第十五話 舞台統合
人質を取る。
最近聞かなくなったが、銀行強盗なんかがよく使う交渉手段だ。大抵は失敗するし、テロの場合は人質が死亡する。
現実世界で脳コンを装着して寝ている状態の彼女が、どうやって千人もの人質を取るというのか。
まさか、この世界で人質を取るつもりか。確かにツァンはNOAⅡの世界では神のごとき力を有する。千人どころか世界そのものを破壊することだって可能だ。そういえば、どこにサーバーを置いているのかが謎だが、彼女はそれをダウンさせることもできるだろう。しかし、それでは千という数字を出す意味がない。そして、この世界で人質を何人取ろうが現実世界には何ら影響を及ぼせないだろう。ツァンは、そんな無意味な脅しをする奴じゃない。この局面で、現王園相手にハッタリをかます意味は……もちろんない。
「貴様……」
しかし、こうして隣で奥歯をギリギリと噛みしめている現王園を見ていると、ツァンの言葉はハッタリでもなんでもない、しかも現王園にとっていかにも都合が悪く、彼女の要求通りにするしかないのかもと思ってしまう。
「おい、なんのことだ」声を潜めて訊ねた。そんなことをしても無駄だと後から思った。
「奴は現実世界で人質を取るつもりだ……恐らく病院の患者たちを」
「ご名答」
ツァンが嬉しそうに正解だと告げた。病院の患者たちを人質に?
「NOAⅡのプログラムは、あなたが入院している病院の敷地内に建造されたスパコン内にサーバーを持っているの。もちろん、病院に置かれているカルテシステムや医療情報やなんかを管理しているサーバーとは繋がっていないわ。……けれど」
「脳コンを装着した一条は、不測の事態に備えるために集中治療室のベッドの上だ。各種モニターが接続され、それらの情報は自動的に病院のコンピューターへ送信される」
ツァンの言葉を継いだ現王園は、怒りを押し殺すように握りしめた拳を胸元に押し付けていた。
「奴がNOAⅡのプログラムを乗っ取ったのと同じく、脳コンを通じて病院のサーバーに侵入し支配下に置いたのだとすれば、人工呼吸器が必要なものはもちろん、厳重な生体情報の管理が必要な患者や手術中の患者に影響が出る。医師から看護師に指示を出すのも投薬指示を薬剤部に伝えるのも、何もかも全てがソフトウェアに入力して行うシステムだ。千というのは、手術室と真医会病院のベッド数を足した数字だ」
「さすがねぇ。千人と聞いただけで、そこまでリスクを把握できるなんて。……ということは、当然対応策も考えているんでしょう?」
「答えると思うか。貴様はもう一条じゃない。卑劣な犯罪者だ」
吐き捨てた現王園は、そこで口を閉ざした。対するツァンの表情は、意地悪く歪んだ。両拳を下顎に当てて、身を捩りながら言った。
「先生、酷いですぅ。……なんて、杏南ちゃんなら言ったかもしれないわね?」
「貴様……」
「先生のご指導のおかげで、どんな対応を取られるかは予想がつくわ。でも、あまりジタバタして病院に混乱を招くのはおススメしないわ。あまり難しいことを考えなくても、あたしはそれの八割がたを潰せるもの」
「何をするつもりだ?」
対応策を秘密にした現王園だったが、ツァンはあっさりと手の内を明かした。
「簡単。停電させるわ。自家発電機は手動にしておくべきだったわねぇ」
「貴様ぁ!!」
「よせ!」
激高してツァンに掴み掛ろうとする現王園の肩を掴んで止めた。この世界で彼女に――女神に手を出したら無事では済まない。俺は現王園が動いた瞬間、ツァンの目に冷徹な光が宿るのを見逃さなかった。
「離せ!」
「先生、無理だ」俺は少し強く、現王園の肩を掴む手に力を込めた。それを素手で砕く力を持つ俺でも、女神の行使する力には抗えないと伝えるために。
「…………」
それで察してくれたのか、現王園は下唇を噛んで一歩下がった。
「ツァン、要求はなんだ」
強気に見せてはいるが、無防備な肉体を現実世界に置き去りにしている以上、彼女も崖っぷちだ。俺は現王園のように頭が良くない。代わりに交渉などできるはずもないが、奴が落ち着くまで時間を稼ぐことくらいはできるだろう。
「……あたしの要求は、二人の身の安全の保障とNOAⅡプログラムへの不干渉。今のところは、これだけでいいわ」
「今のところ?」
「そう。とりあえず身体を生かしておいてくれればいいの。あとは……勝手にやるから」
ハッカーとして本当の自分を隠し続けてきた人物が、生身の身体を人前に晒してまで存在を確立した世界で何をするつもりなのか。夢の世界で平和に暮らしたいだけ……なんてことは絶対にあるまい。何か、彼女の真の目的を聞き出す方法はないだろうか。
◇
「どうですか? 博士」
現王園暮治、一条杏南の両名が仮想現実世界に旅立って一時間。冷却ファンとディスクが回転する音が満ちるドームには、橋本博士がキーボードを必死で叩く音と、時折デスクに拳を叩きつける音が響いた。
「プログラムファイルを開くためのパスワードを変更されていましてね。ご丁寧に十秒ごとに組み替えられて特定できない仕様です……わざわざ不干渉を要求しなくても、アクセスすることすらできませんよ」
「触るなと要求してきた以上、それが弱点でもある。諦めないでください」
苦々しげに言うと肩を落とし、この一時間で十歳は老けこんだように見える橋本博士の背中に、VR対策室室長は激励の言葉を投げかけた。それが老博士の原動力にはなりえないと知りながら。
「ツァンの目的は、なんでしょうね」
手が止まってしまった博士に気づかれないように嘆息し、大泉は話題を変えた。
「わかりません。……あなた方の“VR移住構想”に興味があるようでしたがね」
「申し訳ない。あんな夢物語を本気にする輩がいるとは思わなかったもので」
率先して計画に参加したくせに。だいいち、お前のPCから情報が漏れたんだろうと非難することはせず、大泉は苦笑いした。
「……理想世界を創るつもりですかね。そいつを使って」
橋本博士が回転椅子ごと振り返り、大泉の背後で唸りを上げるタワーを指差した。
「千の人質と自分の命をかける価値はある……のか?」
理想世界。政府主導で作成されたレポートは、誰もが平等で、宗教も人種も国境も、人と人、あるいは動物と植物でもいい。このさい無機物だって。個と他を隔てる何もかもが取り払われた理想郷――それはもう、仮想の世界にしか存在し得ないと結論付けた。人類は多様に進化しすぎたのだ。その結果たどり着いたのは地上で暮らす限り、永遠に充足を得られない憐れな餓鬼の姿だ。ネット社会とVR技術が融合することで、その欲求はより高みへと昇華してしまった。
時代の流れ――その巨大なうねりに抗えない中、何もかもがネットで繋がっていることを逆手に取る犯罪者は後を絶たない。次の時代で生き残るために、ハッカーという手合いを絶滅させる。大泉の上――すなわち内閣ではそう決定していた。しかし現状ではツァンの一人勝ちだ。
真医会病院に入院中の患者は九百名余り。そこから手術待機中の患者や自宅療養可能なもの――大泉は社会的な理由で入院している輩は最優先で退院させるつもりだった――と、転院可能な患者を引いても三百名ほどがツァンの手中にある。さらに、停電を起こして病院自体が機能しなくなった場合、事態はより深刻化する。外来加療中の患者はもちろんだが、真医会病院は周囲五十キロ圏内で最も多く救急患者を受け入れてきた総合病院だ。これが丸一日ダウンしただけで、どれだけ死人が出るのか。大泉の手元に資料が届くにはもう少し時間がかかるだろうが、その数は観光バス一つでは済まないだろうと予測していた。
頼むから近所で交通事故なんて起こさないでくれ――そんな風に願う自分に歯噛みしながら、大泉はもう少しで振り上げそうになる白旗を叩き折った。
一条杏南、ツァン、ブルーバード、そしてブルー。こいつらが何をやらかしてきたのかは徹底的に調べてやる。余罪はあとでいくらでも追及できるが、奴を死刑台に送るのはまだ先だ。
「とにかく人命を最優先ということで。ツァンは結局のところ、国家所有のスパコンにハッキングして、特定秘密を不正に閲覧したという容疑者でしかありませんからね。博士は引き続き、モニター監視とプログラムファイルへのアクセスを続けてください」
現行法では、一条の生命維持に全力を尽くすしかない。万が一死んでしまっては、罪を暴いても罰を与えることはできないのだから。大泉は政府の立場を橋本博士に伝えて指示を出すと、踵を返した。
「ちょっと、どちらへ?」
「呼ばれているんですよ……ボスにね」
薄暗い部屋に一人残されるのが不安だとでも言うように、眉尻を下げて訊ねた博士を振り返ることはなく、大泉はドームを後にした。
◇
「ツァン。とりあえず先生は帰した方がいいんじゃないか?」
「どうして? 人質は――使える駒は多い方がいいと思わない?」
ツァンはすぐに否定はせず、初めて意見を述べた俺の意図を探るように、まるで不出来な教え子を諭すような口調で返答した。現王園も、こいつは何を言いだすんだと言わんばかりに目を剥いていた。だが彼女の真の目的を知るためには、信用させるしかない。それには他人の目がない方がいい、俺が二人きりになりたがっていると思わせるんだ。
「お前が相当なリスクを背負ってまで実行に移した計画に穴があると言いたくはないが、先生が現実の世界に居ないと、お前の肉体の安全度は下がるんじゃないか?」
「……どういうことかしら」
ツァンの目が細められた。こちらの真意を測っているのだろう。彼女の言う通り、心の中までは読めないのだ。
「先生は医者だし、一条杏南にかなり目をかけていたんじゃないか? 正体がXだったとわかった以上、現実世界の連中は何をするかわからないぜ。患者千人の命がかかってるとかなんとか言って、接続を切ってしまうかもしれない。……俺は、この先生が起きていればそんなことにはならないと思う」
「羽鳥……」
目を見開いたままの現王園に向かって、俺は小さく頷いてみせた。意図を汲んでくれることを期待して。
「……彼の言う通りだ。外の連中は……特に、大泉ならやりかねん」
「へえ~。短時間でずいぶんと仲良しになったわねぇ」
大げさに両手を広げて、おどけた様子でツァンが言った。見透かされているのか。いや、カマをかけているだけかもしれない。ツァンは画面越しに物事を操作することに慣れきっているはずだ。仮想とはいえ、勇者として化け物と戦い、王族だの神だのと関わってきた自分の胆力を信じるんだ。
「ふぅん。いい目になったわね……勇者みたいよ」
「からかわないでくれ。俺だって自分の身体の生存率を少しでも上げたいんだ。……必死にもなるさ」
ツァンがゆっくりと、黒髪とローブの裾をたなびかせながら近づく。深い闇を思わせる瞳が、俺の目の奥へまっすぐ向けられていた。心の深淵を覗き込もうとしているかのようだった。
たっぷり一分はそうしていただろうか。実際にはもっと短い時間だったのかもしれないが、先に目を逸らしたのはツァンの方だった。
「あ~あ。つまらない」
空中で回転して後ろを向いたツァンは、とんがり帽子の先を摘まんで放り投げた。
「ねえ、知ってる? ……VR世界では、表情を偽ることができないの」
「……」
顔だけ振り返った彼女の顔は、半分だけが亜麻色の髪に変わっていた。
「こうやって外見はいくらでも変えられるわ。でも脳コンは、装着者の感情を読み取ってそれを外殻に反映するの。口ではなんとでも言えるけど、ここに生きる人たちはね、顔で嘘を付けなくなるのよ?」
「俺とお前は今日初めて会ったんだ。美人を前にして、緊張しているのさ」
「かわいくないわぁ……」
ツァンが呆れたように口を開けた。
「まあ、いいわ。あなたの言うことには一理あるし、またあなたを説得しようとするでしょうしね」
俺は帰らないと明言した覚えはない。それは彼女も分かっているはずだ。だが自分はこう認識している、と匂わすことと俺の要求を一つ叶えることで、帰らせろとは言いだしづらくするという算段だろう。さっきは現王園の気迫に押された形となったが……果たして現実世界に帰ることが最良の選択か。容易には決められないような気がする。
「羽鳥、君も帰るんだ」
無駄とわかっていないのか、現王園が声を潜めて話しかけてきた。
「先生、とにかく今は身の安全が最優先だと思わないか? 俺の身体だって、あんたが診てたんだろ?」
「だが、今なら!」
「あのなあ……」
俺はバリバリと頭を掻いた。プログラムを支配している以上、ツァンはこの世界でやりたい放題だ。奴がこの世界で何をしようとしているのか知らないが、自分の身体を危険に晒した上に患者を人質に取るなんて常軌を逸している。現王園がこれ以上ああだこうだ言うと、口を消されるぐらいじゃ済まないかもしれない。だがその辺りを説明しても、この男を余計熱くさせるだけだろう。この辺りで退散してもらって、万が一にも俺たちの身体が消されないように守ってもらう方がいい。
「嫌だわ、二人で仲良くしちゃって。嫉妬しちゃいそう」
「ほら見ろ。女神様もあのように仰せだぜ?」
おどけてみせたが、現王園の表情は険しさを増した。
「君は、なぜ急に落ち着きを取り戻した? ……まるで別人だ」
「はは。まあ、色々あったからな」
「しかし――おい!」
話は終わりだという意思表示のため、俺は現王園に背を向けてツァンに歩み寄った。
「……相談は済んだのかしらぁ?」
幾分警戒した表情のツァン。俺と現王園を交互に見ながら訊ねてきた。
「ああ。先生はお帰りだ」
「羽鳥、君は――」
「先生」
こっちへ駆け寄ろうとする主治医の言葉を遮り、俺は右手を横に広げた。もちろん「来るな」という意味だ。
「…………俺は、この世界では勇者なんだ」
悪を退治て世界を救う。それが勇者の仕事だ。さすがに恥ずかしくてそこまでは口に出せなかったが、口をつぐんだ現王園は、次の瞬間姿を消した。自らログアウトしたのか、ツァンがそうさせたのかはわからない。
「さあ、邪魔者はいなくなったぜ?」
モニター監視している奴はいるはずだが、所詮それは外の世界の話だ。俺はゆっくりと、女神に向かって足を進めた。




