第32章
そもそも急いで援軍に向かっている軍勢が、宿場町に着いたからと言って一息つくことなどありえない。
そして、わざわざ陪臣である康大のために軍を止めることもない。
その結果どうなるかというと――。
「はぁ!」
「うわ!?」
コルセリアの腰にしがみつきながら、康大は思わず悲鳴を上げる。
そんな婚約者を後ろから見ながら、ハイアサースはため息を吐いた。
現在コルセリアとハイアサースは馬上の人で、康大はコルセリアの後ろに乗っている。
人間関係を考えるとハイアサースの馬に乗るべきだが、乗馬の腕はコルセリアの方がはるかに上で、この組み合わせでなければ間に合う保証がなかった。
いうまでもなく康大も人並みに乗馬ができれば最善であったが、それは詮無いことである。
ではなぜこんなことになったかというと――。
コルセリアが呼びに来た時、康大は重役出勤よろしく、ゆっくり徒歩でアムゼンと合流するつもりだった。
しかし何の前置きもなくコルセリアに乗馬はできるか? と聞かれ、首を横に振ると有無を言わさずこの状態になった。
もちろんここまで急いでいるのには理由がある。
コルセリアが町人から報告を受けた時、まだアムゼンは宿場町の前にいた。しかし、馬を確保し康大を呼びに行った頃には、町を通り過ぎていたのだ。
コルセリアとしてはアムゼンは馬車に乗り、軍の中心にいながらゆっくり移動すると踏んでいたのだが、軍人としても優秀な王子は、騎乗の人となり先行部隊で自ら指揮を執っていたのである。
ただ幸いにも、というべきか、軍勢には歩兵が大部分を占め、それに合わせて先行部隊もそれほど先ヘは進んではいなかった。
急いでいるからと言って、騎馬の前軍と徒歩の後軍を大幅に離し、ひどく間延びした陣形にするほど、この王子は愚かではない。もしそれで先行したアムゼンの部隊が襲われ、後軍の援軍が間に合わず殺されようものなら、康大が何をしようがこの戦いは敗北確定だ。
「アムゼン殿下ァ!!!!!」
事前の指示があったのか、康大達は味方の兵に阻まれることなく軍勢に並走し、砦に到着する前にアムゼンと合流できた。
コルセリアの女と思えない大音声に振り返り、康大の姿を確認すると、アムゼンはにやりと片頬を上げ、側近に進路を開けるよう指示する。
その空いたスペースにコルセリアは馬を走らせ、アムゼンの駿馬と並走させた。
その後一礼し、馬上にいながら、片手で手綱を握ったまま康大の背後に回り込む。
彼女の役目はここまでで、ここからは康大の仕事であった。
「例の異邦人を退散させたらしいな、重畳だ。しかしお前の力なら、息の根を止めることもできたのではないか?」
「無理です。アレは不死身ですから」
「つくづく難儀な者よ」
アムゼンは顎をさする。
おそらく話しながら、今後の方針について考えているのだろう。そういう仕草だ。
康大はアムゼンから何か言い出すまで待った。
「……それで、おおよそはライゼルの伝令から聞いているが、直接立ち会ったお前からも話を聞いておきたい」
「タツヤを精神的に完膚なきまでに叩きのめして追い払った後、ライゼル将軍は司令官が死んだグラウネシアの砦を攻めることを決定し、実行しました。それで役立たずの私は後方に下がり、こうしてアムゼン殿下に報告に来たわけです」
「ふむ、おおむね伝令の言っていることと同じか。なぜか砦の攻撃はお前の指示になっていたが」
「えー……」
功績を自分にくれようとしたのか、それとも失敗した時の責任逃れか、いずれにしてもライゼルは余計なことをしてくれた。康大としてはとっととこの身の丈に合わない爵位も返上して、アムゼンとは距離を置きたいというのに。
「まあお前にその気がなかったとしても、許可した以上それはお前が出した命令だ。これで上に立つ者の苦労も分かっただろう」
「それはもう、ここに来るまでの間にもいやというほど」
ライゼルの上司という立場はもう二度と味わいたくはなかった。
「しかしその様子ではお前は反対だったようだな。あのライゼルが無茶な作戦を立案すると?」
「ライゼル将軍が有能であることは理解していますが、さすがに小勢で砦を攻めるのは無茶かと……。それに、友人が攻城軍にいてそれも気になって」
「友人……ああ、インテライト家に飼われている小僧か」
ザルマの話題が出たことでコルセリアがかすかに反応する。
だが口を挟むことはない。さすがにそれは不遜に過ぎ、首を斬り落とされても文句は言えなかった。
ただ手綱を握る手が自然に強まり、前にいた康大の脇も締め付けられる。
革鎧をつけているので胸の感触はなく、康大としてはただ痛いだけだった。
「確かにあれならお前が心配するのも分かる。だがまあ、ライゼルもそこは考えているだろう。あれでなかなか思いやりがある男なのだぞ」
「思いやり……ですか」
思いやりというより重い槍かな、というどうしようもないダジャレがすぐに思いつくほど、康大には優しさが感じられない人間だった。
ただ、自分よりはるかに主従関係の長いアムゼンが言うのならそうなのだろう。
アムゼンの言葉に康大以上にコルセリアがホッとする。
「どうせ私が到着する前に砦は落ちているだろう。お前の不安など杞憂に終わる、それよりこれからの事を考えておけ」
「これからの事……まさかこのままグラウネシア王都まで進軍すると?」
「ははははは!」
アムゼンは豪快に笑う。
そう風貌に見合った王者らしい豪快さだ。
ただ目は全く笑っていなかったため、康大としては安心することなどできなかったが。
「そんなうまみのないことをなどするものか。それにあの難攻不落の城を落とすには、今の兵の3倍は必要だ。とりあえず砦を占領した後は、チェリーパルティナス本隊が来れば蹴散らし、引き返せば放っておく。まあ皆を納得させるため、グラウネシア王が侵略とみなさない程度に村を1つか2つ焼いて略奪するが、できる限り早く引き上げ和平交渉だ」
「・・・・・・」
人道主義者なら「無抵抗の村を襲うとは何事か!」と抗議しただろう。
だがそれは生ぬるい理想主義者の絵空事だ。
国家間の争いで攻められた側が撃退に成功し、その後何の報復もせずに戦争を終えることなどありえない。
いや、ありえないのではなく、誰も納得できないのだ。金をかけて軍隊を編成した領主達も、命がけで砦を守っていた衛兵達も、このままではただの骨折り損になってしまう。
その報酬をアムゼンがすべて払えば、結局ダメージを受けるのはフジノミヤになり、あらゆる理由から逆襲とうまみが必要だった。
一方的にやれれるだけでは、ただの負け犬だ。
そして負け犬はこのセカイでは早晩に食い殺されて、野辺に白骨をさらす。
今の日本の様にそれで納得するような、飼いならされた腰抜けはこのセカイにはほとんど存在しなかった。
罪には罰を。
血には血を。
それこそがむしろこのセカイの戦争抑止力なのである。
そのことを感覚的に理解し始めていた康大は、抗議する気すらなかった。
ただ被害に遭うであろう罪のないグラウネシアの村人達には、心の底から同情したが。
「……どうやら見えてきたな」
徒歩で戻ってきた時と違い、騎馬の到着は早かった。
前方に見える砦にはグラウネシアの旗が降ろされ、王都で見たフジノミヤの旗が上がっている。
どうやらライゼルの予想通りの展開になったらしい。
「それではこれにて失礼します殿下」
「ああ。また何かあれば呼ぶから、砦から離れぬようにしていろ」
「御意、コルセリア!」
「はい!」
コルセリアはアムゼンの元を離れ、砦に向かい馬に鞭を入れる。
今は一秒でも早くザルマの安否を確認したかった。砦がすでに落ちているというのなら、単騎で向かっても問題はない。
ハイアサースが遅れていることも気づかず、コルセリアは馬を走らせる。
砦に到着すると馬から飛び降り、あたふたする康大にかまわず叫んだ。
「御屋形様! ザルマ様!」
大声を発しながら砦を駆け回る。
ザルマを危険に追いやった彼女が、最も彼の身を案じていた。
やがてコルセリアは見知らぬ傷らだけの兵士に声をかけられる。
そして彼とともに砦の中へと消えていった。
康大にはそれを見送るだけで、どうにもできない。
まず馬から降りられないのだ。
ようやく追いついたハイアサースの助けを借りて馬から降り、康大とハイアサースは遅れて砦に入る。
そんな2人の後ろを、アムゼン本隊が駆け抜けていった……。




