妖樹の記憶
最終章への布石です
「七英雄の1人といっても、所詮は愚王に仕える鈍よ。 その程度で我に勝てると思ったか?」
空は一面雲に覆われ、冷たい雨がこの沼地の片隅に降り注ぐ。
黒いコートに身を包んだ、邪悪なオーラを放つ男。
男はレグルスの首を片手で掴み、軽々と持ち上げた。
「私は……王国に仕える騎士……グフッ……私は……王国のすべてを守る者。 お前を……野放しにするわけには……いかん!」
「「「れ、レグルス団長!」」」
部下たちは禍々しい数多の蔓に拘束されている。
絶望的な状況であるのに、部下たちの瞳の輝きは消えていない。
彼らもまだ諦めていない。
王国一の鍛冶師が鍛えた最高の装備は、すでに砕け散っていた。
額を鮮血が流れ、片方の視界が真っ赤に染まっている。
魔力ももうほとんど残っていない……それでも!
レグルスは男の首を掻き切らんと残り少ない気力を振り絞り、燃え上がる炎剣を振り切った。
しかし、男は2本の指でそれを受け止める。
「悪あがきはよせ、貴様はもう―――」
「いや……せめて、お前を道ずれにしてやる」
レグルスは口角を少しだけ上げ、静かに笑った。
自らの命を賭して、王国の宿敵を倒そうと決めた覚悟の表情。
彼の覚悟に答えるかのように、レグルスの胸元のペンダントが輝き始めた。
「くらえ!」
男が軽く摘んでいた灼熱の剣に、膨大な魔力が流れ込んだ。
流れ込んだ魔力は、より勢いのある炎に変わり、レグルスと男を中心に燃え上がる渦を発生させた。
「なるほど……ペンダントにはめ込んだ魔石に魔力を貯めておいたのか」
「これが私の……最後のいちげ―――」
「ふっ、くだらん、魔法消去<デリート・マジック>!」
男は不敵な笑みを浮かべながら掌を掲げ、初めて聞く魔法を口にした。
紫色の巨大な魔方陣が空に出現する。
魔方陣はまるで吸い取るかのように炎の渦を飲み込み始め……目も開けられないほど赤々と染まる沼地を、雨音の木霊す先ほどまでの暗い沼地に変えた。
「な―――!」
レグルスは絶望した。
王国の七英雄である彼がすべてを投げうっても、この化物を倒すことは出来ない。
魔石にため込んであった魔力も、残り少なかった自分自身の魔力ももう残っていない。
身動きの取れない部下たちは、打ちひしがれ死人のような表情を浮かべるレグルス……憧れであった英雄の哀れな姿を目にし、唯々、涙を流していた。
レグルスのただならぬ覚悟を一蹴した男は、死よりも残酷な救いをレグルスに差し伸べた。
「まぁ、貴様の覚悟は十分に伝わった……その力強い信念を称賛し、命だけは助けてやる」
「……な、何を言って!?」
男はコートの中から、小さな木の実を取り出した。
本当に小さな木の実……しかし、その実から発せられる邪悪な魔力は、それが只の木の実でないことを、レグルスにありありと感じさせる。
「これは、樹魔の上位種である妖樹の種だ」
「……妖……樹?」
「とっくの昔に滅んだ種族さ……この種を芽吹かせるには、強靭な肉体を持つ苗床と、新鮮な糧が必要なんだ」
状況を飲み込めないレグルス。
男は笑みを浮かべながら、妖樹の種を指でつまんで、
「つまりこういうことだ!」
「―――グアァァァァアァァァアッ!」
レグルスの胸に、男の手が突き刺さる。
激しい痛みに苦しみの声を上げるレグルス。
男はどくどくと流れる血で真っ赤に染まった手を引き抜いた。
男が摘んでいた妖樹の種はもう無い。
「貴様の新たな人生に祝福しよう!」
「私は……あんな小さな種なんかに屈したりはしない!」
「せいぜい足掻くがいいさ。 ……大切な部下たちを殺さないためにもな」
「ど、どういうことだ……?」
「言っただろう? 『新鮮な糧』が必要だと」
「……ま、まさか!」
「では、さらばだ。 何一つ守ることの出来なかった哀れな英雄よ」
男はレグルスを放り投げ、高らかに笑いながら去っていった。
雨降る沼地に残ったのは、満身創痍なレグルスと、蔦に絡まれ身動きの取れない部下たち。
魔力が枯渇しているせいで、視界が霞んで意識が消えかける。
体中から血が流れ出て、徐々に体温が低くなっていくのを感じた。
それでも。
部下たちを安心させようと、レグルスは必死に笑顔を取り繕う。
「心配するな……私はまだ―――グァァァァァッ!」
「「「団長!」」」
突然、体の中を何かが這いずり回るような激痛がレグルスに襲い掛かる。
泥まみれになりながらのたうち回るレグルス。
数本の枝が、彼の皮膚を突き破って現れた。
私は……化物になるのか?
化物になるくらいなら……誰か私を。
薄れていく意識。
レグルスが最後に見たものは、怯えるように彼を見つめる部下たちの姿だった。




