第六話:崩れゆく帝国
まだ太陽が昇りきらない時間帯、佐藤は布団に潜りながらスマホを見て青ざめていた。
《【炎上】物流倉庫の責任者、熱中症の派遣を“コンテナに放置”指示》
《労基署、緊急調査へ》
《SNSで拡散中:#派遣は消耗品 》
ニュースアプリを開くたび、自分の名前が画面に踊る。
「……なんで……なんでこうなるんだよ……」
汗と冷や汗が混じった匂いが、狭いワンルームに満ちた。昨夜、鉄パイプを素手で止められ、「俺の顔を忘れたか」と問うたあの男の無機質な瞳が脳裏に焼き付いて離れない。だが、それ以上に現実が彼を追い詰めていた。
『救急車なんか呼んだら稼働止まるだろ? 裏のコンテナに転がしとけ』
画面の中で再生される自分の醜悪な声。
「や、やめろ……もうやめてくれ……!」
佐藤がスマホに向かって叫んだその時――。
ドンドンッ!
玄関が激しく叩かれた。
恐怖に顔を引き攣らせながらドアを開けると、そこに立っていたのは無表情なスーツ姿の二人の男だった。
「……帝国運輸、コンプライアンス部の島田だ。佐藤君、お話、伺えるかな」
佐藤の喉がつまる音がした。帝国運輸――彼がこれまで「数字を合わせる」ことで、その利権を守り、忠誠を誓ってきた物流業界の巨人。
「わ、私は……私はただ、現場の稼働を維持するために、上の指示通りに……!」
「……指示? そんな記録はどこにもない。派遣元であるパルソナ社からも、正式に抗議が入っている。……佐藤君。我が社は、君のような反社会的な言動を繰り返す人物に、現場を任せるつもりはない。今回の件、すべては君の独断による逸脱行為。……そうだな?」
男の冷徹な一言に、佐藤は悟った。自分は帝国を守る兵士ではなく、ただの「消耗品」として捨てられたのだと。
その光景を、アパートの廊下の隅で鈴木は眺めていた。
スキル『気配遮断』。
帝国運輸の社員たちも、腰を抜かして震え始めた佐藤も、目の前に「処刑人」が立っていることに気づかない。
(……いい顔だ、佐藤さん。あんたが大好きだった『自己責任』を、今度はあんた自身が、その身で味わう番だ)
世界は奇妙な沈黙に包まれていた。
午前九時。本来なら、昨夜の事件がワイドショーのトップを飾っているはずの時間だ。しかし、液晶画面の中でキャスターが読み上げるのは、パンダの赤ちゃんの誕生と、遠く離れた異国の政情不安。そして、合間に流れるのはパルソナの爽やかな企業CM。
大手広告代理店を通じて各局に回された「お願い」という名の圧力。巨大なスポンサーを敵に回す度胸など、今のメディアにはない。
だが、その「不自然な沈黙」こそが、最高のガソリンとなった。
「マスゴミ得意の報道しない自由かよ」
「#パルソナ #帝国運輸 #コンテナ放置 案の定、トレンドから消されたぞ」
「消せば増える。ネットの基本だろ」
鈴木の配信は、地下水脈のように広がっていた。
大学生のグループチャット、深夜明けのトラック運転手、そして、日雇い派遣たちが匿名BBSやSNS。拡散の主役は、エリートではない。日々、社会の「歯車」として削り取られている、持たざる者たちだ。
【悲報】大手、報道規制で逃げ切りを図る【拡散希望】
そんなスレッドが立つたび、ネットの熱量は跳ね上がる。
佐藤の暴言、錆びついたコンテナの扉、そして、その場に立ち尽くす派遣社員たちの虚ろな目。視聴者たちは自分たちの日常にある理不尽をそこに投影した。
「これは、俺のことだ」
「私の弟も、あんな風に使い潰された」
共感は怒りへと変わり、行動へと変質する。
午前十時。パルソナ本社、そして帝国運輸の広報部の電話が鳴り止まなくなった。
「はい、広報部です――。……ええ、ネットの動画につきましては事実を確認中……。ですから、個別の事案については……。あ、お待ちください! 切らないで――」
若手社員が悲鳴に近い声を上げ、受話器を置く。だが、置いた瞬間に次のランプが点滅する。抗議はもはや止まらない。
その怒涛の攻勢を、鈴木は本社ビル向かいのカフェから眺めていた。
(テレビが黙れば黙るほど、疑惑は真実に変わる。新聞が伏せれば伏せるほど、噂は伝説になる)
鈴木は、最後の一口のコーヒーを飲み干した。
世論という名の巨大な怪物が、ゆっくりと、しかし確実に巨大な帝国へと向かって歩き始めている。
「さあ、掃除を続けようか」
鈴木はスマホをポケットにしまい、逃げ場を失い始めた高層ビルを見上げた。




