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星の守り人  作者: quo


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砂漠の影

鐘が鳴っている。

けたたましくもなく重くもなく。ただその音は空気を渡っている。


家の中から人々が慎重に扉を開き、何もないことを知ると表に出てきた。

男達が帰ってきた。甲冑は着たまま、うなだれている。ほんの一時であるが再会を喜ぶ人々の声が聞こえる。しかし、数人の者は愛する者の名を呼びながら彷徨っている。


マリエルとシアンは、その光景を窓の隙間からのぞいていた。

シアンが様子を見に行くと言って下階に下りると、主人が入口で腕組みをして外を見ている。何事かとシアンが問うと、首都の防備に数人があてられたと答えた。


「戦争じゃなさそうだ。隣のヘルケンが帰ってきていない。あいつは見た目も腕っぷしもいいからな」


そう言うと、よそ者はまだ宿を出ない方がいいと言って、堅パンと牛の乳を渡した。朝食を求めて食堂や市にも行けない。そういうことだとシアンは思った。

シアンがゆっくりと階段を昇る。彼女は主人の言葉の意味を考える。


精強な軍隊を見せつける。来訪者に。


考えを巡らせていると、部屋の前に着いてしまった。彼女は深呼吸して扉を開ける。

そこには窓を大きく開け放って空を見つめているマリエルがいた。

空は遠くまで青いが、その先にある湧き立つ雲は厚い。


「雨。恵みにならない雨」


振り返りざまにマリエルが言う。シアンはテーブルに堅パンと牛の乳を置いた。


「雨ですか。恵みにならないのなら、すぐにここを出ましょう」


マリエルは何も言わずに堅パンを手に取る。

そして、口に放り込む。


「誰か来る。ここにいても外に出ても」


堅パンにむせたマリエルは一気に牛の乳を飲む。彼女は飲み終えるとこれは嫌いだと言った。

シアンがナギルナ地方では、よく飲まれるものだというと、ため息をついた。


ため息の理由が分からないシアンは、袋から砂を取り出すとテーブルに撒いた。

主人の厚意で用意された堅パンにそれが振りかかる。唖然とするマリエルを横に、シアンが手をかざすと高く低くうねり、砂は地形を形作る。


「一帯の地図です。ここがナスリード国。いま、私たちはこの外れにある街にいます。そこから谷沿いを行けば我が|故郷《く輜重です」


シアンは砂の地図をなぞり、マリエルは堅パンについた砂を払う。


「でも、道は険しい。そうでしょう」


マリエルの言葉にシアンは頷く。確かに地図で見る限り、大きな山に囲まれ深く、曲がりくねり、滝と思しき地形を渡らなければならない。その道は、いくつかの山の民の故郷につながる道でも、ほとんどの者が使わない。多少、迂回しても平野を進んで反対から入った方がいい。それは、誰の目から見ても明らかだ。


「今のマリエル様なら問題ないかと思われますが」


「今の私?」


マリエルはシアンの言葉に虚空を見つめる。

沈黙が流れる。何もない空間に放り込まれたような感覚がシアンを襲う。何かにゆっくりと沈む感覚。


いけない。


シアンが抜け出そうと大地の精霊を呼び出し、助けを求めようとした瞬間、部屋に風が流れ込む。すると、マリエルが目覚めたように大きく伸びをした。


「うーん。なんだか山道は嫌い。草原を行きたいな。緑と土の匂いが混ざっている」


見たことがあるようなことを言うマリエルに、シアンは唖然とする。そして、呼び出そうとしていた大地の精霊は小さくなってひれ伏している。

シアンは、また窓の外に目を向けるマリエルを見つめるだけだった。


***


砂塵舞う。


大地と風が暴れだす。砂に打たれ風に押され、人の歩みを遅くする。

しかし、獅子の周りだけは風が凪ぎ、砂は地にひれ伏す。


「殿下。ハーリド殿下」


老兵、アリムは進軍を休止することを提案した。

ハーリドが振りむくと、精鋭の「教導兵団」の十人はハーリドと同じく吹き上がる砂塵をものともしていない。だが、輜重隊(しちょうたい)の者達、文官は歩みが重い。


アリムは近くの岩場に行くことを提案した。そこには彼らの先人が残した砦があった。今は訓練にしか使っていないし、老朽化で取り壊しが決定している。

ハーリドは頷くと、一行は砦に向かった。


砦に名はない。強いて言えば「訓練の砦」と言われている。

砂漠の民が争いに明け暮れていた時代に造られたものだと言われている。言われているというのも、争いの時代に読み書きが出来る者は少なく、記録が残っていない。場所から推定して、その先の平野への中継地点だと考えられている。


「荷を下ろせ。手のすいたものから休め。水は次の補給地まで大切にせよ」


アリムが事細かに指示をしている。

彼は若い時代に、ナギルナ地方の紛争で勇名をはせた。それは、彼自身の腕もそうだが、部隊運用に秀でたところにもあった。補給線に気を配り、兵の損耗を減らせるなら引き、機を見極めれば命を顧みず敵軍に一撃を加える。ナギルナ国の王が最も信頼する者の一人だ。その老兵アリムがハーリドの麾下にいる。


「殿下。ここで野営をしましょう。この風は当分、止みますまい」


天井から砂が忍び込み、木の窓は風に叩かれている。

ハーリドは任せると言って外に出た。


彼は風を押しのけ、砦を一望する。

近づくと壁に手をあてる。花崗岩を精密に組み合わせて造られた壁。そこには鉄杭で穿かれた傷がある。

風が落ち着き始め、砂が地に落ちてゆく。

彼が見上げると、傷だらけの砦は疲れ果て、膝をついた兵士のように見えた。


「ここにおられましたか」


ムザックが声をかける。褐色の肌と黒ひげの細身の男。目にはいつも思索が宿っている。


「私の見立てでは百年前の東方遠征の中継地点だったもの。当然、歴史にあるように、我が国が押されていた時期があった。つまりは、ここも最前線となったのでしょうな」


整えた顎髭を慎重に撫でながら、学者風に言う。

ハーリドは彼を見ずに言う。


「我が国と言ったな。我々が国を名乗ってどれくらいだ」


ムザックは答えない。


「戦いの歴史。戦いの民。砂の大地。砂の民」


ハーリドは振り返って言った。彼の獅子の瞳は揺らいでいる。

それは、学者が操る言葉の外にある。


「飯だ。たらふく食っておけ」


彼はそう言って砦の中に戻った。

ムザックは砦を見上げる。風が止んでいる。辺りに水の香りが立ち込めていた。


***


さて、どうしたものか。


シアンが街を出ようと考えている。隣ではマリエルが荷物を整え、いつでも出発できるようにしている。

ナスリード国の首都に近い街。物があふれ街道にも近い。それが裏目に出ている。検問が厳しいのだ。


夜に乗じて検問所を突破するか。


シアンの頭の中には犠牲になる衛兵のことなどなかった。あるのはマリエルの無事な姿。そして、彼女からお褒めの言葉を賜る自分の姿だけだ。

邪悪が染み出しているシアンの姿にマリエルはうんざり顔だ。一度に何人相手に出来るか指折り数えているシアンを横目に、マリエルは下階におりて宿の主人を探した。カウンターにいないのを確認すると、奥に入っていく。とうに戒厳令が解かれたというのに、通路の窓は閉められ暗い。


違う。窓に板が打ち付けてあるんだ。


マリエルがそっと板に触ると、釘の頭が出ている。それに錆はないが、急いで打ったのか曲がっているものがほとんどだ。彼女がそれを見ていると声がした。女の声だ。


「嬢ちゃん。こっちは厠じゃないよ」


主人の妻だ。恰幅のいい体。宿に来た時、廊下を掃除していた。その時の柔和な匂いはしない。


「ここ、外に通じているんでしょ。お礼もしますし誰にも言いません」


主人の妻。女の顔ではなくなる。それは戦う人間の顔だ。

女はマリエルを睨みつけると、なぜ分かったのかと聞いた。すると、マリエルは風の匂いがしたと答えた。


「濁っているけど、ちょっと綺麗な匂いがしたの。外の森の匂いと一緒の匂いだと思う」


女はその言葉に驚く。だが、それは一瞬だけだった。背後に忍び寄る男が縄をもって彼女に近づこうとしている。その縄がマリエルにかけられようとしたとき、男は激しく石を打つような音と共に倒れマリエルを押しつぶした。


「私のマリエル様をどうするつもりだ。この山の民、シアンはこの宿を地中に沈めるなど簡単なこと」


マリエルは男の下敷きになりながら思った。男を早くどかしてほしいと。


***


「マリエル様は甘いのです。ご命令いただければ、この者達を石臼にかえてお見せしますのに」


マリエルはシアンの言葉を無視して、男の頭に手をあて治癒の奇跡を施している。

宿の主人は感謝し、妻は憮然としてシアンを睨みつけている。

男の傷が癒えると、主人の妻が礼だと言い、マリエルだけに茶を出した。ふくよかな緑の香りがする。わずかに差し込む日の光の中でも、澄んだ緑は見る者を癒す。東方の国でつくられる珍しいお茶だそうだ。マリエルはゆっくりとそれを口に運んだ。


男の名はヘルケン。首都から帰ってきていないはずの男だ。主人は腕組みをして唸り、妻とヘルケンに目配せをする。二人は仕方ないという顔を返した。


「マリエルさんを傷つけるつもりはなかったんだ。申し訳ない。だが、事が事だったから、落ち着くまで倉庫にいてもらおうかと思ったんだ。本当にすまない」


主人が言うには、マリエルが言う通り、地下水路をたどって外に出られるそうだ。ヘルケンは首都の防衛隊を抜け出し、街の人々に首都の様子を伝えに来た。居なくなっていることは同郷の者達が隠している。だが、それは一日二日が限度だ。


「もう戻れ」


主人は倉庫の奥に積み上げられた木箱をどかすと、床の石の一つに体重をかけた。

静かで重い音が響き渡る。現れたのは、人が一人、やっと通れるような穴だ。そこをヘルケンは四苦八苦しながら地下水路に下りて行った。


「別に王にあらがうつもりはないんだが、如何せん、王は秘密が大好きでな。しかも、あの性格だ。義だのなんだのと、すぐに剣をとりたがる。王を諫めるのが、民の務めと言うもの」


マリエルには理解できなかった。聖王国でもそうだった。王は絶対の存在。王が民を導く。だが、ここでは違う。不思議そうな顔をするマリエルに、主人は苦笑いをする。「色々な国がある。それだけだ」と言いながら。そして、隠し通路は使わせない。代わりに手をまわして検問所を通させると言った。


「あんたらは外の人間だ。この国のことに口出しは無用。だからとっとと出ていきな。夜の散歩にゃ不向きな街だ」


『土食う人』との密会の話をにおわせる。

シアンは主人の言葉を聞いて鼻で笑う。

壁、床、天井。小さいが悲鳴のような音がし始める。マリエルが止めるように言うが、シアンは耳を貸さない。山の民はナギルナ地方で、常に敬意を払われる存在。その山の民を脅す者に容赦はしない。彼女はそう思っている、ごく一部の山の民だ。


「分かった分かった。だから宿をつぶさないでくれ」


「検問所の件、早々に手配を。そして聞こう。王を諫めるようなことやらを」


主人は苦虫を噛みつぶしたような顔になったが、マリエルの申し訳なさそうな顔と、茶を大事そうに飲んでいる姿を見て、「仕方ない」と言ってマリエルに話し始めた。



夜も明けきっていない時刻にナギルナ国の使者が現れた。

内容を見た宰相は軍に非常呼集をかけ、主要な街から兵を集めた。それから全土に呼集が掛けられるかと思われたが、ヘルケンのような精鋭と言えるような者だけが首都に残された。


「ヘルケンが持ち帰った話じゃ、ナギルナ国のハーリド皇子が軍を伴って国を出たそうだ」


それから近隣諸国の外交特務員達が情報交換をしあって分かったのは、伴っているのは直属の「教導兵団」の一部だけ。目的は「通行を妨げない」。それだけだった。


「意図は分からんし、国書の内容を見たわけじゃない。首都は落ち着いているそうだ。王は威厳をもって出迎えるつもりだろう」


そう言って床に溜まった砂を足で掃く。浮かない顔で。

シアンが皇子と教導団の居場所を聞くが、分からないという。彼女は慎重に行動しなければと考える。ナギルナ国の皇子と鉢合わせになって、争い事に巻き込まれてはならない。


やはり、谷を行くか。


シアンはマリエルを見る。彼女はお茶の最後の一口を飲み干し、残り香を楽しんでいる。

ふと、抱いていたシアンに寄りかかった。そして彼女を見上げる。マリエルの瞳。草原のような優しい緑を映している。

彼女はシアンに、街を出ようと言った。その言葉にシアンは頷く。


「セフィルの邪魔はしない。雨も降らせない」


マリエルは茶の礼を言うと、部屋に戻った。

薄暗い部屋。差し込む光は薄い。だが、茶の緑の香りはむせ返るほどに漂っている。


***


風が運ぶ水匂い。増していた。

広大な大地。幾年月も乾いた砂地は、大口を開けて天からの水、風が運ぶ水、全ての水を待ち構えている。


アリムと十人の兵士は戦いの装備を整える。

一人が砦の屋上に立ち遠くに目を凝らす。地平には何もない。しかし、彼は風に打たれながら、黒い影の塊が近付いていると報告した。アリムはそれを聞き、「早かった」とだけ呟いた。それを聞いた兵達は無言でいる。ムザックは髭を撫で、ハーリドは広げられた地図に目を落としている。


既に日は沈み、蝋燭の光だけが部屋を照らす。

忍び込んだ風に灯りが揺らめく。


「黒き影。どこに向かう」


獅子の目がアリムに向けられる。彼は地図を指さす。それは平原をなぞり、セルドガ国。そして、レーベン平野を行く。指はぴたりと止まり、また動き出しレーベン平野を行く。その先にあるのは、長年にわたり対峙してきた国の一部。


「討つならば?」


「ここでございましょう」


獅子の問いにアリムが指さす。そこには山の民の国への入口。使われることのない谷の入口。


「ちょうどいい。ナスリード国に入る。背後を固め、谷に押し込める」


彼は頷きムザックに目配せをすると、準備に取り掛かると言って輜重隊の待機部屋に行った。

兵達も守りと監視の配置につく。アリムも席を立とうとするが、ハーリドが引き留めた。


「何人死ぬ」


獅子の目に映る蝋燭の灯り。風に揺らいでいる。

アリムは老兵のみと答えると部屋をあとにした。残ったハーリドは地図を見つめる。やがて固く目を閉じる。風の音が増す。風が蝋燭の火を消した。暗闇の中、彼は目を閉じ続けた。

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