41話 ショックを感じております
今朝、虫の羽音で目が覚めました。カナブンか何かが侵入してきたのだと思いました。カメムシじゃないといいなと思いつつ窓に近づくと、巨大なスズメバチでした。慄いて腰砕けになりそうでした。スズメバチはもはや魔物の一種だと思います。
森の中へ入ると、辺りは途端薄暗くなりました。フォーリオ様に出逢う前、『浅い森』を彷徨っている時もこんな感じでした。顧みると、見知らぬ森をたった一人で歩くのはやはり無謀でした。もしフォーリオ様がいなければ、今も方向が判らなくなっていたと思います。
そんな時、わたくしは周囲から魔物の気配を感じました。
フォーリオ様は、気づいているのか、いないのか、森を散策でもしているかのように、のんびりと野草の採取をされております。
「ゴブリンにつけられてますわ」
わたくしは、いつでもダガーを抜けるように準備して、フォーリオ様に報告します。
「ああ、放っておけ。そりゃ、こっちが侵入者なんだから、警戒されて当然だろ」
どうやらフォーリオ様はゴブリンの存在には気づいておられるようですが、野草採取が殊の外楽しいようで、何やら夢中で地面を這いずり回っておられます。しかし、そんな場合ではないのではないかと、わたくしは思うのです。前方からは大軍の気配を感じます。
わたくしは、そんなピリッとしないフォーリオ様の肩を掴みました。
「待って下さいませ、危険ですわ」
「チッ、なにが?」
振り返ったフォーリオ様のその表情……。それは婚約者へ向けて良いような顔ではございませんよ。呆れたような、憐れんでいるような、ウンザリしたような……。衝撃のあまり、わたくし、崩れ落ちそうになりましたわ。
が、ここは戦場です。ぐっと耐え忍び、フォーリオ様へ再度報告します。
「この先でゴブリンが待ち伏せしてますわ」
そして、抜剣して戦闘態勢に入ろうとしたところで、フォーリオ様から手首を押さえつけられてしまいました。
「あー、バカ。ちょっと待て。ここのゴブリンは森の端や草原にいるような、はぐれのゴブリンじゃないんだ。ここは奴らのテリトリーであり、奴らなりに社会があり、ルールがあるんだ。武器を抜いたら敵と認識される。その共同体すべてと戦うことになるんだぞ。少しは考えろ」
わたくし、バカと言われてしまいましたわ。貴族学校での座学成績は5位なんですが!
「し、しかし、相手はゴブリンですわよ。話が通じるとでもおっしゃるのですか?」
わたくし、少しカチンときて、反論してしまいましたわ。いきなりバカはないと思います。
「確かに話は通じないが、意思は通じる」
フォーリオ様が何を仰っているのか、さっぱり判りませんが、前方からゴブリンの大軍が現れました。もう逃げることは出来ません。万事休すです。
「完全に囲まれてしまいましたわ。ど、どうしますの?」
ここはもう戦うしかないのですが、ゴブリンとは言え、これだけの大軍相手に勝ち目はないでしょう。
するとゴブリンの群れの中から、大きなゴブリンが一匹出てきました。そのゴブリンは「ギーギー、ギッ」と何か言っています。そしてわたくしを指さし、お金が入った袋のような物を寄越してきました。
「ゴブリンは何と言っているのでしょうか?」
「言ってることなんて判らねーよ。ただ何が欲しいかは判るけどな」
フォーリオ様は何が面白いのか、わたくしの顔を見て笑っておられます。
「な、なんですの?」
「メスが欲しいんだろうよ。目的はたぶん、アンタだ」
「わ、わたくしをお金で買おうと言うのですか?」
わたくしの内から怒りが湧き上がってきました。侯爵家の女として、ゴブリンごときの慰みものになるつもりは毛頭ございません。無論ここは戦って美しく散ることを選択いたしますわ。
「まあまあ、ちょっと待てって言ってるだろ」
フォーリオ様は、ここへ来てもまだ緊張感の欠片もございませんでした。そのことにも少し腹が立ちます。
「なんですか! あなた様は、嫁であるわたくしをお売りになるとでもおっしゃるのですか?」
つい激昂してしまいました。
「そんなこと言ってないだろ。だから少し冷静になれ。ちょっと貰うぞ」
フォーリオ様は小型のナイフを取り出すと、わたくしの頭へ手を伸ばし、サクッと髪の毛を切ってしまわれました。
「なっ、な、な、なにを?」
突然の出来事に、わたくしは動揺して言葉になりませんでした。確かに、山小屋へ着いたら、すべて失ってしまうものではありますが、髪は女の命とも言います。夫であろうと、やって良いことと、悪いことがあります。
そんなわたくしの気持ちなど、フォーリオ様は興味ないとばかりに、切り取ったわたくしの髪を紐状のモノで束ねると、風魔法でおこした風に乗せて大きなゴブリンの足元まで運びました。
訝しげに髪束を拾ったゴブリンでしたが、何やらわたくしの髪をしばらく眺めた後、突然、驚いたように、わたくしの髪を投げ捨てました。
そしてなぜか股間を手で隠すようにしながら、前屈みになってしまったのです。
またその回りにいた小さなゴブリンたちも、同じように、わたくしの髪へ寄って行っては、慌てて投げ捨て、股間に手をあて、前屈みになってしまいます。
わたくしの髪の毛で遊ぶのはやめてくださいまし。不愉快ですわ。
目の前に立ち並ぶすべてのゴブリンが股間を押さえて前屈みになっています。異様な光景です。そして、どことなくわたくしに批難めいた目を向けているようにも見えます。
「えっ、えっと。ゴブリンたちは、どうしてあのような格好をするのですか?」
「あぁー。アイツら、毛があるのがアソコだけなんだ」
「ハッ……」
婚約者と共に旅をするという初めての経験に、つい浮かれて忘れがちになっていますが、わたくしは髪喰い虫に侵された女でございました。女なら見境なく老婆さえ犯そうとするゴブリンからさえ敬遠されてしまうとは、何とも言い現しようのないショックを感じております。
ゴブリンたちは諦めて立ち去ることにしたようです。ガックリ肩を落としているわりに、お金の入った袋を回収するところは、ちゃっかりしてますわね。ガックリしたいのはこちらの方ですわ。
その時でした。
フォーリオ様は、『魔法の袋』の中から大量に巻かれた白い布束を取り出すと、それをゴブリンの方へ向かって放り投げました。
その白い布をキャッチした大きなゴブリンは唖然としていましたが、すぐにニンマリしました。この時わたくしは、ゴブリンにも表情があるのだと改めて知りました。また周りをチョロチョロしている小さなゴブリンたちも、ギャーギャーと何を言っているのか定かではありませんが、嬉しいのだということは伝わってきました。
大きなゴブリンは白い布束を両手で愛おしそうに抱きしめています。フォーリオ様に――ありがとう――とでも言っているようです。
「ギーギーギー」
「フッ、フッ、フッ」
「ギーギーギー」
「フッ、フッ、フッ」
それに対して、フォーリオ様はあのエルフの挨拶で返しています。ゴブリン相手とは言え、何度見ても、まったく不愉快な挨拶です。
ゴブリンたちは、そのまま森の中へと帰っていきました。
「い、一体なんだったのでしょうか? あの布をどうするんですかね?」
「そりゃ、腰に巻くに決まってるだろーよ」
「あぁー、なるほど」
確かに、先程現れたゴブリンの腰布は紅茶に浸したような汚い色をしていました。ゴブリンでもやはり新しい服は嬉しいと思うものなのですね。
「ところで、俺の風の一族の友好を示すポーズは見たか?」
フォーリオ様が何やら得意げです。しかし街へ戻った時のことを考えると、ここで肯定してしまうわけには参りません。
「ゴブリンとはいえ、よく怒りませんでしたわね」
「な、なんだと!」
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