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「男の子でしょ、それくらい。それに貴方、命の恩人に対してずいぶんと口が減らないじゃないわね」
「恩には感謝してますけど……でも俺、ついさっきまで日本……いや、えーと平和な場所?にいた普通の学生だったんですよ!?
ミレナはピタリと足を止め、振り返った。
その冷ややかな視線は、背負わされた荷物よりも重くアヤトにのしかかる。
『日本』という聞き覚えのないワードにどうにも引っ掛かるらしい。
「日本? なによそれ。随分と聞き覚えのない地名だけれど」
「いやまぁ。はい、なんでもございません。ちなみにここはどういった地名で?」
「貴方そんなことも知らないで冒険者になったの?呆れた……」
ミレナが言うには、どうやらこの地域は『ルミナリア』という地名らしい。
正式には近郊都市部に位置する『アステリア』が今二人が目指す場所のようだ。
聞き覚えのない国名、都市名に、頭は完全に処理落ちしていた。聞き慣れない単語ばかりが飛び込み、理解が追いつかない。
今理解できるのは日本や地球とは別の場所、世界だという事だけか。
「で貴方はどうやってここに来たわけよ?」
「いやそれが。学校の屋上から落ちて……目が覚めたら、てきな?」
「てきな? じゃないわよ。なによそれ……じゃぁ何、貴方はその日本?ていう所からこの世界にワープしてきたって言いたいわけ?バカバカしくて話にならないわよ」
「いや俺だって信じられないですよ! でも本当なんですって。ほら、この服だって見たことないでしょ?」
アヤトは自身の着ている白いシャツと、グレーのパンツを引っ張って見せる。確かに、ミレナの着ているような動きやすさを重視した冒険者の軽装とは、明らかに素材も仕立ても異なっている。
「……まぁ、確かに奇抜な服ではあるわね。それに、さっきの異常な魔力増幅。あれも従来の常識では考えられない」
ミレナは再びアヤトを上から下まで値踏みするように見る。
その視線が下半身の湿った部分を通過した時、あからさまに眉間に皺を寄せた。
「とりあえず、貴方の妄言が嘘か誠かなんてことは後回しよ。日が暮れる前にアステリアの街に入るわよ。 夜になれば、ゴブリンなんて目じゃないくらい凶暴な魔物が徘徊し始めるんだから。あぁ荷物を落としたら、あんたを魔物の餌にするから」
ミレナの冷酷な宣告に、アヤトは半泣きになりながら重いズタ袋を背負い直す。濡れたズボンが太ももに張り付き、歩くたびに不快な摩擦を生む。
立ち止まれば魔物の餌食になるか、このドSな美少女に切り捨てられるかの二択だ。選択肢はもとより存在などしなかった。
しばらく無言で歩き続けると、前方の暗闇が次第に薄れ、ぽっかりと空いた洞窟の出口から微かな風と光が差し込んできた。
荷物の重さも忘れ、アヤトは早足で出口へと向かう。
外に飛び出すと、視界いっぱいに広がったのは、沈みかけの夕日に赤く染まった広大な平原と、遥か遠くにそびえ立つ巨大な城壁。
アヤトは呆然と立ち尽くした。
地球では到底見られないような、翼が七色に輝く鳥が空を舞い、城壁の向こうには見慣れない建築物の尖塔がいくつも連なっている。
本当に自分は別の世界に来てしまったのだと、その景色が強烈に実感させた。
「景色に感動しているところ悪いけれど、街に入る前に一つだけ言っておくわ」
ミレナはアヤトの横に立ち、冷ややかな視線を彼の下半身へと向けた。
「その社会的に死にそうな惨状ってやつ、街の通行人に見られたら間違いなく不審者として通報されるかもね」
「だから洗ってってお願いしてるじゃないですか。ミレナさんの水魔法でシャーって!」
「却下よ。そんなに私の魔法で貴方の下半身を貫かれたいなら……やってもいいけれど?」
本気かそれとも冗談かで言っているのか、ミレナは右手を構え狙いをアヤトの下半身へと向ける。
「え……それは。遠慮しときます!」
「というわけで……そっちよ」
ミレナが顎でしゃくった先には 街道から少し逸れた場所に、緩やかに流れる小川があった。
夕日を反射してキラキラと輝き、せせらぎに耳をすませば風流な気分になるだろう。
「川……ですよね。えっと……あそこで自力で洗え、と?」
「当たり前でしょ。私の尊い水魔法は戦闘用よ。貴方の粗相の始末をするためのものじゃないのよ。さぁとっとと行ってきなさい。時間は三分。遅れたらそのまま置いていくわよ」
「三分で何ができるんですか!?」
「はい十秒経過。残り二分五十秒ね」
アヤトは背負っていたズタ袋を地面に丁寧に(ミレナの視線が怖かったので)置き、 小川に向かって一直線に駆け抜けていく。
冷たい川の水に下半身を突っ込み、必死にズボンをこすり洗いする。夕暮れの風が濡れた肌に吹き付け、 あまりの冷たさに歯の根が合わない。
規定時間ギリギリで、下半身ずぶ濡れのまま震えながら戻ってきたアヤト。
「まっ、アンモニアの臭いよりはマシかしらね。……あと言っておくけれど、袋まで濡らしたりしたら、 そのときは命ないから」
満面の笑顔で、しかし瞳の奥には絶対零度のプレッシャーを放ちながらミレナは言い放つ。
アヤトが腰を不自然に引いて、大事なズタ袋に自分のズボンが触れないようなへっぴり腰の体勢をとったのを見て、ミレナは堪えきれずに小さく吹き出した。
「わ、 笑うことは……」
「ふふっ……。 本当に滑稽な男ね。だって仕方ないじゃないの……寒さに耐えながら半泣きで粗相を拭うところ見せられたんだもの。……ふっ」
ミレナは口元を手で覆い、肩を震わせている。
その笑い顔は、先ほどまでの女王様のようなものではなく、年相応の可愛らしい少女の表情だった。
アヤトは寒さと恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、その笑顔からは目を逸らせないでいた。
「み……みなもさん」
「あんたねぇ。またそれ?誰よそのみなもって女は。私をそんな名前で呼ぶなって言ったわよね?」
「すみません……つい。いやでも本当にその、ミレナさんにそっくりでして。顔も声も……あと性格悪そうでドSなとことかも」
「はぁ?なによそれ。私の偽者でもいるっていうのかしら?それと最後……何か言ったかしら?私耳は良いのよねぇ」
聞こえないようにボソリと呟いたつもりであったが、彼女の地獄耳には筒抜けであったようだ。
咄嗟に身振り手振りを交えて大げさに誤魔化そうと、『天使』だの『女神』だのという言葉で詭弁を弄する。
「調子がいいわね全く。どうせそのみなもって女にも、そうやって情けなく泣きついて迷惑かけていたってところなんでしょうね。心底同情するわ」
言葉に詰まる。
確かに泣きついた記憶はあるが、実際は学校内では高値の花すぎて、元の世界の川町みなもとはあまり話したことはないのが現実だ。
気付けば、今日一日だけでミレナと交わした会話の方が、みなもと話した時間より長かった。
それが少しだけ可笑しくて、少しだけ寂しかった。
「はは……そうかもしれないですねー」
乾いた愛想笑を浮かべるアヤトを横目に、ミレナは興味なさそうに歩を進める。
ミレナは深く、ひときわ長い感嘆の息を吐き出した。何かを言いかけようとしたのをぐっと飲みこみ、 こめかみを指で押さえながら、心の底から蔑むような視線をアヤトに向ける。
「そう……。モタモタしてると夜になるから、詳しい話は街についてから聞かせてもらうから。黙ってついて来なさいよね」
「えー」
「うるさい!」
「すみません調子乗りました。捨てないでください!」
ひと睨みで口をふさがれ、項垂れながらミレナの後ろを歩く。
これ以上の無駄口は、立場を悪くするだけだと悟った。




