世界一偉そうな王妃は黒き奴隷市場を救済する (下)
話は少し遡る。
魔国の国境線までは馬車、そこから先は……徒歩だった。
散々歩かされて、ティーガ・ラグーはちょっと疲れてきていた。お馴染み、王妃に銃弾ぶっ放した後で軍隊に就職してた青年である。
隣には、公式愛妾デルフィーヌのお付きにして貴族のご令嬢、サラ・マーニュの姿がある。
「くそっ……兵士上がりの俺がこんなに疲れるなんて、魔国は道の整備ができてなさすぎる……」
「えーっとぉ、サラ思うんですけど、それってものすごーく降ってる雪のせいじゃ……ないですかねえ……」
目の前、雪がすごい。
なにも見えない。
魔国の中は、一歩踏み込んだ瞬間豪雪だったのである。
国境線までは晴れていたのに、魔国の領地だけ豪雪。なんだこの不安定な天気は。不具合報告が必要なレベル。
ピンク色ツインテールのサラは、ツインテがソフトクリームみたいな変な形で凍っているのも気にせずにティーガを覗き込んだ。
「ハンカチ、使います~?お鼻が真っ赤ですよぅ」
「はっ、お貴族サマだなあんた。俺ら平民がこの程度の寒さで根を上げるわけねえだろ、毎回冬は……いやくっそ寒い死ぬ、もうハンカチでもなんでもいいから貸せ」
「はぁーい。えへへぇ、このハンカチ、デルフィーヌさまとお揃いなんですよぉ」
寒くて死にそうな所に気を遣わなきゃいけないような事を言われた。
びしょびしょに濡れて小汚くなった灰色の髪の青年は、ピンクの少女が差し出してきた綺麗なハンカチで、ちょっと遠慮して顔周りと手の辺りだけ拭った。
この青年、なんだかんだ言ってちょっと悪い人になりきれないところがあった。
「ティーガさんっ、ほら、いちにっ、いちにっ、頑張って歩きましょーう!」
「お前なんでそんな元気なの……貴族のご令嬢なんだろ……?」
「えへへぇ、デルフィーヌ様のところに配属されたあとで、何回か失敗したら暫く畑にいなさーいって言われた時期があって……」
「畑?????」
「それでですねえ、魔国のガジガジイモと、王国のバシバシイモの違いがわかるように芋と戦ってたら、体力ついちゃいました~!芋が噛み付いてきてもちゃんと収穫できちゃうんですよぉ~!」
「すげえ………」
ティーガは素直に感心した。普通にすごい。りんごを一目見て、このリンゴはどこの地域のどの畑で作られたのかを一瞬で見抜けるスキルと同じぐらいすごい。あと、素手で猪とやりあえるスキルぐらいすごい。
でもどう考えても普通の貴族のご令嬢のすることじゃない。
(本当に貴族なのか……?)
ティーガが疑い始めた頃、豪雪の中の強行軍は終わりにさしかかった。先行していた軍服姿の雪女が、すっと振り返る。
肌の色が真っ白なので、多分雪属性の人間だと思う。多分。
「ここだ、入ってくれ」
国境線から歩いてきた一軍は、とある建物の中に招き入れられた。石造りの四角い塔だ。遠くから見たら、なんか灰色の石碑みたいに見えそう。
(……墓標みたいだ)
ティーガは思った。そして、それはあながち間違っていなかった。
中に入ると、中は真っ暗で人の気配だけがしていた。全員が踏み込んだ瞬間、後ろの扉が閉まる音がした。
ぱっ、とスポットライトがつく。どこまでも高い天井、上にはオペラ劇場のすり鉢状のように、延々と席が積み上がっている。そしてどの席はほとんど全て埋まっていて……何故かその中の何人かは、垂れ幕とか看板とかを持っていた。
えーっと、なに?
「王国民の皆様!ようこそいらっしゃいました!」
うおーーーっ、と客席が沸いた。
「王国の皆さんだ!人間だ!人間が来たぞ!!」
「魔石油界隈の人手不足もこれで解消だ!」
「みなさん、是非うちに来てください!アットホームな職場です!」
「うちは残業代固定ですが稼げます!本当です!」
「いえいえ是非うちに!休暇二日制です!!是非是非!!!」
なにこれ。
垂れ幕や看板をよく見ると、『ウェルカム人間さん、うちの職場で働きませんか?』『魔族じゃ上手く掘れない魔石を掘って悠々自適生活』『住み込み寮つきアットホームな職場です』と文字が踊っている。
提示されている給料は安……いやそこそこ?っていう微妙なラインを彷徨っている。
ティーガは一瞬で察した。
これ奴隷市場じゃねえか!
ブラックな働き口しかねえところに人間連れてきて就職しないと帰さない腹ってやつだ、騙された……!
と思ったら、隣のサラは目をきらきらさせていた。
「副業おっけーなんですねえ、わあ、だったらどこかで働いたらデルフィーヌさまにプレゼントが買えるかも……。次の月、デルフィーヌ様お誕生日なんですぅ~」
「いややめとけお嬢サマ、ここで就職したらその大好きなデルフィーヌ様に一生会えなくなるぞ!」
「そ、そうなんですか!?」
「そうだよ!なんとかして逃げ……」
「そうは行きませんねえ!」
舞台の上の司会役が高らかに言う。
既に閉じられていた扉の前に重量級の衛兵が立ち塞がった。全身が金属で固められ、巨大すぎる盾を持っている。あれだ、魔導系地雷とか処理するときに持ってくタイプの盾。内紛とか持ってくときに持ってこられるタイプの、大人の身の丈ぐらいあるタイプの盾だ。
それが、二十人ぐらい扉の前に立っていた。がっしゃんがっしゃんうるさい。
「出口を塞がれた……!」
「ど、どどどどうしましょうティーガさぁんっ、お城に帰れないですぅぅ……!デルフィーヌ様はサラがいないと、心配で夜しか眠れなくなっちゃうのに……!」
それ普通に寝れてるやつ。
「くそっ、ホワイト職場だけどちょっと給料安いから、親父のハゲを治すために副業でもと思っただけなのに……っ!!金が欲しかっただけなのに……!」
「親孝行で何よりですぅ!偉いですねっ!」
「そ、そうか?」
照れている場合ではない、親孝行なティーガ・ラグー、このままでは絶体絶命である。
このままではサラと一緒によくわからないままブラックギルドに飛ばされてしまう、休暇二日制とか言ってるがそれ一ヶ月に二日って意味だろわかってるんだからな!
ティーガは素早く辺りを見回した。魔国の人間はおそらく皆魔族で、戦闘能力がある。対してこちらは人間ばかり、民間人も多い。そばで混乱しているサラも多分戦えはしない。そして目の前には重量級の装備で固めた兵士が数十人……
舞台の上で、眼鏡をかけた司会が両手を大きく広げた。
「さあ、王国民の皆さん!お好きな契約書にサインを!さあ!血判を!どうぞ!」
やんややんや。
紙吹雪が舞うし花吹雪が舞うし、垂れ幕と看板がやんややんやとしている。
『うちに来たら月収百万ゴルド可能』
『アットホームです、ギルドが24時間家になります!』
『綺麗なサキュバスお姉さんと一緒に(黒塗りで読めない)して働こう!』
『魔石を掘るだけ!一日二万ゴルド!』
やばい。洗脳されそう。あと一個なんかやべえのある。
とにかく、どれも絶対サインしたらだめなやつじゃん。
ティーガの今まで培ってきた警戒心が激しく警鐘を鳴らす。
しかし現状に気がついていない王国民の数人は、各ギルドの給料を見比べて唸っていた。もうなんか、あっちに就職する気だ。ティーガは歯をぎりぎりした。
スルーしようと思ったけどだめだ、ここで同じ王国に所属する奴らがブラックな魔国へ吸収されていくのを黙って見ていられない!
この青年、一見シニカルでぶっきらぼうだが、実のところやたら正義感が強くて無鉄砲であった。
「おいみんなやめろ!!!!だめだ、その契約書はーー……」
叫んだ瞬間、銃弾の、気配がした。
音はしなかった。
世界がスローモーションに見えた。
見回すと、兵士の一人が、こちらに銃口を向けていた。
まずいことを言い出す前の口封じとして最初から仕込まれていた伏兵に違いなかった。
催眠弾だろうか?それとも催涙弾?どちらにせよ、当たったら、だめだ。
「ティーガさぁん!!!!」
サラの声が響く。ピンク色のツインテールが目の前で閃いて、彼女が自分を庇おうとしているのだと悟った。
だめだ、だめだ。俺は一般市民だけど、あんたは貴族様なのに。貴族のお姫様なのに、傷物になっちまうなんて、だめだーー……
そのときだった。一陣の風が吹いた。
撃たれた弾丸が全部目の前で砕け散った。
「……えっ」
サラ・マーニュを抱きしめて床に転がった、ティーガの前に。
すっくと誰かが立っていた。すらりと美しい足首から上は、黒いシスター服で隠されている。
ふわりと外れて落ちた頭巾。
こぼれるのは蜂蜜色のうつくしい髪。黄金の肉食獣を思わせる圧倒的なオーラ、口元に描かれた傲岸不遜なまでの微笑み。
ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン。
我らが国の王妃。
彼女が片手で持ったバールのようなもので、撃たれた弾丸を粉微塵にしたのだと悟ったのは、数秒経ってからだった。
「お、王妃……!?」
「ヴィクトリアさまぁ……!?」
彼女は窓をぶち破って飛び込んできたらしかった。
おかげでめっちゃ雪が部屋の中に吹き込んでくる、寒い。
王妃の隣に麗しいご令嬢がふわりと隠密のように降り立って、ふう、とため息を吐いている。足音がしない。
どうでもいいけどこのご令嬢、動きがどう見てもカタギじゃない。
「いささかご入場方法が……粗暴ですわ、王妃さま……」
「入り口が封鎖されていたのだから仕方なかろう。しかも、『前回の就職希望者たちが終わらないと入らせません』と言われてしまってはな」
「じゅ、順番待ちという概念がないのですかあなたたちは!」
司会者の声が裏返っている。
そうだよな。列で待っててねって言ってお客を処理してたら、後ろの客がいきなり壁壊して順番抜かししてきましたみたいなものだ。普通に怖いわ。
咎められた王妃は顎を上げた。
「ない。我のいる場所が常に列の一番目だが?」
王妃は後光を放ちながら答えた。めっちゃ勝手である。列に並ばないタイプの人である。というか、多分VIP待遇で先に入れるタイプの人。
「無事かお前たち」
王妃が振り向いて、膝をつく。目線を合わせてくれる。
ティーガはこくこくと頷いた。
サラは唐突な銃弾の乱打に目を回していて、青年の胸元に倒れ込む形で守られていた。
「おや、これは公式愛妾のところの娘ではないか。……そなたが守ったのか、ティーガ・ラグー。よくやった」
「お、俺の名前を……?」
「我を撃った男だぞ、貴様は。忘れるわけがなかろうよ」
ティーガはちょっと青くなったが、息を吐いて気を落ち着かせた。
「王妃、この会場は……奴隷市場だ、副業とか言って騙してきたけど!奴隷市場なんだよ!」
青年の言葉を、王妃は黙って聞いた。ティーガは少し言葉に迷ったが、真っすぐにその瞳を見上げた。
「……。俺は貴族は嫌いだ、貴族は信じられない。でも、あんたなら、……俺を赦して、殺さずに生かしておいてくれたあんたなら、きっとこの状況を何とかできるんだろう?こんなこと言うのは情けないけど、恥ずかしいけど、助けてくれ王妃様!!俺もあんたを守る、一兵士として全力で護衛する、だからあんたが民たちを助けてやってくれ!!!」
必死で訴える。
黄金の王妃は、青年の思いを受け止めて、肯いた。
「分かっている。それをどうにかしようと乗り込んできたところよ」
「あんたが来たってことは軍勢とかも一緒なんだよな?」
「いいや、手勢は一人と猫軍団しかおらぬ」
「ねこぐんだん」
もふもふ。
や、役に立ちそうにねえ……!
ティーガは現実主義だったのでそう思ったが、ヴィクトリアは意に介さずにすっくと背筋を伸ばして立った。
勝手にすたすたと舞台の上に上がっていく。彼女はナチュラルな仕草で司会者からマイクを奪い取った。
「あっ、ちょ、それ私のマイク、」
あっさり主導権も一緒に強奪していくスタイル。
メガネの司会者からマイクを奪い取った王妃は、きーん、という音割れと共に声を響かせた。
背を伸ばし、声を張り、黄金の髪が外から吹き込んでくる吹雪に舞い踊る。さながら王妃オンステージ。ロックだぜ。
「聞け!国民たちよ!!!!!」
黄金の声音であった。輝かんばかりの威厳を遺憾なく発揮して、王妃は叫んだ。マイク越しに叫んだのでめっちゃ耳がキーンとなる。もうちょっと加減して。
「何が不満があって、そなたたちがここまで来たのかは分からぬ。何故魔国の土を踏むことにしたのか、今ある仕事以外を望んだのか、我にはわからぬ!だが約束しよう、国へと戻るが良い、この件は決して悪いようには転がさぬ!!!!!そなたたちに、更なる繁栄を、幸せを、きっと約束しようぞ!!!!」
その声にはっとした者がいた、涙ぐんだものがいた。
だが、困惑したものたちもいた。今お金がほしいのにちょっと先の繁栄と幸せを約束されてもちょっと困るのである。今お金がほしい、それが切実な気持ちであった。できれば五千兆ゴルドぐらいほしい。
やがてぽつぽつと声が上がった。
「王妃様の崇高なお考えはわかります、でも、女房に財布を差し押さえられててどうしても副業がしたくて……!」
「どうしても今、遊ぶ金がほしいんです……!」
「デルフィーヌさまの誕生日プレゼント買いたいです……!」
「割りのいい仕事で楽して稼ぎてえんです……!!」
いつの間にか目を覚ましたサラ・マーニュがさりげなく混ざってるし、どうしようもねえ理由多すぎ問題である。
王妃がどう返そうか困ってちょっと黙った隙に、司会者がマイクを奪い取った。
マイク奪い合いバトル、二回戦がはじまりました。
「なるほど、隣国の王妃様!!!あなたの弱点が見えましたよ!!!」
死亡フラグみたいなことを言い出した。
「我の弱点だと?」
「そうーー……あなたは、『強すぎる』のです」
司会者、きらりと眼鏡を光らせて王妃を指さした。かっこいいポーズである。なんか犯人を追い詰める探偵みたいなポーズである。
でもそれ多分みんなもう分かってたよ。
司会者は続ける。
「あなたは強いが故に、真に『弱きもの』の気持ちがわからない。あなたは強く、美しく、まるで女帝のように君臨する、そういった器だ。つまりあなたは真の意味で民には寄り添えない!具体的にいうと、女房に財布を差し押さえられて三百ゴルドのサンドイッチで日々を凌ぐ男の気持ちが分かるわけがない!!!!」
なんか妙に実感こもってるな。
「そう、あなたには弱きものの気持ちは真にはわからない!!!それがあなたの弱点だ王妃様、どうしようもない民の弱さをあなたは理解できない!」
「ーーなるほど、そうやもしれぬ」
王妃は俯いて答えた。微かな声であった。
そして顔を上げた。マイクを最早奪い取ろうともせずに声を張り上げた、それだけで建物の中にその声は黄金に響き渡った。
「だが、ーーそれがどうした!!!!!」
「何ですって……?」
彼女は背筋を伸ばして司会者を見た。そして、民たちを見た。自分を見つめる、魔族の人々を見た。
黒いシスター服を纏おうが、溢れ出る威厳は健在!蜂蜜色の髪に吹雪が花を添え、雪の結晶を纏わせて、それすら味方にして彼女は黄金に煌めく。
「それがどうした。分からずとも導くことはできよう。わからずとも幸せにすることはできよう、分からずとも守ることは、愛することはできよう!!!!」
王妃は美しく微笑んだ。
「……それに、そなたはわかっておらぬ」
「な、にを、」
「我は確かに民の弱さが分からぬ。実感として理解はできぬ。故に、我が国に君臨すれば国は滅んだやもしれぬ。我は、とりあえず毎日十時間筋トレすれば強くなれるだろうと考えるタイプの人間でな」
それは意志の弱い人間がやったら一日で根をあげるやつ。
「そういった考えの我が王なら、我が国はそこまで上手く回らなかったやもしれぬな。貴様も恐らくそういった光景を思い描いたのであろう、がーー……我は王ではない」
ヴィクトリア・ウィナー・オーストウェン『王妃』は燦然と煌きながら、民たちを見回す。
「我は王ではない、王の伴侶である。……我が分からぬ民の弱さは、王であるフレデリックが分かっているであろう。そなたたちの細かな処遇は、寧ろあれに任せた方がいい。王は人の弱さを理解できる人間だ。……きっと悪いようにはならない。すぐさま金が欲しいのなら良心的な質屋や貸し付け屋を紹介するなり、新たに国民事業を起こすなりするだろう。……きっと、そなたたちに寄り添った歩み方で。」
彼女は奴隷市場を見回す。
魔族たちは彼女のオーラに呑まれ、口も聞けずにいる。兵士も銃弾をさっきから撃ってはいるのだが、撃つ度に弾が砕け散って無駄になるのでちょっと発砲を控えつつあった。
ちなみに、放り投げられた盾を拾い上げたティーガがかなりの弾丸をブロックしたので、魔国側はめちゃくちゃ余計に弾を消費してしまった。この青年、なかなかに守りが上手い。
民たちを守りながら、守られながら、彼女は胸を張って叫んだ。
「我が国を信じよ!!王を信じよ、そして、我の愛を信じよ!!!国民たちよ、わざわざ奴隷に身を落とすことはない、我が国がきっとそなたらを繁栄へと導こうぞ!!!!!」
少しの、沈黙が落ちた。
そして、うおーーっ、と、誰かが声を上げた。
王妃様万歳、と声が上がった。段々と唱和の声が高くなった。
俺たちは国へ帰るぞ、と。
それにはっとしたように魔国の兵士たちが襲いかかってくる。それを王妃の振り回したバールが一蹴した。光を帯びて、光の粉を散らす。ライトセイバーである。この人が握ると、どんなものでも聖剣ヅラして威力が高くなるの、すごい。
ミレイユの猫たちも大いに奮戦した。ミレイユの指示で、足に飛びつく。引っ掻く。猫好きの兵士たちが餌食になってめろめろになる。うーん、ネコチャンは神。
「うおお猫だ!」
「トビネコじゃねえか可愛い!」
「こりゃ使い魔だ、斬れ!!」
「なんだとネコチャンを斬るとか万死だろうが!!一生足を爪研ぎにされろ!!!」
混沌。
しかし、状況は劣勢であった。
敵の数が多すぎる。人間は少数、魔法を使える魔族は多数だ。このままでは、とても倒しきれないーー……。王妃が一人で時間をかければ蹴散らせそうだが、援軍を呼ばれたら少し危ないかもしれない。
そう思った時だった。
いきなり部屋の真ん中で、黒い煙が噴き上がった。
それは、完全なる不意打ちであった。ミレイユは驚いて猫を呼び集めて身を呈して抱きしめて守った。
「何ですの……!?げほっごふぉっゔぇぇえ」
ミレイユ嬢、咳き込み方が個性的。
ぼふん、と濃い霧が爆発して何も見えなくなり、兵士たちは咳き込んだし、国民も咳き込んだし、司会係も咳き込んだのでめっちゃマイクがキーンとなった。うるせえ。
黒い霧から人影が飛び出してきた。
「王妃さま、お迎えにあがりましてよ!ほらあんたたち、もっと煙幕を撒くんだよ!!!!」
そこにいたのは、……全身を黒服で固めたメイドだった。
ブリジット・ディー。王宮のメイド長筆頭。
メイド長にして、値切りと節約の達人にしてーー……王家直属、『掃除係』の長、隠密部隊隊長!
「……フレデリックが寄越したのか?」
「ええ、王妃さま。王様が貴女を守れと」
「あれには、いつも助けられている」
「それは王様に直に言ってあげてくださいな!!」
間に合うかわかりませんけども、とブリジットが不穏な呟きをもらして、ヴィクトリアは微かに眉を上げたが、直ぐにその意識は他へ逸れた。
司会係が、一人で逃げようとしていたのである。
ヴィクトリアはその足元を容赦なくバールで薙ぎ払った。
当たり前のように司会者は転んだ。いったそう。
「いったあああ!何するんですか!」
「貴様こそ一人で逃げようとするな」
「いーや逃げますよ、私は逃げますよ!?自信満々傲岸不遜ついでに戦闘力がアホみたいに高いあなたとは違うんですよ、一騎討ちとかもう絶対イヤ!」
正直すぎる。
ヴィクトリアがその腕を掴んだ瞬間、……司会者はぼすん、と崩れて消えた。
後に残ったのは、微かな魔力の痕跡。一枚はらりと落ちてきた、何かが描かれた紙一枚。
『それに、ーー私の交渉相手は、あなたではないんですよ、王妃様。もっと上の方がいらっしゃるようなので……そちらのおもてなしの準備を進めないといけないので……。ほら、他所のトップ、社長が出てきたらやっぱり応接室にお通ししないと失礼になりますし……』
なんか考え方が会社勤めなんだよなあ。
声が響く。黒い霧に覆われた世界で、声だけが揺らめいている。
『何か言いたければ、そうーー……私のところまで来てください、黄金の王妃様。直に来た時には、全ては終わっているかもしれませんが……、あっ、菓子折はいりませんので……お気軽に……』
黒い霧の中で揺らめく声とかいう神秘的シチュエーションなのにセリフのせいで台無し。
「ずらかりますわよ、ヴィクトリア様!!さあ、あんたたち、国民のみんなを連れて国境線まで護衛しな!!!」
「はい、ブリジット様!」
「了解です、ブリジットさま!」
メイド長、言葉遣いが悪い。
司会者の男の、低い笑い声は次第に遠くなっていく。
ヴィクトリアは手に持った紙を改めて見た。
そこに刻まれていたのは、ーー魔王の使う魔法陣であった。
読んでいただけて嬉しいです!!次回更新が終わったあとは最終章まで雪崩れ込んでまいります、どうぞよろしくお願いいたします!明日も本日と同じ時間に更新です!




