58話 仲間
俺たちはついに山小屋があるフェンリルの山に入った。春夏は小さな花が咲く緑が美しい草原だったが、今はすっかり黄ばんだ冬枯れの景色になってしまっていた。
ここを出る一週間程前まではウサギや小鹿といった小動物もちょろちょろしていたものだが、その姿も消えていた。間も無くここも、雪が降り積もる銀世界へと変わる。
フェンリルの山は『深い森』でありながら魔物より普通の動物の方が多い。
また魔物と言っても、父が他から連れて来た保護魔物か、フォレストホースのような飼っている魔物か、元からここに棲んでいたフェンリルぐらいしかいない。フェンリルは神獣として風の一族から信仰されている。
この辺りには、以前、風の一族の里があった。今その住民たちは森を出て街で暮らすようになっていたが、その頃に危険な魔物はすべて排除してしまっていたからだと、父が言っていた。
「あれが竜王山だ」
漸くここに来て遮るものがなくなり、竜王山がその巨大な姿をみせた。
「聞きしに勝る大きさですね……」
女は感嘆して、遠くに聳える竜王山を眺めていた。
「もしかして、ここは国境を越えてしまってませんか?」
竜王山との位置関係で、それが判るとはさすが貴族の学校を出ているだけはある。
「あぁ、その辺の許可はとってるらしいぞ」
「そう言えば、お義母様はアールヴフェイムでしたわね」
森の南半分がフランチェスカ王国の領土であり、北半分が風の一族の国アールヴフェイムの領土となっているそうだが、森に線や印があるわけでもない。俺にはよく判らない。
ここへ来て俺は少し浮かれていた。
無事到着出来たことにホッとしていたというのもあったが、自分自身が初めて見つけた友人をこの地へ連れてこれたことが、無性に嬉しかったのだ。
俺には、父の様に友人と呼べる者はいなかった。
もちろんユレイブの街には同世代の子供はたくさんいた。10歳までは学校にも普通に通っていた。母が死んでからは、春夏は父と山小屋で過ごしたが、秋から冬にかけては学校へ行って同年代の奴らと共に勉強もした。
学校へ行くと歓迎されたし、一緒に遊んだり街で悪さをしたこともあった。しかし友達にはなれなかった。俺を見る目は、何かを求めるものだった。何かを期待し、俺がすることすべてを肯定した。その頃の俺はそれが不快でならなかった。
今なら判る。それは俺が父の息子だったからだ。
学校では、話し掛けただけで歓喜された。或いは怯えられて道を開けられた。神か何かのように手を組んで拝んでくるヤツまでいた。皆、従者のように、俺に傅いた。
ある時、俺が友人だと思っていたヤツが話しているのを偶然聞いたことがあった。
――早く春にならねぇかなぁ、フォーリオ様が学校にいると緊張するよな――
それ以来、俺は学校で静かに座っていることにした。友人を作ろうとは思わなくなった。気軽に話せるだけで良かった。ただそれだけのことが、俺には叶わなかった。
だから女は、俺にとって対等に付き合える初めての友達だった。ここ何年でこんなに喋ったことはなかった。最初こそ面倒だと思っていたが、正直に言ってしまえば、この数日、父が死んでから一番楽しかったかもしれない。
「何だか嬉しそうですね」
女が俺の顔を覗き込んできた。
「そうか? 初めて仲間をここへ連れて来たからな。それが面白くてな」
友達だと言うのは少し照れ臭い気がして、仲間と言うことにした。
「仲間ですか? 今は、まあ、それでいいですわ」
女は顔をしかめながらも少し嬉しそうに頷いた。
俺は女の手を取った。そして冬枯れした大地を女と歩く。
「道中、おまえが言ってた変なことについても、いろいろ聞かせてくれ。冬の間は雪でずっと小屋を出られないからな。良い暇つぶしになる」
「暇つぶしですか……。それより仲間とおっしゃるのなら、名前で読んで下さいませ」
「ん? なんだって……」
「な・ま・え・です。まさかわたくしの名前がお判りにならないのですか? 仲間ですのに」
「……」
いや知ってはいる。しかし……。
「恥ずかしいのですか? 仲間ですのに」
「………ロ、ザンナ」
「おかしなところで切らないで下さいまし。仲間ですのに」
「ロザンナ」
「はい、フォーリオ様」
ロザンナはパっと花が咲いたように笑った。寒々しい景色が一瞬明るくなったような気がした。
俺はロザンナの手を握り締めた。
心まで温かくなった。
この先、この女いやロザンナと、山小屋で暮らしていくのも悪くないかもしれない。
――やっと来やがったか――
森から吹く風に、長い銀色の毛を靡かせながら、牙をむき出しにしたフェンリルが、森の入口を塞ぐように立っていた。
普段ならとっくに現れているはずのフェンリルが漸く姿を見せたのだった。




