深雪の地
先が見えない扉に入るのも何度目であろうか?
光が溢れる扉に足を踏み入れると、温度がなくなったかのような空気と一瞬の浮遊感。周りの景色が真っ白な光でいっぱいとなる。
この妙な感覚も最初は不安になったものだが今ではもう慣れたものだ。よく考えたら行先のわからない扉に入るなどなんとも不思議な体験である。
某ネコ型ロボットの扉もこんな感じなのだろうか…とどうでもよいことを考えている内に光があける。空気が身を包み、大地がしっかりと体を押し返す感覚が戻ってきて、そして……。
扉を抜けた先は一面雪景色だった。
――有名な一文が頭によぎるが、実際に目の前の景色がそうなのだから仕方ない。
周りには見渡す限りの雪、雪、雪。時折、葉の付いていない木が生えているが、それ以外は一面真っ白だ。積雪三、四十センチ前後はあるであろう、俺の膝当たりまで雪に覆われている。
「さっむ…」
肌を刺すような寒気に身震いする.
さっきまで暖かい気候の塔にいたため、当然厚着などはしていない。身を包む装備は丈夫ではあるが、軽く薄めの革装備だ。そのため身をさすような寒さには無防備と言っていい。
しんしんと静かに雪が降っている景色を見つつメニュー画面を開く。そこからステージの欄を選択する。ここのステージ名は……。
「【深雪の塔】ね…」
そのままだな。一人で脳内で突っ込むが、まあもし俺が名付けたとしても似たような名前にするであろう。
深雪の塔、という名の通り辺りには雪が振り積もっていた。
俺が出てきた扉は真っ白な雪に覆われた山に挟まれており、小さな峡谷のようになっている。周辺にはモンスターどころか虫の鳴き声一つもしておらず静寂に包まれていた。
と、開いていたメニュー画面の下にあるステージのクリア条件に目が留まる。メニュー画面から開けるステージの欄には全体のクリア条件―――本当かはわからないが―――と塔の名前、そしてそのクリア条件の三つのことが記載されている。しかし、書かれている条件に俺は首を傾げた。
【クリア条件:全ての主の撃破】
「全ての主?」
クリア条件は塔ごとに違うが、今までの経験上その多くが【ボスの撃破】であった。が、この塔だとまったく違うことが書かれている。いや、ボスという表現がされていないだけで同じことかもしれないが、「主」という表現は今まで見たことがなかった。
そこまで考えたところで、冷たい風が思考を途切れさせる。ぶるりと身震いをした後、再度辺りを見渡す。
とりあえず安心なのは辺りにモンスターなどはいなさそうなことか。今までの塔だと扉から出た先にモンスターがいたとかいう展開もあった。
まあクリア条件に関しては後回しだ。今はとにかくどこかしらで暖を取れる場所を探さなければならない。一応食料などは補充してきたが、この装備でこの気候だと凍え死んでしまう。
そんなことを考えて目を凝らしたところ、一面雪景色ではあるが、かなり向こうに薄っすらと建物の影が見えた。そしてその前に少しだけ雪が踏み固まり、道のようになっている場所も。
「とりあえずあそこだな」
俺は一人呟いて歩き出す。
***
足跡など一つもない雪道を歩くこと十分ほど。辿り着いたのは町というより村という表現が適切な小さな集落だった。
大小さまざまな木製建物の屋根は三角で、薄く雪が降り積もっている。村の周りは焦げ茶色の木でできた人の高さほどの衝立でぐるっと囲まれていた。
木製の質素なアーチ型の門を潜って村の中に慎重に足を踏み入れる。
村の中は前の塔で拠点としていた【ルガー】ほど盛況ではないが、ちらほらと客引きの声や村民の話し声が聞こえてくる。
とりあえず宿を確保するか…と思いながら歩き回っていると、やけに視線が刺さる。疑問に思ってさりげなく辺りを確認すると、村の人々が遠くから俺を見ながらひそひそと何かを小声で話しているのが見えた。
まあ、この雪まるけの町で一人だけこんな恰好してたら目立つか。
毛皮を使った耐寒性の高そうな服を纏っている村人に比べて、どう考えても異常なほど薄着な自身の装備を見ながら思う。
すっかりこの気温に慣れてしまったため特に気にしていなかったが、不思議なもので一度意識してしまうと寒さがまた増したように感じてしまう。
「ねえ、そこの旅人さんや」
そんなことを考えていると声をかけられる。そちらに目を移すと、初老の男性が杖を手に立っていた。
「はい?」
「もしかして『加護持ち』の方でしょうか?」
返事をすると杖を手にした老人が続けて話しかけてきた。
思いもよらないその言葉に俺は一瞬黙ってしまう。
『加護持ち』。その言葉には覚えがある。
一言で言ってしまえば、『加護持ち』とは俺たち”プレイヤー”のことだ。この”プレイヤー”という言葉の浸透具合も正直分かってはいないが、俺たちのいた別の世界からこの世界に連れてこられた人間を総称して俺はそう呼んでいる。
そしてそのプレイヤーのことをこの世界の住人は代わりに『加護持ち』と呼んでいるのだ。
誰がこの言葉を使いだしたのかは知らないが、おそらくこの世界の住民達では不可能である塔の攻略を行ってくれるということに由来しているのが俺の予想だ。
この世界のステージはそれぞれ文化も環境も時代背景もまったく違う。しかし、ステージにクリア条件が設定されていて、それをクリアすることで次のステージに行けるということは共通している。
そしてそのクリア条件は多くの場合、現地の住民の問題と繋がっている。
例えば、前の【新緑の塔】場合、ボスである《キング・トレント》のせいで周囲のモンスターが活性化しており、【ルガー】の人々の中で問題となっていた。ボスを倒そうにも住民にはボスを倒せるほどの手練れはいない。
そんな時にボスと戦える俺たちが急に現れたのだ。住民にとっては確かに神からの『加護』を受けた勇者か何かと思うだろう。
ボスを倒した後に、感謝を伝えてきた前のステージの人々が脳裏に浮かぶ。ざわめく心と共に。
だからまあ『加護持ち』という言葉で俺たちを表現する人がわかる…わかるが、俺はあまり好きではない。
まあ俺の好みは置いといて、意外だったのはこの『加護持ち』という言葉がこの塔でも浸透しているということだ。いったいいつから言われてきたのだろうか。
「違いましたかな?」
「…いや合っています」
突然黙った俺を疑問に思って確認してきた老人にゆっくりと頷きを返す。それを聞いた老人は、しかし、あまり大きな反応を示さない。
今までのステージとは違うその反応を少し不思議に思うが、それに気づかず老人は話を続ける。
「見たところこの村に来たのは初めてのようですが?」
「はい、ついさっき」
「長旅でお疲れでしょう。私の家で少し休憩でもどうでしょう?」
実際には扉を潜って十分程度だったため、長旅ではない…とどうでもいいことを考えつつ、その誘いに対し頭を回す。俺が『加護持ち』と分かった上での誘いには裏を感じざるを得ない。というか実際にあるだろう。
ただまあ俺も情報が欲しかったところだし、渡りに船と言えばそうかもしれない。
「そうですね…ではお言葉に甘えて」
「ではこちらにどうぞ」
そう言って歩き出す老人の後ろをついていく。周囲の視線を感じながら歩くこと数分。辿り着いたのは、周りの住居と比べて一回り大きな家だった。
そのまま戸口から案内されると、中には木製のテーブルと椅子だけの簡素な部屋。座るように促されたので席に着くと、どうぞ、と飲み物が差し出される。
お礼を言うが少し手を付けるのは躊躇われる。中身は普通のお茶のようだが…。
「そこまで警戒しなくても大丈夫ですよ。といっても無理もないことだと思いますが」
「いや、そういうわけじゃ…」
そんな俺を見て老人は笑いかけ、害はないと示すように自身の飲み物を口に含む。俺は少しばつが悪くなり、陶器に手を伸ばした。中身はお茶…とは少し違う、緑茶の苦みをさらに強くしたような飲み物だった。
「そういえば自己紹介がまだでしたな。私はこの村の村長をしておりますワジムと申します」
そう言って律儀に頭を下げるワジムに俺も「リヒトです」と簡単にお辞儀を返す。それを見てワジムは自身も対面の椅子に座り話し始めた。
「改めて【スニエフ】にようこそ。といっても雪だらけで何もない村ですが」
「そんなことは…」
「いえ、事実ですので。御覧の通り細々と生活しております」
そう言ってほっほと笑う姿に俺は苦笑を返す。村の名前は【スニエフ】と言うらしい。何もない、とは言い過ぎだろうが確かにこの気候ではあまり豊かとは言えなそうだ。
「ですので満足いただけるかはわかりませんが、できる限りの援助は致しますので、何かお困りごとがあったらお申し付けください」
「いや、そんなにかしこまらなくて大丈夫です。簡単な宿屋さえあれば…」
「わかりました。この後案内いたします」
プレイヤー…『加護持ち』に対してサポートを申し出る住民達は珍しくない。住民達にとっては自分たちの困りごとを解決してくれるのだ。不思議なことではない。
しかし、前の【ルガー】でもそうであったが、このような…何か自分が偉くなったような扱いをされるのは非常に慣れない。
少し居心地が悪そうな俺を見て、ワジムは話題を切り替えるように、そういえば、と話しかけてくる。
「リヒトさんはお一人で旅を?」
「はい」
「危険では…と私が言うのは出過ぎた真似でしょうな。『加護持ち』の方々には」
その言い方は少し誇張が過ぎるのでは…と思わなくもないが、事実俺たちプレイヤーとそうではない人との間ではかなりの差が存在する。それは別に外見とか性格の話ではない。なんならそれらでプレイヤーかどうかを判断するのは、今回のように身にまとう装束が明らかに違う場合などを除くとほぼ不可能に近い。
違うのは単純な戦闘能力の話だ。
プレイヤー以外の人間でも戦闘ができる人はいる。食料調達のために狩りなどを行う必要があるからだ。また、村や町の警備をする人なども当然、ある程度の戦闘力は持っている。
しかし、それは簡単なモンスターの駆除ができるのが精々で、ボスはおろか、中ボスレベルのモンスターにも勝てない。
というのも、プレイヤー以外の人々は基本的に攻略を行わないため、ステータスの成長がおきないからだ。いや、そもそもメニュー画面を開けないプレイヤー以外の人々にステータスという概念があるのかはわからないが、確実に言えるのはその数値はプレイヤーに比べて大きく劣っているということだ。
別に俺達以外の人が弱いというわけではない。プレイヤー以外の人々のステータス…身体能力などはおそらくこの世界に来る前の俺達と同じくらいであろう。
どちらかというと俺達の成長速度がおかしいのだ。
「…買い被りすぎですよ。俺達も無敵じゃないし」
「勿論存じています。ですが私どもよりも遥かに大きな力を持つことも知っております」
そう言うワジムの言葉に一つ思い当たる。そもそも一目見て俺のことをプレイヤーと見抜いた時点でもしかしたらと思ったが…。
「もしかして俺の他にもプレイヤー…『加護持ち』の人を見たことが?」
俺の問いに「ええ」とワジムは頷く。しかし、その後に少し黙り込んで、
「実はそのことでお話が少しあるのですがよろしいでしょうか?」
そう真剣な顔で話を切り出した。
***
「リヒトさんはこの村の周りに何があるかはご存じですか?」
「何があるか…っていうのは?」
普通に雪しかなかったが。といっても俺が来たのは扉からであるし、そこからこの村へ一直線に歩いてきただけであるため、見逃している可能性もある。
「いえ、特に目を引くものがあるわけではないです。雪原と洞穴と雪山、それだけです。ただ…それぞれに凶悪なモンスターが住み着いているのです」
「凶悪なモンスター?」
俺が繰り返すとワジムはええ、と頷き言葉を続ける。
「半年ほど前でしょうか?この村の近くで通常よりも一回り大きく、強力なモンスターを見るようになりました。そいつらは群れを統一し、自身の縄張りを形成し、それぞれの住処に主のように住み着き始めたのです。基本的に縄張りからは出てこないので近づかなければ大丈夫なのですが……私どもとしては貴重な資源調達のエリアであったので少々困ったことにはなっております」
その話に俺ははっとする。主という言葉、縄張りから出てこない、それはおそらく。
「そのモンスター達はそれぞれ『雪原の主』、『洞穴の主』、『雪山の主』と呼ばれています」
ボス……ということであろう。クリア条件である全ての主の撃破とは、ワジムが話したそれぞれの主三体を倒せばよいというわけだ。
「その主達は三体だけですか?」
「ええ……。そして同じ話を一週間程前、リヒトさんと同じくこの村に辿り着いた『加護持ち』の方々にしたのですが……」
言いにくそうにワジムは沈黙する。その様子に俺は事態を悟って、言葉の続きを繋いだ。
「……もしかして返り討ちに?」
俺の予想にワジムは少しの沈黙の後、ええと頷いた。
「主を倒してくると彼らはそう言って『洞穴の主』に挑みにいきました。しかし……四人組であった彼らの中で帰ってきたのは一人だけでした」
「……」
その言葉に俺は押し黙る。
このゲームの難易度は非常に高い……というよりもおかしい。何がおかしいかというと塔ごとに難易度の差が激しいのだ。
俺たちプレイヤーはそれぞれ最初の塔に配置された後、どんどん次の塔へと進んでいく。そしてその途中で、枝分かれしていた道が合流するように他のプレイヤーと共通の塔に進むことがあるのだ。
そして次の塔へ進むたび、敵の強さは徐々に強くなっている……感覚はあるが、クリア難易度自体が比例している感じはしないのだ。
例えば、敵の強さが強くなっていたとしても、敵の数や配置、そしてその塔の物資の数などで攻略の難易度は大きく変わる。正直、前の【新緑の塔】は難易度だけで言えばそこまで高いものではなかったと感じる。俺のスキルのせいでそれが大きく変わってしまったが……。
軽く頭を振って、思考がダメな方向にいきかけたのを無理やり切り替える。
つまり、俺より先に来たそのパーティが前までの塔の難易度と同じような感覚で挑んだとしたら……それはとても危険である。というか実際に挑んだのだろう。
「それで帰ってきた一人は今どこに?」
「……帰ってきてからずっと宿に籠っております。最低限の食事はとられているようなのですが……」
心配そうにワジムが眉を顰める。
大して驚きはしなかった。むしろそれが当然の反応だと思った。
パーティメンバーが自分以外全滅したのだ。怪我よりも精神的な傷の方が深いであろう。
「そこでお願いがあるのですが…。その人の様子を見に行っていただけないでしょうか?」
「俺が?」
「ええ。私どもも何度か様子を見に行ったのですが反応がなく…。同じ『加護持ち』の方々ならばお話もできるのではないかと」
提案するワジムに俺は少し驚く。
俺にカウンセラーじみた真似ができるとは思えないし、会っても何も変わらないだろう。
「……俺が行っても何もできないですよ?」
「様子を見に行ってくれるだけで十分です」
「……」
少し考える。ワジム達村人からしたら俺たち『加護持ち』には、主を倒してほしいはずだ。
だから頭をよぎったのは生き残った一人にもう一度主に挑ませるつもりなのか、ということだ。それこそ新たな俺という『加護持ち』が現れた今、新たなパーティを組ませて挑ませようとしているのかと。
しかし、目の前で首を振るワジムの目つきは本当に心配しているようで、とてもそんなことをさせようとしているとは思えない。
「……わかりました。何もできないとは思いますが、一応行くだけ行ってみます」
その目を見て俺は様子を見に行くことを決意した。
本当に何も変わらないとは思うが。