76話 なんでしょうか、この爽快感は!
今現在、わたくしは、肉屋に吊るされたハムのように、ロープに宙吊りにされております。何だか、辱めを受けているような気分です。熟成してしまいそうです。ハムもやはりこんな荒んだ気持ちで吊るされているのでしょうか。わたくしはまだ熟女になりたくありません。
やはりハーネスとわたくしの相性は最悪です。川を渡ってしまったら、この忌々しいハーネスは焼き払ってしまいましょう。
そして今やわたくしの相棒とも言える、『作業用ヘルメット』を深く冠り直した時でございました。ヘルメットの中に石か何か硬いものが挟まっているような違和感を覚えたのです。いつヘルメットの中に混入してしまったのか不思議ではございましたが、それを取り除こうとヘルメットに手を掛けた時でした。
「ギャーーーーーーーーー
いきなり背中を押されてしまいました。
こ、これは虐待と言って良いのではないでしょうか。貴族が夫人に暴力を振るったりすれば、王都貴婦人会が黙っておりませんわよ。クズ扱いされるどころの話ではありませんわ。
ーーーーーーーハハハハハハッ」
と思っていたのですが……。な、なんでしょうか、この爽快感は!
メチャメチャ楽しいです。まるで背に翼が生えたような気分です。実際に背中の羽がパタパタと動いているような気さえしています。鳥にでもなったかのような心地よい気分でございました。このまま、いつまでも、どこまでも飛んでいきたい。そう思ったところが終点でございました。
あっと言う間でした。
終わってしまったことが少し残念とすら思いました。
その後、フォーリオ様は、ハーネスも滑車も使わず、そのままお猿のように渡って来られました。と思ったら、またオーガのテリトリーに戻っていきます。何だかお一人で楽しそうです。
「あなた様は、ハーネスも滑車も使わないのですね! しかも何度も……」
つい拗ねたように言ってしまいました。
ここで――爽快でございました――と言えてしまえば可愛らしいのかもしれませんが、今更、楽しかったとは恥ずかしくて言えません。所詮、わたくしは悪役令嬢なのです。
「もうここは魔獣エリアだ。油断するなよ」
ハーネスですが、フォーリオ様に素直に返却いたしました。
川から離れるとすぐに木立が見えてきましたが、鬱蒼とした森と言う感じではございません。枯れ木ばかりで、すこし不気味です。
フォーリオ様は、名工ダガンの槍をわたくしに手渡すと同時に、少し風変りなサーベルを取り出されました。
その時――。
「ゴ、ゴブリン!」
わたくしは魔物の気配を感じて、即座にダガンの槍を構えました。
「違う、グレムリンだ。5匹いる!」
……だそうです。
「どこが違うのでしょうか?」
「腰布がないだろ」
あぁー、なるほど、確かに衣類らしきものは何もありません。ゴブリンより脚は短く、長い腕を前でダラリと垂らして、猛スピードでこちらへ向かって来ています。
まるでチームのようにフォーメーションを組んでいます。頭も良いようです。どうやら狙いはわたくしのようです。ウルフ戦を経てからというもの、そういうのが判るようになりました。これが経験値というものなのでしょうか。
2匹のグレムリンが、上下に分かれ、爪を振るってきましたが、わたくしは動じません。なぜならフォーリオ様の刃が、すでに敵を捕らえていることが判っていたからです。
それよりもフォーリオ様が敢えて無視されたグレムリンの方です。慌てて方向を変え、矛先をフォーリオ様の背に換えたグレムリンの胸をダガンの名槍で貫きました。
槍先が触れた瞬間に僅かな抵抗を感じた後は、トゥーフーをフォークで突き刺した時のように槍先がグレムリンの体に吸い込まれていきます。さすがは金貨1000枚の名槍です。そこらの槍とは違いますね。
手前味噌にはなりますが、わたくしの戦闘能力もかなり向上したように思います。
自分でも不思議なのですが、敵の思惑、フォーリオ様の意図が、はっきり明確に掴めるのです。またこの旅で鍛えられたのか、腕力も上がったように思います。ふと自身の二の腕に触れると、以前までのプヨプヨした感触はなく、かなり筋肉質になっていました。ムフフ、カッコイイです。フォーリオ様はどちらがお好みなのでしょうか?
余りの速攻劇に、グレムリンは茫然としておりましたが、敵わないと思ったのか、そのまま逃げていきました。良い判断とは思いますが、少し残念に思っているわたくしがいます。
「追わないのですか?」
王都にいる頃のわたくしは暴力を好みませんでした。虫を殺すことさえ忌避していたぐらいです。ですが、今のわたくしは追ってでもグレムリンを殺したいという衝動に駆られております。
「追ってどうする? それより先を急ごう」
わたくしは、体の内側から沸いて来るような残虐性を、深呼吸をして抑えました。
「んっ、あれは?」
その時、わたくしは前方に奇妙なものを発見しました。アレは何でしょう……。まったく動きませんが、生物であることは判ります。ナナフシという虫のように見えますが、少し大きすぎるようにも思います。
「あー、トレントだな」
あれが噂にきくトレントとは……。
「トレントは一見して樹木にしか見えないと聞き及んでいましたが、まったく、全然、これっぽっちも樹木には見えませんね」
わたくしが目にするのは初めてですが、トレントは、サグランティーノ家にとっては身近な魔物でございました。サグランティーノ領の南西に位置する『北の森』に生息していて、――気づかずに側を通りかかって襲われた――という報告が年に数度あがってくるのです。完全に樹木と擬態しているとのことでしたが……。
「まあ、そう言ってやるな。あれで化けてるつもりなんだ」
フォーリオ様はそのままトレントとトレントの間を通り抜けようとしています。
「えっ? 大丈夫なのですか? 襲って来ないのですか?」
「化けてるのがバレたと思ったら、体を真っ赤にして襲ってくる。だから素知らぬ振りだ。――まったく気がついていませんよ――って顔で通ってあげような」
な、なんなんでしょうか? このトレントに対する慈愛心溢れる優しい眼差しは、その半分で良いので、わたくしに向けて欲しいものですが……。
「トレントには優しいのですね」
「害がないからな。だが普通のトレントと違って、イービルトレントは否応なく襲ってくるから間違えるなよ」
もしかすると『北の森』にいるトレントは、イービルトレントなのでしょうか。
トレントの傍を通り過ぎる時、何となく嘲笑されているような気がして、ちらりとトレントを見るとバッチリ目が合ってしまいました。もの凄く勝ち誇ったようなその目がイラっとします。もしグレムリンに囲まれていなければ、そのヒョロヒョロした細い枝を叩き折ってやりたいところなのですが……。
「先程のグレムリンですね」
今はやめておきましょう。覚えておきなさい。




