第19章
「……小屋かな」
それが康大の第一声だった。
貴族の別荘と言われたので、最低でもコテージのような外見を予想していたのだが、本当に一時避難的な掘っ立て小屋のような建物だったのだ。森の中にポツンと小さな木造の平屋が建っており、外見からでも居住性に恵まれた家でないことは明らかだ。
とても貴族の娘が1人で住んでいるようには思えない。
案内役の使用人が帰った後、念のため圭阿が粗末な木の扉を開ける。
『・・・・・・』
外見から想像できる通り内装も粗末で、むき出しの丸太の壁にフローリングと呼ぶには荒々しすぎる木の板が床。
予想外なのは家具調度が存在せず、ほぼ本しかないことで、その本に埋もれながら中央で本を読んでいるリアンがいた。
このセカイの本は薄い紙が使われていないため、この場にある全ての本をまとめても広辞苑一冊分にすら満たないかもしれない。
だが、それでもこれだけの本を個人で所有しているのは異常だ。
その費用も活版技術が成熟していないこのセカイではかなりの物だろう。
下手をすると、もともとちゃんとした別荘があったが、本の為に売り払ってこんな小屋になってしまったのかもしれない。
少なくともリアンが根っからの研究者であることは確実だ。
「リアン」
「・・・・・・」
康太が声をかけても、リアンは全く反応しなかった。
よほど集中しているらしい。
しばらく待っていようかなと康太が思っていると、せっかちなハイアサースが彼女が読んでいた本を取り上げる。
「あ」
「あ、ではない。集中しているのは分かるが、人が入ってきたことぐらい気付け。私たちがもし盗賊だったらどうなっていたか」
ハイアサースはため息交じりに言った。
いちおう心配はしていたらしい。
「まー、こんなボロ小屋に金目のものがあるなんて誰も思わいっすけどね。主も主で乞食みたいなかんじっすから」
そう言って卑下することなく楽しそうに笑う。
本当に学問以外のことはどうでもいいようだ。
「それより何の用っすか?」
「ん、ああ、実は大司教様に会いたいんだけど、どこにいるかなって」
「大司教様……いちおう今回は何の用か聞いていいっすか? あんまり急ぎの用じゃなかったら、ちょっと今やってること片付けてからにしたいんで」
「おま――」
思わず怒鳴りそうになったコルセリアを康太は手で制す。
貴族の令嬢程度の身分なら、別に強気に出ても問題がないようだ。
とはいえ、そう高圧的な態度をとられても困る。
リアンとはグラウネシアにいる間、色々協力していかないといけないのだから。
「わかった。まあこっちが頼む側だしな。俺たちが大司教様に頼みたいのは、第二王女のチェリー様に取り次いでほしいってことだ」
「チェリー殿下っすか? なん……あー、理由までは聞かない方がいいっすね。サムダイ様にスパイしろって言われてるけど、正直面倒ごとにはかかわりたくないっす」
「そう言ってくれると助かる」
先々のことを考えると、サムダイにはなるべくこちらの手の内を知られたくはなかった。それが後にどんな弱みになるか、分かったものではない。
「チェリー殿下なら別に大司教様に頼らなくても、自分で何とかなるっすよ」
「マジか!?」
「マジっす。自分、チェリー殿下のお伽衆の一人なんすよ」
「おとぎしゅう……?」
聞いたことがない言葉に康太は首をかしげる。
ザルマは心得たもので、さっと背後に移動し、「王侯貴族の暇つぶしの話し相手を務める仕事だ」と説明した。
ちなみに康太は知らなかったが、現実セカイの日本にも全く同じ意味の全く同じ言葉が存在していた。
「けどまあ、チェリー殿下に関わることなら、自分も理由を聞かないわけにはいかないっすね。粗相があったらとんでもない責任問題になるっすから」
「まあそりゃそうか。実はチェリー殿下とタツヤの仲を割きたい」
「ああなるほど……」
ある程度事情は知っているのか、リアンが納得したような顔をする。
そしてすぐに言った。
「つまり子爵様は、自分とチェリー殿下の関係を知ってるサムダイ様が、今までそれを利用しなかったと思ってるわけっすね」
「ああ、言われてみれば……」
リアンの皮肉によって、康太は自らのうかつさに気づかされる。
確かにタツヤを取り巻く状況に詳しいサムダイなら、まず康太ではなくリアンを頼っただろう。
そして今の康大と同じように2人の離間を画策したはずだ。
それらもろもろの帰結として、今の両者の関係があった。
「……念のため聞いておくけど、その結果は?」
「自分じゃ説得自体無理だったっす。なんせいっつもめんたまキラキラで称賛してますから。アレはもう信仰に近いっす。下手に否定したら即クビっすよ。楽で稼げる唯一の仕事もパーっす」
「そこまでひどいのか……」
康太は頭を抱える。
どうやら考えなしに会っただけでは、事態は好転どころか奈落に落ちるらしい。
「せめて拙者や康太殿が見ている真の姿が見られれば、百年の恋も覚めるというものなのでござるが……」
「それだよな」
圭阿の言葉に康太は全面的に賛同する。
おそらく王女がタツヤを支援する理由は、その外見による部分が大きいだろう。どんなに力があっても、オークのひ孫のような見た目では、絶対に好意を持つことなどできない。
康太はそう信じて疑わなかった。
「真実の姿?」
リアンが首をかしげる。
この場で彼女だけがタツヤのまやかしについて知らなかった。
康太はその説明を迷うことなくする。
ここまで話せば今更隠すこともない。
康太の話を聞き終えると、リアンは何事か考え始めた。
チェリーに頼る以外他に手段も思いつかなかった康太は、黙ってその様子を見守る。
……リアンのことだから全く見当違いなことを考えていたかもしれないが。
ただ幸いにも、彼女はこの状況で場違いなことが言えるほどの常識知らずではなかった。
「確かにもしあの異邦人がぶっさいくなダメ男だと分かったら、チェリー殿下の100年の恋も冷めるかもしれないっすね。殿下は超面食いっすから。そいで実を言うと、自分にはその幻術を破る手段に心当たりがあるっす」
「マジか!?」
康太は思わずチェリーにつかみかかった。
普段の康大ならリアンも少し体をのけぞらせる程度だったが、ゾンビの力が加わっていたためそのまま押し倒される。
その拍子に周囲の本の山も崩れ、何冊か2人にのし掛かった。
「お前何やってるんだ!?」
婚約者が真っ先に反応し、当然の権利として康太に罵声を浴びせた。
康太は反射的に「すまない」と謝り、本をどけながら立ち上がる。
けれどリアンはあおむけの状態のまま、しばらく動かなかった。
倒れた拍子に腹に乗った本が重すぎたわけでもないだろう。
もしや頭を打ってしまったのかと康太が手を貸すと、
「これぞまさに天啓ってやつっすね」
にやりと片頬を上げる。
この場にいる誰にも自分の思惑を理解させないまま、リアンは腹に乗った本とともに立ち上がった。
「それは何でござるか?」
康太より先に反応速度が優れている圭阿が尋ねる。
康太は婚約者に対する言い訳の方に、思考の大部分を割かれていた。
「この本にはあらゆるまやかしを打ち破る、さまざまな方法がかかれているっす。その女神さまの魔法がどんなものかは知らないっすけど、現にお2人には真実の姿が見えてるなら、やりようがあるっす」
「なんと、それは僥倖。然らば今すぐにでも。必要なものがあれば何なりと」
「そうっすね。まずは山に入って必要な薬草を。あともしかしたら大司教猊下のお力を借りることになるかもしれないっす」
「ならばさっそ――」
言いかけた圭阿が突然扉まで走り出し、苦無を構える。
そして、外側から開いた扉に向かい自らの武器を向けた。
「何奴!?」
「私だ」
そう言った予期せぬ訪問者は、その場にいる全員がよく知っている人間だった――。




