ルーサー王の胸の裡は
ブドウの蔓が絡んだパーゴラの下、一段高くなっている敷石にふたり並んで座った。午後の陽射しでほんのり温まっている。足を開き気味にしてスカートの上にフリシアを下ろしてしまった。
「メルカットの人間のうち、あなただけはレーニアに住める……」
ピオニアは独り言のように呟いた。
「そりゃ、人生の半分近くはこの島で暮らした計算になるだろうから……」
「あなたが総大将として軍を率いて上陸していたら、戦況は違っていたでしょうね」
「そんなことはないだろう? 私は戦上手じゃない。それにメルカット城を離れてはいけない気がしていた」
「ええ、私もずっと、この城を留守にするなんて許されない気がしてました。家族の思い出たっぷりの大切なうちであると同時に、足枷でもあったのかも」
「そうだろうな」
「何をしてしまったんだろうな、私は」
ルーサーは壁に囲まれた中庭を見廻した。
「たいしたことないわ」
ピオニアの声が余りに明るくてルーサーは振り向いて見つめた。
「レーニアのみんなが戻ってくれば、三日で元通りよ」
「三日? そう、なのか? おまえの城を直すだけでもう二ヶ月もかかっているのに?」
「大丈夫よ」
ピオニアは島を代表して笑って見せた。
「みんな、戻ってくるのか?」
「ええ、戻るわ。あなたがメルカットへ帰ったら」
「ここにはいさせてはもらえないのか。そりゃ、もちろん……そうだよな。木こりや船大工に吊るし上げを喰らう」
「そんなことしないわよ、うちの人たちは。メルカットがあなたを待っているでしょう?」
「私は……、私など、いないほうがいいだろう。戦どころか、庭仕事も大工仕事も、何をやっても不器用だ」
「王様は政をすればいいじゃない」
「王としても失格だ。皆に苦労をかけた。王様引っ込めと云われたんだ」
「あれはわざとよ。レーニアが裏で画策して、処刑場で叫ぶように依頼したの。私の夫を助けるために」
「だとしても、それが国民の気持ちを代弁してたから、あれだけの暴動になったんだろう?」
「暴動? 違うと思うわ。ハンスが助かった一時間後には、みんな普段の生活に戻ったじゃない」
「いや、いいんだよ、慰めてくれなくて。おまえがいなくなってから、国内を廻って民の意見を聞いた。王としてでなく、薄汚い恰好をして酒場とかに潜りこんで。誰にメルカットを統治して欲しいか尋ねると、返ってくる答えは、『あの病痕者』か『アストール』ばかりだった。私は自分の民に見限られたんだよ」
「それでもデルスにみんな押しつけちゃだめじゃない」
「よくやってくれていると思うが?」
「だめよ、あの人にメルカットの気持ちがわかるわけないわ」
「メルカットの気持ち?」
「そうよ。メルカットはね、いろんな人がいて、いろんなことして生活してるの。農業も漁業も、お店も、市場もいろいろあるのよ。人の髪を切るだけで生活できたり、お花育てるだけでお金になったりするの。ちょっとしたアイディアで生計がたつの」
「そりゃ、小さな商売には税金かけないから」
「レーニアみたいに必要最低限じゃないのよ。お花にお金を出す余裕のある人が多いの。上手に仕立てられた服にはそれに見合った値段をつけても売れる。レーニアでおでかけ着が欲しかったら、メルカットに買いに行くしかないのよ?」
「何が云いたいんだい、ピオニア」
「デルスの国は自分で作りだそうとしないの。もうできているものを横取りするのが得意な国だわ。だから兵隊がたくさん要るのよ。このままデルスの云う通りにメルカット人を徴兵してたら、生活できなくなる家庭が増える」
「だが、レーニアがいてくれないなら海を守らなければ。メルカット船ではレーニアの外まで守れない。アイツの国の船がないと、私はこの島も守れないんだよ」
「レーニアを守るために東国船を買ったの?」
「フランキが来たら、レーニアもメルカットも守らなきゃならない。サリクトラがどこまで協力してくれるか、サリウと話をしようと思っていたんだが連絡がつかなくて。つい最近、突然フランキ船にサリクトラの紋章がついているのを見て、実は、心配なんだ。サリウは敵に廻ったんだろうか?」
「逆ね。フランキが仲間についてくれたみたいよ。もう攻めてこないって」
「うそだろう? 信じられない」
「サリウのお姉さん憶えてる?」
「マリティア姫? ああ」
「フランキにいらっしゃるのがわかったんだって」
「ほんとか? 亡くなったと聞いていた」
「連絡が取れたのよ。バカね、サリウを疑うなんて」
「ああ、バカなんだろう、私は。私には何も見えていない。最近よく思うんだ。ラドがいてくれたらどうだったろうって」
「ラド?」
「ああ、ランサロードのラドロー。仲良かったんだ。アイツほどスマートなら、せめてアイツがここにやってきて、『何バカなことやってんだ』と笑ってくれたら。昔どんな王様になりたいか語り合った時みたいに、意見してくれたら。マリティアが見つかってラドローがいないなんて……」
「ほんと、どうしようもない人たちね」
ピオニアは膝の上にいた赤ん坊をルーサーに差し出した。
「はい、受け取って」
「いや、私は、赤子なんて、抱いたこともない」
ピオニアの娘は、うろたえながらもしっかりした、ルーサーの太い両腕の上に乗った。
「ピオはもう母親なんだな……」
「誰かに似てると思わない?」
「王妃さま、ピオのお母さんに似てる気がする」
「ラドローの子です」
ピオニアは唐突に口にした。
「え? ラド? ラドローと云ったのか?」
「もう、自分で地下牢に繋いで鞭打っておきながら、気付かないほうがどうかしてるわ」
「うそ、あの木こりがラドロー?」
「他にいないでしょ。あなたに自信喪失させるような男」
「なんで、こんなことに、ラドローは生きているのか?」
「ええ、ぴんぴんしてます」
「バカな、なぜ、なんで云ってくれなかった、自分もピオに惚れてしまったとなぜ堂々と。アイツなら、ラドならおまえを奪られてもこんなには苦しまなかった」
「そこよ、そこがヘンでしょ? 同じ人なのよ? 木こりならだめでラドローならいいっておかしいでしょ?」
「いや、木こりの妻で幸せになれるか? ランサロード王子のラドローなら」
「国があるから? 財産があるから? 私の幸せは私が決める。そこのところを間違っただけでしょ?」
「そうなのか?」
「きっとラドローも恐かったのよ、ルーサーのこと。男として、真っ向勝負じゃ敵わないと思ってたんじゃない?」
「そんなこと……いや、あるのか。おまえを巡って、決闘していたろうか? 戦争をしただろうか? ラドにならおまえをやれると思えるのは、もうとられてしまったからかもしれない」
ルーサーはフリシアをピオニアの胸に返した。