第十九話 勇者アルス 前編
勇者アルスと時空の女神リュカゥは、邪神の神殿へと足を踏み入れた。かつて世界を救った仲間たちが通った道を辿るのは容易なことであった。
「……派手に暴れたなあ」
通路という通路を埋め尽くす魔物たちの死骸を踏みつけ、深く息を吸い込んだアルスは異臭に顔をしかめることもなく嘆息した。
半身がひしゃげ、臓物をまき散らして死んでいる魔物たちは、イシュタルの聖槍のよって粉砕されたのだろう。それらを見てまるでダンプカーにでもやられたみたいだなとアルスは思ったが、それを口にはしなかった。
眉間や心臓部など、弱点を一突きにされたものはハイドラの剣によって、炭化しているものや氷の彫像と化しているものはアンドリューの精霊魔法を受けたものだろう。
まさに血の道と化した神殿通路を進むと、重厚な両開きの扉に突き当たった。内部を守ろうとしたらしい魔物たちが折り重なるようにして死んでいた。開け放たれた扉を見上げながら室内へと進むと、そこにも無数の魔物の死骸があった。部屋の奥には曲がりくねった角を持つ動物の骨が飾られた祭壇らしき台座が設置されており、そこには一際たくさんの魔物が死んでいた。
「アンドリュー!?」
アルスは沢山の死骸に埋もれるようにして倒れている人影を見つけて駆け寄った。
「アンドリュー……」
抱き起して名前を呼びかけるが、返事はない。だらりと垂れさがった腕を取って脈を確かめ、半開きの口元に耳を近づけて呼吸を確認したアルスは、彼が確かに死んでいると判断した。
祭壇の上に飾られた頭骨を吹き飛ばし、そこに飛び散っていた誰の者ともつかない血液をみて、アルスは着用していた外套を脱いでそれを覆い隠した。
「……もう、終わりにするから」
外套の上にかつての仲間の遺体を横たえ、低い声で告げたアルスは、祭壇の奥にある扉の向こうへ姿を消した。
◇
大泉が去ったモニターベースでは、橋本博士による羽鳥少年のプログラム解析と、遅れて到着したVR対策室チームによるNOAⅡ世界の監視が行われていた。
「博士! 通信が!」
羽鳥正孝の前から姿を消したツァンは、現実世界からの監視の目からも逃れていた。NOAⅡの基幹プログラムをハッキングしたことによって、キャラクターを「非表示」にでもしたのか。なんにせよログアウトしたわけではないと判断されていた。一条杏南が意識を取り戻す気配はないし、チャットによる対話を試みるとメッセージの開封履歴が確認されたからだ。
入院患者を含め、病院の電気系統まで支配したらしいツァンに対し、幾度となく送られたメッセージを読むだけ読んで無視され続けた対策室チームが、いい加減にしびれを切らし始めた頃のことだった。
「発信者:アルス……? なんだ、オタク君の方かよ」
まだ若い職員が肩を竦めてメッセージを開いた。三つあるうちの左側のモニターに短いテキストが表示された。
【アルス:橋本博士、いるんだろ?】
「博士宛てですよ?」
「私に……?」
ずいぶんと老けこんだ様子の橋本博士が、別に用意されたモニターから視線を移した。
「無視します?」
若い職員が焦れたように画面をしゃくった。公務員の給料では購入できないと思われる、光沢のあるスーツを着ていた。ワイシャツの第二ボタンまで開けて、ネクタイも緩みきっている。組織の管理者の顔が見たいと思った博士だったが、すぐに大泉の顔が脳裏に浮かんだ。
「……返信するよ」
強く頭を振って、VR対策室室長のニヤケ顔を追い出したが、逆にそれで頭が冴えたような気がした。
【Guest:羽鳥君。橋本だ】
チャットメッセージが表示されているモニターの前に移動した博士がメッセージを打ち込んだ。息子に劣らない常軌を逸したタイプスピードを見た職員がヒュゥ、と口笛を吹いた。
【アルス:博士、ツァンはどこにいる?】
【Guest:わからない。だが、ログアウトはしていないはずだ】
【アルス:そうか。あいつから何か要求は?】
【Guest:何もない。こちらからのメッセージは、全て無視されている】
三十秒ほど、沈黙が訪れたのち、新着メッセージの受診を意味する電子音が流れた。
【アルス:ツァンの逮捕に協力させてくれ】
【Guest:どういうことだ?】
【アルス:そのままの意味さ。あいつの目的も何もわからないが、こんなやり方はフェアじゃない。患者を人質に取るなんて】
羽鳥とツァンは、互いに協力してNOAを復活させたいわば同志のはず。
博士は眉根を寄せて右のモニターを注視した。そこには、化け物の死体が累々と横たわる神殿を進む少年の姿が映されていた。彼は立ち止まり、まるで博士が見ていることを知っているかのように顔を上げた。現実世界の人間たちを睥睨するかのような目をした、不思議な迫力をもった少年だった。
気圧されるな。
博士は我知らずワイシャツの袖を捲り上げていた。
【Guest:君が協力してくれるのは心強い。だが、君は我々を信用させるカードを何も出していない】
博士は懐疑的な眼差しで勇者アルスを睨んだ。
あの世界には、自分の息子と同級生の意識もいるのだ。今のところ話題に上ってこないが、例えばゲームの中で彼らを殺す、などと脅してくるかもしれない。
【アルス:これから、あんたの息子と仲間を助ける】
思考を読まれたかのようなメッセージを受信し、博士の手が止まった。
【アルス:あいつらは今、ラスボスを倒すイベントに挑戦中だ。無事にクリアーできれば安全にログアウトできるはずだろ?】
【Guest:どうしてそれが分かる?】
【アルス:女神様の思し召しさ】
【Guest:どういう意味だ?】
【『アルス』が退出しました】
一方的にチャットは終了した。
博士は右のモニターを注視しつつ、病院から借り受けたPHSの短縮ダイヤルをプッシュした。
◇
大泉は上機嫌だった。
VR対策室が行う「ハッカー狩り」は、思わぬ形で成功を収めようとしていた。誰も網にかからないばかりか、新たに未成年のVRT患者を生み出しただけという最悪の結果から一転、複数の国で罪を犯した伝説級のハッカー二名の身柄を確保することに成功したのだ。
これで、VR対策室のプロジェクトの有用性を証明できる。
将来的には世界にはびこる害虫ども全てを捕らえる。仮想世界市場は安全かつ効率的に進歩していく。
ツァンによって暴かれた仮想現実世界への移住計画は、すぐに実現できるものではないし、全ての人間がそうなるわけでもない。それは、限られた特権階級にのみ許された嗜好の娯楽であるべきなのだ。
VRTおおいにけっこう。
将来人々は、仮想現実なくして生きていけない身体になる。だがそれは、労働の対価としてほんの少しの間だけ夢を見られる程度にしか与えられない。指導者は好きなだけ理想の生活を追求し、それ以外の連中はこれまで通り地べたを這いずり回って暮らせばいい。
大泉は、内心の歪んだ正義感を象徴するかのような笑みを浮かべて歩いて行く。
「くくく……覚悟はいいか? ツァン」
一条杏南が横たわるベッドの柵を掴み、大泉が口角を吊り上げたとき、携帯が鳴った。
「もしもし――ああ、博士。」
〖室長、一度モニターベースへお越し願えませんか?〗
大泉は聞えよがしに舌打ちした。
せっかく、眠れる森の美女を起こしに来たというのに。
「何事ですか? 僕の方も取り込み中でしてね」
目いっぱい迷惑そうにため息を交えて言ったが、電話の相手は必死な様子だった。
〖それが、羽鳥正孝がツァンの逮捕に協力したいと――〗
「なんだって?」
羽鳥しても、卑劣なゴミどもの一人にすぎない。ベッド上でミイラも同然のガキに何ができる?
〖彼は、NOAの世界では無敵を誇ります。協力の証に、公英たちを救ってくれると。それで、室長のご判断を――〗
「わかりました、わかりました! そちらへ伺えばいいんでしょう!」
乱暴に電話の通話終了ボタンを押して、大泉は踵を返した。
要するに、協力を申し出てきたがどうしたものか、対応に困って電話してきたのだ。
まあ、いい。楽しみは後にとっておくさ。
足早に歩きながら、大泉は舌なめずりをした。
◇
アンドリューが死んでいた部屋に名前を付けるなら、「祭壇の間」といったところか。俺とリュカゥは現在、そこからさらに二つの大きな部屋を抜け、これまででもっとも巨大な扉に閉ざされた部屋の前にいる。
これまでの荘厳な装飾が施されたものとは違い、巨大かつ無骨な二枚の鉄板で構成されたそれは、扉を開閉するために丸い輪の位置だけでも見上げるほどの高さであり、その大きさに至っては、直径五メートルはあると思われた。
「あ! 勇者先輩!」
どう見ても人間用とは思えない巨扉の前には五人の男女が集まっていて、その中の一人が俺を見て声を上げた。
「うっそ、なんでいるわけ」
「あれ? このイベントには勇者は出てこないはずなんだけど……てか、シュエリスちゃんがいない!!」
残る四人のうち二人が口を開いた。女の方は嫌悪感を露わにして俺を睨み、男の方は俺の後ろに控える女神が一人少ないことに言及した。
「よお。……元気そうだな」
三人の英雄――現実世界からやって来た少年たちに笑いかけた。
「うす! おかげさんで元気っす!」
「なんか笑ってる……怖いんですけど」
「ねー、ちょっと、シュエリスちゃんは?」
三者三様に返してきた挨拶は無視して、俺は扉を調べている二人に歩み寄った。
「アンドリューが死んでいた」
俺は扉の隙間に槍を差し込んで、真っ赤な顔をしているイシュタルを冷徹な目線で見ていたハイドラの横に立った。
「……そうね」
戦いで負傷したのだろうか、ハイドラは左手を力なく下げており、甲冑から覗く服はどす黒く汚れていた。
「自分がいたら、と言いに来たのか」
イシュタルが槍に手をかけたまま、こちらを見向きもせずに言った。
俺がいたらアンドリューは死ななかった?
そんなことはわからない。
わかっているのは――
「――ぐっ!?」
「きさ――があっ!?」
鳩尾に拳を打ち込まれたハイドラが崩れ落ちた。彼女の悲鳴を聞いて眉を吊り上げたイシュタルは、彼女の膝が石の床に付く前に延髄を打たれて気を失った。
「ああ! 勇者先輩! 何してんだよ!?」
ユーキが慌ててハイドラに駆け寄った。助け起こそうとするが、血塗れの服に触るのが嫌だったのか、膝立ちになって俺と彼女を見比べて困惑した表情を浮かべた。
「意味わかんない……意味わかんなーい!! ちょっとキモデブ! この展開はなんなのよ!!」
ミサが両手を振り回して取り乱し始めた。俺はキモデブと呼ばれた少年――橋本博士の息子に近づいていった。さっきからチャットメッセージの着信音がうるさいが、今は成り行きを見守ってもらおう。
「橋本……俺は、お前の父親を知っている」
「へ?」
巨漢の少年は下あごの肉を震わせてぽかんと口を開けた。




