第三話 ギルドマスターの仕事
王都冒険者ギルド本部の朝は、うるさい。
扉が開く音。
革靴が床を踏む音。
剣や鎧がぶつかる音。
依頼書を貼り替える音。
受付に並ぶ冒険者たちの声。
王都最大の冒険者ギルド。
そこには毎日、魔物討伐、護衛、荷運び、薬草採取、遺跡調査、迷子探しまで、あらゆる依頼が持ち込まれる。
そして、そのすべてを最終的に管理しているのが、ギルドマスターであるレオン・ガルディアだった。
レオンは執務室の机に座り、山のような書類を前にしていた。
レオン「……多いな」
セシリア「昨日、孤児院で屋根を直していた分です」
セシリア・ノートは、いつも通りきっちりとした服装で、レオンの机の前に立っている。
銀縁の眼鏡の奥の目は冷静だが、少しだけ圧があった。
レオン「屋根は大事だ」
セシリア「ギルドの承認書も大事です」
レオン「分かっている」
セシリア「分かっている人は、会議中に突然消えません」
レオン「緊急事態だった」
セシリア「孤児院の屋根ですね」
レオン「ああ」
セシリア「それは理解しています。ですが、こちらも緊急事態です」
セシリアは机の上に、新しい書類の束を置いた。
どさり、という重い音がした。
レオンは無言でそれを見た。
――魔王軍の将より手強い。
そう思ったが、口には出さなかった。
セシリア「本日の予定です。午前は依頼承認。昼前に新人冒険者の登録確認。午後は北方魔獣の対応会議。その後、商会からの苦情処理。夕方には騎士団との連絡調整」
レオン「夕方は孤児院に寄る」
セシリア「予定に入っていません」
レオン「入れてくれ」
セシリア「すでに無理やり空けています」
レオン「助かる」
セシリア「助けているわけではありません。放っておくと、マスターが勝手に抜け出すからです」
レオン「信用がないな」
セシリア「積み重ねの結果です」
レオンは反論できなかった。
執務室の外では、今日もギルドの一日が始まっている。
受付では職員たちが忙しく動き、冒険者たちは依頼掲示板の前で肩をぶつけ合っていた。
若い冒険者が声を上げる。
新人冒険者1「おい、これ受けようぜ! 森の魔狼討伐だってよ!」
新人冒険者2「でも、推奨ランクD以上って書いてあるぞ」
新人冒険者1「平気だって! 俺たち三人いれば余裕だろ!」
その会話を、近くで聞いていた古参冒険者が鼻で笑った。
古参冒険者「三人いれば棺桶も三つ必要になるな」
新人冒険者1「な、なんだと!」
古参冒険者「字が読めるなら推奨ランクも読め。死にたくなけりゃ、最初は薬草採取でも受けとけ」
新人冒険者3「薬草採取なんて地味な依頼、冒険者っぽくないだろ!」
その言葉に、執務室から出てきたレオンが足を止めた。
受付周辺が一瞬で静かになる。
新人冒険者たちが、ぎこちなく背筋を伸ばした。
レオン「薬草採取が地味か」
新人冒険者3「あ、いや、その……」
レオンは依頼掲示板から一枚の紙を取った。
レオン「この薬草は、解熱薬に使う。今、王都の治療院で不足している」
新人冒険者1,2.3「「「……はい」」」
レオン「こっちは止血薬。戦場から戻った兵士に必要だ」
新人冒険者1「はい」
レオン「そしてこっちは、子どもの腹痛に効く」
新人冒険者1,2,3「「「……」」」
レオンは依頼書を掲示板に戻した。
レオン「派手な依頼だけが冒険者の仕事じゃない。誰かが必要としているものを届けるのも仕事だ」
新人冒険者1「す、すみません」
レオン「謝る相手は俺じゃない。依頼書だ」
新人冒険者1「依頼書にですか!?」
レオン「冗談だ」
新人冒険者は固まった。
周囲の冒険者たちは、小さく笑う。
セシリア「マスター。冗談が分かりにくいです」
レオン「そうか?」
セシリア「その顔で言うと、命令に聞こえます」
レオン「気をつける」
その時、受付の奥から別の職員が慌てて走ってきた。
受付職員「副マスター! マスター!」
セシリア「どうしました?」
受付職員「倉庫の報酬袋が一つ、足りません」
ギルド内の空気が少し変わった。
冒険者への報酬は、依頼完了後に支払われる大事な金だ。
それが一つでもなくなれば、信用問題になる。
セシリアの表情がすっと冷えた。
セシリア「どの依頼の報酬ですか?」
受付職員「昨日完了した西街道の護衛依頼です。銀貨三十枚分の袋が、確認台帳にはあるのに、倉庫の棚にありません」
古参冒険者「盗みか?」
新人冒険者「ギルドの中で?」
周囲がざわつき始める。
レオンは片手を上げた。
それだけで、ざわめきが少し静まった。
レオン「騒ぐな。まず確認する」
セシリア「倉庫へ」
レオン「ああ」
二人は受付奥の倉庫へ向かった。
倉庫には依頼品、報酬袋、預かり荷物、討伐証明の素材などが整然と並んでいる。
本来なら、ギルド職員以外は入れない場所だ。
セシリア「昨日の担当は?」
受付職員「私と、見習いのノルです」
レオン「ノルは?」
受付職員「今、受付裏にいます。かなり青ざめています」
セシリア「呼んでください」
しばらくして、一人の少年が連れてこられた。
ノルはまだ十六歳ほどの見習い職員だった。
栗色の髪を短く切りそろえ、緊張で手を握りしめている。
ノル「ぼ、僕、盗んでません!」
レオン「まだ何も聞いていない」
ノル「でも、みんなそう思ってます」
レオンはノルの顔を見た。
怯えている。
怒っているというより、怖がっている顔だ。
――嘘をついている顔ではないな。
レオンはすぐにそう判断した。
もちろん、それだけで決めつけはしない。
だが、少なくとも今のノルは、誰かをだまそうとしている顔ではなかった。
セシリア「ノル。昨日の手順を最初から説明してください」
ノル「は、はい。護衛依頼の報酬袋を三つ、台帳と照らし合わせました。そのあと棚の二段目に置いて、鍵を閉めました」
セシリア「棚の二段目ですね」
ノル「はい」
レオン「鍵は?」
受付職員「倉庫の鍵は私が持っていました。夜に確認した時は閉まっていました」
セシリア「今朝、最初に気づいたのは?」
受付職員「私です。台帳と数が合わなくて」
レオンは棚の前に立った。
報酬袋が並んでいる。
銀貨、銅貨、依頼品の引換札。
足りないのは、西街道の護衛依頼の報酬袋一つ。
レオンは棚を見つめた。
二段目。
その上の三段目。
下の一段目。
そして、棚の横に積まれている古い依頼品の木箱。
レオン「昨日、この倉庫で何か倒したか?」
ノル「え?」
レオン「棚か箱にぶつかった覚えは?」
ノルは目を泳がせる。
ノル「……あ」
セシリア「心当たりが?」
ノル「昨日、箱を運ぼうとして、少しだけ棚にぶつかりました。でも何も落ちなかったと思って……」
セシリア「なぜ報告しなかったのですか」
ノル「すみません! 忙しくて、その、問題ないと思って……」
レオンは棚の横にしゃがんだ。
木箱と壁の間に、わずかな隙間がある。
手を差し込むには狭い。
だが、小さな袋なら落ちるかもしれない。
レオン「セシリア、灯りを」
セシリア「はい」
セシリアが小さな魔灯をかざす。
隙間の奥で、布の端が見えた。
レオンは近くにあった細い棒を取り、隙間の奥を慎重に引っかける。
やがて、小さな革袋がころりと出てきた。
受付職員「あっ!」
ノル「そ、それです!」
セシリアが袋を受け取り、封を確認する。
セシリア「封印は無事。中身も……銀貨三十枚、揃っています」
倉庫の空気が、ほっと緩んだ。
ノルはその場に崩れ落ちそうになった。
ノル「よ、よかった……」
レオン「盗みではなかったな」
受付職員「申し訳ありません。確認不足でした」
セシリア「全員に説明します。騒ぎになる前に終わらせましょう」
レオン「ああ」
ノルはまだ顔を伏せていた。
レオンはその前にしゃがむ。
レオン「ノル」
ノル「はい……」
レオン「失敗は報告しろ」
ノル「はい」
レオン「小さい失敗を隠すと、大きい事件になる」
ノル「……はい」
レオン「だが、盗んでいないなら胸を張れ」
ノルが顔を上げる。
レオン「疑われるのはつらい。だが、自分がやっていないことまで背負う必要はない」
ノル「マスター……」
レオン「次からは、棚にぶつかった時点で報告だ」
ノル「はい!」
レオン「それと、棚の横の隙間は今日中に塞ぐ」
セシリア「倉庫管理規定も見直します」
レオン「また書類か」
セシリア「はい。マスターの承認が必要です」
レオン「……そうか」
ノルは少しだけ笑った。
レオンはそれを見て、静かに立ち上がる。
――笑えるなら、大丈夫だ。
ギルドも孤児院も、似たようなものだとレオンは思う。
大人が多いか、子どもが多いか。
剣を持っているか、木のスプーンを持っているか。
違いはある。
けれど、誰かが失敗し、誰かが助け、誰かが叱り、誰かが笑う。
その繰り返しで、場所は回っている。
受付に戻ると、冒険者たちが一斉にこちらを見た。
古参冒険者「どうだった?」
セシリア「盗難ではありません。棚裏への落下でした。報酬は無事です」
新人冒険者1「なんだ、よかった」
別の冒険者「誰かが盗ったんじゃなくて安心したぜ」
ノルはその言葉を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
だが、一人の冒険者が軽い調子で笑った。
冒険者「見習いがドジっただけかよ。人騒がせだな」
ノルの顔がまた曇る。
レオンはその冒険者を見た。
ただ見ただけだった。
だが、その冒険者はすぐに口を閉じた。
レオン「人は失敗する」
冒険者「……はい」
レオン「失敗した後、どうするかを見るのがギルドだ」
冒険者「すみません」
レオン「謝る相手は俺じゃない」
冒険者はすぐにノルの方を向いた。
冒険者「悪かった」
ノル「あ、いえ……」
レオン「それでいい」
セシリア「では、この件は終了です。皆さん、通常業務に戻ってください」
その一言で、ギルドはまた動き出した。
依頼書を選ぶ者。
受付に並ぶ者。
酒場で朝から飲もうとして職員に止められる者。
新人をからかう古参。
それを注意する受付係。
いつものギルドの日常が戻ってくる。
レオンは掲示板の前に立つ新人冒険者たちを見た。
先ほど魔狼討伐を受けようとしていた三人組は、今度は薬草採取の依頼書を真剣に読んでいる。
新人冒険者1「これ、場所どこだ?」
新人冒険者2「南の森の浅いところだって」
新人冒険者3「薬草の絵、これで合ってるか?」
古参冒険者「おい、薬草と毒草を間違えるなよ。最初は受付で確認してもらえ」
新人冒険者「はい!」
レオンはそれを見て、小さくうなずいた。
セシリア「満足そうですね」
レオン「少しな」
セシリア「では、満足したところで執務室へ戻りましょう」
レオン「もう少し現場を見てから」
セシリア「戻りましょう」
レオン「……分かった」
結局、レオンは執務室に戻された。
机の上には、変わらず書類の山がある。
レオンは椅子に座り、判を手に取った。
判を押す。
内容を確認する。
また判を押す。
剣を振るうより退屈だ。
だが、剣を振るうより大事な時もある。
依頼の危険度を間違えれば、新人が死ぬ。
報酬の額を間違えれば、冒険者が生活できない。
許可の遅れで薬が届かなければ、誰かが苦しむ。
書類はただの紙ではない。
紙の向こうには、人がいる。
レオンはそれを知っているから、嫌いでも手を抜かなかった。
レオン「……これは危険度を一つ上げろ」
セシリア「理由は?」
レオン「依頼地が戦場跡に近い。魔物だけじゃなく、不発の魔導具が残っている可能性がある」
セシリア「確認します」
レオン「こっちは報酬を少し上げる。荷が重い割に安すぎる」
セシリア「依頼主に交渉します」
レオン「これは却下だ」
セシリア「貴族家からの護衛依頼ですが」
レオン「護衛対象が書かれていない。目的地も曖昧だ。新人を安く使う気だろう」
セシリア「同感です」
二人は淡々と仕事を進めていく。
口では文句を言いながらも、レオンの判断は早い。
セシリアの処理も正確だった。
昼前になる頃、執務室の扉が叩かれた。
セシリア「どうぞ」
入ってきたのは、古参冒険者のバルド・ロックスだった。
四十五歳の大男。
厚い胸板に、太い腕。
豪快な笑い声が似合う男だが、今は少しだけ真面目な顔をしている。
バルド「よう、マスター。忙しそうだな」
レオン「見ての通りだ」
バルド「なら、ついでに一つ頼みがある」
セシリア「忙しい相手に、ついでで頼みを増やさないでください」
バルド「副マスターは今日も切れ味いいな」
セシリア「鈍らせる予定はありません」
バルドは苦笑し、レオンの机に一枚の依頼書を置いた。
バルド「新人どもに、南の森の薬草採取をやらせたい。俺が付き添う」
レオン「さっきの三人か」
バルド「見てたのか」
レオン「ああ」
バルド「あいつら、勢いはある。だが、危なっかしい」
レオン「だから薬草採取か」
バルド「地味な依頼をなめる奴は、早めに地味な依頼で転ばせた方がいい」
レオン「いい判断だ」
バルド「で、ついでに孤児院用の薬草も少し採ってくる。どうせ必要だろ」
レオンは少しだけ目を細めた。
レオン「報酬は?」
バルド「いらん」
レオン「駄目だ。仕事には報酬を払う」
バルド「相変わらず固いな」
レオン「善意だけで回すと、いつか誰かが無理をする」
マーサの言葉を思い出す。
善意だけで動くと、かえって混乱する。
バルド「じゃあ、酒代くらいでいい」
セシリア「経費として処理できる範囲でお願いします」
バルド「ハハハ!本当に切れ味いいな」
レオンは依頼書に判を押した。
レオン「新人を頼む」
バルド「任せとけ」
バルドは依頼書を受け取り、部屋を出ていった。
その背中を見送って、レオンは少しだけ息を吐く。
セシリア「いい人ですね」
レオン「ああ。口は悪いがな」
セシリア「マスターの周りは、口が悪くて面倒見のいい人が多いですね」
レオン「俺も含めてか?」
セシリア「自覚が?」
レオン「少しある」
セシリア「なら、よろしい!」
午後になると、北方魔獣の対応会議が始まった。
会議室にはギルド職員、Aランク冒険者、王都防衛隊の連絡役が集まっている。
机の上には地図が広げられ、北方の街道に赤い印がつけられていた。
連絡役「大型魔獣は、まだ街道近くにいる可能性が高いです。商隊に被害が出る前に討伐隊を出したい」
Aランク冒険者「数は?」
連絡役「確認されたのは一体。ただし、足跡が複数あります」
セシリア「群れの可能性がありますね」
レオン「討伐隊は少数精鋭にする。新人は近づけるな」
Aランク冒険者「了解」
連絡役「王都防衛隊からも兵を出します」
レオン「兵は避難誘導と街道封鎖を優先しろ。討伐は冒険者がやる」
連絡役「しかし、それではギルド側の負担が」
レオン「魔獣討伐に慣れていない兵を前に出す方が危険だ」
会議室が静まる。
レオンの声は大きくない。
だが、その言葉には重みがあった。
魔物との戦いを知っている者の声だった。
レオン「勝つことより、死なせないことを優先する」
誰も反論しなかった。
会議は予定より早く終わった。
セシリア「珍しく順調でしたね」
レオン「珍しくは余計だ」
セシリア「では、次は商会からの苦情処理です」
レオン「何の苦情だ」
セシリア「ギルドが孤児院や避難民支援に関わると、商売の邪魔になるという内容です」
レオンの目が少しだけ鋭くなった。
レオン「誰だ」
セシリア「マルクス商会の代理人です」
レオン「あそこか」
マルクス商会。
王都で食料や薬を扱う有力商会の一つ。
表向きは立派な商人だが、孤児院や貧民街に粗悪な品を流しているという噂もある。
まだ証拠はない。
だが、レオンはその名前を覚えていた。
――そのうち、調べる必要があるな。
その時だった。
廊下の向こうから、慌ただしい足音が近づいてきた。
軽い足音。
全力で走っている子どもの足音。
セシリアが眉をひそめる。
セシリア「この足音は……」
レオン「トトだな」
次の瞬間、執務室の扉が勢いよく開いた。
トト「レオン兄ちゃん!」
セシリア「トト。ギルド内では走らないでください」
トト「ご、ごめん! でも、それどころじゃない!」
レオンは椅子から立ち上がった。
トトは息を切らし、髪を乱し、片手に何かを握りしめている。
小さな布切れだった。
泥で汚れた布。
端には、見覚えのない紋章の刺繍がある。
レオン「何があった」
トト「孤児院の裏の路地に、知らない子がいた!」
レオンの表情が変わる。
トト「俺より小さい子で、ぼろぼろで、何かから逃げてるみたいで……これ落として、すぐいなくなった!」
セシリア「子どもが?」
トト「うん! それで、その子が言ってたんだ」
レオン「何を」
トトは唾を飲み込んだ。
トト「『連れていかれる』って」
部屋の空気が、一瞬で重くなった。
レオンはトトの手から布切れを受け取る。
泥の下に見える刺繍。
それは、ただの飾りではなかった。
セシリアが横から覗き込み、目を細める。
セシリア「これは……商会の荷印ですね」
レオン「どこのだ」
セシリア「確認します。ですが、おそらく……」
レオン「マルクス商会か」
セシリアはすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、十分だった。
レオンは静かに息を吐いた。
さっきまでの書類仕事。
倉庫の小さな騒ぎ。
新人冒険者への説教。
それらとは違う種類の事件が、目の前に転がり込んできた。
トト「レオン兄ちゃん……」
レオン「よく知らせに来た」
トト「その子、助けられる?」
レオンは布切れを握りしめた。
ごつい手の中で、小さな布がくしゃりと音を立てる。
レオン「ああ」
その声は静かだった。
けれど、セシリアは知っている。
これは、レオンが本気で怒る前の声だ。
レオン「助ける」




