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聖女と呂布



 真っ赤な炎が闇夜を茜色に染めていた。

 小屋が太い火の束となって、盛んに燃えている。

 元々朽ちかけていた家が、廃墟そのものになろうとしていた。

 呂布は熱風と爆竹のような音を聞きながら、家へと駆け寄った。


 レノン達は未だ家から出てきてはいない。

昔、晋陽の山賊を山ごと野焼きにしたことが思い出される。山を火の帯に変え、一切の命を焼き尽くしてみせた。焦げ付いた地面には無数の屍体が散らばっており、こげた匂いが鼻をつき、呂布は惨状を一目見て踵を返した。

 同じように、あんなにも無残に友が死ぬのは、甚だ不本意である。呂布はもやのような不安が広がるのを懸命に抑えた。


 炎の壁と化した家に入ると、地下への階段から飛び出すように、レノンの頭が見えた。

 木が爆ぜた太い音とともに、その体が揺らぐのを呂布が支える。


「リョフさん! 無事だったか」


「奴らは倒した。もう安全だ」


 一瞬安堵の表情を浮かべるレノンが、再度キノンを見やる。

 ガノンはキノンの足を持ちながら、怒りを抑えきれない様子だった。


「キノンの血が止まらんのだ」


「ちくしょう、外のやつら絶対許さねぇ。根切りにしてくれたんだよなぁ、リョフよぉ」


「当然だ。早く、出るぞ」


「はっははっ、強、いなぁ。リョ、フは・・・」


 キノンが、消え入りそうな声を出す。

 階段を這い出るように進み、何とか屋外へと全員が身を滑らせたとき、柱がメキメキと骨を折るように崩れていった。

 支えるものがなくなった家屋は、残骸、とでもいうようにその形を変えていく。

 呂布がキノンを草原に下ろしたとき、家は焚き火のような形状に化けていた。


「しゃべるな! 今、縫い合わせるからな! ちくしょう、ちくしょう・・・」


 ガノンが布でキノンの背中を抑える。

 うつ伏せとなったキノンに、レノンが懸命に処置を施した。

 血が草原の露となり、血だまりを広げていった。


「むぅ」


 呂布が、嘆息をつく。

 キノンの傷は深く、骨まで達するほどのものだった。

 医療、という概念を持たない呂布から見れば、それは致命傷に等しいものだ。

 多くの戦陣で同程度の切り傷で相手を殺傷してきた故に、救いようもないことがよく理解できてしまった。

 呂布は、相手を敬うようにキノンの顔に近づき言葉をかける。


「キノン、仇はとったぞ」


「へっへへ、さっすがリョフだぁ。ありがと、う。俺、もう満足、だぞ・・・・・・」


 うつぶせのまま、キノンが笑う。一瞬色あせていた黄色の衣服が、柔和に見えた。


「諦めるな!」


「馬鹿言うんじゃねぇ!」


 キノンとガノンが吠える。

 呂布は、キノンの懸命な笑顔を確認すると、一歩下がった。

 縋るように呂布を見るガノンに、力なく首を振る。助かる術があるなら、助けている。それがないのは、いかに無力なことであろうか。

 呂布は自分の不甲斐なさに失望していた。それでも、どれほど断罪しても現実は変わらないのだ。

 うなだれるガノンの肩に、呂布の手が伸びる。ガノンの肩が小さく震えていた。


「リョフさん、キノンは・・・・・・」


 ガノンとのやり取りで察したのだろう。レノンが懇願するように呂布を見つめていた。

 呂布は、瞼を強く結び、反転した。

 キノンの顔から生気が抜けていく。顔の色は赤黒いものから青白いものへと、変わっていく。まるで、魂が抜けていくさまのようだった。


 啜り泣く声無き声を聞きながら、呂布は逃げるようにさまよい、草原の中腹で力なく腰を下ろした。

 影絵のように、うなだれた男が森に映っている。


「やはり、守れないのか・・・、」


 思い出したように、吐露する。

 かつて、同じようなことがあった。その同じように守れなかった貂蝉は、今の自分を見て、なんというだろうか。

 最期のカヒの戦に負けたとき、壁面の上で最後に思ったことだ。

 無様に負けた自分を、力及ばず何も守れなかった自分を、そんな自分を信じきっていた妻を守れなかった自分を、貂蝉は。なんというのだろうか、と。

 どれほど力を誇示しても、いざというときは甚だ無力でしかない人生だった。武力だけでは報われないものもあることを、人生を通して痛感した。

 例えば、大切だと思ったものほど、守れないこともだ。


 空には白い星がきらめいている。呂布は星を占うことはできなかったが、それでもただ見上げているのは嫌いではなかった。


一陣の風が吹く。

呂布の鋭くなっていた感覚が、風の中に異物を捉えた。

はっと顔を上げ、丘の下、森の入口に目を向ける。

夜のため影が濃く、はっきりとはしないが、明らかに木の隙間に人影が見えた。


呂布が、爆ぜるように突進する。

木に縋るように佇む人影は、呂布の接近に小さな声を上げることしかできなかった。

 あと数歩、というところで、気づいたように人物が身を翻す。

 

「まてっ!」


 何者だ、と呂布が左手を掴む。甲冑もなく、白い肌を手のひらが捉えた。


「あっ・・・・・・!」


「貴様、生き残りか!」


「まってください、私は・・・・・・」


 苦悶の声が届く。場違いなほど軽やかな音色だった。

 無理矢理引き寄せ、呂布が其の身を捕えてみせる。

 先ほどの兵とは違い、武装はしていないようだった。代わりに茶色い外套を羽織り、中に白色の礼装を纏っている。

 フードの奥から、金髪と長い睫毛が見えた。背丈は呂布の胸ほどまでしかなく、先ほどの兵たちよりもさらに小柄であった。


「女?」


「そうです。どうか、お願い。乱暴しないでください」


 呂布の手の中で、女が身を震わせた。声が泣いている。犯される、と思ったのだろう。

 呂布が背中に手を回すと、掌に滑る感触を覚える。掌を確認すると、血糊がベッタリと張り付いていた。

 女が怪我をしていることが逆に功を奏したのか、呂布は一種の冷静さを取り戻した。


「すまなかった。事情があり、気が立っていた」


 女を離し、呂布が謝意を述べる。呂布は女が敵方の生き残りである可能性は捨てていなかったが、さきほど戦場で対峙した者の中のいずれとも違うことはわかった。

 しかし、娼婦や貴族と関わりのある者やもしれぬ、と呂布は思っていた。もし、そうなら、帰した場合にレノン達に害が及ばないとも言い切れないからだ。

 警戒心を解かないまま、女の言葉を促した。


「明かりが見えたので、こちらにきたのですが。あれは」


 樹木に寄りかかりながら、息を整えながら、女が呂布の後ろで火柱を上げる家に視線だけを向けた。

 もはや家の体裁を成してはいないが、建物の残骸であることは見て取れた。


「あれを、貴方が―――」


「違うな。俺ではない。闘ったのは俺だが、火をかけたのはその相手だ」


「闘い? 貴方はセードルフの方ですか」


「それも違う。闘ったのは納得した上でのことだが、俺はこの国の者でも、セードルフという国の者でもない。貴様に言ってもわからんところから来た」


 呂布が丘の中腹に寝転がる無数の屍体を目で示す。

 暗い影のように落ちたそれを見て、思わず女が駆け寄った。


「これは、セードルフ軍の紋章!?」


 口角を上げて絶命した貴族の胸に、赤い獅子が向かい合う紋章が誇らしげに飾られている。二頭の獅子は、それぞれが銀の鬣と金の鬣を刺繍されており、勇猛さを誇示している。


「俺の友を斬った。貴族の一派らしいが知らん」


「信じられません。貴族の捜索隊を倒してしまうなんて。でも、まさか・・・・・・」


 口元に手を当てて、女が推察する。

 深く、長い思考を経て、砂漠のなかの砂金のような可能性に女はたどりつく。それは、想定していた以上の成果であった。


「どうした。知り合いか」


「いえ、そんなことはありません。それよりも、友人の方が斬られたのですか?」


 呂布を見る目が鋭く光る。先程までと違い、強い意志が感じられた。


「ああ、今旅立とうとしている」


「旅・・・・・・、まさか。すいません、すぐに私をその方のいる場所へ連れて行ってください」


 思慮の外の申し出に、呂布は一瞬混乱し―――すぐに怒声混じりに否定した。


「よせ、今兄弟が最期の時を過ごしている。友の旅路を汚す気か」


「まだ助かるかもしれません!」


「助からん。これでも、何度も人の死を見てきた。顔が青白く、血の流れにも力が無い。もう、魂が離れる前だ」


 呂布は、諦めの言葉を吐く。

知り尽くしていることを、無駄な希望にすがって無闇に荒立てるつもりは更々なかった。人は死ぬ。死んで、新たな命になるだろう。そして、その死ぬ瞬間を何千と見てきた呂布にとって、死とは覆すことのできないものである。


「生きているのならば治せます。私は神官です!」


「神官・・・・・・だと? 易者の類か?」


「神に仕える者です。神の祝福を受けることができます。もしかしたら、私ならばその方を治療できるかもしれません。お願いします。早く」


 出会ってから、一番必死な懇願だった。自分が犯されると警戒していた当初よりも、より強く、女は人の命を救うことを望んだ。

 呂布は突然の申し出に困惑が冷めないまま、言葉を紡ぐ。

 女の表情は力強さと裏腹に、苦悶に満ちていた。立つ力も乏しいのか、草原に膝をついたまま、顔だけを呂布に向けていた。


「貴様自身が怪我しているだろうが」


「これは、セードルフの追っ手にやられたのです。自分の魔力では、自分自身を治せませんから。ですが、他の方になら、力を使えます」


「貴様はセードルフの、この腐った貴族の仲間ではないのか?」


「やはり、私のことを知らないのですね」


 無表情を作りながら、女が言葉を搾り出す。

 呂布はその所作の意味を捉えることはできなかった。

 女は少しだけ俯けていた顔を再度上げ、懸命に足を動かす。

 家を背にしながら対峙するようにして、フードをとり、女が宣言した。


「私は・・・ウィッシュトティア。トロワランス教会に所属している者です。命をこれ以上、無駄にさせたくないのです。お願いします。助けられる方を見捨てるのは、もう嫌です!」


 本気の気持ちを乗せた言葉が、呂布の心を揺さぶった。

 先程までの自問を、繰り返しているような気持ちにさせられた。

 ウィッシュトティアと名乗った女は、朱色に煌く金髪を風になびかせて、思い切りよく頭を下げた。

 懇願、といっていいほどの願いだった。

 本気の願いが、呂布に伝わった気がした。


「・・・・・・理解できんが、期待はしよう。ただし、おかしな行動をしたら容赦はせん」


「わかりました。早く!」


 互いに眉間に皺を寄せたまま、両者が歩み寄った。

 呂布はウィッシュトティアを手招きし、家の門前まで案内する。

 丘の上では、むせび泣く声が響いていた。


 やはり、助からないのではないか。

 呂布は先ほどよりも一層白くなっているキノンの顔を見て、そう痛感した。

 レノンとガノンもそのことをようやく理解したのだろう。助けるためのものから、声が悲劇を謳うものに性質を変えていた。


「この方ですね」


 走った勢いのまま、倒れこむように女がキノンに近づく。

 突然の来客にレノンが涙を流しながら、敵意を顕にした。


「なんだ。お前さんは・・・・・」


「自己紹介はあとです。静かにしていてください。まだ助かります」


 淡々と述べ、ウィッシュトティアが儀式を開始する。

 呂布が戦闘で聞いた雑音よりも、より精緻な音の調べが女の口から次々と飛び出してくる。

 やがてそれらは光の帯となり、キノンの周囲を旋回し始める。

 癒しの光が徐々に光度と濃度を増して行くと、加速度的に言葉の量も増えていく。

 あまりの多さに驚きながらも、呂布は目を閉じ、集中する女をじっと見据えていた。

 音がいくつも折り重なり、女が手を掲げた。次いで、目を見開き、宣言する。


「神の癒しを!」


 言葉と同時に掌を、キノンの背中に押し付ける。

 接触の限界まで押し付けられた手の下から、帯の光と同等の光度が溢れ出てくる。

 それは、呂布にとって尋常でない気配の奔放だった。


「なんと、こんなことがあるのか」


「おぉぉぉ、奇跡だっ」


「傷が、うつぶせのまま傷口がふさがっていくぜ」


 嬉しそうに叫ぶレノンとガノンの言うように、傷口は尋常でない速度で修復し始めていた。

 傷が光の中でひとりでに蠢き、接合していく様は三者にとって奇跡そのものだった。

 レノンとガノンは抱き合うように経過を見守っている。


「すいません、傷口だけでは、ダメでして。生気がなくなりすぎている、のです。申し訳ありませんが、どなたかの命を分けて頂けませんか」


 息苦しそうに女がつぶやく。

 相当疲弊しているのか、声に活力はなく上体を起こしているのが精一杯のように呂布には思えた。


「お、俺のをやる!」


「俺のだ! 俺は元気が有り余ってる! 頼む!」


「好きに使え」


「ありがとう、ございます」


 ウィッシュトティアが朗らかに笑う。

 レノン、ガノンの手を掴み、何やら呟くと、キノンの顔色が徐々に正規を取り戻していく。

 奪われたはずの生命力は決して少なくないはずだが、二人は兄弟の命が救われていくことを実感し、涙をこぼしていた。


「終わり、です」


 一言、絞り出した声と共に、光が霧散する。

 光が消えたあと残ったのは、虫の音色と火の粉の音、そして。

 満足げに寝息を立てるウィッシュトティアとキノンの姿がそこにはあった。







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