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26 怪異その2の登場

「地震?」


 珍しい。ここで地震を経験するのは初めてじゃないかな?


 前世の日本での生活が嘘に思える程、この国では地震は少ない。震度1か2くらいの細かな揺れだから、さほどは怖くはないけれど。


「……おいでなすったようだねー」

「……連れ出すと言っていたからな」

「荒療治かぁ。怖い怖い」


 私はともかく、彼等にとっては珍しい現象だろうから、さぞや驚くかと思ったけれど、二人は落ち着いた様子のまま会話している。


 おいでなすった?何が?


 サンドロの言葉に疑問を投げようとした私を遮り、お兄さまが私の肩をサンドロの方へと押す。


「ああ。アンジェを頼む」

「りょーかーい。元々その為に呼んだんだろ?」


 お兄さまにウインクを返したサンドロが、私の手を取る。


「はいはい。アンジェちゃんは、こっちね」

「え?でも」


 そのままかなり離れた場所まで引きずられるように連れて行かれてしまい、戸惑う私に、サンドロは肩を竦めて苦笑を返す。


「あいつがこんな土地で正体晒すのは、理由があるんだけどさ。俺たちじゃ、足手まといになっちゃうから、ね?」

「あ…」

「ごめんね?」

「………」


 彼の言葉から、さっきまでと違う何かが起こるのだと、すぐに理解した。


 怪異よりももっと大きく、重要な事。


 いつも朗らかに笑っているサンドロの表情が硬い。


 彼の言う通り、ここから私が出来る事は、お兄さまの足手まといにならない事。


 足手まといというなら、最初からそうだと思うのだけれど、先ほどまではそれでもお兄さまに余裕があったから近くに居る事ができた。今回は違う。少しでも彼の集中を切らしてはいけない。そんな相手が来る。


 こくりと喉を鳴らし、サンドロの目を見て頷く。承諾したと。


 そんな私にサンドロも黙って頷き返し、すっと肩を抱いてくる。


「大丈夫。君のおねーさまは強い。心配しなくてもいいから。だからいいね?ここで大人しく守られていてくれ」

「………はい」


 耳元で小さく注意され、「はい」以外の言葉が言えない。


 それほど、遠目に見るお兄さまの様子はいつもと違っていた。


 目を閉じ、右手の甲に軽く唇と付けている。それが緊張によるものなのか、集中によるものなのかはわからない。


 けれど、そんな時でもお兄さまは、一部の隙もなく美しかった。


 地震は相変わらず続いている。


 そして。


 お兄さまが、不意に目を開け、その紫の瞳を天にむける。次の瞬間。



『ガッ!』



 突然、強い揺れがあり、地面が割れる。


 割れた地面からねばついたスライムの様なものが染み出し、雫が地面に落ちる時とは反対に、粘性の液体が、地上から湧き上がる。


 まるでフィルムの逆再生だ。


 それが次第に形を作っていく。


 身の丈は恐らく三メートル強。全体的な印象としては、偶蹄類と人のミックス。筋骨隆々の人の体に、毛むくじゃらのヤギのような下半身と顔。特に目は偶蹄類独特の、何を考えているのかわからない形状なだけに不気味に思える。


 腕は逞しい人間のそれで、手はさすがに偶蹄類ではなく人のように五本の指がついている。しかし、そこに生えている鋭い爪は人のそれではない。


 背後には、爬虫類のしっぽ。


 頭に捻じ曲がった角が二つ。


「……ペーターが見たら、泣いてしまいそうね」


 名前が雪ちゃんだったらどうしよう。いえ、鳥の形でピッチーよりもマシだと思うしかないわ。


「?何?何か言った?」

「いえ、何でもないです」


 思わず出てしまった言葉に、サンドロが聞き返すけれど、真面目な顔で誤魔化す。


 というか、これはあちらの世界で言う『悪魔』の姿のような……?特定の宗教には詳しくないからわからないけれど。


 人とヤギなんて、供物のミックスみたいだし。


 ともあれ、これで顔がトラだったら、どちらを応援していいのかわからなかった所だから、この場合はこの形で良かったのかも知れない。


 そんな事を考えている私の隣で、サンドロがのんびりと口を開く。


「……あれ?話に聞いていたのとは違うなぁ」


 違う?何が?


 頭では疑問が次々に駆け巡っているけれど、声に出すことが出来ない。


 その間、不気味なヤギと、お兄さまは数メートルの距離を置いて対峙している。お互いを見定めるように。


 両者の間に緊張が走る。


 長い沈黙。


 やがてそれを破って、怪異が偶蹄類にはないはずの、犬歯をみせて笑った。


「まさか、こうも長い間謀られていたとはな」


 笑いを含んだ、しわがれた男の声。これは……あの怪異の声?怪異って話すの?いえ、さっきの怪異も話してはいたけれど、それはテレパシーみたいに、直接頭というか心に響いてきたもの。それに対し、今の怪異は普通の人間のように話している。


 その声に何の感情も動かされた様子もなく、お兄さまは僅かに首を傾げた。


「半分の『印』か。半分とはいえ、まだ残っているのに、何故俺は気づかなかったんだろうな?」


 怪異は言いながらも、お兄さまの体を見回し、それから首を横に振った。


「わからん。まったくわからん。だが、『印』を破られた時、かなりな衝撃があった。あれほどの返しがくるのだから、お前も死んだのだと思い込んだのは確かだ」


 まさか生きていたとは思わなかった。


 そう嗤い、怪異は舌なめずりをする。


「だが、契約は契約だ。その魂と体、もらい受ける」


 ずいぶん、物騒な怪異ね。魂も体もって……。嫌だわ、お兄さまが麗しいから、別のイケナイ想像をしてしまいそう。


 いやいやと、頭を振っているむこうでは、お兄さまが集中しているのがわかる。だからこそ、口を噤むしかない。そのくらい、相手が先ほどの怪異とはけた違いの存在だというのは、こういう世界に対し全くの素人な私にもわかる。


 そうこうしている間にも、二人は互いに間合いを図り、ジリジリと動きだした。


「来い」


 怪異がお兄さまに手を差し伸べる。その声に、お兄さまは一瞬肩を揺らしたが、その場に踏みとどまる。


「ほう?抵抗するか。ならば……」


 言葉と同時に怪異が右腕を振り上げる。


 拳ではないけれど、振り下ろされれば、人間など簡単に吹き飛ばされそうだし、あの鋭い爪に裂かれるだろう。


 そう思い息を飲むと、お兄さまは瞬間、指を動かし虚空に何かを描いた。そして。


 瞬きの間に怪異の腕は、空を切る。お兄様が避けたのだ。良かった、体が自由を取り戻したようだ。


「ふむ」


 宙を掻いた自分の腕を見て、怪異が頷く。


 それから怪異はもう一度同じように腕を振り上げ……。


「早いっ!」

「すげ」


 見ているこちらが驚くほどのスピードで、やたらめったら腕を動かし始めた。


 人では不可能な動き。


 だが、お兄様は、それら全てを避け、合間に、一本立てた指で額に触れる。同時に近くに転がっていたがれきが浮き上げり、一斉に怪異に向かって猛スピードで飛んでいく。が、それが怪異に効いているわけではない。


「抵抗するか。無駄な事だ。半分とはいえ最初の契約は残っている」


 平然と嗤いながらそれらを受け、怪異が近くの木を掴むと、それを根ごと持ち上げ、自分に向かってくる瓦礫を避けることなくそれを振り回し、突進していく。


「半分残っていると、どうなるんですか?」


 はらはらしながら隣のサンドロに尋ねると、彼は珍しく難しい顔をした。


「多分、本来の力を全放出できない、ってことじゃないかな?」


 契約は執行されるためにある。すでに満期は来ている。効力は半分とはいえ、抵抗は許されないのかもしれない。


 唇を噛み締め、兄様を見ると、彼は印を変え、指先を怪異に向けていた。


 向けた指先から蛇のようにのたうち回る火炎が出、怪異の腕に纏わりつく。周囲に一気に広がる、焦げた匂い。しかしそれも、怪異が腕を振るとすぐに消えた。


 同時に、再び怪異の爪がお兄さまのいた場所を裂く。


 火傷すら負わせられないのか。


 一度目はそう思った。しかし同じ攻撃を何度か繰り返すうちに、徐々にダメージが見え始める。


 その事に怪異も苛立ってきたのだろう。


 今度は背を向け、その爬虫類のようなしっぽを振る。


 今までのパターン化した相手の動きに慣れていたのか、不意打ちを食らったお兄さまはその一撃をくらい、吹き飛ばされる。


 何とか受け身を取って、地面に転がり力を分散するも、立ちあがる時に僅かにふらつく。


 それを見て、怪異が再びしっぽを動かすが、今度は辛くも避ける。


 どうでもいいが、さっきから見るにこの怪異、脳筋だ。一切の防御がない。ただひたすらに攻撃あるのみ。


 戦法とか全く考えないそれに、人に「騙された」のも何かわかる気がする。


 悠長なことを考えているようだが、どう見ても戦局はお兄さまに不利だ。どこかの時点で退却を考えた方がいいのでは……。


 そう考えた時、怪異はしっぽ攻撃から腕への攻撃に転じた。


 豪快に振り下ろした怪異の爪が土を掻いた、その瞬間。


 爪は土と一緒に大きな瓦礫を宙に投げ、それは私たちのいる場所へと真っ直ぐに飛んできた。


 瓦礫とはいえ、大きさは人よりも大きく、先端は鋭い。当たれば、即死は免れないだろう。


 突然の事に動けず、死を覚悟する。


 が。


 瓦礫がぶつかる直前に、私を青い光が包む。


 全てから守るように。


 母のような、父のような絶対的な愛情という柔らかく温かい波動。これは…。私はこれを知っている。ずっとずっと前に、同じことがあった。


 私の中の前世の記憶。


 そう、あれは…祭りの間の事だった。



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