人質
階段は幅が広く天井は高い。あの部屋は侵入者を迎え撃つのに作られたのだろう。あの文様が刻まれた石のタイルで魔法を無力化して、あとは化け物に始末させる。マリエルは、ルナヴェールの言葉の意味が分かった。結局は王へ会わせると言事が空文言で、ルナヴェールが亡き者にして森を支配するつもりだった。王城にはそれが出来る場所があるから、わざわざテラスから入るように言ったのだ。
「魔族だからと言うわけではない。人間だってこの位の事はするさ」
ルナヴェールの言葉にマリエルは、思わず人間はそんなことはしないと言いそうになったが、故郷で村長が語る、人の争いの歴史を思い出すと何も言えなくなった。階段のを上がりきると豪華な部屋に出た。大きなテーブルに正面には白いひげを蓄えた、赤黒い肌の魔族が座っている。傍らには魔族の高位の文官らしき者が控えている。
「何かの手違いがあったようだ。謝罪しよう。」
そして、ルナヴェールに用件を尋ねた。彼女は勧められてもいないのに椅子に座ると、領主の契約違反と先ほどの襲撃を受けた事の報復に、この国の半分を焼くと言った。マリエルは契約違反はどっちもどっちだと思った。
魔族の王は文官と小声で話すと、今後、三百年は森のに手を出さない証として、王族の血を引く者を、ルナヴェールに差し出すと言った。マリエルは屋敷で魔族と一緒に暮らすのは御免だし、瘴気を濃くするだけで撃退出来るのだから必要ないと思った。しかし、王が自らの血族を人質に差し出すほど、ルナヴェールは脅威に感じたのだろう。
部屋には衛兵は居ない。おそらく無駄だと考えたのか。もしかすると、襲ってきた連中がこの国で一番の魔族だったのかもしれない。だとすればこの国は丸裸も同然。マリエルはルナヴェールを見た。金色の瞳は全く色褪せない。確かに国の半分ぐらいは焼くことが出来るのではと思った。
「聖王国が遺跡を発掘して周っている様だが、目的を知っているか。」
ルナヴェールが問うと魔族の王は首を横に振った。聖王国側は散らばる魔族の集落を襲っているが、不作の原因を魔族になすりつけているのはいつもの事だ。しかし、中には遺跡調査と思しき連中が駐留することがある。そして魔族の王は、国に帰属しない連中の事で手は出さないが、いつ宣戦布告されてもいいように軍備を増強していると語った。
魔族の王は淡々としゃべっている。怒りも憎しみもなく。彼らは長命種である事が多い。長く生きれば人間の行動にたいして、「またか」程度しか思わない。マリエルは魔族と人間が分かり合えない原因の一つに寿命の差があるのかもしれないと思った。
魔族にしてみれば、彼らの寿命の中で人間は何回も過ちを起こす。人間は死を恐れるが、魔族はそれを死を遠ざけている。見た目と相まって畏怖の対象としか見ないのだろう。
「遺跡には近づくな。手を出したらこの国の残りの半分を焼く」
魔族の王は遺跡の事など興味はない。だから手を出さないと言った。マリエルは何かあればこの国は焼け野原になるのだと思った。
短かったが魔族の王との会談が終了し、そそくさと王は退出した。文官の一人が差し出す者はすぐに支度させると言った。ルナヴェールはこの辺に遺跡があるので見行くと言って立ち上がった。
「すぐに帰ってくる。その間、こいつを置いておくから大人しくしてるんだ。」
「それから、面は取っちゃだめよ。」
そう言うとルナヴェールの纏っていた服が脱げ落ち、あの黒猫になった。ルナヴェールは部屋のテラスに出ると風を呼んでどこかに消えてしまった。部屋にはマリエルだけになった。大きなテーブルを前に椅子に座るとお茶が運ばれきた。
喉が渇いていたので飲みたかったが毒が入っているかもしれない。どうしようかと思っていると、黒猫が飲み始めた。舌で掬うのではなく両手でカップを器用に持って飲んでいる。とりあえず安全そうなのでマリエルも飲もうとカップに口を付けようとしたが、面が邪魔をして飲めない。空気は吸えるけど何もそれ以外は通さないようだ。
マリエルは美味しそうにお茶を飲んでいる黒猫を横目にカップを置くと、いきなり部屋の扉が開いて誰か入ってきた。領主の屋敷にいた白い魔族の女とそっくりだ。長い髪は後ろで束ねられ、美麗で騎士が着るような服を着ている。違うのは目が深い青で金色が差している。マリエルに近づくと見降ろして、お前が魔女かと言った。違うのは目だけではなく、牙がある事もだ。
マリエルは自分は魔女ではないと言い、魔女は用事があって不在だと言った。お茶を飲み終わった黒猫の首根っこを掴み、願わくばこの魔族が手を出す前に黒猫に助けてもらいたいと無理やり膝に乗せた。魔族の女は黒猫を見ると、舌打ちをした。どうやらこの黒猫は魔族にとって厄介な存在らしい。
「では、お前は何なんだ。奇妙な面を着けて。祭りであるのか?」
失礼な言いぐさだ。しかも終始、見下すように立ってマリエルに物を言う。だが、マリエルはルナヴェールの何なのかと問われると答えるのに窮した。成り行きで所有物になったが、自らそう名乗るのはみじめだ。それに、目の前の魔族から、笑われるのではないかと思った。
しかたないので、無視して反対に魔族に何の用かと尋ねた。
「魔女の人質に出された。あの領主が王に要らない事を吹き込んだばっかりに、国の最後の守り手が全滅した。」
いい迷惑だと言うと、魔女の目を盗んで逃げるつもりだと言った。そして、この街が半分焼かれても知った事ではないと言い、マリエルも手伝ってくれれば、一緒に連れて逃げてやると誘ってきた。
「お前がどういう立場かは知らんが、近しいのだろう。私は国で一番強い。下の連中は魔法に頼り過ぎだ。実戦経験もない。」
「お前が時間稼ぎをしている間に私が逃げる。魔女が私を追っている間にお前が逃げる。完璧だろう。」
マリエルは面を通して魔族の女を通してみていたが、「一緒に逃げる」と言った瞬間、顔に黒い靄がかかったように見えた。
この魔族は嘘をついていのか。面の力なら便利なものだ。
なんのせよマリエルはこの魔族の女を信じてはいない。彼女はルナヴェールの恐ろしさを分かっていない。わざわざ街に火を放ちに来ているようなものだ。魔族の王は何を考えているのか。
それに作戦が雑だ。私は時間稼ぎにはならいし、この膝の上の黒猫はルナヴェールが帰ってくれば聞いていたことを全部話す。この魔族の女はルナヴェールが帰ってきたら一瞬で灰になる。
マリエルはかわいそうにと思いながら、なにも答えずに黒猫を撫でていた。魔族の女は相変わらずマリエルを見下ろしている。暫しの沈黙の後、突風が窓を割れそうなくらい叩くと、ルナヴェールのが帰ってきた。魔族の女はルナヴェールに正対すると、目でマリエルに合図をするがマリエルは無視をしていた。
黒猫が膝から飛び降りルナヴェールの服になると、やはり何かを耳元でささやいている。魔族の女は、しまったという顔をした瞬間、ルナヴェールの力で壁に叩きつけられ床に倒れ込んだ。ぐったりとして動かなくなっているが、どうやら生きてはいる様だ。
「頭が悪そうだが使いようだね。」
そして担ぎ上げると帰るぞと言い、また風を呼んで屋敷へ飛んだ。




