表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/12

第9話  すれ違う者たち

 それからいかにして戻ったのか。

 レイ親王耀青ヨウセイは、再び執務机に突っ伏していた。


「おかえりなさいませ、殿下」

 たおやかな声に面を上げる。一瞬、烏龍ウーロンのそれに聞こえた声の主は、側仕えの若者・ヨウだった。かつて宮廷劇団の女形として活躍していた、女人にょにんのようになよやかな美貌の持ち主である。彼は穏やかな顔に少しのはにかみをたたえ、主に歩み寄ってきた。

「お茶を、お持ちしました」

 しずしずと、皇族に仕える者らしく、礼儀正しく。目の前に蓋碗ガイワンを差し出された主・耀青の目が、杏仁きょうにんのようなかたちをした目が見開かれる。


「これは……」

 葉が差し出した物は皇帝の、炎帝エンテイの燃え盛る髪を練り込んだ蓋碗だった。烏龍に下賜かしされ、烏龍が、親王邸に置いていった。耀青は震える指で蓋を取る。


――――殿下。


 青く、甘く、清らかな香りの花が咲く。

 それは一瞬のことだった。耀青の目の前は、烏龍と初めて過ごした場所――烏蘭ウーランと、初めて出会った岩山の小屋――に変わったのだ。


 口づければ、茶の味は忘れもしない「烏龍のお茶」。朦朧とした中で感じた口づけの味そのものだ。夢中で飲み込み蓋碗の中を見れば、烏の濡れ羽色をし龍のようにうねった茶葉がある。

 葉は何も言わずに湯を注いでくれ、涙で汚れていた頬を拭ってくれた。耀青が見つめるとどぎまぎした、秘め事を覗いてしまったかのような顔で目をそらす。

「葉……」

耀青は、視線を合わせないままで、彼の頭に触れた。


 髪を剃り落とした部分をそっと、撫でてやる。途端に真っ赤になった葉は、再び、耀青を見つめた。

「殿下……」

「どうした? 私が涙するのはそんなに珍しいか」

「そ、そんな、そんなことは……」


 主がふふ、と笑うとますます赤くなる。食べるか? と、政務机に隠した茶菓子を差し出されれば、とんでもないと遠慮した。しかし目線は茶菓子に釘付けである。

 結局耀青にすすめられ、葉は、蓮の実の甘納豆を一粒だけ口にした。主の、皇族のおやつを食べてしまったことに恐縮する彼に、耀青は優しげな眼差しを送る。

 忠実で、慎み深く、主思いの一途な若者。どこか己と重なる気がする元・宮廷劇団の女形に、側仕えとして引き取った彼に、耀青は尋ねてみたいことがあった。


「葉」

「は、はい、何でしょう」

「もし、想いびとが『恋などしない』と言っていたら、あなたならどうするかな」


 葉が一瞬、びく、とする。

 誰もいないのだから、と、立ちっぱなしの彼に椅子をすすめ、耀青は立ち上がった。そのままゆっくりと窓際に歩み寄り、穏やかな声で続きを紡ぐ。

「舞台の上、物語の話ではなく、あなた自身の答えが聞きたい。もちろん……命令ではないゆえ、答えたくないならいいのだ。なにしろ突然の話だからね」

「殿下……」

「おっと、遠慮もしないこと。ここには大臣も他の皇族もいない」


 暫しの沈黙が流れる。

 二人は視線を交わさぬままでいた。耀青は窓の外を、葉は、蓮の実甘納豆と蓋碗を見つめている。それは永遠のようでもあったが、葉はふと、蓋碗を手に耀青に歩み寄った。

 そして真正面から耀青を見つめ、言ったのだ。


「私は……一途に想い続けます」


 耀青の目が見開かれ、真円に、近くなる。

 葉は真剣な眼差しで蓋碗を差し出した。促された主が、耀青がそれに口づけるのをじっと、見つめている。

 そして再び言葉を紡いだ。


「『人ならざる者、人に恋をするべからず』……殿下、古来よりこの世には、叶わぬ恋というものもございます。物語の世界も同じこと。されど誰が想うことを止められましょう」

 唄うような、唱えるような。たおやかな、それでいて芯のある声は、耀青でさえ耳にしたことがないものだ。

「『秘すれども潰しはしまいわれだけがが心を知る唯一のひと』……このような歌もございます。例え叶わぬと知っても、私は、想い人の傍に居続けたいと。想いは伝えずとも潰さず、そう、思うのです」


 耀青は己が質問したことも忘れ、聞き入り、見入ってしまった。葉に物語の役が乗り移ったようだったのだ。

 当の本人は唇を閉ざした途端に顔を赤くする。出過ぎた真似を、と頭を床につけ何回もお辞儀をする彼を、耀青は、蓋碗を置いて抱き起こしてやる。

「殿下、な、なりません、誰かに見られたらまた……」

「ああ、『殿下の愛人』という噂か? 私は構わんよ」

「し、しかし……!」


 途端に焦りだした葉。抱き起こされ、そのまま椅子まで運ばれれば、うって変わった緊張のし方に耀青の唇がほぐれた。思わず漏れた笑みにますます葉の顔は赤くなる。

「いっそ皆に見せつけてやろうか、葉」

「殿下! からかわないでください!」

「あはは……その調子だ。木蘭ムーランの気の強さを少しは分けてもらったようだね」

「殿下! もう!」


 悲鳴にも似た声を上げた葉。恥じらい両手で顔を覆った彼を、耀青はほんの一瞬、強く強く抱きしめ、言った。

「ありがとう……」と。

 その日、二人は、お互いの見たこともないような表情を目にしたのだった。





 皇宮はすっかり夜に包まれ、月の光が世を照らす。

 月光の下で作られるお茶もあったな、と思いながら、耀青は足早に歩を進めた。

 目指すは炎帝の部屋。腹違いの兄・耀煌ヨウコウの住まいである。

 葉には先に屋敷へ戻るようにと伝えた。もちろん、理由は打ち明けていない。心配していた葉だが深くは尋ねないでいてくれ、彼と別れたのはつい先ほどのことだった。


――――遅くならないうちにお戻りくださいね。


 葉の言葉が、少し、寂しそうな顔が浮かぶ。

「お戻りください……か」

これから己がしようとしていることを知ったら、葉は。彼と共に仕えてくれている木蘭は、どう、思うだろうか。

 愚かなことをと思われるかもしれない。今更遅い、とも。木蘭にはまた叱られるかもしれない。

 だが皇后の言葉を聞いた以上、このままでは、いられないのだ。


 皇帝の居室は静けさに包まれていた。近づき、扉が自然に開いたところを見ると、どうやら耀煌は留守らしい。耀青は礼もそこそこに部屋の中へと足を踏み入れた。

 予期せぬ訪問者にうごめく壁は、床は、ぐちゅぐちゅと妖しくおぞましい音を立てる。一歩、一歩を踏み出すたび、耀青の頭に額に滲む高貴な汗は、散りばめた宝石のよう肌を伝った。皇帝の寝台に近づけば近づくほどにその煌めきは増してゆく。

「烏龍…………」


 烏龍は、耀青が助け出した「お茶の精」は、帳の向こうで安らかな寝息を立てていた。

 お茶を飲んでいたのだろうか。唇はしっとりと濡れ、頬は、白無垢の色。豊かな睫毛に彩られた目をやわらかく閉じ、胸を、小ぶりな胸をゆっくりと上下させている。

 ふと、烏龍の唇からかすかに息が漏れた。耀青が帳の中へと進むと、むせかえるような濃い香りに混ざって、烏龍の青く清らかな香りがする。


「耀……」

「烏龍?」

「耀、青…………」

 耀青は耳を疑った。


 そのようなはずは。彼女を、見放したも捨てたも同然の己の名を、どうしてと。幻聴だと思った。しかし繰り返し呼ばれる名前は確かに彼のものである。腹違いの兄である皇帝・耀煌ではない、まごうことなき親王「耀青」の名前である。


 今、ここに、炎帝はいない。


 耀青は烏龍の頬に触れ、髪を、撫でた。途端に烏龍の身体はぷる、と、杏仁豆腐のように揺れる。久しぶりに目にする寝顔、華奢だがやわらかな身体に、耀青は思わず彼女を抱きしめる。

「んん……っ」

 散る花びらのような声が、烏龍が、目を覚ます気配がした。今だけは、今だけは逃すまいと、耀青の腕に力が込められる。

「耀、青…………?」


 途端に黒髪がさわついた。

 閉ざされた寝台の中、揺らめく髪が翼のように広がってゆく。烏龍はみるみるうちに目に涙を溜め、それは、煮詰めた真珠がふきこぼれたよう溢れだす。

「は、放して、放してください! どうしてここに……!」

「烏龍、すまない、どうしても話を聞いてほしいのだ、頼む!」

「話……何の話ですかっ、放して、ここは陛下の……」

 途端に声の糸が断たれる。


 耀青は、烏龍の唇を奪っていた。初めてのときとは比べものにならぬほどに、深く、熱く、甘く。ほんの一瞬こわばった烏龍はすぐにほどけてゆく。

「んっ……んぅっ、ぁ」

帳の中はたちまち芳香に包まれた。あの夜と同じ、二人の間を隔てるものなど何もなかった夜と同じ、烏龍の香りがする。香りと、声と、絡みあう舌の音に呼応した壁が床がぐちゅぐちゅとうごめく。


 ようやく唇を離した耀青は烏龍を抱きしめ、勢いのまま寝台に倒れた。腹違いの兄が過ごした年月が、ひとりぼっちで飲み漁った茶が貪った菓子が、濃厚な香りとなって染みついた寝台へと。抱きしめられたままの烏龍は厚い胸板、たくましい腕の中で身悶える。

「どうして……? どうして、今、『愛している』と……」

 見つめてくる、青みがかった翡翠の色。あの夜の記憶が寄ってたかって耀青を刺す。


「私を許してくれとは言わない、烏龍。だがどうしても伝えねばならぬのだ……陛下とあなたが結婚すれば、この想いは、永遠に封印せねばならなくなる」

「結、婚……? わたしと、陛下が?」

「そうだ。明日朝にでも皇后娘娘じょうじょうが陛下に提案なさる。陛下は断りはしないだろう。あなたとの子供なら、喜んで、欲しがるはずだ」


 烏龍は驚愕に目を見開き、やがて、ぶるぶると震えだした。結婚し、子供を作るということが何を意味するのかは、人の世を知らない無垢な精霊にも分かってしまうのだろうか。次第に睫毛が濡れて涙がこぼれてくる。

「そんな、わたし、そんなこと……」

「烏龍、落ち着いてくれ。陛下はお優しいひとだ。きっと貴女を大事にしてくれ……」

「嫌! 嫌です! わたしは……わたしはあなたが、耀青が好きなのに!」


 突然声を張り上げた烏龍。耀青が、目を見開いていると、彼の胸に顔をうずめたではないか。

「どうして、言ってくださらなかったのですか? もっと早く知りたかった……わたしが、あなたにとって、烏蘭の代わりではなく私だったなんて」

「烏龍……」

「ずっと、あなたが好きでした。初めてお会いしたときから、ずっと。でも、でもっ……あなたは『愛など抱くものか』『恋も同じだ』と」


 溢れる涙は青みがかった緑の目を煌めかせる。森の奥深く、自分だけが知る秘密の場所で見つけた宝石のようだった。耀青の腕に抱かれた華奢な身体がわななく。


「あなたが本当に必要としているのは、わたしではなく、烏蘭。死んだ友、木蘭のお兄さま。ならわたしはわたしを必要としてくださる方の元へ行こう……そう、思いました。でも、あなたを好きという気持ちは、変わらなかった」

「言うな、まだ遅くはないのだ烏龍! 今からでもいい、陛下に私たちの仲を正直にお伝えしよう。そうすればきっと」

「もう遅いのです! 陛下を……わたしの痛みを分かってくださる陛下を、ひとりぼっちには出来ません!」


 やわらかな、たやすく壊してしまえそうな身体を精一杯よじって。烏龍は耀青から逃れようとする。離すまいとする逞しい腕の中で、次第に青い衣が乱れ、白い、無垢な肌が露わになる。

「烏龍、お願いだ、どうかやり直してくれ!」

耀青の声が白磁のような肌を震わせる。寂しくも甘い黒髪の香り、やわらかな、杏仁豆腐にも似た感触が、心の隙間に忍び込み妖しげな気分へと変わってゆく。

「嫌……嫌、ぁ、放して……!」

「烏龍!」

耀青が、再び、烏龍の唇を奪おうとしたときだ。


「陛下」の声が。業火ごうかのような声が、熱と共に響きわたった。


 炎帝は、皇帝・耀煌は大股で寝台に歩み寄ってきた。途端に二人の肌に汗が滲む。灼熱をまとった燃え盛る髪の皇帝は、帳を引きちぎり、耀青の一本に編んだ髪を掴んで引きずり出す。


 「……この、裏切り者めが。烏龍を手込めにした罪、万死に値する」


 なんという凶暴な眼差しか。燃え盛る髪には黒い煙が混ざり、まるで、怨念のようではないか。加えて焼け跡のようなにおいもする。

「陛下! 耀青、は……!」

「そなたは黙っておれ」

 烏龍の声さえろくに聞こうとしないではないか。耀青は、後頭部の痛みに耐えながら、必死に身体を起こし炎帝と向き合った。

「陛下、私の話を聞いてください!」

炎帝は答えない。ただ、黙りこくり、耀青を見つめている。今まで一度も見せたことのない顔である。


 重苦しい沈黙が流れ、部屋を、支配した。耀青は、炎帝は、互いから少しも目をそらさずに見つめあう。

 すると、炎帝は突然、涙を流したではないか。


 業火の形相はみるみるうちに幼子になり、よろよろと、帳の中の烏龍に歩み寄る。乱れた衣のままで出てきた彼女と、二人は、傷だらけの龍と精霊のよう抱きあった。紅と黒の揺らめく髪は互いを癒そうとしているかのよう、肌を、頬を撫でてやる。

 耀青は暫くの間呆然と、二人の、傷ついた心を身体を寄せあう姿を眺めていた。やがて烏龍が眠るように気を失うと、紅い髪が、彼女を包み寝台の上に横たえる。


 炎帝は耀青に向きあった。耀青は、床に崩れたままで炎帝を見上げる。大きく逞しい肉体が髪の翼を広げた姿は、まさに、炎の皇帝そのものである。

 だが、こぼれた声はひどく、幼かった。


「分かっていた。分かっていてもな、朕は……そなたを信じておった」


 その夜皇宮は、親王投獄により、再び爆竹を鳴らしたような騒ぎに包まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ