伊吹弥空2
ミソラに会うようになって2週間程経った頃、その日は精神科が無い日だったので、河原へ向かおうとしていたら、学校を出る前に呼び止められた。
同じ学年ということくらいは分かるが、名前も知らない男の子である。
「あの、モリさん。少し…相談が…あるんだけど…」
口籠るようにこちらに話しかけてきたが、私は聞きたくなくて「ごめん、急いでる」と言ってさっさとその場を離れた。声をかけてきた子はアテが外れて、恐怖と怒りでいっぱいの表情をしていた。
彼は、立ち寄ったショッピングモールでガラの悪い青年達にカツアゲされ、今日また金銭を要求されているようだった。銀行強盗をやっつけた私なら、力になってくれて、もしかするとその青年達をどうにかしてくれるという淡い希望を抱いていたのである。
私はその場を治めることはできても、その後の面倒に巻き込まれることは確実だと思った。それに、今ケンカ番長になりたいとも思わない。
河原に着くと、ミソラは先に来ていて、いつもの様に笑顔で挨拶をしてきた。私は挨拶を返し、ほんの少しの逡巡の後、意を決して話を切り出した。
「あのさ、最近…ウチとか近所の学校の生徒が…カツアゲされるっていうのがあって」
言いながら、私に縋ろうとしたさっきの男の子の事を思い出す。今度は私がミソラを巻き込んで利用しようとしている。
「今日また…ウチの学校の知り合いが、その…うーん…」
後ろめたさから言い淀んで、その後を続けられないでいると、ミソラは意を察して「あぁなるほど」と優しげに呟いた。私の視界にはチラチラとあの男の子がお金を奪われる光景がよぎる。
「ボク、実はケンカもできるんだ。もし荒事が必要なら、手伝えると思うよ」
そう言ってミソラはわざとらしく力こぶを作る仕草をして見せた。
「ありがとう」と礼を述べてから、不良青年達の元へ2人で向かった。ミソラ達はこのケンカで私がどう立ち回るかを見るつもりで、最悪自分達が出て対処するつもりなようである。
私も私で、下手にチカラを駆使して危険人物扱いされる事は避けたかったが、ミソラ達やそのバックにいる人達からの興味は持たせたままにしたかった。ざっくばらんに言うと、利用はしたいがされたくはないという感じに近いと思う。
向かっている途中で、不良達は同学年の男の子からお金を受け取り終わり、移動を始めたようだった。カツアゲ現場と違う場所で彼等を糾弾しなければならず、焦燥感に駆られ、先を急いだ。いろいろな辻褄合わせをしなければならないと、何かできることを考えた。
不良達を見つけると、ミソラには少し離れた位置から携帯電話を構えてもらう。私は彼等を呼び止めて、その行く手に立ちはだかる。
「ちょっと…さっきウチの学校の生徒から取ったお金、返してくれる?」
そう言って精一杯睨み付けてやった。不良達は最初迷惑そうな顔でこちらを睨み返してきたが、女1人だったので、すぐに表情が緩んだ。1人が「あ、どっか見覚えある」と言い、少しヒソヒソと話した後、私が銀行強盗を撃退した人間だと気付いたようである。
「オイオイ、オレらが金取った証拠でもあんのかよ」
「あれは同意の上で貰ったモンだからなぁ?」
彼等は口々にカツアゲを否定した。離れたところでミソラや彼の仲間達が出番を待ち構えているようである。
「…同意なんて無いから。暴力とかで…強引にお金を取り上げるのは、犯罪だよ。こっちは訴える準備も覚悟もあるんだけど」
そう言って、私は自身の携帯電話を取り出して操作してから、彼等に画面を見せた。
ミソラの構えている携帯電話で私達のやり取りをライブ配信している、その画面が表示されている。そこにはチャットで彼等の実名や学校名、訴えに参加表明する言葉もドンドン書き込まれていく。ミソラは私の名前を利用して上手いこと聴衆を集めているようだ。
彼等は顔色を変え、明らかに動揺した様子で言い抜けを図る。
「ハ…?こんな適当なの…何の証拠にもなるかよ!」
「何処で撮ってるんだよ!コレだって立派な脅迫だろ!」
そう言って辺りを見回し始めたので、そうですかと携帯電話をしまい、「それじゃあまた連絡します」と言ってクルリと踵を返してその場を離れた。人もいる路上と言うこともあり、青筋立った顔で、今にも掴みかかりたいのを必死に抑えて、彼等はこちらに罵声混じりの抗議の声を上げていた。
帰り際、ミソラが「頑張ったね」と、よく分からない評価をしてきた。翌日も河原にいるからと、何かあった時に備えて待っているつもりらしい。
翌日、朝から学校で周囲の注目を集めてしまった。何人かの生徒達が声をかけてきて、自分も訴えるなら参加するとか、友達がカツアゲされた体でならと協力することを約束してくれる。
放課後になると、職員室に呼び出され、前日のやり取りについて説明を求められた。
「父兄からもたくさん問い合わせがあって、その…先生達が向こうの学校に連絡して、本人達と相談するから、任せてもらえないかしら」
学校側で穏便に済ませる方法を模索するつもりで、そう説明される。一件一件は少額だったとしても、人数が集まればそこそこの金額の問題になるので、もし訴えるなら人集めが必要になり面倒だろう。私はこれ以上関わりたいとは思っていないので、お願いします、と後処理を丸投げした。
学校を出て河原に行くと、ミソラが暇そうに地面を蹴っていた。こちらに気付くと、いつものように笑顔で「やあ」と声をかけてくる。
「昨日の一件は大丈夫?」
まぁ、と曖昧に返事をして、ふと気が付いた。彼等はカツアゲの件の収束を待って、私から手を引く流れに進みつつある様である。今回の対処法はあまり刺さらなかったらしい。
現状の評価としては、行動力とハッタリは面白いけど、計画性に難ありフォローが必要、性格面含めて特異性は見受けられず、そもそも銀行強盗の件も全て偶然なのでは…という感じらしい。銀行強盗については私がチカラを使って彼等の行動に干渉しているので当然、ほとんどが必然に近いのだが、彼等はそれを知らないので無理もない。考えてみれば、カツアゲの件についてはミソラに頼る部分が多く、不良達を追いかける時しかチカラは使っていなかった。
ミソラと仲間2人は、一緒にいたらオモシロそうな子なんだけどな…と、少し残念そうな感情を抱いている。ミソラなどは、経験を積ませれば交渉役くらいはできるかもしれないと、私に対して僅かな期待と、行き当たりばったりな行動が危なっかしく、守ってあげたいと思っているようだ。
「今日は何も無かった?朝とか…ここに来るまでとか、何かの視線を感じたりとか、しなかった?」
心配そうな顔をしてミソラは質問を投げてくる。
「…特には。…それに、今日学校の先生達から、後の事は引き受けてくれるって話があったので」
そう答えると、少し安心した様子で「そうか」と呟いた。それでもまだ気をつけるよう優しげに告げてくる。そして、少しコチラを見つめて、それから聞きたい事を聞いてきた。
「あのさ、昨日の行動は…最初からああするつもりだったの?ボクも手伝っておいてコレを言うのはなんだけどさ、例えば動画を撮るだけでも十分な制裁だったと言えなくもないかと思うんだけど」
彼の仲間は敢えて助言はせず、揉めたりしない様にだけ気を付けて様子見をしているようだ。
「あれは、ダメ押しみたいなものかな。訴えると言えば…動画を撮られて大量の人がソレを見てるから、迂闊に私とかミソラにその場で危害は加えられないと思っただけだけど。それにあの人達は自分の身を守る為に、カツアゲもしにくくなると思うから、その後の被害者を増やす事も多少は…減らせそうな気がして」
そう語ったものの、半分は後付けの理由で、どちらかと言うと訴えると言う為に動画を撮った、というのが正しい。お金を取り戻せるかもと被害者に希望を持たせたかったし、そのために相手の所属学校や名前も知りたかった。確かに強引な手段だったかなとは思うが…。
直接口にはしなかったが、ミソラは危険な事をしていると考えているようだった。
「それは…ボクがいなくてもやった?」
そう聞かれ、少し悩んでから答える。
「多少は変えたと思う。昨日の場所も人通りは割とあったとは思うけど、例えばもっと人が多くて、誰かがやり取りを見て動画なり写真なり撮ってくれそうな場所で話をするとか」
当然、その場合はチカラを使うつもりである。だが、ミソラはそんな事は知らないので、言い様のない不安を抱いたようだった。
「キミは…銀行強盗の時もそうだったのかな。行き当たりばったりで、偶然に頼る対応でどうにかなると思ってる…とか?」
オイオイそれは直接過ぎ、と仲間が一言注意を入れた。ミソラは全く気にせず、少し真顔でコチラを見つめている。私はミソラを直視できず、目を逸らしながら少し逡巡した。できれば彼等との関わりは維持したい、いっそ話すべきかもしれない、と。ただ、私は彼等に利用はされたくなかったし、コッソリ使って優越感に浸りたいなんていう気持ちもあったかもしれない。体感では数分程度、考えた上で一つの賭けを打ってみることにした。
周囲は少しずつ黄昏の赤に染まり始めていた。
「ミソラはたぶん、私に少し興味があるよね」
そう言ってから、チラと顔を見ると、豆鉄砲でも食らったようにビックリ顔をしている。通信機の向こうの仲間も目をパチクリさせて「何、何?」と言い合っている。微妙に発言を間違えたような恥ずかしさを感じつつ、言葉を続けた。
「あの…口づけ…くらいなら、してもいいと思って。あ、でも1つ言うことがあって。」
途中で言葉を遮られたらと不安で、後半は早口で捲し立てる様に言って、1度言葉を切る。少し落ち着きたかった。ミソラも彼の仲間も私が何を考えているのか理解できずにただ黙っている。
相手にカンタンに利用されない為に、恋愛感情を利用するなんて、物語なんかでよくある話しで、私に同情的なミソラがそれに少しでも引っかかればと思っただけだった。チカラでそういう気持ちを増幅させる事もできるけど、後で調整するのが難しいから感情は余り操作したくない。更に言うと、常に人の心を読んでいるとそういう癖が付いて、無意識に聞きたくない事まで聞いてしまうから、発動条件の様なモノを考えたかったというのもある。
「あの…口づけすると、その人の考えてる事とか、記憶とか、見えるんです」
なんとなく声が小さくなってしまった。ミソラは「何言ってんの」という言葉が頭の中をグルグル回って固まっている状態で、仲間の2人も訝しげに首を傾げ合っていた。私は何となくバツが悪くなって、帰ろうかと思った時である。
「話しがぶっ飛んでるなー…。また何かのハッタリか?」
口を開いたのは仲間の男の子の方で、ミソラに話の脈絡が無いと説明を求めるよう指示した。
「…ごめん、よくわからない。それってボクが聞いた事の…回答なの?」
とりあえずミソラはその指示に従い、質問を投げてくる。表情もそのまま、発言を理解できずに困ったという顔をしている。
「あ…しなくても、凄く勘がいいくらいに分かって、したら大体の事は分かる…ってコト」
私も辻褄合わせをしなければと適当な嘘をついた。女の子の方が「ああ」と、何となく理解できた様に声を漏らす。
「…。何となく…言いたい事は分かった気はするけど…ちょっと考えていいかな」
2人に指示されてミソラがそう言った。
ここからがようやく勝負の時である。
私の発言を受け、ただの頭おかしい奴だと一蹴して全て行き当たりばったりの偶然と結論付けるのか、私に全てを知られる覚悟で世迷言のような話に乗ってくるかというところだろうか。
わざわざ他人の記憶を見ようとは思わないので滅多に使わないが、隠したい事がある人達には記憶や思考を読むという発言は効果あるのでは、と私は考えていた。実際は、彼等はそこまで考えが回っておらず、胡散臭い発言の意図について考えているようだったが。
通信機の向こうで2人が話している。
「からかってるのか?」
「だとしたら、あの子もイブキに興味があるって事になると思う。イヤ実際あると思うけどね」
「じゃ気ィ引きたいって事か。まぁ折角のチャンスだし、頂戴しとけば?」
そう軽口を言う男の子を呆れた様に睨め付け「直前に冗談て言って逃げる事もあるから」と女の子が釘を刺した。確かにそういうのもアリかもしれないとは思う。その後、ちょっと真剣な感じで彼女は一言言った。
「まあ、意味不明な発言の判断はイブキに任せるけど、断るなら恥かかせない様な言い方した方がいいし、するならそれなりにその後の事も考えなよ」
ミソラは聞いているのかいないのかもよく分からない表情で、考えている風な姿勢をしつつ私の様子からその意図を探ろうとしている。今更のように気付くというのが余り良い気はしないが、土壇場での相手の行動は、私が理解するよりも当然先なので、対応が間に合わない事もあるようだ。彼は私の調査を目的としていて、ほぼ結論は出ているものの、どんなに嘯いて見えても不十分なところは残したくないという口実を組み立てた。
私がミソラの決断を知った時、既に彼はすぐ目の前で、思い切り抱きつかれた。そのまま強引に顔が接近してきて、私は仰反る形でバランスを崩して「ウゲッ」と叫んで尻もちをついてしまった。間髪入れずにミソラが覆い被さり、私の両脚の間に片膝をついて肩をギュッと地面に押し付けてくる。唇に柔らかい肉がくっついて来て、それが一瞬の躊躇の後にパクパクと唇を咥えた。
膝が私のスカートの中にぐいと入ってきて、更にシャツの裾をスカートから引っ張り出そうとしてくる。なんだか急に怖くなって、どうにか踠いてミソラを押し除け、上半身を起こす。想像していたイメージと全然違う状況だった。日が暮れかけているのも妙に恐怖心を煽られる感じがする。そして今はミソラよりも先に喋らないといけないと、焦燥感もあった。
「最悪」と遠くから様子を覗いた仲間の女の子が呟いている。
「だいたい分かった」
なんとか絞り出した言葉はそれだけだった。
ミソラは押し除けられた時の姿勢のまま、私の次の言葉を待っている。私はミソラと目を合わさないようにしながら立ち上がり、衣服の土を払った。
「…国の…秘密の軍みたいなのにいるんだよね。ミソラも…いつも、一緒にいる2人も…ミソラのお父さんも」
目を合わせられないままそう言葉を続ける。3人ともまさか本当に見えるとは思っていなかったからか、息を呑んで黙ってしまう。私も怖い思いをさせられたせいで、早く帰りたいと思っていた。「それじゃ」と言って半ば逃げるようにそそくさとその場を離れる。
家路を急ぎながら、自分が見たミソラの記憶を思い出していた。