67話 がんばれ小舟! がんばれわたくし!
わたくし、今、小さな舟に乗せられて激流を下っております。荒波に翻弄されながらも、何とか体勢を立て直そうと必死で藻掻いているその姿は、まさに今のわたくしのようです。がんばれ、小舟! と応援したくなります。
それは兎も角として、昨晩はいろいろ考えさせられました。自分でも判っております。わたくしは恋に恋していたのです。今まで経験したことのないシチュエーションに舞い上がって、一人で盛り上がっておりました。小説や演劇の中にでも入った気分でいたのだと思います。18歳にもなって、何を浮かれていたのでしょう。
ただ少しだけ自己弁護をさせていただきますと、わたくしにはこれまで婚約者や恋人のような方は一人もいませんでした。肉親以外の異性との交流がまったくなかったのです。
貴族学校でもわたくしの周囲には女生徒ばかりで御座いました。
子供の頃に一度、庭師見習いの少年を好きになったことがありましたが、あれも恋と呼べるようなものではございませんでした。会話すらしておりませんのですから。
だからわたくしにとって異性と意識した男性は、勇者様の御子息であるというまだ見ぬ婚約者が初めてでございました。
そして盗賊に拐らわれ、命からがら逃げたその先で、その婚約者に偶然奇跡的にばったり出逢ってしまったのです。縁とか、運命とか、宿命のようなものを考えてしまったとしても、仕方がないことだと思うのです。
そんなわたくしでさえ、フォーリオ様を――心底お慕いしているか――と真顔で問われてしまえば、返答に窮してしまいます。まだ逢って4日目でございました。それなのにわたくしは……。
「ごめん。ヤリ過ぎた」
フォーリオ様がしおらしくポツリと仰いました。
「いえ、わたくしこそ、汚い言葉を使ってしまい、申し訳ありませんでしたわ。それに、どうやら、わたくしの――犬の尾を喰うて廻るが如し――でございましたわね。わたくしは髪喰い虫などという、下種な虫に寄生されている悍ましい女でございます。ゴブリンでさえも股間を抑えて忌避するような汚らしい女でございます。それなのに、己を顧みず、厚かましくも、あなた様の嫁であるなどと、さぞ御不快なお気持ちにさせてしまっていたかと存じます。今はもう、あのまま激流で死んでしまえば良かったのではないかと考えておりますの。あなた様もそう思っていらっしゃるのでしょうね。殺してしまえなかったことを悔いていらっしゃるのでしょうね。いえいえ、あなた様は、 わたくしのことなど、全く、これっぽっちも興味はございませんものね。わたくしのことなど眼中にありませんし、何も思っていらっしゃいませんし、これまでわたくしなりに、あなた様に気に入られようと、頑張って来たつもりでございましたが、まったくの徒労でございました」
わたくしは、つい思いの丈をぶつけてしまいました。先程からずっと頭の中で考えていたことが溢れるように口をついていました。自身に嫌悪を覚えながらも止まりませんでした。
「そんなことねーよ。女狩人の時は可愛い……って思ったぞ」
えっ……。
――今、何と仰いました――と訊き返したいのですけれど、あまりの衝撃に、先程まで止まらなかったわたくしの口が、今度はまったく動いてくれません。
体が熱いのです。体中の血が沸騰しております。
――可愛いい――
そう言えば、あの時のフォーリオ様は、わたくしの着替えが気になって仕方ないというご様子でした!
――可愛いい――
あれは可愛いわたくしを早く見たかった……。そういうことだったのでしょうか!
――可愛いい――
自分好みの女に仕立てたいという男の欲望で狩人の服をお渡しになった……。ということなのでしょうか!
――可愛いい――
マジマジとわたくしを見つめながら――女狩人、かわいいなぁ――などと心の中でデレデレしていらっしゃった……。なるほど、そういうわけですか!
――可愛いい――
あぁ、頭の中で、フォーリオ様の声が何度もリフレインしてしまいます。
――可愛いい――
「伏せろ!」
フォーリオ様の切迫した声に、わたくしは反射的に身を伏せましたが、何事でしょうか。そんなことより今は、もっと大切なお話がございます。
「今、なんとおっしゃいました?」
わたくしは恥ずかしさで、振り返ることが出来ませんでした。おそらく顔が真っ赤になっていることでしょう。けれどフォーリオ様からの返答は何も御座いません。
「可愛いい!とおっしゃいましたよね? わたくしのこと可愛いと思ってらっしゃったのですね」
わたくしは身を伏せたまま振り返りました。目頭が熱いです。泣くつもりはありませんが、ウルウルしてしまいます。
フォーリオ様は、一瞬不思議そうに首を傾げてわたくしを見ておられましたが、すぐに鋭い視線を前方へ移してしまわれました。
「ブヒィーーー」
遠くから豚が啼くような下品な声が聞こえてきました。このロマンチックな場面には、まったく似つかわしくない無粋な響きです。
「降りるぞ!」
フォーリオ様はそう仰ると、エスコートというには少々乱暴ではございましたが、わたくしの手を引いてカヌーから飛び降りられました。
どうやら豚のような啼き声の正体はオークのようです。
追って来ているようですが、そんな野暮な輩のことなど、今はどうでも良いのです。
繋がれたフォーリオ様の手から温かいものが流れてきているような錯覚さえ感じております。体の中から力が沸いてくるような気さえします。
もしや、これが――愛の力――なるものなのでしょうか。そんなものは浮かれたバカップルの世迷言と考えておりましたが、実際に体験してみると、なるほど確かに存在するものでございました。
少し前の王都に愛を注入するという胡散臭いマッサージ師がおりましたが、あながちあれもウソではなかったのかもしれません。
わたくしは、今、温かい、とても温かい――愛の力――に包まれております。
幸福感がこれ程、身体に影響を及ぼすものだとは知りませんでした。フォーリオ様といっしょなら、どこまでも走れそうな気さえしてしまっています。




