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萌ゆる花1〜五金の王〜

【Date】

黒白の刻

【Location】

新大陸:渓谷

 パッ——と、二つの輝きが漆黒のとばりの中に生まれた。水平に位置する二つの光点は、ぐるりと円を描く様に彷徨ったかと思うと、一転、ピタリと止まって、二三にさんまたたいた。


 すると、また——パチ……パチリ……


 新たな複数の光点がその闇の中に生まれ、同じ様に動き出す。産卵期を迎えた小さな光虫が、交合すべき相手を求め飛び交っているのだろうか?

 それとも無邪気な精霊が、歌い踊り戯れているとでもいうのだろうか?

 

 いや——ならば、何故……他の羽虫は心地良い音色を響かせぬのだろうか?

 ならば、何故……精霊は可憐な歌声を聞かせてくれぬのだろうか?


 ——ヒタリ


 ふん……言わずもがな、か。


 微かに耳に届いた柔らかな跫音きょうおん

 それと共に、予想どおりと言うべきか、醜悪な黄泉の住人共が漆黒のとばりを押し退けて姿を現した。


“grr………”

“ge……gege……”

“haa……gha……”


「汚ねぇ鳴き声だ……これが夜光虫なら一生、つがいは貰えねぇだろうよ」


 ——ピタリ


 それまで、統率される事なく奔放に遊んでいた怪しく光る眼光が一斉に静止……数拍置いて、意思を統一したかのようにこちらに視線を寄越す。

 薄っすらと掛かっていたもやが消え、光点の持ち主が姿を現した。こいつらは確か、先刻四葉が凌いだ紫毛の餓狼……人一人を丸呑みできるであろう大きな顎を持つ化物だ。


「九十九ォッ————逃げろ!!」

四葉の声が背中に刺さる。が、それに構わず全体を捉えていた視点を真正面にいる一匹に合わせると、


〝——ぁぁあ……〟

呻きながら、餓狼の身体から幾つかの魂魄が腕を伸ばし、ずるりと崩れ落ちた。が……其れを追うように、更に複数の腕が伸び始めた。


〝イヤァぁァアあああ゛——〟

引き摺り込まれる。崩れ落ちた魂魄の腕に、躰に、顔に、次々と腕が掴みかかり餓狼の中へ引き戻した。

 逃れようとしていたのだろう。もう果てたい、だというのに、深く刻まれた罪咎つみとがへの後悔は、やがて妄執もうしゅうへと至り、その思いが幾百という魂魄を此の世に繋ぎ止めている。だとしたら……


「逃げれるかよ……てめぇの残した糞みてぇな因縁に、方付けねぇでよぉ」

ふっと頬の筋肉が緩み、先程の四葉の言葉に対して、そんな風に返していた。そこに——


「——噛み砕け(エスバーヴ)

人狼の声が割り入って、


〝————ッ!!〟

幾百もの亡者が叫んだ。歓喜の叫びか、あるいは哀哭あいこくあえぎか……何れにせよ、重なり合う其れらは餓狼の雄叫びへと変わり、彼奴らは一斉に大地を蹴った。

 

 ……しのげるか?

 この躰に僅かに残されていた咒力しゅりょくは、先刻、河原の砂鉄から地潜ジムグリを創造した際に、全て使い果たした。

 もう一度は無理だ。だが、奴の術技の原理はわかっている。ならば、その根本たるモノを我が物とすれば……あるいは——


 そう思い至り、後腰に携えた大腰鉈を残る左腕で鞘から解放する。冷えた刀身は寝ぼけているのか、間延びした欠伸を響かせる。顕になったくろがねの塊は光すらも呑み込むほどの圧倒的な黒。

 装飾や遊び心といった洒落た飾りは一切見受けられず、ただ対象を叩き割る事だけを目的に創造されし魔喰らいの牙。けれど、くぁんと、掌に伝わったのは寝言のような緩い震動で……

 

 まぁ、この間眼ぇ覚めてから常世乃者(ゾル)一匹喰わせだけだから仕方ないとは言え……


「お前も俺も、永い夢路ゆめじうつつを抜かしすぎたみたいだなぁ……」

呟きの最中さなか、餓狼が距離を詰める。迫る黒い濁流の如き群れ。そこに意志など存在しない。

 ただ、求めるがままに獲物を喰らわせんとする亡者を操りし外法が、彼奴らを動かすのだ。左右端の餓狼が体一つ分飛び出し、徐々に群れが此方を包み込むように弧を描いて——


 捉えられれば、逃れられんか。


 左膝から力を抜いた。

 身体が傾く、たいが移ったところで地を蹴った。遅れて、左手に掴む大腰鉈の先端が河原の砂利をなぞり、チチンッと甲高く鳴き声をあげ、つられるように相対する群れも動いた。左側の五匹が反応する。


 ——少し多い


 更に駆ける。

 脚が堰き止められた川水に浸かった。飛沫が上がり、水圧が脚の進みを妨げる。左手首を外に回すと、大腰鉈の刃が真正面を睨んだ。


「——ッ」

短く呼気を吐き、下方から河川を薙ぐように得物を振り上げる——とぷぅん、と跳ねあげられた川面が多量の空気を含んで盛り上がり、爆ぜた。

 そして、裂けるように二つに割れたかと思うと、恥じらいもなく川底を露出させた。その間、僅か拍動二つ分——だが、充分だ。


 一歩、二歩、己で開いたみちを進む。時は進む。跳ね上がった飛沫しぶきは頂点へと達し、静かに降下の軌道を取り始めた。

 飛沫の一粒一粒は、失せる上下方向への慣性と、元に戻ろうと足掻く己の張力に振り回され、縦に横に忙しなく撓んでは形を変えて……その内の一つが、眼前を通り過ぎる。視線をそちらに向けた。崩れる雫の表面に、背後の世界が映り込む。


 ——三匹か


 たたら踏み、体を捻る。川面が元へ戻るより早く、時計回りに。遅れて、左手で掴む大腰鉈が半弧を描くように水面を切り裂いた。その軌跡を追って水面が波打ち、割れ、川底が再度露出。そして、走る漆黒の刃が獲物を見据え——


「——咜ァア゛ッ!」

一吼いっこう——水面に還ろうとしていた飛沫が音の塊をぶつけられ、その震動に堪らず崩壊。迫る餓狼も等しく、忘れていた感情を取り戻したのか戸惑うようにひるんだ。


〝そうだ——其れが、恐怖だ〟


 振るう刃の速度は落とさず、呼び掛けるように心で囁くと、真一文字に走る大腰鉈がその延長線上に迫った一匹目の餓狼の口を割り開き、二匹目、三匹目と同様にかち割った。

 ずぁり——くろがねの刃が呑み込んだ無数の魂魄。その一つ一つが抱え込んでいた数多の感情が俺の胸に、頭に流れ込んだ。複数の亡者の泣き声が、頭に響く。


 如何して……如何して、こんなにも……


 己の心に割り入る名も知らぬ他人の記憶。

 そのれもが……脳髄を焦がすほどの悔恨かいこん慟哭どうこくだった。


 やはり、何も変わらなかったという事なのだろうか?

 かつての戰いも、あの時の選択も、総てがあやまち……無駄な足掻きだったと?

 解らねぇ、解らねぇなぁ……


 産まれたのは小さな戸惑い。

 それを打ち払うように振り抜いた大腰鉈に傷ついた右腕を添えて、軌道を変える。こちらを追ってきた残りの二匹を打ち上げ、振り下ろす刃で両断した。


 感情が……また、流れ込む。


 濡れた鉈を軽く払い、刀身についた滴を落とすと、もやの如く四散した亡者の魂魄も虚空へと消え失せる。面を上げた視線の先に、人狼が立ち尽くしていた。


「……しまいかよ?」

暫しの沈黙、呆気にとられた人狼にそう言い放つ。


「——粋がるナァア゛ッ!!」

怒声。其れとともに餓狼が駆ける。


 真正面だ。こちらも走る。

 左から二匹、右から三匹。地を蹴って飛び掛かってくる。その隙間を縫って突っ込み、まだ態勢の整わぬ二匹を一薙、打ち砕いた。

 前後から咆哮——挟撃か。潜るように左に抜けると、視界の右脇で躊躇なくぶつかり合った複数の餓狼が重なり合い同化、より大きな個体と成ってこちらへ向かって地を蹴った。

 左に流れる身体に逆らわず、逆時計周りに身体を廻し、浮き上がった大腰鉈を袈裟斬りに振り下ろす。


〝——ぇあぁあ゛ァァアッ〟


 斜め上方から餓狼の顔を叩き割ると、首ごと視界外に吹き飛んでいき、残された亡者からだが叫んだ。

 首の無い餓狼から無数の腕が生え、こちらの身体に掴み掛かる——が、それを許さず、四肢を縛られる直前に左下方へ流れた刃を上に返し、八の字を空中に描くように斬り結んで、束縛から逃れ力の限り餓狼の巨軀を打ち払う。

 三度みたび、流れ込む数多の亡者の魂魄。瞬きの狭間に、その全てに問いかける。


〝人よ——何故、涙を流す。

 己の行動を後悔するならば、その時のお前の判断は過ちであったと……そう言うのか?〟


〝人よ——何故、悔み諦める。

 貴様らに未来を見通す力でもあるというのか? 戯けがッ。驕るなよ……何人も一寸先のことすら解らねぇ〟

 

〝人よ——何故、見えぬ鎖に縛れる。

 貴様らはあの時より自由となったはずではなかったのか? 如何して再び自らを束縛する……己を信じずして、己が欲を押し殺して、何を得られるというのだ。一体、何をッ——〟


 目蓋を開ける……残る餓狼が人狼とともに此方を囲んでいた。


「来いやッ——狗共いぬどもォッ!!」

一喝。


「——オオァア゛ッ!!」

人狼も叫ぶ。


 振るう刃と人狼の爪、蹴脚が何度も斬り結び、幾つもの眩い咬閃を生み出して薄暗い黒白の世界を照らし出す。


「「——ッ!」」

双方の叫び声が中空で重なる。たたら踏み、蹴りつける大地は抉れ、斬り結ぶ度に爆ぜる火花は、空間を裂く風刃の前に舞い上がる。その真下で拮抗する一撃が、大きく真正面からぶつかり合った。


〝——思い出せッ

 人々(おのれら)が勝ち取ったのは何であったのかを〟


〝……奴が、散り際に残した想いを、己らに託した想いをッ——どうか、忘れないでくれッ!〟


 体を乗せた上段からの振り下ろし。

 対する人狼の撃ち上げる狂爪きょうそう


 爆ぜる——音も、光も、互いの身体も等しく、その一点から後方へと吹き飛ばされた。

 血塗ちまみれの右手の爪で砂利を砕き、大地を鷲掴む。爪は割れ、五指が悲鳴をあげるが、地を転がる身体を無理矢理起こす、最早、受身と呼べるようなモノではなかった。

 血の混じる唾液を吐き捨て、正面を見据える。人狼が低く構えた。駆ける森の王者……狼の如く、低く低く構えた。


「————亡者達よ(ネクロォオス)ッ!」

人狼が叫ぶ。


此処ここがッ貴様らの在るべき場所(アンヌヴン)ダッ! 此処で踊れ! 死してなお、愚かにも救いを求めるならばッ!!」

そして告げる。残る餓狼に向けて、己が縛る亡者に対して、従属しろと命じるのだ。


〝Gyhaaぁあ゛ぁあぁぁ゛ぁ——ッ〟

 餓狼が疾る。此方こちらではなく人狼に向かって。猛進、我先にと主へ群がり、その手脚胴首てあしどうくびに喰いかかった。飛ぶ血潮。響く叫声きょうせい。それらは人狼の傷口から噴き出た瘴気と共に渦を成し、群がった亡者達を一気に取り込んでいく。


 狂騒から一転、静寂が訪れる。そこに、ふつ、ふつ……と徐々に高鳴る負の胎動。人狼が取り込みし亡者の魂魄が練り上げられ、先鋭化されていく。

 噴き出た瘴気は意思を持ったかのように撚り集まり黒い黒い糸を紡ぎ出して、一領いちりょうの漆黒の衣を創造していく。


 人狼が身に纏う。生者が住まう世界に在ってはならぬその衣を。そして——両の手には先刻よりも大きく、禍々しい爪を携えて。

 けれど……このに触れたのは、その装具よりも放たれた言葉であった。

 

「——救いだと? 嗤わせんな。嘆き、苦しみ、悔恨の果てに散っていった其奴らに、救いなんぞ、有る訳ねぇだろ……」

 

 故に、訴える。

 …………誰に?

 妄信に陥る人狼に。

 未だ果て得ぬ亡者に。

 逆境の最中で望み失わぬ四葉に。

 そして……人という力無きつよき者達に——


 己等は自由なのだと、何者にも縛られる事なく、在るがままに一生を謳歌せよと、奴が歌ったように——


みにく足掻あがいて見せろ——己を失わぬ為にッ!」


 左掌に収まる大腰鉈が呻いた。

 絶えず拍動する鐵の鼓動。

 久方振りに数多の魂を喰らって、醒めたのだろう。

 鐵は震え、熱を放ち、相対する異形の存在を喰らわせろと好き勝手に暴れ出す。

 欲するか……ならば命じよう。

 

「やうれッ——狂い鐵塊ものども!! おのれらは五金の王なる哉、永遠に朽ち果てぬ其の輝きを——今、此処に魅せつけろやッ!!」


 騒ぎ始めた鐵の刃を大地へ穿ち、駆け出した。


〝ぢ……ぢぢ……〟

地走じばしる鐵の刃が砂礫されきと摩擦を起こして、絶えず緋い緋いてつの花を幾弁も産み出し、其れらは可憐に散っていく。空気を貪り、地を焦がし、駆ける軌跡を追って激しく萌えながら……


“……ぢ……Di Di Didii Diii——————”


 草木はしおれ、華は散る

 雲は流れて、時は進み

 人の記憶は、色褪せて

 数多の英雄が散っていった……そして、我がも等しく消える筈だった——


 帰る場所など必要ないと思っていた。

 あの時、俺が彼奴に討たれていれば、全てが終わると、そう思っていたのに……


「————ぁぁあああ゛ッ!!」

燃ゆる鐵の刃が大地から爆ぜるように飛び出し、鈍色にびいろの火花散らして、半弧を描きながら駆け昇る。真正面から迫る人狼の両の狂爪と激しく撃ち合い、互いの力が膨れ上がった。


 押し負けぬよう、壊れた右腕で容赦なく大腰鉈の柄を掴みこんだ。口の中に血の味が広がって、流れ込む、亡者の負の感情。

 其れを燃ゆる鐵の花が呑み込んでいく。産まれるのは……いや、よみがえるのは穏やかだった日々の記憶、彼等が人であった頃のささやかな幸せと、小さな願い。


 今の俺に出来るのはこの程度だ……むなしく消えて行く魂魄への、せめてもの手向け。


 そうだ——争いは今も続く。あの時、憎しみも悲しみも全て俺が奪えば、それで終わる筈だった。

 なのに何故、何故俺だけを残した……如何して、この時代ときおこした?

 

 真名を失い、力を奪われ、当の昔に消え失せた筈の……討たれる筈だったこの俺に、何を求め、託したというのだ?


 教えてくれ————異邦人ッ!





*****



 


 静寂が辺りを包む。激しい衝突が嘘のように鎮まっていた。私も等しく声を出す事が出来ずにいた。河原に二人の男が背を向けて立ち尽くす。


「ぢィッ……」

咳き込み、膝を着いたのは…………大腰鉈を握る九十九だった。そこに——


「——如何した?」

獣化状態から人の身に戻っていたアイスナーが己の両の手を見つめながら呟いた。


「歌え亡者よ!! どうした? 何故我が求めに応じないッ!」

吠える。獣化の術は解け、あれ程までに濃く噴出していた瘴気は見る影すらない。むしろ、身体の線は細くなり、元々ひょろりとした印象だった男がさらに弱々しく見えた。


「貴様、何をした……この私に何を?」

アイスナーが振り返り、九十九にそう問い質す。


「御前が喰らった八百跳んで七つの魂……確かに、奪わせてもらったぜ……」

九十九が答えた。と同時——ポツポツと光の玉が、九十九が握る大腰鉈の刃から中空へと浮かび上がる。


 宙へ浮かぶ星屑の様に、燦々たる輝きを放ちながら戯れる様に舞っていた。それは、アイスナーの力の源たる亡者達。解き放されし魂魄だった。


「嘘だ……そんなこと、出来る訳が——」

「もう終いだ。大人しく——」


「嫌だぁぁあああ゛ッ! まだ終わりじゃない……贄さえ有ればァ——裏切者さえ粛清すればッ! 裏切者さえ……」

ゆらり、アイスナーが私を見据える。そして、駆け出した。


「あ……」

動けなかった。いや、アイスナーが駆け出した意味を悟った頃には、既に、目の前で大きく右腕が振り上げられていた。此処が戦さ場であるということを……私は忘れていたのだろうか? 


 目蓋が閉じる。暗くなる世界の中で、最期に聴こえたのは……私の名を呼ぶ、あの男の声だった。

【用語解説】

原初の詩群(エルディス)

 世界構築の際に奏でられた詩が記されているという何か。ソレに記されたといわれる詩、魔歌まがうたの固有名が現代に正確に伝わっていないが故に、今ではそれらをまとめてエルディスと呼称する。

◯やうれ

 「おい、こら」の意味

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