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第十八話 そして時間は動きを取り戻す

……そして時は動き出す……と言いたかったorz

 人の心は、魂はどこにあるのか。

 ある人は、胸の辺りに手を置いて考えるだろう。心の機微に合わせてリズムを変える心臓の動き――鼓動を感じながら目を閉じれば、そこにあるような気がしないでもない。誰かと抱き合ったとき、ベッドで身体を重ねるとき、優しくも力強くもなるリズム。人の心は身体の中心部にあるのだと、幼い子供が主張したとき、それを否定する大人はいないだろう。

 人の心は脳にある。そう主張する科学者は多い。

 恋愛感情ですら、ホルモンの分泌だとか脳内の電気信号によって引き起こされる「生理現象」に過ぎないと主張するのは、あれやこれと実験し、データを出して人間を「科学的に」分析するのが好きな連中だ。そういう連中はきっと、「魂」の存在を否定するだろう。

 魂は本当に存在するのか。これまでも様々な実験が為されてきたが、結局のところ在るとも無いとも結論が出ていないと俺は思う。そんな中で、そもそも人間の身体とは、魂の器であると考える人もいる。人は魂があって初めて人間となる。魂が無くても人体は動く。だがそれは刺激に対して反応しているだけで、複雑な有機的機構を持ったロボットと同様であるとする考え方だ。

 今の俺――羽鳥正孝はどうだ。俺の身体は真医会病院のベッドに横たわっているそうだ。俺の脳は、仮想現実世界アゼリアに居る自分を認識している。病院のベッドで寝ていて、指一本動かせず、喉から管が伸びているという自覚はまったくない。

俺は…………本当の俺はどっちだ?







 時間を取り戻した世界は急速に動き始めた。(ツァン)に背を撫でられていた砂漠鳥は、違和感でもあるのか長い首を回して背中を確認したのち、すでに飛び去った仲間を追って俺たちの上空を去っていった。井戸の周りでは女たちが談笑を再開し、仕事に出かけるのだろう男達を見送る親子の笑顔も動き出した。家々の煙突から立ち上る煙も動きを取り戻し、風が匂いと少しの砂を運ぶ。


「リュカゥ!」


 俺は空中でキョトンとしている時空の女神に声をかけた。彼女にしてみれば、目の前に妖しい男女が現れた――と思ったら消えていたのだ。不思議がるのも無理はない。


「アルス……(わたくし)……その」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて俯くリュカゥ。幻でも見て取り乱したと思っているのだろうか。抱き寄せたくなる衝動に駆られるが、今はそんな場合じゃない。それに、彼女自体、俺が創り出した幻なのだ。


「ええと、今確かに二人……英雄と似た感じの者が……」


 幻。

 勇者アルスとして確立していたはずの記憶が、これまで体験してきたこと、そしてこの世界でこれから起こることすべてが幻に過ぎない。宿の屋上を踏みしめているこの足も、眼下に広がる美しい朝焼けも、風も、匂いも。もう半分ほど顔を出した太陽の光に目を細めてはみたものの、視覚器は閉じられた瞼の裏でもう一年以上日の光を捉えていないだろう。


「ええと、いましたわよね? 私、どうしてしまったのでしょう」


 そうだ。彼女の愛くるしい仕草も表情も、共に戦ったことも、身体を重ねたことも――


「ちょっとアルス!! 聞いてますの!?」

「ああ……悪い」


 仮想現実だったから、なんだってんだ。


「リュカゥ……」

「……」


 時空の女神は少し頬を膨らませて、こちらを睨んでいる。学習を積み重ねたA.Iが、彼女にこうした人間の様な反応を可能にしている。俺が期待する反応を読み取って、外殻に反映させているだけとも言える。


「話しておきたいことがある」

「……なんですの? 改まって」


 口を尖らせながらも、こちらへふわふわと移動してきたリュカゥの手を取り、俺は深い青の瞳を覗き込んだ。

 俺が過ごしてきた時間は、事実として(・ ・ ・ ・ ・)心に刻まれている。仮想現実は、現実よりリアルだ。

 俺の現実(リアル)はここに在る。

 だが、現王園やツァン、入院している患者たちも無視はできない。俺は、時間が止められていた間に起きたことをリュカゥに説明することにした。


「奴らは……英雄どもと同じ異世界からやってきた」


 まずは現王園とツァンについてだ。

 二人は英雄どもと同じ異世界から現れた。

 一人は味方――かどうかはわからないが、少なくとも俺を救いに来た医者で、もう一人は敵だ。俺は彼らについてそう話した。彼らはなんらかの方法で時を止めたが、それが魔法なのか、英雄特有の能力なのかはわからない。男の方はすでにアゼリアを去ったが、女の方――ツァンは神のごとき力、創造神のそれに近いものをもっていて、この世界の「どこか」に潜伏して「何か」を為そうとしている。

俺は、それを何とかして阻止したい。

 我ながら雲をつかむような話だと思うが、リュカゥは真剣な面持ちで聞いてくれていた。


「ツァンがどこに消えたかわかるか?」


 打倒するにせよ説得するにせよ、居場所が分からなければどうしようもない。女神の探査能力に期待して訊ねてみたが、


「黒衣の女――魔女の行方は、私にもわかりませんわ」


 リュカゥは申し訳なさそうに首を振った。やはり、「外」からやってきた存在に対しては、そういった能力は無効だったか。もともとNOAの世界に存在していたハイドラやイシュタルは簡単に探し出せたんだが。


「それにしても、魔女か。危険なハッカーより、そっちの方がしっくり来るな」

「ハッカー?」

 思わず独り言ちると、リュカゥが首を傾げた。

 これは、説明が難しい。

 俺は難題に挑むべく、再びリュカゥを正面から見つめた。


「それは、これからする話の中でわかる。……よく、聞いて欲しい」

「……伺いますわ」







「つまりあなたは、アルスでは……ないのですか?」


 リュカウは、悲しみとも落胆ともつかない表情で俺を見て呟くように言った。


「そうじゃない。俺は、この世界(・ ・ ・ ・)では間違いなくアルスだ」

「…………」

「俺は英雄たちと同じ世界に肉体を持っているが、なんというか、魂はアゼリアにある。……と、いうことなんだ」

「魂……」

 

 リュカゥはまたつぶやいて口を閉ざした。

 この世界の神々の概念では、肉体が消滅した魂は創造神の元へ旅立つ。すなわち神域の住人となると考えられている。死後、なにがしかの使命を帯びて誕生する聖霊もいるが、俺はそういう存在じゃない。そもそも、彼女を含めこの世界の神々は、神ではなくて分散されたプログラムに過ぎない。クリサンセマムの神々のように、役割を与えられたものはA.Iを組み込まれてゲーム世界に顕現するが、名前だけで実装されていない神々がたくさんいるはずだ。

 リュカゥは困惑した顔で黙ったままだ。


「なあ、リュカゥ」

「私たちも、その『ゲーム』のために生み出されたもので、あなた方の『現実』には存在しない……」

 

 何を言っていいかわからないのに、何か言わなくてはと声をかけたが、彼女は下を向いたままで、俺の話を反芻していた。

 伝えなくては。

 俺にとって、現実か非現実かなんて関係ない。

 今日まで共に過ごした時間は作り物なんかじゃないと。


「すべてが作り物……私も、シュエリスも。ここは、存在しないはずの世界……?」

「リュカゥ、そうじゃない」

「ああ……ようやく、わかりました」

「……リュカゥ?」


 時空の女神は空中でくるりと回転し、俺に背を向けて空を見上げた。すでに太陽は完全に姿を現していて、陽光が風にたなびく彼女の髪と薄衣に反射していた。


「私、ずっと考えていましたわ」


 リュカゥがこちらを向いた。長い髪がその表情を隠してしまっていた。


「この世界には、抗えない何か――人も魔物も、神々の存在すら超越した存在によって紡がれる物語があるのではないか、と」


 ドキリとした。彼女が言う何かとは……恐らくシナリオプログラムだ。A.Iは物語の進行を阻害することがないよう、自身の行動をシミュレーションし、補正するようにプログラムされている。自由意志を与えておきながら、実質自由には生きられない。それが、NOAの世界に存在する全ての意志あるものたちが抱えるジレンマだ。


「シュエリスと私は、その物語を紡ぐ存在こそ、この世界の理を支配し導くものだと考えていました。それは父エリヤでも母アレルヤでもありません。私たちは神を自称してはいてもけして民を導くものではないと考えました」


 リュカゥとシュエリスは、そうした神々から離れて自由行動を開始した。それは、俺の手によって二人の女神がメインサーバーから抽出されたことを意味するのだろう。


「そして私たちは、あなたと出会いました。あなたこそ、導くもの。そう直感しました」


そして、俺たちの旅が始まった。魔王を倒し、世界を救って、


「私たちは、満ち足りた気持ちでした。探していた何かと出会い、この世ならざるものに導かれて……でも」


 俺は消えた。強制ログアウトさせられたんだ。


「あなたは姿を消してしまった。導かれることがなくなった私たちは困惑しました。エリヤを始めとする神々も影を潜めて活動しなくなってしまい、この世界は何も変化しないまま一年が経ち、そして……」


 邪神が出現した。NOAⅡの世界が構築されたんだ。ツァンの手によって俺はその世界に意識を移された。


「新たな敵の出現、思い出したように動き出した世界……そこにきっと、あなたは戻ってくる。なぜだかそう感じていました。そしてあなたさえ戻ってきてくれれば、邪神なんて、いいえ、あなた以外の全てがどうでもいい。そう思っていましたわ」


 シュエリスもリュカゥも、口をそろえて邪神なんてどうでもいいと言っていた。その背景には彼女たちの強い想いがあったのだ。シナリオプログラムによって導かれることが無ければ、A.Iは目的を失ってしまう。外部から入力される情報も無くなり、さぞ不安だったろう。

 俺は考えなしにNOAを再構築したことを後悔していた。彼女たちを含め、A.Iを組み込まれた物語の登場人物は、この世界で間違いなく生きている。だが、シナリオをクリアーしていくプレイヤーがいなければ、世界には何の変化も起きなくなる。毎日毎日、朝日が登っては沈むだけ。NPCは同じ行動を繰り返すだけ。そんな世界で自由意志だけはあっても目的を与えられない一年を想像し、俺は身震いした。

 辺境の密林の奥深く、奇怪な植物たちに隠れるようにして神域に閉じこもっていたリュカゥ。彼女を抱きしめたい衝動にかられ、一歩近づこうとしたときだった。


「ふふ。おかしなものですね」


 彼女が笑った。


「ずっと、自分を創造し、導くもののことを考えていましたわ……それが分かったと同時に、それは実在しないと知らされても、私は少しも悲しいとか、悔しいとか感じませんの」


 顔を上げたリュカゥは、言葉とは裏腹に泣き笑いのような笑顔を浮かべていた。


「あなたが外の世界――いいえ、現実の世界からやってきた魔女を止めるというのなら」


 リュカゥの目が細められ、音もなく移動した彼女は俺を背後から抱きすくめた。


「契約に従って、私はあなたと共に」


 耳元で囁くリュカゥの声は、ほんのわずかだが震えていた。


「リュカゥ、俺は――」


 首に回されていた右手が動き、その人差指が俺の唇に軽く触れた。その瞬間、周囲の時が止まった。


「一つだけ……約束してください。全てが終わったら、シュエリスのように」


 空恐ろしいほどの静寂が訪れ、振り向こうとする俺の肩を彼女の左手が優しく止めた。


「…………私も、消してください」


 彼女が呟くと、世界は再び動きを取り戻した。




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