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31 お楽しみはこれから(クラウディア視点)

「お兄さま、こんな所で転寝をしては風邪を引きますよ?」


 優しい声と共に、肩を揺すられ暫しのまどろみから目を覚ます。


 眩しい光に目を眇めると、その中にアンジェがいる。


 夢の中の彼女よりも幾分年を増し、美しい大人の女性になった彼女だ。


 貴重な原石だった彼女は、周囲の手によって磨かれ、また自分も努力して今の姿になった。今や、容姿は元より、教養も備わり立派な次期侯爵夫人として、私の隣に立ってくれている。


 頼もしくもあり、嬉しくもある。


 こんな感情を他者に対して持てる日が来るとは、幼い頃は思わなかった。


 向けられる笑顔に微笑みを返し、私は彼女の腰に手を回すと、華奢な体を引き寄せて抱きしめた。


 それだけで、胸の中が温かい何かで満たされる気がする。


 思わず、ほう、と溜息を洩らしながら、私は頭の隅で夢の中にいた例の男の姿を思い出した。


 かつてのアンジェの婚約者。


 片手を失い、騎士としての未来を閉ざされたせいか、家に引きこもりがちということで、王家主催の事実上欠席不可の夜会にしか姿を見る事はなくなった男。まだ独身ということだが、会うたびにアンジェを見る奴の瞳に、絶望と羨望を浮かべるのが愉快でたまらない。


 時に話しかけでもしようとしているのか、夜会の間中彼女を見ている時もあるが、誰がそんな隙を与えてやると言うのだ。


 お前に出来る事なんて、指を咥えて見ている事だけだ。


 だが、奴には同時に感謝もしている。


 奴…というか奴らがあんな馬鹿な真似をしなければ、こんなに早く契約が完全に解ける事はなかっただろうから。


 あの時、一人でアルベロコリーナに行こうと決めた日、馬車の中で急に彼女の中の例の方が話しかけてきた。


『吾子を連れて行け』


 と。


 勿論最初は断った。けれどあの方は言う。


『いつまでも穢れた状態で、吾子に近づく事は許されぬ』


『儂が穢れの元をあぶりだし、引きずり出す故、何とかしてみるといい』


 あの時点では、己の力では契約の怪異には敵わないとわかっていた。


 それにある程度の怪異ならば、自分の正体を気取られずに処理できると思っていたから、今回もそのつもりでいたのに。


 呼び出す?あの怪異を?


 力不足で己が倒れるのはいい。良くないけれど、仕方ないと思う。けれど、そんな場にアンジェを連れて行くって?私が倒れた後、彼女まで危険に晒すわけにはいかないのに。


 だが、あの方は事も無げに告げた。


『あの男よりはマシと思う故、試してやる』


『穢れた地ならば、呼び出しも容易かろう。なに、吾子には我が付いている故、心配無用だ』


 こちらの事情など、最初から聴いてもくれないし、聴く気もない。まあ、結果、大団円と言う形になったから良かったけれど。


「まだまだ未熟なんだよな……」


 自分の契約が解かれたのだから、もう頑張らなくてもいいだろうと思っていたのだが、結局修業はあれからも続けている。


『吾子を娶るというのなら、それなりの夫君でないと認めぬ』


 とあの方がおっしゃるから。


 お陰で周囲には「伝説を超えた術師」と評されるほどになったのだが、あの方に言わせれば、まだまだ未熟らしい。それでも『貴様ならもっと上が狙える!』と言われれば、悪い気はしない。あんな存在に期待をかけてもらえている、と思えるから。だったら、そこを目指そうと。


 そこを。どこを?とは思うが。まあ、神の領域ではないだろう。多分、恐らく。


 まあ、どこであろうと彼女を守る権利を貰えるのなら、なんだってやろうと思う。


 何しろ困った事に、手に入れれば少しは治まるかと思った私の執着は、止まる事がなかったから。


 いつでも手の届く所にいて欲しい。


 嬉しい時の顔も、悲しい時の顔も私だけに見せて欲しい。


 その手に触れるのも、髪に接吻けするのも、私だけに許して欲しい。


 願いは尽きる事がない。


 腕の中の愛おしい存在。


 彼女がいれば、私は私でいられる。期待をかけられた術師でも、契約持ちの忌子でもなく。一人の人間として。


「ほら、寒いから抱きつくのでしょう?はやく邸に戻りましょう?」


 笑いを含んだ声で、彼女が私の肩をポンポンと叩く。


 私があまりに強く抱きしめるから、寒いのだと誤解しているようだ。単に、彼女の甘い匂いを堪能していただけなんだが……。それを言うと、彼女にも周囲にも変態と思われそうなので、あえて口にはしないけれど。


 そういえば、周囲と言えば、彼女と結婚するにあたっては、多くの人に反対をされた事を思い出す。


「若はサイコなんですよ!?ご自覚がないのですかっ!サイコはサイコらしく、普通の恋愛を望むのは、相手に失礼です!」


 いや、失礼なのはお前らの方だ。


 家の使用人たちは、元々同じ一族の者が多いせいか、時に遠慮と言う言葉が無くなる。執事を始め、使用人一同で止めるものだから辟易した。


 特にアンジェ付きの侍女たちは、きりりと顔を引き締め「私たちは、お嬢様の幸せを守って見せます!」と、徹底抗戦止む無し!の態を暫く崩さなかったほどだ。


 私の何が悪いというのだ。


 組織の連中も、私がアンジェにプロポーズしたことを知るや否や


「何も悪い事をしていない娘さんに、何てことを……」

「あんまりだ。可哀相すぎる」


 と、むせび泣くし。


 普段、自分たちだって拷問や裏切りを繰り返しても平気なくせして、何故そうなるんだ。


 だったら、とことんアンジェを甘やかそう。大事にしようと心掛けているのに、奴らは顔を合わせる度に「大事にするように」と説教をしてくる。いや、大事にしているって。


 何しろ唯一無二の相手だ。私の生きる意味と言っても過言ではない。大事にしないわけはないだろう!


 大事なあまり、今でもあの男の家の商売を裏からこっそり潰しているくらいだぞ?


 最近では近隣では無理と悟ったのか、別の国との契約も考えたようだが、それもそちらの国の内乱と言う形で潰してやった。


 散々金をつぎ込んで、あと一息で締結って時に邪魔してやったから、ダメージもかなりなものだろう。


 この世から消えて貰えば、もっとすっきりした気分になるかもしれないが、まだだ。それはまだ早い。あの男にも、あの小汚い女にも相応の報いを受けて貰わなければ。


「あの時の代金はまだ未回収だしな……」

「え?何かおっしゃいました?」


 私の呟きに、アンジェが小首を傾げる。その仕草は、年を経ても変わらず可愛い。


 私の大切な愛おしい人。


 そのアンジェを傷つけたにも拘らず、怪異から救ってやったのだ。奴らは私がアンジェの付き添いで、アルベロコリーナまでコインペンダントを返しに行っただけと思っているようだし、アンジェも私が無料で協力したと思っているようだが、私はプロだ。当然代金はいただく。どんな形でも。


 400年の呪いだ。代金が高くても当然だろう?


 喉の奥で笑いを殺し、私は立った状態で私に抱きしめられるアンジェを見上げた。


「何でもないよ」

「?そうですか?ああ、それよりルカも待っていますから、早く邸に戻りましょう?」

「ああ。そうだね」


 脳裏に彼女によく似た笑顔の子供が浮かぶ。あのお方の今一番お気に入りの子供。きっと今頃あの方が息子のお守りをしていてくれているのだろう。


 因みに、通常異形の姿のあの方だが、どうやら人型も取れるらしい事がわかった。


 曰く『子供に接するにはこの姿の方が便利だから』ということだが、さすが神というべきか、青とも銀ともつかない長い髪の想像を超えた美形だった。


 初めて見た時は、アンジェと彼を交互に見て、いつか殺す…と決意したほどだ。


 直後に、不敬と言う理由で電撃を食らってしまったが。


 アンジェの気持ちを疑うわけではないが、やはりあれほどの美形が愛する妻のすぐ近くにいつもいるというのは、落ち着かないのだ。


 それでも、そんな事を考える自分の感情自体、新鮮で面白いとも感じている。


 いつも平坦でいたはずの自分の感情が、大きく振りだす。彼女の存在だけで。


 それがどれだけ凄いことなのか。彼女はきっと知らないだろう。


 光も、未来も、温もりも。全て彼女がくれたもの。それらを改めて思い返し、私は立ち上がった。

 

 

 



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