1.退職
「アミリア! またお前は! 何度言ったらわかるんだ!! こんな簡単なことに何時間掛けたんだ! このノロマ!」
婚約者であるアレン・クロフォード様からの強い叱責が今日も飛んできた。
ところで、いつになったらちゃんと名前を呼んで頂けるのでしょうかアレン様。
私の名前はアメリア・フォンテーヌですけどね。
まぁもう今更どっちでもよろしいです。
執務室に響き渡る彼の金切り声に、周りの者たちが慣れた様子で、そそくさと現場から離れていく。
何時間って、まだ一時間も経ってませんけどね。
そもそもあなたの作った書類が毎回計算ミスや、誤字ばかりでそれを修正しているから時間が掛かってるんですが……
逆らえばまたグチグチと長いので、ここは謝っておきましょうかね。
「申し訳ございませんでしたアレン様」
私は面倒なのでいつものように直ぐに謝罪の言葉を口にした。
いつからだろう?「私の名前は『アミリア』では御座いません『アメリア』です」とアレン様に否定しなくなったのは?
いつからだろう?「アレン様の書類にミスがありましたよ?」と彼に指摘しなくなったのは?
いつからだろう? 彼の叱責や罵倒、私を見下した言動や扱いに、痛さも辛さも感じなくなり、涙が出なくなったのは?
「どうせまた何処かでくだらない噂話を、その辺の下級民族としていたんだろ」
下級民族って……
相変わらずプライドだけは天下一品で御座いますね。
「すみません、お待たせして。こちらが出来上がった今月の会計報告書と収益をまとめたものです。別添に先月までの推移をグラフにした集計表をつけております」
「まったく仕事は遅いし愛想はないわ、器量も普通。本当に取り柄のない女よ。俺の婚約者ならもっとちゃんとしてくれよ。俺に恥をかかすな! この愚図が!」
はいはい。この状況で何で貴方に愛想まで振りまかないといけないのよ。
「おい、俺の話を聞いていたのか? なんだその生意気な態度は! 不細工なんだからせめて少しくらいは愛想よくしたらどうだ。総務の受付けにいるミレーヌ嬢をちょっとはお前も見習ってみろ。いつも明るく笑顔が可愛らしく、だから皆がいきいきと仕事をしているというのに…何で俺だけこんな陰気臭い女と……」
いや、別に私だって好きで貴方の秘書をしているわけじゃないんですよ?
とてもご親切な貴方のお父上の計らいで、婚約者ならと私が配属されただけで、別に私は何処の部署でも全然構わないんですが?
寧ろ、出来ることならその可愛い子ちゃん、ミレーヌさん? とおっしゃったかしら? その方と交換して頂いても構わないんですけどねぇ。
まだ続けるの? この話。
謝りましたよねぇ私?
それなら、ミレーヌさんと替えてってお父上にでもお願いしたらどうですか?
そんな私の冷ややかな視線に気づくこともなく、アレンはつらつらと私の欠点をあげつらい、最後にこう締めくくった。
「こんな調子じゃ、次期クロフォード子爵夫人は務まらんぞ。これ以上、俺の足を引っ張るなら、お前のような使えない女は我が家にもこの部署にも不要だ!」
……おや?
今、なんと言いました?
「不要」? 「夫人は務まらない」?
──その言葉に、私の頭の中でプチンと何かが切れる音がした。
彼にとっては、いつものように私を脅して、もっと従順にさせるための言葉だったのかもしれない。
けれど私にとっては、まるで頭上に極上の雷が落ちてきたかのような、素晴らしい天啓だった。
ストン、と胸のつかえが落ちた。同時に「じゃあ、やめます」というハッピーな結論が爆誕した。
「分かりました。それなら結構です」
「は?」
私の返事が予想外だったのか、アレンが間抜けに口を半開きにする。
私はすかさず彼に一歩近づき、満面の笑みを浮かべた。
「私の仕事ぶりも、私の愛想のなさも、ご不満だったのでしょう? そこまで言われて居座るほど、私も厚顔無恥ではありませんわ」
「いや、何も、俺はそこまで言って――」
「このお仕事、今この瞬間をもちまして辞めさせていただきます! あと、婚約も白紙にしましょう!」
「はぁ!? 今何と言った? おまっ、お前、急に何を言っているんだ!!」
「分かりました。と申し上げました。今までお世話になりました」
「はぁぁぁあ!? お前、何を言っているんだ! 馬鹿も休み休み言え!」
まぁまぁ、ご子爵令息ともあろう御方が、大きなお口を開けてそのような振る舞い。みっともないですわよ?
下級民族ですが、貴方のような虫けらと、これ以上一緒にいるよりは、一人で生きていくほうが100万倍マシでございますわ。
あ、失礼。100万は貴方は分からないわね。
執務室の奥の間にまで響き渡るアレンのうろたえた声と、その顔に周りの職員たちが一斉にこちらを見るが、知ったことか。
「貴方のご所望通り、不要品の私は出て行きますね。次期子爵夫人には、ぜひともお望み通りの『華やかで愛想がよくて、男の心を掴むのが上手な女性』をお迎えください。それでは、ごきげんよう!」
私は、優雅ににっこり微笑んで腰を下げ脚を引き、令嬢スタイルの挨拶を彼にして差し上げた。
「お、おっ、おい待て! アミリア!!」
「あ、ご安心くださいませ叔父のフォンテーヌ伯爵様には今回の婚約破棄については双方話し合った上で決めたことと私からお伝えしますので」
「なっ、何も、お、お前、別にだな、婚約破棄までしなくてもだな……仕事は出来なくても覚えていけばよいのだし……」
はぁ? あんたが欲しいのは叔父の伯爵様の後押しだけでしょう。
「正式な書類は後日、仲人のフォンテーヌ伯爵よりお送りします。それではお元気で」
「おっ、おい待て、待てってば! 話を聞かぬか! アミリア!」
背後から上がる焦った声を華麗にスルーし、私は私物をまとめたバッグを引っ掴んで、走って執務室を飛び出した。
◇
「ハァハァ………言った! ついに言ってやったわ!」
なんでもっと早く言い出さなかったんだろう?
彼のことが好きだったから?
最初は少しばかり愛情のようなものもあったのかもしれない。
だが、徐々に彼の本性が見えてきてから、そんな気持ちは薄れていった。
彼が求めていたのは「私」ではなく伯爵家との縁と、自分の仕事を押し付けられる奴隷のような存在。
逃げるように彼の執務室を出てきた私は、雨の日も風の日も働き続けた王宮の執務棟を眺める。
気づけば、止めどなく涙が溢れ落ちていた──
彼と別れたことが辛かったのではない。
誰か一人にでも私の存在を認めて欲しかった。
「よく頑張ったね」とたった一言、言って欲しかった。
大雨が降りしきる中、私は涙をごまかすように走って王宮を出た。
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