレッドが街で見たお人形のようだった。さらにリンスレッドよりも1つ年下だと聞いて、妹ができたのだとリンスレッドは喜んだ。
お人形のように可愛いリンスレッドの妹。
リンスレッドは両親、使用人から注いでもらった愛情を真似るようにロザリーに接した。
「ロザリー!お父様がお菓子をくれたの。ニアたちといただきましょう?」
「リンス姉様。私、リンス姉様と2人で食べたいわ」
メイドの皆と分けあうことが当たり前だったリンスレッドは一瞬戸惑った。けれど、ロザリーは健気にもリンスレッドと2人がいいというのだ。それならばとレジーは笑顔で頷いた。
2人だけで囲んで食べるお菓子と紅茶は甘くておいしかったけれど何だか物足りなかった。
「ロザリー、刺繍とっても上手ね。すごい」
「リンス姉様には敵いませんわ。ねぇ、リンス姉様、それはどうするの?」
「皆にあげるの!」
「まぁ、リンス姉様の刺したハンカチ、私が欲しいわ」
ぱちくりとレジーは目を瞬かせた。使用人の皆は、欲しいとリンスレッドに直接いうことはなかった。「またあげるね!」というレジーに「楽しみにしています」と笑うだけだった。比べて、ロザリーはリンスレッドの刺したものが欲しいという。
リンスレッドは嬉しくなって、ロザリーに刺していたものを全て上げた。使用人が強請ることなどできようはずも無いことにリンスレッドは気づかなかった。
刺す刺繍の模様はいつも同じ、ロザリーが好きな花となった。
「ねぇ、リンス姉様。そのオルゴール、止めてもいい?リンス姉様の声が聞こえにくくなってしまうわ」
「そう?じゃあ仕方ないわね」
一人寝が寂しいと、つらい記憶がよみがえるといってロザリーはリンスレッドと共に眠ることが多かった。そんなとき、オルゴールを流していると、決まってロザリーはオルゴールを閉じた。
リンスレッドがオルゴールの音色を聞くことはなくなった。
特にロザリーはリンスレッドの艶やかな髪を気に入ってるようで、いつの間にか毎朝リンスレッドの髪を梳かす役目がロザリーに代わっていた。おままごとの延長だと、周りにはにこやかに笑い見守っていた。
「リンス姉様の髪って本当に美しいわ」
「ふふ、ありがとう」
「本当に綺麗。どんな絹よりも手触りがよくて艶があるの」
髪の毛を褒められて上機嫌になったリンスレッドはにこにこと笑いながら、目の前の鏡に映るロザリーを見た。ロザリーの髪も美しく、いつか見たお人形の髪の毛のようだ。
「本当に、綺麗」
うっそりと笑ったロザリーはリンスレッドの髪をひと房手に取り、口元に寄せる。
リンスレッドはその光景に背筋が泡立つような不気味さを感じたが、どうしてそう感じたのかわからなかった。
そんな日が続いて、リンスレッドはついにおかしなことに気づいた。
「ロザリー、前に欲しいと言っていたドレスだよ。着たところを見せてくれないかい?」
「ありがとうございます。他人の私なんかにこんな素晴らしいもの……」
「なんてことを言うんだ。ロザリーは私たちの家族なのだよ」
「そうよ、ロザリー。ほら、見て、ドレスに合わせて宝石も用意してみたの。馴染みのところの宝石ではないのだけど、気に入ってくれるかしら」
いきなり家族になったと言われても、遠慮をしてしまうものだと、父と母はロザリーを必要以上に愛した。ロザリーが細い声で欲しいと言えばすぐに手配し、悲し気に眉を下げれば抱きしめて、愛情を囁いた。
使用人達も慎ましく弱弱しいロザリーを愛らしく思い、常に支えるように接した。
その様子を一歩離れたところでリンスレッドは眺めていた。
「ロザリーお嬢様、今日は料理人が張り切ってお嬢様の好きなタルトを作っておりましたよ」
「まぁ、嬉しいわ。はぐれ者の私に良くしてくれるなんて、本当に優しいのね」
「お嬢様……。お願いですからそんな悲しいことを言わないでくださいまし」
父と母はロザリーを溺愛し、メイドと食べていたお菓子はロザリーと2人で食べ、使用人にあげていた刺繍はすべてロザリーにあげていて、夜寝るときはロザリーと静かな部屋で2人。
レジーに向けられていた親愛はすべてロザリーのものに、そしてリンスレッドからの親愛すらもすべてロザリーのものになっていたのだ。
今日はお昼に1話、夜に1話更新します。