夕暮れの露店と、ギルドの酒場
今日は久しぶりの休日。
夕飯をギルドで食べるついでに、外壁門からギルドまで続く大通りを見て回っていた。
日が暮れてきて、西の空が燃えるように赤く染まり、東の空が夕焼けの赤と夜の黒を混ぜ合わした何とも言えない紫がかった色をしている。
それでも、まだまだ人通りは多い。
露店にはランプの淡い光が灯りはじめ、昼間とは違う幻想的な世界を作り出す。
帝都にいた頃は、なんやかんやで露店が閉まるような真夜中まで仕事をしていたため、こういった町並みは新鮮である。
俺は何とも言えない幸せな気持ちで、大通りを歩いていた。
「グヘヘ……こっちにこい」
「や……やめ、ウグッ」
そんな俺の小さな幸せを潰す、5人の男たち。
冒険者のような風貌の男たちが、1人の女を人気のない路地裏に引きずっていった。
女は男の手によって口を塞がれ、助けを呼べない。
俺以外に気づいている通行人も何人かいるようだが、面倒ごとに巻き込まれたくないようでそそくさとその場を離れていった。
せっかく夜の露店の雰囲気を楽しんでいたのに……俺の幸せを返せ。
無粋な輩に魔法を何発かぶっ放してやろうと、俺も裏路地へと入っていった。
建物と建物の間の、暗くてじめじめした道。
男たちは女を引きずりながら曲がり角を曲がった。
俺も早足で向かい、魔法を発動する準備をしながら曲がり角の壁に手を触れた。
―――その瞬間、
「ぶっへいぃ!」
「…………ふぁっ?」
曲がり角へ消えていった男の中の1人が、宙を舞いながら目の前に現れる。
男は音を立てて反対の壁に激突し、そのまま気絶して動かなくなった。
……突然の出来事過ぎて、変な声をあげてしまった。
「……ん? こいつ、ギルドで調子こいてた『夕闇のなんちゃら』の銀ランク冒険者じゃん」
白目をむいて気絶している男。
なんか見たことあるなぁ……と思ったら、俺が冒険者登録をした時に、マルクたちを馬鹿にしながら俺をパーティーに誘った男だった。
5人組の男たちは、パーティー『夕闇のなんちゃら(忘れた)』の冒険者たちだったのだ。
「お、お前いきなり何するんだ!」
「俺たちのリーダーを……よくもやってくれたな!」
「ん? 何って商売さ!」
いきなり、リーダーを吹き飛ばされてしまった残りの冒険者たちは、それぞれ武器を構えて女を取り囲んだ。
女はフードの付いた灰色のコートを着ていて、手には白いロンググローブを付けている。
フードの下に不敵な笑みを覗かせる女は、決め台詞っぽい言葉を言いながらフードを取った。
黒髪から生える猫のような耳、野生の獣を思わせる紅く光る瞳、鋭い八重歯……女は獣人族のお姉さんだったのだ。
フード付きのコートは耳を、ロンググローブは手に生えた獣毛を隠すための物だろう。
いまだに獣人族を差別する人々は多い。
「くっ、俺たちは銀ランク冒険者だ! たとえ獣人族が相手でも―――ベフッ!」
「話し終わるのを待つほど、私は優しくないからな?」
お姉さんは地面を一蹴し、一気に間合いを縮める。
短剣を構えていた狩人らしき冒険者の横腹に、遠心力のかかった回し蹴りが綺麗に決まった。
「チクショウ! 俺様の魔法で消し炭に―――ハウアッ!」
「魔法使いなんて一番のカモだよ!」
魔法を唱えようと掌をかざす男の急所……金的を勢いよく蹴り上げる。
男は絶望を体現したような形相を浮かべながら、地面に倒れ込んだ。
……職業変更<ジョブ・チェンジ>しようかな。
「うぉぉぉぉぉぉぉ―――ッホイ!」
「何なんだよコイツはぁぁ―――ウェイッ!」
「ふぅ~~、終わった終わった~。 さてとっと漁りますか!」
10秒もかからないうちに4人の冒険者を気絶させたお姉さんは、気持ちよさそうに額の汗をぬぐった後、冒険者たちの身ぐるみを剥がし始めた。
……お姉さん1人にボコボコにされる銀ランク冒険者とは?
身に着けていた防具を奪れ下着姿になる冒険者たち、持っていた回復薬・解毒薬・魔力薬はもちろんのこと、
「おっ、副収入ゲット~!」
コートの中から取り出した大きな風呂敷に、財布ごと金を放り込む。
……副収入とは?
「そういえば、もう1人いたな~。 早くしないと人が来ちまうぜ」
4人の冒険者の身ぐるみをすべて剥いだ後、お姉さんは思い出したように『夕闇のなんちゃら』リーダー、俺の目の前で気絶している男へ目を向けた。
曲がり角で覗き込むように観戦していた俺は、はっと身を隠す。
こちらに近づいてくる……俺の金的が危ない!
この場を立ち去ろうと静かに後ろに足を伸ばしたが、ここはジメジメした路地裏、水溜りにポチャンと足を突っ込んでしまった。
「ん? まだ仲間がいたのか……そんな所に隠れてないで出て来い!」
あ、オワタ。
「……いや、別に仲間じゃない。 か弱そうな女性が路地裏に連れ込まれるのを見たから、助けてやろう……と思ったら『これ』だよ」
「なんだ、仲間じゃないのかよ~。 ……仲間だったら、お姉さんが仲良くおねんねさせてやったのにぃ」
「……そんな悪夢を見そうな睡眠はいらん」
「ちぇっ」
獣人のお姉さんは色気のあるポージングをしてくれたのだが、コートのせいでいまいちムラっと来ない。
「お前は見逃してやるから、さっさと行っちまいな」
「はぁ、よかった」
向こうで転がっている魔法使いのように、俺も弱点に蹴りを入れられないかもの凄く心配だったのだが、どうやら見逃してくれるようだ。
幻想的な夜の露店の、裏の顔を垣間見てしまった。
『夕闇~』のリーダーから楽しそうに金目の物を剥ぎ取る獣人のお姉さんを背に、俺は露店を後にした。
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露店での騒動のあと、俺はギルドの酒場に赴いた。
料理の注文をし終わり、今はゆっくりと、頭の中にしまってある禁書の解読をしている。
暇なときにはついつい禁書の文が頭に浮かんでしまうのだ……職業病である。
昨日、俺が銅ランク冒険者に昇格したことにより、パーティー『鋼鉄の鎧』のメンバー全員が銅ランクとなった。
銅ランクになれば、沼地での探索が解禁される。
沼地には、森や草原にいない特殊なモンスターが多数生息しているため、俺たちの冒険はさらに過酷なものになるだろう。
そのため、銅ランク冒険者として冒険を始める前に、2日間ほど休暇を取ることにしたのだ。
マルクたちも、久しぶりの休日を楽しんでいるだろう。
「おまたせしました~、ご注文のラザニアで~す」
「おっ、ありがとう」
酒場の従業員さんが、さっき注文したラザニアを持ってきた。
皿状のパスタの上にのった肉、野菜、チーズが良い匂いを出している。
俺はさっそく頂くことにした。
「いただきま―――――あ」
「どうしたんですか、レオンさん? こっちに変顔を向けないでください」
「……そんなこと言ったら、みんな食事中に変顔をしていることになる」
ラザニアを食べようと大きく口を開けた瞬間に、先ほどまで酒場にいなかった受付嬢さんと目が合った。
今日も、いつもと変わらず一言多い。
今さっき酒場に来たらしく、空いている席を探していたところ、偶然、俺の目の前を通り、目が合ったのだ。
「受付嬢さんも食事か?」
「今日は休暇を貰っているので受付嬢ではありません。 今日はただのアデーレです」
「そうか、初めて名前聞いたけどな」
「レオンさんに教える必要はありませんからね」
「……」
今日の受付嬢さん……アデーレさんはギルドの制服ではなく、私服を着ている。
黒いリボンのついたシャツを着て、丈の短い茶色のスカートを履いた姿は、いつものお堅い雰囲気を少しだけ薄め、女の子らしさを醸し出していた。
「旧友と食事をする約束をしているのですが……まだ来ていないようですし、席も空いていませんので、少しの間お邪魔させてください」
アデーレさんはそう言うと、俺の返答を待つことなく対面の椅子に座った。
「何か奢ってくれてもいいんですよ?」
「ちょっと待て、今さっき旧友と食事をするとか言ってなかったか?」
「それはそれです」
「……まぁ、いつもお世話になっているからな。 好きなものを注文していいぞ」
「殊勝な心掛けです。 では―――」
アデーレさんは一片の躊躇もなく、酒場で一番値段の高い霜降り牛のステーキを頼んだ。
彼女の表情からは、「後ろめたさ」や「感謝」といった気持ちを読み取ることが出来ない。
いやもう何と言うか……さすがです。
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十数分後、従業員さんがステーキを持ってきた。
すでに食べ終わっていた俺だが、アデーレさんをおいて席を立つのも失礼だと思い、しょうがなく酒をもう1杯頼んだ。
ちびちびと酒をすすりながら、アデーレさんの食事をする姿を眺めた。
背筋を伸ばし、ナイフとフォークを正しく持ちながら、一切れずつ肉を切って上品に食べている。
初めてギルドで会った時からそうだったが、アデーレさんの立ち振る舞いからは貴族のような気品を感じる。
立ち振る舞いだけではない。
肩で綺麗に切りそろえた茶髪や、眼鏡の向こうにある理知的な碧眼、整った身だしなみからも彼女の品格を感じることが出来る。
「あの……あまりジロジロ見ないでください」
「す、すまない」
「暇なのでしたら、私が食べ終わるのを待たないで帰って貰ってもいいんですよ?」
「……そうですか―――ん?」
席を立とうとテーブルに手をついた瞬間、ギルドの扉がすっと開いた。
入ってきたのは1人の少女。
長い艶やかな金髪を後ろで1本に束ね、白い綺麗なうなじを惜しげもなく見せるその少女は、黄色の瞳で酒場をゆっくりと見渡した。
どうやら上級冒険者らしく、着ている装備はすべて希少な素材で作られている。
大白狼の純白の毛皮をベースとして、胸や腕などに軽量で丈夫なオリハルコン製の甲冑を付けたシンプルでいて強度の高い防具と動きやすいスカートを装備していた。
酒場を俯瞰していた少女は俺の座っているテーブルを見ると、目を離すことなくそのままこちらに向かってきた。
堂々とした立ち振る舞い、見事な防具、端正な顔立ち……冒険者たちはみな少女に目を奪われる。
少女はテーブルの横で歩みを止め、俺を一瞥したあと反対の席へ顔を向けた。
「どうして私を置いて先に食べているの?」
「(モグモグ……ゴクン)。 いや、お腹がすいていたので……エルシアも奢って貰ったらどうです?」
どうやら、この少女がアデーレさんの旧友らしい。
アデーレさんは上品な雰囲気を帯びているが、意外と話しやすい気の置けない友人みたいな人物である。
それに対しこの少女からは、見た目の美しさと相まって、近寄りがたいクールな雰囲気を感じる。
―――ん? なんかまた俺が奢る流れになってないか?
「おい、どうしてそうなる? 俺はもう帰る気でいたんだが?」
「奢るのが1人から2人に変わるだけです。 金さえ払っていただければ、あとはもう帰って貰っていいですよ?」
「平然ともの凄いことを言ったな……」
「?」
「何を言っているのか分からない」とでも言いたげに、きょとんとするアデーレさん。
冗談で言っているのか、本気で言っているのか?
俺にはもう、彼女が何を考えているのか分からない。
……まぁ、受付嬢さんにはすごくお世話になっている。
本人の口から直接聞いたわけではないが、俺がギルドで騒動を起こしたあと、アデーレさんは処罰を検討していたギルド長を説得してくれたらしい。
なんだかんだ言って、優しい人なのだ。
とりあえず、俺の財布が今日の出費に耐えれるのかどうか、確認することにした。
「それで、この人は誰?」
「この方はレオンさんです。 ほらあの……」
「アデーレさんにいいように使われている、あのレオンだ」
「…………アデーレ、あっちで食べよう」
財布の中身を確認していると、少女がアデーレさんに俺のことを聞いた。
アデーレさんに合わせて、財布を見ながらとりあえず軽い冗談を言ったのだが、
―――見事に無視られた。
少女は俺に背を向け、アデーレをおいてさっさと空いたばかりの席へ行ってしまった。
俺の冗談はつまらないのだろうか?
いや違う……と思いたい。
きっとアデーレさんが変なことを吹き込んだのだろう。
さっきアデーレさんが言いかけた言葉の続きがものすごく気になる。
「(モグモグ……ゴクン)。 ごちそうさまでした、ではエルシアも来たので私は向こうに行きます」
「そうか……」
「……エルシアにも色々あるんです。 許してやってください」
「え?」
よく聞き取れなかったのでもう一度聞き返そうとしたが、アデーレさんはすでに席を離れてしまって聞くことが出来なかった。
色々と気になることがあるが……まぁ、そのうち分かるだろう。
「……明日は早いし、今日はもう帰って寝よう」
明日、俺は1人で沼地へ下見をしに行こうと思っている。
これから何度も足を運ぶことになるのだから、危険な場所やモンスターを調べておきたい。
それに……沼地の奥には世界樹の1つ『妖樹:エビル・トレント』がある。
いや、「ある」というより「いる」だ。
妖樹は他の世界樹とは違い、自分の意志で動くことが出来る。
いずれマルクたちと討伐することになるだろうから、ちょっと見ておきたい。
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「どうしたんですか、そんなに怒って?」
「……別に怒ってない」
「そうですか」
アデーレはテーブルに座ると、不機嫌そうな顔の旧友、エルシアに話しかけた。
「レオンさんはいい人ですよ。 口調は少し横柄ですが、他人を思いやる優しい心の持ち主で、いつも仲間の事を第一に考えて行動している人です。 それに、魔法の才まであって……まるで―――」
「シェイラはもういないのよ」
アデーレの言葉を遮るように、エルシアは語調を荒げて言った。
近くに座っていた冒険者たちが驚いて振り返る。
彼女の不機嫌そうな顔には、悲しい過去を思い出している時の悲痛な感情が見え隠れしていた。
「……レオンさんを見ていると、あの頃のことを思い出すんです。 3人で冒険していたあの頃を」
アデーレは遠い目をしながら、つぶやくように言った。
「……アイツのことが好きなの?」
「―――ふふっ、さぁどうでしょうか?」
突然、エルシアが悲し気な声で唐突な質問をした。
アデーレは一瞬きょとんとしたが、すぐに楽しそうに笑い、からかうように質問し返した。
「私は真剣に聞いているの」
「そうですね。 彼は冒険者で、私はギルドの受付嬢……間接的にしか支えてあげることが出来ません。 でも、エルシアなら―――」
「……私には無理よ」
「……そうですか」
「ご注文のお料理をお持ちしました~」
頼んでいた料理がテーブルに並んだ。
エルシアの前にはパンと、白兎と野菜のスープ。
アデーレの前にはサラダが盛り付けられた皿が1枚。
「それだけ?」
「さっき食べたばかりですからね。 冗談で言ったら本当に奢ってくれたのでありがたく……」
「アデーレは変わらないわね」
「エルシアだって、いつもパンとスープじゃないですか」
2人は食事をしながら、久しぶりの再会を楽しんだ。
「そういえば、次はどんなモンスターを倒す予定なのですか?」
「明日、沼地に行ってアレを倒そうと思っているの」
「……アレ?」
「『妖樹:エビル・トレント』よ」