25 怪異の正体
「…………」
無言でそれを見ていた。けれど疑問は残る。
「……これで、終わりですか?」
緩い風が起こす葉擦れの音が耳に戻る頃、ポツリと呟く。誰にともなく。その私の声を拾ってくれたのは、お兄さまだった。
「そうだね。彼女が全て持って行ってくれた。共に背負い、行先がどこであろうと、一緒に行ってくれたよ」
行先。それは天国なのか地獄なのか。それとも前世で言う、六道輪廻とは外れた場所なのか。今、ここにいる私には、彼等の行先はわからない。けれど。
「………」
そっと手を合わす。彼らの行く先に幸福があるようにと願い。
「それは、あちらの風習?」
私が手を外すのを待って、サンドロが訪ねる。興味津々といった顔で。
「宗教的なものです。皆が同じ宗教ではないので、あくまで私の、ですけど。熱心な教徒だったわけではないけど、習慣というか。つい出ちゃうんですよね」
無宗教の人が多い日本人だけど、日常の中に習慣と言う形で手を合わせるという行為は残っている。
感謝の時、相手の幸せを祈る時。無意識の内にしてしまう時がある。
「へぇ、そうなんだ。何か綺麗だよね」
本当に納得したのかは不明だけど、穏やかに笑ってサンドロが頷く。
「綺麗…ですか?」
「君が手を合わせた途端、君の周囲に清浄で暖かい光が満ちた。とても綺麗だったよ」
「?」
そんな芸、持っていないけれど。
思いがけない事を言われて、戸惑う私に、サンドロが優しい目で笑みを深める。
こうして明るい所で見ると、お兄さまとは方向性が違うけれど、彼もイケメンで……。イケメンに褒められ、綺麗なんて言われる事に慣れていない私は、一気に頬を熱くした。が。
「サンドロ!余計な事は言わなくていい!アンジェにそういう事を言っていいのは、私だけだ!」
すかさずお兄さまが、厳しい声を上げる。
うん、もうすっかり『お兄さま』よね。男性っぽい所を隠しもしない。
『彼』はつかつかと私の隣まで歩いて来て、最初に私の頭の天辺から足の先まで検分する。それから「良し」と一言言って頷き、それからぎゅうっと抱きしめる。
お姉さまではなく、お兄さまに。そう、お兄さまなのよね……。
腕の硬さや、胸板の厚みにドキドキしてくる。心臓に悪い。
そろそろ慣れ親しんだといってもいいくらい、毎日抱きしめられているのに、意識一つでこうも違うモノなのか。
頬が熱くなるのを止められない。
頭に集中した熱が、どこかでぷしゅーと漏れそうだ。
そんな私の様子に気付いたのか、お兄さまは小さく笑いを漏らし、髪にキスをする。
「可愛いなぁ、アンジェは」
「やっ、そ、そのですね」
何度も何度も音を立ててキスをし、抱きしめられる腕にも力が入って来るのを感じていると、
「はーい、そこまでー」
の声が隣で上がる。
そうだった。人前だった!
慌てて離れると、不満そうに唇を突き出したお兄様の顔が間近にある。
「サンドロ、お前さ。邪魔。わかる?」
「わかるよー。よーく理解してるよー。でも今そんなことしてる暇ないよねー?物事は一つ一つ片づけていかなくちゃねー」
「?」
一つ、一つ?今片付いたのに?
まだ何かあるのだろうか?
そう考えていると、お兄さまが面倒くさそうに離れ、伸びをする。
「仕方ないな。続きはまた後でね」
「?続きですか?あ…はい……」
ウインク付きで言われたけれど、続き?何の続きだろう?
よくわからないけれど、反射的に「はい」って答えてしまった私に、サンドロが呆れた目をして人差し指を立てた。
「アンジェちゃん、意味わかってないのに、気軽に返事しない。いつか泣かされるよ?」
「はあ……」
泣かされる?誰に?
「あーもう、可愛いな、この子は!」
「サンドロ!アンジェに触ろうとするな!」
「えー?ケチかよ」
この二人、本当に仲が良いのか悪いのか。
でも言いたいことを言い合える関係っていいな、と微笑ましく見ながら、私はふとさっきの事を思い出した。
二人にはわかったのかもしれないけれど、水鏡を最後まで見ていなかったこともあって、私にはわからない事が多い。
「…結局、アルベロコリーナの呪い、って何だったんですか?」
だから思い切って聞いてみた。一連の出来事を。
私の質問に、お兄さまはサンドロとの会話を止め、難しい顔で何かを考えていたけれど、少ししてから、お兄さまがゆっくりと口を開いた。
「あまり、聞かせたくないんだけどね」
でも聞かないと納得しないんだろうな。言葉では言わず、肩を竦めると、彼は私が見なかった水鏡が見せた映像について教えてくれた。
アルベロコリーナの呪い。
それは一人の男の我儘から始まった。
村を出たい。自由に生きたい。ただそれだけの願いだ。叶えたいと彼が言った時に、叶えてやればよかった。そうすれば、あの悲劇はなかったのだから。
男の家は村を纏める権力者で、男は待ちに待って誕生した、一族の一人息子だった。それ故、勝手は許されなかった。
彼の鬱憤は溜まり、成長するにつれ乱暴になっていく。時に犯罪まがいな事もするようになっても、親は彼を手放さず、村人たちは彼等親子を腫れもののように扱った。
とはいえ、彼の親が、村人に対して強権的だったとは言わない。が、ある程度の権限を持っていたのは間違いない。村で平穏無事に生きていくため、村人たちは彼が出て行かないよう親に協力しつつ、毎日を暮らしていた。
彼の負の感情が爆発した、あの日まで。
あの日、どこで知り合ったのか、男は宵闇にまぎれて村に盗賊を引き入れ、盗賊たちは、村の者を強奪し、人々を焼き殺した。
目撃者を無くす為に。逃げる時間を稼ぐ為に。
井戸に入れられた人たちは、元々は男の友人だった。男に同情的ではあったが、彼が提示してきた脱出方法は残酷なものだった為、協力は拒んだ。それを根に持たれ、敵として認定。少しでも長く生きて苦しむようにと、足を切られ、わざわざ傷を焼かれた後に井戸に放り込まれたのだ。
とはいえ、切断手術の時のように念入りに処置したわけではないし、放り込まれた井戸は枯れかけていて少ないとはいえ水はまだある。故に、命じた男も彼らが何日も生きるとは考えていなかった。数時間、長くても一日程度。蓋をして、発見を遅らせて、それで終わり。そう考えていた。
しかし男の思惑は外れた。
それが地獄の始まり。
井戸に落とされた男たちは、恋人や家族が焼かれる悲鳴を聞きながらも、そこでどうにもできなかった。
どうにもできないまま朝を迎え、夜を超え……。
長い飢えと渇きの中、彼等は争い、死んだ者の血肉を口にし、そして死んでいった。激しい恨みの中で。どこまでも暗い、闇の中で。
「………酷い」
声は多分震えていたと思う。だって、同じ人間のやる事とは思えない。
どうしても村を離れたかったなら、他にも方法はあったはずだ。というか、そこまで酷い状況を作らなくても、混乱させるだけでも済んだだろうに。
自分を監視し続けた、親に協力をし続けた村人への憎悪が、男にここまでの事をさせてしまったのか。それにしても、酷すぎる。
そう思って、微かに首を横に振る私に、サンドロがのんびりと声をかけてきた。
「蟲毒、というのを知っている?東の方の呪詛なんだけどさ」
「蟲毒?」
聞いたことがある。けれど、それはここではない。前世、自分の人生の中でもちょっとばかり黒い歴史の中でだ。
「確か、毒のある虫たちを壺に入れて、最後に生き残ったものの毒を使って相手を殺す…とか」
「そう、それ。それと似たような事が起こったんだろうね」
絶望と恨みを血肉と共に摂取して、増幅されて。
あの怪異は、一緒に閉じ込められ、結果的に自分が犠牲にした二人への悔恨からあの姿になったのだろうか。逃れる事ができない罪の証として。
「盗賊たちは、事件後何食わぬ顔でアクアフィオーリの町に紛れ、普通の生活を送った。その中には、事件のきっかけになった男もいたはずだ」
ああ…だから。
昨日の夜呼び出された人は、多分きっかけの男。
『あんな物が出来たんだ!何でそんなもんが出来たんだ』
と言っていたから、あの人にも予想外の事だったのだろう。彼はただ嫌がらせとして、彼等に絶望と恐怖を味わわせ少しだけ長く生かしただけ。何しろ傷口を焼いたとはいえ、手術の時のように念入りに処置したわけではない。長くは生きられないと考えていただろうし、普通ならそうだったのだろう。
けれど、結果彼は自分を恨む化け物を作り出してしまった。
男の死は文献にある通り、惨いものだったのだろうが、自業自得。自分のやった事が返ってきただけ。
死後もああしているのは…。もしかしたら怪異のせいだけでなく、彼の罪の意識とその時の恐怖が彼自身を絡めとっているからかもしれない。
盗賊にしてもそうだ。
金を得てアクアフィオーリに隠れ住んだ彼等は、表向きお互いに接触はしなかったのだと思う。だから世間的に見れば犠牲者には接点がなかった。しかし、まるっきり接点がなかったわけではなかった。時折会い、お互いに情報を交換していた。その時に厄災は伝染していったのだろう。だからこそ影から影に。恐怖は伝染していった。
そして最後の一人が終わった後、一度呪いは治まる。
だが、人々が事件を忘れた頃、再び始まる。
その頃には、怪異はあの事件に直接関係のある者かどうかなど、もう判断がつかなかったのだろう。
「始まりは今回と同じだと思うよ。噂から村を訪れた者が、何かを拾って持ち帰ったんだろうね」
心霊スポットの戦利品。
軽い気持ちだったのだろう。でもここは、盗賊に金品どころか、生活や命、希望や願いまでも奪われた土地だ。
彼等は盗みの代償を、呪いと言う形で支払わされたのだろう。
「じゃあ周期もなく、時折呪いが発動するのも?」
「今回みたいなことだろうね」
「………そんな」
バカみたい。なら、あんな行為さえしなければ、ラウロたちもあんな目に合わなかったってことだ。
頭の中に、憔悴しきっていた彼の姿が浮かぶ。
まるっきりの自業自得。そもそも最初から言われていたではないか。この土地から何も持って行ってはならないと。
何故そんな馬鹿な真似をしたのか。くだらない見栄の為か?それは命を懸けるほど大事な事なのか。
同情する気にもなれず、私は顔を顰めた。
「でも、取り敢えずこれで終わりですよね?ラウロも、あの元凶の人も…」
「いやあ、それはどうかなー」
それでも、呪いが終わった良かったと思っていると、サンドロが自分の腕を頭の後ろで組んで、空を見上げる。
それはどうかな……って。
終わっていないということかと、慌ててお兄さまを見ると、彼も複雑そうな顔をしている。
「言っただろう?呪いは気持ちの問題が大きいって。元凶の男が縛られているのは、怪異のせいではあったけど、それ以上に深い後悔と恐怖。許されないと思う心だよ。それは怪異の呪いが消えても、恐らく彼が自我を失い消えるまで続く。君の婚約者についても同じこと。原因は取り除いた。けれど、恐怖と後悔は心に深く巣くって続くだろうね」
この先も、ずっと。
それこそが呪い。
後は本人次第。
それでも、結果的にこうしてお兄さまやサンドロが手を貸してくれ、愛する人に受け入れてもらえたことで怪異は鎮まった。
それだけは良かったと思える。
長い時間、人を恨むのもまた、彼にとって辛い時間だっただろうから。
「お兄さま、サンドロ。ありがとうございます」
私が礼を言う事ではないかもしれない。それでも言いたかった。
怪異の心を救ってくれてありがとう、と。
二人は同じように眉を上げ、それから柔らかく笑ってくれる。
「アンジェちゃんはホント、いい子だねぇ。飴ちゃん食べる?ほら、ミルクと、イチゴと…」
「物で釣ろうとするな。アンジェ、帰ったら『私が』チョコレートをあげるからね」
サンドロがポケットから飴をだすのを、お兄さまが阻止する。
本当にこの二人は仲が良いのか、悪いのか。
それを考えた時、唐突に足元が揺れた。




