第十四話 ブルーバード
「また逢えて嬉しいわぁ……|アルスちゃん《・ ・ ・ ・ ・ ・》」
「まさか……」
俺は、空中を滑るように移動した一条が上気した顔を隠そうともせずこちらに両手を広げるのを呆然と見ていた。彼女の声がシュエリスのものだったからだ。
「なんで、お前が」
「あらぁ? ……もう少し、感動の再会的な展開を期待していたのだけれど」
俺のリアクションは、彼女が期待していたものとは異なったようだ。だが、彼女はたった今まで一条という医者だったはずだ。恰好はVRゲームの世界に似つかわしいものだったが。
こいつは、シュエリスの変容と消滅に、なんらかの形で関わっているのだろうか。
「お前、いったい何者だ?」
俺は現王園の喉元から手をどけていた。仮想現実世界で体験したことが現実世界の肉体に影響すると自ら説明した医師は、死の恐怖から解放されてその場に尻もちをついた。その様子をつまらなそうに見ていた一条が、ゆっくりと口を開いた。
「そうねえ……もう少し落ち着いたら、ゆっくり話してあげるわ」そう言うと一条は、現王園の方へ顔を向けた。
「一条、どういうことだ」
地面に尻をつけたままの情けない体勢で現王園が問うと、一条はクスクスと笑いながら空中で寝そべるように水平になった。先ほどまでのどこか不安さというか、自身無げなものを感じさせていた表情は消え去り、彼女が妖艶に口元をほころばせる様子はまさしくシュエリスのものと同じ――いや、それよりも格段に艶めかしく、女神と言うより魔物に近い禍々しさを秘めているように見えた。俺と現王園から少し距離を置いて、いっこうに動く気配のない上りかけの太陽が複雑な陰影を作る砂漠を背景に浮かぶ姿は、一枚の完成された絵の様だった。
「一条、どういうことなんだ」
一条はもう一度訊ねた現王園に視線を一瞬だけ固定したが、すぐに虚空に視線を逸らした。そして、空の向こうに誰かがいるかのように語りかけた。
「先生、それに博士。あなたも見ているわよね? 初めまして……でもないわね。こんにちは。あたしが、『X』よ」
「まさか――むっ!?」
「あら、ダメよ」
何か言いかけた現王園が、左耳に手をやって表情を消した。一条はその様子を一瞥することもなく、軽く右手を振った。
「ぐあっ!」
「もう、やめてよね……チャットで男同士秘密の会話なんてさせないわ。NOAⅡの基幹プログラムは、もうあたしの支配下にあるんだから」
チャットモードを強制的に解除されたのだろうか。信じられないといった顔の現王園が、左側頭部を抑えながら立ち上がった。
「一条、どういうことだ」
何がどうなっているのかさっぱりわからないのは俺も同じだ。当然と言えば当然の疑問を三度口にした険しい表情の現王園とは違い、一条はけだるそうに伸びをしてから答えた。
「あら、先生。珍しく察しが悪いわよ? さっき全部教えてあげたじゃない」
寝そべったままの姿勢で空中を移動する一条。現王園の目線の高さまで浮かび上がると肘を支点にして首を起こし、口づけしそうなほどに顔を近づけた。
「あたしがXなの。先生と博士、それから室長さんの予測は概ね正解よ。『誰がやったか』ということ以外は……ね」
ローブの袖からしなやかな腕が伸び、さらに細い指が現王園の下あごを撫でた。
「……馬鹿なことを言うな。お前がXのはずはない」
「口のきき方に気を付けなさい。この世界では、あたしは神サマなのよ?」
「――っ!!」
自分の発言が可笑しかったのか、神を自称した一条は笑った。そしてまたしても右手を横に振ると、現王園の顔から口が消えた。
「少し静かにしててくれる? あたしはアルスちゃんと、きちんと話をしたいの」
「…………」
現王園は自分の鼻から下を丹念に触って状況を飲み込めたのか、目を燃やしながらも暴れ出すことはなかった。中々に肝が据わっているな、などと感心している場合ではない。プレイヤーキャラの外観は、ログイン時に個人が作成したものであって、他のプレイヤーが変更することなどできないはずだ。先ほどのチャットの件と合わせて、一条の「基幹プログラムを支配下に置いた」という発言は虚勢でもなんでもないことが証明された。
「いい子ねぇ」
両拳を握りしめて立ち尽くす現王園に微笑みかけると、一条は再びこちらを向いた。相変わらず声だけは耳に懐かしいシュエリスのものだった。だが、彼女も所詮は仮想現実世界に創られたプログラムに過ぎない。そのほとんどは俺が手を加えて最構築したもので、NOAのサーバーと俺の脳内にしか存在しないはずだ。現王園と一条の話から、シュエリスが消えたのもリュカゥ同様現実世界の誰かがプログラムをいじったせいだと思って納得していたが……
「お前はシュエリス……なのか?」
「さあ? どうなのかしらね」
俺の問いに、ガラリと雰囲気が変わった女医は微笑みと疑問を返すと、屋上の床すれすれに直立して両肩を竦めた。本人にもわからないということはないだろう。彼女が自称する通りXなら、仲間のハッカーのうちの誰かということになるが、現実世界で医者をやっていた奴なんているだろうか。といっても、経歴どころか年齢や性別にいたる全ての個人情報がでたらめな連中だ。それに、本人がそうだと言おうが否定しようが、俺には確かめる術がない。
「あなたはどうなのかしら。魔王を倒してアゼリアを救った勇者アルス? 現実世界でVR中毒になって、自力で呼吸することすらできなくなった憐れな羽鳥正孝? それとも……」
「…………」
答えることができなかった俺に、一条がさらに問いを追加したが、途中で口を閉じた。先を言うのが楽しみで仕方ないとでもいうのか、こちらの反応を伺いながら妖しい笑みを浮かべている。
俺は、誰だ。
勇者アルスか。
羽鳥正孝か。
それとも……一条は三番目の選択肢は与えてくれなかった。
「それともこの名で呼んだ方がいいかしら? ……ブルーバードさん?」
「なっ!?」
ブルーバード。俺をその名で呼ぶ奴は一人しかいない。
「お前……! 蒼か!!」
「ご名答!!」
我が意を得たりとばかりに頷いた一条が、顔を輝かせて飛びついてきた。
「ブルーバード……ずっと、会いたいと思っていたわ」
「蒼……お前、医者だったのか」
「さあ? 現実世界の職業なんて、どうだっていいじゃない」
「いったい、なんで……」
蒼はハンドルネームだ。本名はもちろん知らない。
まだ、普通にNOAをプレイしていた頃に知り合った。当初はゲーム内だけの付き合いだったが、制作会社が倒産後、俺にコンタクトを取ってきたのだ。そこでツァンは自分がハッカーであることを明かし、俺に「ブルーバード」というハッカーネームを与えて、そういう手合いのイロハを教えてくれた。ツァンはさらに仲間を集めたが、お互いの危険度を下げるために蒼とブルーバードを二人で一人のハッカーとして「ブルー」と名乗った。俺たちはNOA復活のために協力関係を築いて、PCの画面を通して長い時間を共に過ごした。さんざメールのやり取りをしたが、直接会ったことはない。
俺は、画面越しのやり取りを経ていつの間にか彼女に好意を抱くようになっていた。手ほどきを受けた技術を駆使して、相手のログを辿ったこともあるが、当然それは空振りに終わった。逆にツァンは俺の個人情報すべてを把握していたはずだが、俺のことを名前で呼ぶことはなく――それが流儀だそうだ――一貫して二人称またはブルーバードと表していた。その彼女が俺に会いたいと思っていたと言われても、ピンとこない。しかも、ツァンはNOAのサーバーを確保し、MMORPGとして復活を遂げる直前になって姿を消してしまったのだ。
「ツァン、今までどこに?」
他に色々と訊きたいことはあるのだが、最初に口を突いて出た疑問がこれだった。まったく情けない。
「ふふふ……忙しかったのよ。色々と……ね」
俺の首と肩に腕を絡ませたまま、いたずらっぽく笑う一条……いやツァンか、まあどっちでもいいだろう。どのみち一条というのも本名かどうかわかったものじゃない。日本という国が偽名でも国家資格を得られるところかどうかも知らない。
「NOA稼働の目途が立った時点で、本業――現実世界の仕事に少し時間を取られたの。時々あなたの活躍を覗いて、元気なことは確認していたわよ? だけど突然、ネットからあなたという存在が消えてしまい、すぐにNOAⅡ製作開始という情報が流れた。それはあたしを含め多くのユーザーの関心を引いたわ。あたしは“ブルー”として活動を再開して、サイトと会社、それに開発者やその関係者全てを洗った。……自宅のPCの管理には、もう少し気を付けるのね」
最後の一言は、恐らく橋本博士とやらに向けて言ったのだろう。その人物がどのような表情をしているかを確かめることはできないが。
「NOAⅡの背後に政府がいることもわかった。その目的がVRT撲滅であり、医師会を通じて真医会が協力していることも。そして……あなたが入院していることも」
ツァンが俺から身体を離し、彼女の顔から微笑が消えた。ここからが本題だとでも言わんばかりに。奴が俺の所在を突き止めて何をしたのか。それが語られることを現王園も察したのだろう。ツァンの右斜め後ろに立って、彼女の口元を凝視していた。一言も聞き漏らすまいとしているようだった。
「VR対策室は重症VRT患者の意識を仮想現実世界へ誘導して、VRTに至る前の正常な記憶を刷り込む研究をしていたの。VRタイムリワインドなんて名付けていたけど、バーチャル催眠とでもいう方があたしにはしっくりくるわ。仮想現実の世界では、失敗してもすぐにやり直せる。誰にも迷惑はかからない。そのために脳コンという非常に優秀な機器を開発したのよ。これは――」
ツァンが自身の頭部に触れた。まるで、そこに脳コンがあるかのように。
「けしてゲームのためなんかじゃない。しかも政府は、脳コンの利用価値がもっと無限に広がると結論付けた長期的予測レポートを作成したわ。先進国政府はVR産業の成長に歯止めをかけられない。そりゃ、自分たちの支持者が利便性を求め続ける声を無視はできないものね。昔観た映画のように、本物の人間は眠っていて仮想現実世界で暮らす夢を見続けて生きる――そんな時代の足音はあたしたちの背中に迫っているの。知ってる? 橋本博士はね、『人類は電脳世界で新たな進化を遂げる』なんて言ったのよ」
現王園が何か言いたげに顔を動かした。だが鼻から下ののっぺりとした皮膚が不気味に蠢くだけで、何の音も発することはできなかった。
「仮想現実、電脳世界、言い方はなんでもいいのだけれど、本当に人類がそこで暮らすようになったとしたら――その視点で書かれたレポートには、システム構築の具体的な方法、脳コンの量産化と配布方法、電脳社会におけるヒエラルキー構想などなど、ありとあらゆる角度から検証した内容が盛り込まれていたわ。当然、それらの障害となる要素もね。つまり彼らは、私たちのような存在――ハッカーを最悪の脅威とみている。そうよね?」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取るわ」
自分で話せないようにしておいて――と思ったのだろう。現王園が目を剥いた。ツァンの話は完全に俺の想像の域を越えてしまっているが、彼はそこまで動揺している、あるいは驚愕しているといった様子は見せていないが、政府の計画をどこまで知っているのだろうか。
「そういうわけで、政府はNOAⅡ騒ぎを起こしてハッカーを釣る作戦に出た。網にかかったものがいればしょっ引いて……VRT患者として治療してしまうつもりだったのよ」
「――っ!!」
「あら、先生。もしかして知らなかったのかしら? でも、彼を治療するつもりなら、インフォームドコンセントはきちんとしていただかないとね?」
話すことができない現王園が、ツァンの右肩に手を置いて鼻息荒く迫ったが、彼女は意に介さず口を開いた。
「ブルーバード……いいえ。羽鳥正孝。彼らがあなたに施そうとしていた治療は、同時にあたしたちを殺す猛毒でもあるの。どういうことかは説明しなくても分かってくれるかしら」
「まあ、な」
俺は口周囲の筋肉が強張るのを感じていた。きっと「への字口」になっているだろう。ツァンが言ったことが本当なら、現王園や博士が進めてきた計画では、仮想現実世界で起きたことを「事実として」脳に刷り込むことができる。俺が体験したことから言えば、記憶の消去や上書きはできないようだが、完全に別人としての人生を仮想現実世界で歩ませることが可能だ。もし、俺がアルスという人格のまま現実世界に戻されていたらと思うと背筋が寒くなった。
「まあ、毒にも薬にもなるってことは間違いないわ。あたしは彼らが開発したシステムを利用して、あなたをこの世界へ導くことに成功したのだから――」
「待ってくれ」
「……なにかしら」
機嫌よく話していたところに横やりを入れたのが気に入らなかったのか、ツァンは少しだけ眉根を寄せた。
「俺は病院のベッドで生かされているんだろう? お前はどうやって俺の意識をここへ連れてきた?」
その方法は謎。現王園はそう言っていた。
「……教えなぁい」
「ああ?」
「ふふふ。それは秘密なの。どうしても知りたかったら、戻って調べるのね。現実へ」
再び妖しい微笑みを取り戻したツァンだったが、次に発した声の調子は恐ろしく冷えていた。
「あなたが思っている以上に、あなたの身体はボロボロよ……今意識を取り戻しても、立って歩けるようになるどころか、排泄さえも自分ではままならないでしょうね。というか、排泄したことを認識すらできないかもしれないわね」
「…………」
「世界を自由に飛び回って誰もが羨む力を振るうヒーローだったあなたが、突然硬いベッドで目覚め、喉に差し込まれた管を引き抜きたくても腕を持ち上げることもできない。そんな自分に耐えられると思う?」
「……やめてくれ」
「筋肉のほとんどが委縮してしまって、体重は入院前と比べて四十パーセントも減少したわ。それにね、褥瘡だってあるのよ? 仙骨部に深さ三センチ、直径は十五センチもあるわ。そうだ、写真をアップしてあげましょうか――」
「やめてくれ!!」
俺は目をきつく閉じて叫んだ。写真なんて見せられなくても、自分がほとんど死体のようになっている姿がまざまざと浮かんだ。
「医者と、現王園先生と話をさせてくれ」どうにか、それだけ言うことができた。
「……いいわ」
「うぐっ!!」
ツァンが右手を動かすと、現王園の顔が裂けたように見え、すぐさまそこに上下の口唇が現れた。
「はあっ、はあ……ぐっ、なるほどな。こんな、息苦しいという感覚まで体感できるのか……」
長時間口を塞がれていたことから解放され、現王園が荒々しい呼吸を繰り返したながら感想を述べた。俺は肩で息をする現王園に近づいていった。
「なあ、先生」
「羽鳥……帰るんだ」
まだ苦しそうに顔を歪めながらも、現王園は現れた当初の目的を果たそうとしていた。
「VRタイムリワインド……うまくいくのかよ」
「わからん。だが――」
「うまくいくわよ。十中八九。だけど恐ろしいわね……自宅でゲームをしていたと思ったら、いきなり五体不満足で人工呼吸器に繋がれているなんて」
ツァンが助け舟を出したように一瞬思ったが、そんなことはなかった。
「羽鳥、君の肉体は必ず回復する、いや、させてみせる。君さえ生きようとしてくれるなら」
「俺は……」
帰らなかったらどうなる? ある日肉体が死んだとき、この世界の俺も突然消えるのだろうか。それはいつ訪れる? 現王園は時間がないと言った。もしかしたらもうあと数時間――あるいは数十分くらいしか俺の肉体はもたないのかもしれない。俺は改めて現王園の目を見た。彼の瞳には、一切の迷いがない様に見えた。自信があるとかそういうことじゃない。こいつは信じているんだ。
「かえ――」
「ダメよ!」
帰れば助かる。少なくともいつやって来るかわからない死神に怯えなければならない今の状況からは――そう思った俺の言葉を、ツァンの鋭い声が遮った。
「邪魔するな一条……いや、ツァンだったな」
「どちらも正解……というヒントをあげるわ」
「問答に付き合ってやるつもりはない。VR対策室は必ずお前を追い詰めるぞ。他のXたちもだ」
「ふふふ。そうでしょうね」
ツァンは、意外にもあっさりと将来の敗北を認めた。相変わらずふわふわと空中に浮いているが、どこか寂しげな表情を浮かべているおかげで、彼女の姿はとても弱々しいものに見えた。
「いつかはあなたたちに捕まって、投獄された挙句に殺されるかもしれない。あたしは、あなたたちの計画を調べながら本気で恐ろしくなったわ……」
「投降しろ。計画に協力すれば――」
「馬鹿ね。仲間を売るわけないじゃない。……それにね、あたし考えたの。いつか世界中の人がVRの世界で暮らすようになるなら、先に行って待ってみようかな……って」
黒衣を翻して、ツァンが空へと上昇して両手を広げた。
「ここには何もない。触れるもの、感じるものすべてが偽物よ。でも、現実世界と何が違うのかしら?」
空中で静止したままの砂漠鳥を撫でて、朝焼けに眩しそうに目を細めながら、彼女はさらに続けた。
「現実世界でも、見た目からわかることなんて何もないわ。本当に知りたいことは何もわからない。だから人は嘘をつくわ。少しでも恰好よく見られたい、いい人だと思われたい。心も身体もゴテゴテに飾り立てて、ネットは自慢と欺瞞と自己憐憫に染まった連中が垂れ流す、洪水の様な嘘の情報で溢れかえってる!
でも、この世界なら……少なくとも人は、平等なスタートラインに立てる。理想の自分、なりたい自分になれる。パートナーだって実在していなくてもいい。求める最高の幸せを追求できる! それで誰にも迷惑がかからないなんて最高だと思わない?」
「……だが、所詮は虚構だ」
「現実だってそうよ。いつだって、人は虚構を求めてる」
ツァンは少なくとも、情報の真偽を確かめるという能力においては一国家の諜報機関に匹敵するはずだ。その彼女でも、人の心の嘘や粉飾は見抜けないということか。人は満たされたくて嘘をつく。最初から満たされていれば、誰も己を飾りたてることはない。VRの世界では、誰もが望むものを手に入れられる。そのような条件があって初めて、人は本当の心に向き合えるのだろうか。欲望というもっとも原始的な衝動を、もっとも進んだ科学で補うことによって、純粋な心を解放できるのだろうか。
「だが肉体はどうなる? 夢を見続けるためには、誰かが肉体を生かさなければならないんだ! 人類全員が虚構の世界に住む時代なんて、永遠に訪れはしない!」
現王園の訴えを退ける答えを、俺は持ち合わせていなかった。だが空中に浮かぶツァンは違った。
「長く見積もっても百年以内」左手の人差指を立てて言うと、ツァンは降下して現王園の正面に浮かんだ。
「政府のレポートにはそう書かれていたわ。先生はどうやらご存じなかったみたいね」
「馬鹿な。どうやってもその頃には死んでいるだろう。第一、それが本物のレポートだとどうやって証明する?」
「あら」
世界は虚構に溢れている――発言を逆手に取られたツァンは一瞬驚いた表情を見せた。
「偽のレポートだという証拠もないわ」
「どうかな」
「ふふ。駆け引きにもならないわ。あたしにとってはどうでもいいことだもの。それに、一条杏南の身体は守ってくださるんでしょ。現王園先生?」
ツァンが今この世界で活動している以上、肉体は完全に無防備だ。だが犯罪者である彼女の肉体の無事を、現王園が、政府が保証してくれるとは思えない。
「貴様は犯罪者だ。身柄は警察に委ねることになる」
当然の答えだろう。いきなり殺害されたりはしないのだろうが……
「あら、それは困るわ」
言葉とは裏腹にツァンの表情は明るかったが、緊張しっぱなしだった現王園が、初めて笑みを見せた。
「そういうことだ。一条……戻って来い」
「先生のそういう顔って嫌いじゃないけれど」
ツァンが、どこかで聞いたようなセリフを口にした。
「現実世界で肉体の安全が保障されないなら――人質を使うわ。千人の……ね」
「なんだと!?」
荒唐無稽としか思えないツァンの脅しだったが、その数字に現王園は顔を青ざめさせた。
いきものがか〇さんの、あの歌がテーマソングです……なんちゃって。




