8話 父の死にざま
普通のコーラよりゼロコーラの方が美味いと思うようになりました。
「そろそろ出発するか?」
朝食後、俺は、火の始末をすると、上から腐葉土をかけ周囲と慣らして焚火の痕を消した。また丹念に辺りを見渡し、テントの跡から足跡、昨晩、女が潜んでいた繁みも整えて自然な状態に戻した。ここに人がいたという痕跡を徹底的に消した。
「そこまでする必要がありますの?」
女は不思議そうに俺のすることを見ていた。
「盗賊がここまで追ってこないとは限らないだろ?」
そう言われて、女はハッとする。
女にどれだけの価値があるかは判らないが、盗賊にしても、逃げられたのだから業腹だろう。用心に越したことはない。
そして不用意に物証を残さぬよう、気を付けて川辺までいくと、一旦、岸の向こう側へ渡ってから『深い森』を目指して歩いた。
狩人は、ユレイブの街に近い森の入り口から(クスノキから南西に徒歩で半日ほど行った場所にある)湿地帯までの森の南側を『浅い森』と呼び、それより北側、山岳地帯を中心とした森を『深い森』とした。
『浅い森』は、地形はほぼ平坦で、魔物より普通の動物の方が多く生息している。また魔物もあまり強くはなく、狩人にとっては安全に狩りが出来る場所であった。
逆に『深い森』は山であり、クスノキ付近から上流へ向かってずっと登りになっている。知恵のある魔物はテリトリーを持ち、そこに彼らなりの社会を築いていた。また魔獣地帯には強力な魔物が弱肉強食の世界を繰り広げており、黒龍の巣を頂きとした山岳地帯には天下無敵の竜種が巣くっていた。
『深い森』の入口とも言えるこの辺りはまだまだ傾斜は緩やかだったが、それでも、ふかふかの絨毯の上か、悪くて街の石畳ぐらいしか歩いたことのない貴族令嬢には、かなり堪えたようで、昼過ぎには肩で大きく息をしていた。
「ちょっと休むか?」
女は体力を使い果たしたように、その場に座り込んだ。
「おい、不用意に座るな!」
女は慌てて立ち上がった。
「疲れたんなら、水でも飲んで来い。水浴びしても構わないぞ。それから靴は置いてけ」
女は頷いて靴を脱ぐと、すぐ傍を流れる川へ向かった。女は今朝からかなり素直であった。疲れ果ててしまえば、貴族も何もあったものではないのだろう。
女を見送った俺は、近くの倒木に腰かけると、女の靴を手に取る。
素材は牛革だろう。先の尖ったやたらレースが目立つ白い靴だった。ヒールベースは広めだが、靴底に滑り止めはなくツルツルとしていた。これではさすがに歩きにくいことも判る。山小屋までの行程を考えると、このままでは頓挫しそうな気配があった。これから最低三日半は歩かなければならない。しかもこれから、どんどん道は険しくなる一方だ。
俺は『魔法の袋』から、女にサイズが合いそうな狩人のブーツを取り出した。素材はマッシュブル(森の浅い位置にある湿地帯に生息する水牛の魔物)である。以前、俺が履いていたものだった。ついでに子供の頃に使っていた羊革のパンツやフォレストディアの上着やグローブ、そして防具としてはかなり上質とも言えるデザートリザードのベストも出した。すべて父に揃えてもらった懐かしい品ばかりだ。子供にしては高級なものだったが、その辺、父は過保護だった。
ちなみに、今の俺のブーツは、父が竜王山の麓で狩った希少魔物であるニジイロスネークの革だ。「襲ってきたので、つい反射で殺してしまった」と父は悔いていたが、その後はすっかり忘れていた。そして、父の死をユレイブの街に知らせに戻った時、「親父さんから頼まれていたものだ」と街の防具屋である父の友人から渡されたのである。歩き易く丈夫で、何らかの加護のようなものまで感じる。ただ残念なのは、普段は黒だが、光が当たると名前の通り、七色にキラキラ光る。森を歩くと目立って仕方がない。父の形見の一つであり、手放すわけにも、使わないわけにもいかず、結局、スノーラビットの毛皮で作ったレッグウオーマーで隠していた。またパンツ、上着、戦闘用のグローブは、すべて、父の命を奪ったロイヤルディアの革を使っていた。また防具である狩人のベストの素材は父と共に倒したワイバーンであった。そして、これは、魔法の袋同様に秘密にしていることだが、ベストの胸部分と両肩の内部には、山岳地帯最強のドラゴンと謳われる黒龍の鱗が仕込まれていた。
これは、父が黒龍の巣を発見し、三日三晩付きっ切りで巣を見張り、龍が寝ている隙をついて、生え変わりで抜け落ちた鱗を拾って来たものだった。黒龍にとってはゴミのようなものだが、話して判る相手ではない。巣に侵入したことが気づかれたなら、確実に殺されていただろう。
父は、俺が成人した記念にどうしても特別な物を贈りたかったのだそうだ。嬉しかったが、話を聞いているだけでヒヤヒヤした。ドラゴンの巣に潜り込むなど、正気の沙汰ではない。俺には、もう父しかいないのだから、危ないことはしないで欲しいと、父に泣いて頼んだ。
ところが、それまで全く苦戦らしい苦戦もしなかった父のお得意様であったロイヤルディアに、あっけなく殺されてしまうのだから、人生、判らないものである。
隙をつかれ、いつの間にか距離を詰められていた父は、マチェットを抜く間もなく、ロイヤルディアのツノに首を刺されてしまった。父の危機に、慌てて放った俺の矢は、一撃のもとロイヤルディアの心臓に打ち込まれたが、駆け寄った時には父はすでに絶命していた。即死だったようだ。
おそらく父には油断があった。ロイヤルディアはフォレストディアの倍の大きさがあり、強い魔物である。ユレイブの街でロイヤルディアを狩ってくる狩人は父しかいなかった。油断して良い敵ではなかったはずだった。
しかしドラゴンの隙を掻い潜って鱗を拾ってきた父は、浮かれているような妙な高揚感があった。だから猟に出る前、気が抜けているような……、燃え尽きてしまったような……。ロイヤルディアを見ても、少し物足りないような顔をしていた。
俺は父を見て育った。父のような強い狩人になりたかった。そして最後に、その死に様で――油断をすれば、人は簡単に死ぬのだ――と教えてくれた。
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