最終話 結び
「……どうですか?」
和美ちゃんが俺から離れ、ソファに座り直す。
さっきまであんなに近かった顔が遠ざかった。
それでも心臓は全然落ち着いてくれない。
「…………」
やばい。
やばいやばい。
どうしようどうしようどうしよう。
和美ちゃんから告白された。
俺のことを男の人として大好きだって。
あの和美ちゃんに。
まじかよ。
「信吉さん?」
「は、はいっ!」
返事が裏返った。
俺は慌ててソファから体を起こす。
足を床へ下ろし、背筋を伸ばした。
手はどうすればいい?
膝の上?
組んだ方がいい?
いや、そんなことを考えている場合じゃない。
「えっとね、ちょっと整理させてね」
「……はい」
「その……少しだけ待って欲しい」
「分かりました。待っています」
和美ちゃんが小さく頷いた。
茶化してこない。
いつもなら俺が慌てると嬉しそうに笑ったり、さらに距離を詰めたりするのに。
今はソファに座ったまま俺をまっすぐ見つめている。
膝の上で両手を重ねて。
唇をきゅっと結んで。
「…………」
俺は息を吸った。
吐く。
もう一度、吸う。
吐く。
落ち着け。
和美ちゃんが待ってくれている。
ちゃんと考えて。
ちゃんと言葉にしないと。
「すぅ……はぁ……」
何回か深呼吸を繰り返す。
少しだけ頭が動くようになってきた。
でも心臓はうるさいままだ。
これ返事をするまで止まらないんだろうな。
いや止まったら困るけど。
「…………」
和美ちゃんを見る。
目が合った。
逸らされなかった。
ずっと俺の返事を待っている。
それが分かった途端、胸の奥がぎゅっとした。
こんなに真剣に伝えてくれたんだ。
俺も恥ずかしいからって逃げちゃダメだ。
「……正直びっくりした」
「はい」
「まさか、和美ちゃんが俺のことを、そんなふうに見てくれてるとは思わなくて」
「……結構、伝えていたつもりなんですけど」
「そ、そうなの?」
「はい」
和美ちゃんがほんの少しだけ頬を膨らませた。
「毎朝迎えに行ったり、休み時間のたびに会いに行ったり」
「うん」
「膝まくらをお願いしたり、腕に抱きついたり……」
「…………」
言われてみれば。
いや言われなくても。
思い当たることが多すぎる。
「でも俺が勝手に勘違いしてたら恥ずかしいし……」
「勘違いじゃありません」
和美ちゃんがすぐに言った。
「信吉さんだからです」
「っ……」
「他の人には絶対にしませんし、お願いもしません」
また顔が熱くなった。
落ち着いたばかりだったのに。
いや落ち着いてはいなかったか。
「そ、そっか」
「はい」
「……ありがとう」
嬉しかった。
びっくりして。
どうしていいか分からなくなって。
さっきから変な返事しかできていないけど。
ずっと嬉しい気持ちはあった。
「俺さ」
「はい」
「屋上で和美ちゃんが来てくれた時、本当に助かったんだ」
あの日のことを思い出す。
笑い声。
なにも言えなくなった自分。
誰の顔も見たくなくて早くあそこからいなくなりたかった。
「正直、あのあと学校へ行きたくなかった」
「……はい」
「教室に入ったら、また笑われるんじゃないかって。誰かに声を掛けられるだけでも怖かったし」
和美ちゃんが静かに聞いてくれている。
「でも、和美ちゃんが迎えに来てくれて。手を繋いで、一緒に教室へ入ってくれたでしょ」
「覚えています」
「あれ、すごく安心した」
あの時に握ってくれた手。
小さいのに、頼もしかった。
俺が立ち止まっても急かさずに、そばにいてくれた。
「俺、一人だったら、たぶん入口でずっと立ってたよ」
「その時は、私も一緒に立っていたと思います」
「授業が始まっても?」
「はい」
「それは困るよ」
「信吉さんを置いていく方が困ります」
迷いのない返事だった。
俺は少し笑ってしまった。
そうだ。
和美ちゃんは、こういう子だった。
俺が困っていると当たり前みたいにそばへ来てくれる。
「最初はね、来てくれるたびに、ありがたいなって思ってた」
「……最初は?」
「うん。でも最近は、それだけじゃなくなってて」
言葉を探す。
うまく言えるかな。
変な言い方にならないかな。
そんなことを考えて、また黙りそうになる。
でも和美ちゃんの目を見た。
待ってくれている。
大丈夫。
少し下手でも、聞いてくれる。
「休み時間になると、教室の扉を見るんだ」
「扉、ですか?」
「うん。そろそろ和美ちゃんが来るかなって」
「…………」
「来てくれたら嬉しいし、次の授業があるからって帰っちゃうと、ちょっと残念で」
和美ちゃんの瞳が揺れた。
「朝ご飯を作ってくれた時も、美味しかったのはもちろんなんだけど」
「はい」
「和美ちゃんが楽しそうにしてるのを見るのが、嬉しかった」
ピンク色のエプロン。
キッチンから聞こえていた鼻歌。
俺が美味しいと言ったら何回でも笑ってくれた。
その顔が見たくて何回も美味しいって言った。
「和美ちゃんが帰ると家の中が急に静かになるんだよね」
「……そうなんですか?」
「うん。さっきまで隣にいたのになってソファを見たりして」
なんだこれ?
口にすると、すごく恥ずかしい。
俺こんなことまで考えていたのか。
「だから、その……」
膝の上の手に力を入れた。
もう一度、和美ちゃんを見る。
「俺も、和美ちゃんと一緒にいたい」
「…………」
「助けてもらったから、お礼にそう言ってるんじゃなくて」
そこだけは、ちゃんと伝えたかった。
和美ちゃんが俺を守ってくれたこと。
それは、ずっと感謝している。
でも今、隣にいてほしいと思う理由は、それだけじゃない。
「和美ちゃんが笑ってると嬉しいし、悲しそうにしてたら、どうにかしたいって思う」
「……はい」
「俺にもできることがあるならしたい。和美ちゃんが喜んでくれるところを、もっと見たい」
和美ちゃんの目元が、じわっと濡れた。
それを見て俺まで喉が詰まりそうになる。
まだだ。
最後まで言わないと。
「俺も和美ちゃんが好きです」
「っ……」
「だから、俺でよかったら……付き合ってください!」
言った。
ちゃんと言えた。
俺は膝の上で握っていた手を、ゆっくり開いた。
汗がすごい。
背中まで熱い。
「……和美ちゃん?」
和美ちゃんは動かなかった。
目を見開いたまま俺を見つめている。
その頬を涙が一粒落ちた。
「えっ。だ、大丈夫?」
「……本当ですか?」
「うん」
「私でいいんですか?」
「和美ちゃんがいいんだよ」
そう答えると、また涙が落ちた。
今度は一粒だけじゃなかった。
和美ちゃんが慌てて目元へ手を当てる。
「ご、ごめんなさい……」
「あ、謝らなくていいよ」
「違うんです。悲しいとか、そういうのじゃなくて……」
「うん」
「嬉しくて……」
声が震えていた。
それでも口元は笑っている。
涙を拭いても、すぐに次がこぼれてしまう。
「私、不安だったんです」
「……うん」
「こんなに会いに行って。お願いもいっぱいして。今日だって急にこんなことを言って」
和美ちゃんが鼻をすする。
「困らせちゃったかなって。もしかしたら断られるかもしれないって……」
「そうだったんだ」
「はい……。だから返事を待っている間も不安で」
俺は自分の膝へ視線を落とした。
そんなふうに思いながら待っていてくれたんだ。
「待たせてごめんね」
「いいんです。ちゃんと考えてくれたので」
和美ちゃんが首を横に振る。
「すごく嬉しかったです。信吉さんが私のことをそんなに見てくれて大切に思っていてくれたなんて……」
「見てるよ」
「……はい」
「これからも会いに来てくれたら嬉しい」
「行きます」
今度の返事は早かった。
「毎朝、行きます。休み時間も行きます」
「うん」
「放課後も、一緒に帰りたいです」
「俺も」
「あと……」
和美ちゃんが少しためらう。
涙で濡れた目が、俺を見つめた。
「今、抱きついてもいいですか?」
「……うん」
俺は少しだけ両腕を広げた。
ぎこちなかったと思う。
どのくらい広げればいいのかも、よく分からなかった。
でも和美ちゃんはすぐに来てくれた。
「信吉さん!」
ぎゅっと抱きつかれる。
俺の肩へ顔を寄せた和美ちゃんが小さく息を震わせた。
「大好きです」
「うん」
「本当に大好きです」
「……俺もだよ」
俺は和美ちゃんの背中へ腕を回した。
いつもは抱きつかれて固まってばかりだった。
今日は自分からも抱き締めたかった。
そっと腕に力を込めると和美ちゃんがさらに強く抱きついてくる。
「……幸せです」
肩のそばで、そんな声が聞こえた。
俺も同じだった。
恥ずかしくて。
まだ少し信じられなくて。
それでも腕の中に和美ちゃんがいることが嬉しくて仕方がなかった。
離れるのは、もう少しあとでいい。
〈完〉
⭐️⭐️⭐️あとがき
ここまでお読みくださりありがとうございました。
ここまで書き続けられ、完結させられたのも、読者様が日々読んで評価をしてくださったおかげです。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました




