第10話 狂おしいもの
耀青が投獄された。
烏龍がそのことを知ったのは、翌朝だった。
主がいない屋敷の部屋で目を覚ませば、傍には、耀青に仕える女官が。耀青が永遠に失った友の妹・木蘭がいてくれた。
「娘娘が……あたしを呼んでくださいました。烏龍様のお傍にいるようにと」
「皇后娘娘が……?」
「はい。これから陛下の御子を産む身、自害でもされたら烏蘭の二の舞よ、と……」
虎のように気が強い彼女の目に、涙が滲む。
烏龍が、白々とした手を伸ばすと、木蘭は無理矢理笑って握ってくれた。彼女の手はあたたかく、だが確かに震えて、烏龍が両の手で包むと涙をこらえる声がする。
皇后の主導により、烏龍の結婚話は着々と進んでいるようだった。炎帝は何も答えずただ「好きにせよ」と、未だ、部屋にこもり出てこないままだという。政務を一手に引き受けていた親王が投獄され、皇帝は、閉じこもったままとあって、皇宮の混乱ぶりは嫌でも風に乗って香ってきた。
――――何が「お茶の精」だ。殿下を惑わせ破滅させる妖魔ではないか。
――――まったくだ。か弱いふりをしてようやりおる。
――――ああ恐ろしや、茶師の怨念死しても続く……。
烏龍の名を忌々しげにつぶやく者あり。
――――やっぱり思った通りだわ! あの者は殿下の愛人だったのよ。
――――陛下と殿下が愛を争うなんて、なんてうらやましいのかしら。
――――ねえ本当に側室に封じるの? 皇后娘娘の立場が無いじゃない。
皇族の色恋沙汰に色めき立つ者あり。
茶の葉は香りに貪欲である、とはよく言ったもの。あまりに多くの思念を吸い込み、烏龍は、長らく体調が優れなかった。濃い緑色の耳葉もいくらか色あせて、艶がない。白い蕾にもいくらか茶色が混ざっていた。
世話をされ、守られてばかり。守ってくれていたひとは今、牢獄の中。
烏龍は己の非力に弱さに涙した。木蘭は何も言わずに頬を拭ってくれ、言ってくれる。
「あたしはずっと、一緒ですよ」と。
その目は兄を見る目ではなかった。
「ねえ、木蘭……」
「はい、烏龍様」
「…………わたし、耀青に、ひどいことを言ってしまった」
烏龍が起きあがるのを木蘭は止めようとした。そのまま「フカフカ」の背にもたれかかるようになり、深い呼吸をして、ゆっくりと続ける。
「どうして、と。もっと早く知りたかったと、言ってしまったの。耀青が『愛している』と伝えてくれたのに」
「烏龍様……」
「彼が、苦しんで、やっと伝えてくれた言葉を、わたしは素直に受け取れなかった。嬉しかったのに、それを、認められなかったの。耀青よりもわたしの心にあってわたしを縛っているものを、信じてしまった。それにわたし……」
「烏龍様!」
木蘭が烏龍を強く抱きしめてくる。小ぶりな胸がぷにゅ、と彼女の胸で潰れて、顔のすぐ近くで、木蘭の吐息がした。そろそろと手を伸ばしてみれば震える背中がそこにある。
「どうかご自分を責めないでください。殿下のお気持ちも、烏龍様のお気持ちも……いいえ、心というものは皆、思うようにはいかないものでございます」
「皆……?」
「兄もそうでした。恋というものを知った兄は、それはそれは苦しんでいましたから。地獄だと、思い詰めることさえあったといいます……。『伝えればいいでしょう』そう言えるのは、他人事だからでした」
苦笑する木蘭。彼女の言葉に心が少し、ほぐれた気がして、烏龍はお茶をしようと言った。
卓の上には烏龍の元へと戻った蓋碗が。炎帝から下賜され、一度は耀青の元へゆき、今再び手の中にある蓋つき茶碗が、ほんのりとあたたかみを帯びている。
練り込まれた紅髪はゆらゆらと、心模様を描いているかのようだった。今の烏龍、炎帝そして耀青の。
麗親王耀青。
皇帝・耀煌。
二人を助ける道が、もし、あるのなら。
烏龍は、ふと、面を上げた。
「殿下……。殿下」
「んんっ……あ、ぁ」
全身が痛むように寒い。それに誰かの泣き声がする。
「どうか目を覚ましてください……! 殿下、殿下ぁ!」
その声は側仕えの若者・葉。自分の身体を揺すっているのは彼だろうか。
麗親王耀青は面を上げた。
「殿下あぁ!」
顔を真っ赤にした葉が抱きついてくる。そのまま床に押し倒されるようになって、思わず、目を強く閉じた。
途端にあるひとの姿が浮かぶ。
暗闇の中で青みがかった緑の色が、耀青をじっと見つめていた。次第に明らかになる姿はかつて己が助け出し、名前を授けた精霊・烏龍。手を伸ばし抱きしめようとするが身体が動かない。
そして彼女の姿は消える。
すがりついてくる葉を抱きしめ、あやすようにしてやりながら、耀青は己の身に起きたことを思い返した。
想い続けていたことをやっと受け入れ、烏龍に、愛を打ち明けた。物語の世界なら幸せな結末を迎えたことだろう。だがそうはいかなかった。激怒した兄・耀煌によって投獄され、彼の正妻である皇后によって獄中で告げられたのは。
烏龍を今宵、耀煌に嫁がせるということ。
あまりに急ではないか。烏龍は心も身体もまこと弱っているだろうに。そのような状態で子作りなど出来るものか。耀煌の母と、先帝の最愛の皇后と同じ目に遭わせる気か。
烏龍が耀煌との結婚を望んでいるのならば、いい。自分も素直に祝福することだろう、一抹の痛みを抱きながらも。しかし彼女が好きだと言ったのは、己なのだ。
せめて、彼女の望むように。彼女だけでも苦しまずに済むようにしてやりたい。
耀青が、面を上げたときだった。
「耀青……!」
ああ、ついに、己は幻を聴くまでになったか。烏龍の声がして身体を起こした耀青が、苦笑すると、葉が甲高い悲鳴を上げあんぐりと口を開ける。
「う、う、う……」
「何だ……どうしたというの、だ……」
耀青は絶句した。
格子の外には、木蘭にそっくりな装いをした烏龍がいたのである。耳を隠すよう髪を結い、薄化粧をし、青衣ではなく女人の衣装をまとった烏龍が。儚げながらも隠しきれない美しさに耀青は思わず手を伸ばす。
「耀青」
烏龍はその手をきゅ、と、握り。
「愛しています」そう言った。
耀青も同じ言葉を紡ぐ。格子越しに、やっと想いを通わせた二人は、しばしの無言の後に言葉を交わしはじめる。
「烏龍、なんてことをしているのだ、早く戻りなさい。知られればただでは済まない」
深く、まろやかな声は、後悔と狂おしさに震えていた。烏龍は耀青の、いくらか色あせた手を握ったままで応える。
「耀青、これは、わたしが望んでしていること、です。わたしはあなたも……陛下も、助ける。そう決めました」
「陛下も……?」
「わたし、陛下を、『天空の茶園』へ連れてゆきます」
耀青が、烏龍の手を握り返す。
「烏龍、そなた、本気で……?」
烏龍は黙って頷いた。そして少しずつ手を伸ばし、耀青を、格子越しに抱きしめる。
「耀青、ごめんなさい。わたしは、陛下からも、あなたへの想いからも、逃げていました。だから、わたし、今度こそ向きあいます。あなたを、助け、ます」
「烏龍……」
「耀青。もし、わたしが戻ってきたら、わたしと結婚してください。ずっと、一緒に、いると。約束してください。陛下をゆるしてあげてください」
頷く以外に。
私もだ、と答える以外に何が出来るというのか。耀青は自らも烏龍を抱きしめた。
格子に阻まれ口づけることは叶わない。今は、ただ、儚げながらも懸命に道を切り拓こうとしている茶樹の精霊を、目に焼きつけるのみである。初めて女人の装いをした烏龍を。
愛する者を。
やがて烏龍は去った。
暗く、寂しい牢獄の中で、葉のすすり泣きがした。




