第二十話 勇者アルス 中編 勇者の誤算
「パパを知ってるって? 君、何言ってんの」
橋本は片眉を上げて思い切り不信感をあらわにしている。向こうは俺をNPCだと思っているのだから仕方ない。これから助けてやろうとしている奴にそういう顔をされるのはいい気分じゃないが、ひとまず信用を勝ち取るためには我慢が必要だろう。現実世界でモニターを睨んでいる連中に、俺はツァンとは違うと分かってもらう必要もある。
橋本博士も息子は救いたいだろうし、大泉にしても一般人がログインしたままではあまり大胆な手に出られないに違いない。俺がイベントクリアーをサポートしてやれば、比較的安全にこいつらをログアウトさせられるはずだ。そのためには、まず俺を信用してもらわなければならない。NPCとしてイベントのシナリオ通りに動いていとはいえ、俺はこいつらを散々な目に遭わせてきたのだ。今更助けてやると言っても、そう簡単に不信感は払拭できないだろう。
もう一つ気がかりなことは、ツァンの横やりが入ったときにどう対応するかということだ。「人質」には当然この三人も含まれているのだから、奴が邪魔してくる可能性はおおいにある。だがそのタイミングも手段も予測できない。ただ現時点で俺の言動を奴が把握していて、邪魔しに現れないのであれば、事を急ぐに越したことはないだろう。
「言葉通りだ。お前の父親は現実世界で脳コンとやらを開発した科学者だろ?」
「なんで、そんなことNPCが知って……」
「俺はNPCじゃない。お前らと同じ、プレイヤーさ」
「ええ?」
さっさと正体を明かした俺の言葉を受けて、病的に膨らんだ頬肉に押し上げられるようだった細い目が、丸く見開かれた。
「そんなはずないよ! 僕たち以外、NOAⅡのプレイヤーがいるはずが――」
ハシモトは言いかけて、ハッとした表情になり口を閉ざした。俺が続きを促そうとする前に、それまで俺たちを観察していたミサがハシモトに詰め寄った。
「ちょっと!! あんた今なんて言った!?」
「ミサミサ、僕は……」
言い淀むハシモト。彼より一回り以上背が小さいミサが、巨漢のハシモトの胸倉を掴んで睨み上げる。
「あんた、『ファーストイベントをクリアーしないと他プレイヤーと交流できない』とかなんとか言ったわよね!? あたしたち以外にプレイヤーがいないってどういうことよ!!」
「いや、いないとは言ってないだろ? 『いるはずがない』って言いかけただけで」
それは、「いない」と言ったことと同然だと思う。俺がそれを指摘しても仕方ない。
橋本博士の息子は、NOAⅡのプログラムを父親のPCから盗んだ上に少しいじくったらしいからな。何をしでかしたのか、白状しておいてもらった方がいいだろう。俺は少し成り行きを見守ることにした。
「あんたねえ! そんな言い訳が通ると思ってんの!? あたしたちがここに来てからどれだけ経ってるの? あたしの身体は無事なの!? ねえ!?」
「あう、あう、ちょっと、ミサミサ、やめて……」
ガクガクと前後に揺さぶられ、ハシモトは苦しそうにしていた。
あいつらがこの世界に現れてから、だいたい四か月。現実世界ではどの程度の時間が経過しているのだろうか。現王園から直接聞いたわけじゃないからわからないが、仮に四か月も仮想現実にログインしたままだとすれば、けっこう衰弱してしまうんじゃないだろうか。
「おい、ハシモト」
「なによ! つーかあんた、誰なのよ!?」
激昂するミサに任せておいても、まともな問答は期待できそうにない。現実世界のことは、博士とメッセージのやり取りをしてもらえばわかる話だ。やつらもプレイヤーとして参加している以上、チャットが使えるのだから、と思って声をかけると、本気で息が苦しいのか顔が紫色になってきたハシモトに代わってミサが牙を剝くようにして答えた。
「その辺でやめておけよ。この世界で体験する身体への傷害は、現実世界で寝ているお前たちにも悪影響を与えるらしいからな」
「え?」
ギョッとした顔になったミサが、ハシモトを離した。その場に崩れ落ちたハシモトは苦しそうに喘ぐばかりで、俺の話を聞く余裕は無さそうだった。その場に立ち尽くしたミサに代わって、今度はユーキが口を開いた。
「待てよ。オレなんて、何回死んだと思ってんだ?」
「こっちで死んだからといって、向こうでも死ぬわけじゃないさ……たぶんな」
お前は死んだというか、俺が殺したんだがな。それを直接言わないあたり、三人の中で一番あっけらかんとしているように見えて、実はこいつが気を遣うキャラクターなのかもしれない。
「たぶんて、なによぉ……あたしもう帰りたいよぅ」
「安心しろ。俺は、お前たちを現実へ帰すために来た」
ミサが泣き出してしまった。
まだ喘いでいるハシモトとは会話にならないようだし、先に俺の目的を説明してしまおう。
「俺は、現実世界では羽鳥という。……VRTにかかって入院中の身だ」
「VRT?」
「仮想現実中毒症……現実と仮想現実の区別がつかなくなったり、仮想現実にすっかり依存して抜け出せなくなる……ま、病気だな。お前たちは知らないだろうが、さっきまでこの世界には真医会病院の連中がログインしていた。そいつらから色々と事情は聞いているが、少なくともお前たち三人の命に別状はない」
ユーキが質問したので答えてやり、多少粉飾した情報――現王園は三人の状況については明言していない――を伝えると、彼は「ふぅん」と言ってそっぽを向いた。
「VRTで真医会病院に入院……? まさか!?」
呼吸が落ち着いてきたらしいハシモトが、今度は青白い顔になって立ち上がり、口元をわななかせながら近づいてきた。
「まさかNOAの覇者……ハンドルネーム“殲滅の戦女神”!?」
「……やめてくれ」
今度は俺の顔が少し赤くなったに違いない。ハッカーネーム以上に世間に知られたくないハンドルネームを、なぜこいつが知っている。
「んだよハシモト。その“ヴァルキリーなんとか”って」
「ヴァルキリー・ザ・デストロイ! 殲滅の戦女神といえばNOAがネット上で復活した直後に彗星のごとく現れ、二人の女神を従えてアゼリアの世界を無双した伝説のトッププレイヤーだよ! 勇者アルスは、彼をモデルに造られたんだよ? まさか本物に会えるなんて!」
すっかり興奮した様子で両目を輝かせて近寄ってきたハシモトだったが、すぐに真顔に戻って言った。
「いや、でもおかしいよ……彼は意識不明で重体だってもっぱらの噂だった。Ⅱにログインできるわけない」
「…………」
その辺りは、現実世界で一流のハッカーがどうにかしたらしいが、俺も詳しいことはわからない。何かをしたと言えばハシモトもそうだが、尋問役のミサはハシモトを糾弾する気力を無くしてシクシクと泣くばかりだ。
「俺の正体に関しては、直接父親に訊ねてみてほしい。NOAⅡは今、政府機関が監督する場所にサーバーを置いていて、そこに橋本博士も詰めている。チャットで会話が可能なはずだ」
「だってよ、ハシモト! 早く――」
「無理だよ」
「?」
俯いたハシモトは、下唇を噛んでいた。
「どういうことだ? お前たちは俺の目の前でチャットしていただろう」
「無理なものは無理。ログインする前に、僕ら三人の間でしかメッセージのやり取りができないようにプログラムをいじったんだ」
「……なんだと」
VRMMOの世界で遊ぶ人間がそんなことをして何の意味がある?
「本当に無理なのか?」
「うん。無理」
「……少し待て」
他人のチャット内容までわかるわけではない。俺はメニュー画面から大量の新着メッセージが躍るチャットルームへ入室した。途端、新着メッセージが追加された。
【Guest:羽鳥君、ようやく反応してくれたね】
【アルス:色々忙しいのさ。それより、見ていたんだろう? こいつらはログインしてどのくらいだ? それとあんたの息子は、いったい何をした?】
【Guest:もう三か月だ。君たちへの対応に追われて、どこまでプログラムをいじくったかまではチェックできていない。ツァンによってプログラムが支配された今ではそれも不可能だが、公英が言っていることは本当だ。我々がどれだけゲーム内の三人にコンタクトを試みたと思う?】
【アルス:言われてみれば、そうだな。俺が現実世界に身を置いている人間だと三人に信じさせたい。何か、あんたじゃなきゃ知りえない情報をくれないか】
【Guest:そう言われても、息子のことは女房に任せきりでね。それに、我々もまだ君を】
現実世界からのサポートは、あまり期待できないようだ。俺はさっさとチャットルームを退出した。すぐにメッセージ受信音が頭の中で鳴り響くが、無視だ。勇者アルスは、本来チャットなんてやらないからな。
「橋本博士は、たしかにお前たちとコンタクトが取れないそうだ」
「……パパと話したの?」
「まあな」
ハシモトが拗ねた顔でそっぽを向いた。イタズラがバレた、その程度にしか思っていないのだろう。
「三人とも聞け。現実世界では三か月ほど経過しているそうだ」
「げぇっ」
真っ先に反応したのはユーキだった。ミサが半狂乱になるだろうと思っていたが、彼女は聞いていなかったのかそんな気力も失ったのか、呆けた表情でへたり込んでいる。
「マジかよ! 模試が!」
ユーキが頭を抱えて床を転げ回っている。模擬試験……懐かしい響きだ、などと感傷にふけっている場合じゃない。しかし、ミサ以外の二人はどうも現実世界へ帰りたいという願望が小さいように感じていたからな。これがさっさと帰ろうと思わせるきっかけになってくれればいいが。
「いいか、お前たちは今、大きな犯罪に巻き込まれている」
「ええ!?」
「……お前のことじゃない」
また青い顔になったハシモトを制して、俺は話を続けた。ツァンというハッカーによるNOAⅡのプログラムとスーパーコンピューターの乗っ取り、さらに病院の患者と三人を人質にとったことを説明してやった。
「なんだよ、それ……超あぶねーじゃん」
「ツァンの目的は謎だが、お前たちを現実世界へ安全に帰すことが必要なことはわかったろう。そのためには――」
そこで、はたと気がついた。
「お前たち……どうして自分でログアウトしないんだ?」
「できねーんだよ。メニュー画面に表示もされてない」
「……そうか」
ミサの言動からして、ログアウトできるものならとっくにしているだろう。通法に従ってログインしたプレイヤーが、ログアウトできない理由、それは……
「お前か?」
「…………」
ハシモトを軽く睨むと、変な形に唇をすぼめて目を逸らされた。
「わかった。もういい」
「もういいわけないじゃない……このキモデブ! あんたいったい、何がしたいのよ!!」
「よせ」
良くも悪くも復活したミサを押し止め、俺はハシモトの目を覗き込んだ。
「さっきも言ったように、俺はお前たちを安全にログアウトさせるために来た。ハシモト……お前がやったことがその障害になるなら、身の安全は保障できない。プログラムに何をしたか全部吐くんだ」
「別に、たいしたことはしてないよ。チャットのことと、ゲームクリアーまで二人がログアウトできないようにしただけ」
「ちょっと待て、『二人が』だと?」
「はあ?」
「おいおい、どういうことだよ?」
聞き捨てならないと思ったのは俺だけではないようだ。俺の後ろからミサが声を上げ、遠巻きに見ていたユーキも近寄ってきた。
「二人というのは、お前以外の二人、ということだな? なんでそんなことを」
「だって……僕」
胸の前で両手の指先を弄びながら、もじもじと身体を動かすハシモト。
なるほど、ミサのネーミングセンスはいい線をいっているな、などと感心している場合じゃない。
俺は背後で急速に膨れ上がる殺気を感じて、それから庇うように手を広げた。こいつの言っていることが本当なら、あまり追い詰めると自分だけログアウトして逃げる、という手段に出るかもしれない。
いや、待てよ?
そうなっても俺は困らないし、後ろの二人は逃げたハシモトを追って一刻も早く帰ろうと思うに違いない。
現実世界に戻れば、ハシモトは病院のベッドの上だ。人質千人なんて未曾有の事件だ。政府機関が万が一にもツァンを逃がさないように周囲を固めているだろう。こいつだけ先に返っても、どこにも逃げ場はないはずだ。
「ハシモト……お前は卑怯者だ」
「へ?」
「仲間に黙ってプログラムをいじくって、危なくなったら自分だけ逃げるつもりだったんだな?」
「違うよ! 僕は――」
「やかましい!!」
「ひっ――!?」
憤慨するハシモトに手加減なしの殺気を叩きつけた。
「仲間を見捨てて逃げるような奴は最低だ。自分の都合のいいようにプログラムをいじるなんて言語道断!」
人のことを言えた俺じゃないが、この三人は詳しいことを知らないのだ。それに、今更後には引けないぞ。
「やめろよ、勇者先輩」
「ああん?」
静かに声をかけてきたのは、ユーキだった。
責め立てられる友人を庇おうとでも言うのか。俺は振り返ってユーキを見た。まだあどけなさの残る顔だが、殺気を保ったままの俺を正面から見返すだけの実力を付けたようだ。俺はさらに睨みをきかせたが、ユーキはぐっと引き結んでいた口を開いた。
「こいつ、たしかにオタクでキモくて、卑怯で暗くてキモくておまけにデブだけどさ」
「……」
背後で誰かが鼻を啜る音がした。
ユーキ、その後に「でも、悪い奴じゃないんだ」とかほざいても無駄だぞ?
俺の心配をよそに、ユーキは無表情になって口を開いた。
「でもまさか、俺らを裏切るような奴だとは思わなかったよ」
「ユーキ……」
最後にフォローするどころか、項垂れて首を横に振るユーキ。その肩に手を置いて涙ぐむというミサの行動は、追加攻撃にしかならないだろう。
「二人とも……僕はただ……」
「もうやめろ。ハシモト」
きっかけを作った俺が言うのもなんだが、何を言ってもこいつらの関係修復は難しいだろう。まあ、俺と違ってこいつらの人生先は長い。いつか笑って話せる時も来るさ。
「僕は……ミサにいいとこ見せたかっただけなのに」
我ながら無責任なことを考えていると、ハシモトの目から涙があふれた。博士以下大人たちは、画面を見てどう思っているだろうか。想像すると恐ろしい。
「うっ、二人は仲がいいし、飽きたら一緒にログアウトしちゃうと思ったんだ……だから、ログアウトできないようにして、最後にラスボスを僕がやっつけて……」
なるほど、そういう筋書きだったのか。
「馬鹿じゃねーの? たかがゲームだろ?」
「ほんと。マジでキモイ」
「…………」
もうやめてやれ。まあ、俺が言うのもなんだがな。
「……嫌いだ」
ボソリ、とハシモトが言った。
「僕……ログアウトする」
「勝手にしろ!」
「そーよ、キモイのよ!!」
少々可哀想な気もするが、こいつも色々と悪さをしたのだ。多少は痛い目を見た方がいい。ユーキとミサの強力な援護射撃のおかげで狙い通りの結末を迎えそうだ。
「どうなっても知らないからね……邪神は、僕じゃなきゃ倒せないんだから」
「……え?」
待て、と言おうと思ったときには、ハシモトの姿は消え失せていた。
真面目な回が続いたので、すこしだけ、息抜き。




