第八話 新人講習と紛れ込んだ問題児
王都冒険者ギルド本部の訓練場には、朝から若い冒険者たちが集められていた。
木剣を持った者。
革鎧を着た者。
まだ新品の靴を履いている者。
緊張して背筋を伸ばしている者。
逆に、少し強そうに見せようとして腕を組んでいる者。
全員、登録して間もない新人冒険者だった。
その前に立っているのは、レオン・ガルディア。
王都最大のギルドをまとめるギルドマスターであり、かつて竜を討ち、魔王軍の将を退けた元Sランク冒険者である。
新人たちは、目の前の大男を見て固まっていた。
レオン「今日の講習を始める」
その一言だけで、訓練場が静かになった。
レオンの隣には、セシリア・ノートが書類板を持って立っている。
さらに少し離れた場所には、古参冒険者のバルド・ロックスが腕を組んでいた。
バルド「全員、顔が硬ぇな」
新人冒険者1「だ、だってギルドマスターが直接……」
新人冒険者2「今日、戦闘訓練って聞いてたんですけど……」
新人冒険者3「もしかして、いきなり実戦ですか?」
レオン「違う」
新人たちは少しだけほっとした。
レオン「今日は、死なないための講習だ」
新人たちの顔が、また固まった。
バルド「ほらな。硬くなった」
セシリア「言い方が直球すぎます」
レオン「大事なことだ」
セシリア「それは否定しません」
レオンは新人たちを見渡した。
まだ若い。
目が前を向いている。
夢もある。
自分ならやれると思っている者も多い。
それは悪いことではない。
だが、その勢いだけで森へ入り、魔物の前に立てば、帰ってこられない。
レオンはそれを何度も見てきた。
――講習で怖がらせるくらいでちょうどいい。
死んでからでは遅い。
レオン「冒険者の仕事は、魔物を倒すことだけじゃない」
新人冒険者1「はい!」
レオン「薬草を採る。荷物を運ぶ。人を護衛する。迷子を探す。壊れた柵を直す。時には、孤児院の屋根も直す」
セシリア「最後のはマスター個人の経験ですね」
バルド「竜殺しの仕事内容じゃねぇな」
レオン「屋根を直せない冒険者は、雨の日に役に立たない」
新人たちは真剣にうなずいた。
セシリア「皆さん、今のは半分だけ覚えてください」
新人冒険者2「半分ですか?」
セシリア「屋根修理の部分ではなく、依頼に大小はないという部分です」
レオン「屋根修理も大事だ」
セシリア「分かっています」
その時、訓練場の後ろの方で、小さなくしゃみが聞こえた。
トト「くしゅん!」
訓練場が静かになった。
新人たちが振り返る。
木箱の影。
古い防具置き場の横。
そこに、明らかに子どもが一人いた。
小さな体に、ぶかぶかの外套。
頭には深くフードをかぶっている。
だが、フードの下から見える顔は、どう見てもトト・ミルクだった。
レオンは無言で見た。
セシリアも無言で見た。
バルドだけが、口元を押さえて笑っていた。
トト「……」
レオン「トト」
トト「……人違いです」
レオン「声で分かる」
トト「俺は新人冒険者です」
セシリア「年齢が足りません」
トト「小さい種族かもしれない」
バルド「お前、人間だろ」
トト「設定が甘かった!」
セシリア「設定ではなく、まず勝手に入り込んだことを反省してください」
トトはしぶしぶ木箱の影から出てきた。
新人冒険者たちはぽかんとしている。
新人冒険者3「あの子、誰ですか?」
バルド「ギルドマスターの弱点」
レオン「違う」
セシリア「孤児院の問題児です」
トト「問題児じゃない!」
レオン「なぜここにいる」
トト「講習を受けに来た」
レオン「なぜ」
トト「将来、冒険者になるから!」
トトは胸を張った。
その姿は、少し前に屋根裏で魔道具を見つけた時と同じだった。
自信満々で、悪気はなくて、危なっかしい。
レオンは額に手を当てた。
――マーサ先生に何と言えばいい。
まず、それが浮かんだ。
セシリア「マーサ先生には?」
トト「……言ってない」
セシリア「でしょうね」
レオン「戻れ」
トト「やだ!」
レオン「ここは子どもの遊び場じゃない」
トト「遊びじゃない!」
トトの声が少しだけ強くなった。
新人たちは黙ってそのやり取りを見ている。
トト「俺、ちゃんと知りたいんだ。冒険者が何するのか。何が危ないのか。レオン兄ちゃんがいつも何を見てるのか」
レオンは言葉を止めた。
トトの目は、ただの好奇心だけではなかった。
第七倉庫のこと。
エルのこと。
助けられなかったかもしれない子どもたちのこと。
トトなりに、何かを感じているのだろう。
自分も何かできるようになりたい。
そういう目だった。
レオン「……」
セシリア「マスター」
レオン「講習を聞くだけだ」
トト「!」
レオン「木剣は持たせない。訓練には参加しない。勝手に動かない。何も拾わない」
トト「最後いる?」
セシリア「必要です」
バルド「絶対必要だな」
トト「分かったよ!」
レオン「それと、あとでマーサ先生に謝る」
トト「……それはちょっと」
レオン「帰すぞ」
トト「謝ります!」
トトは新人たちの一番後ろに座った。
ぶかぶかの外套を脱ぎ、まるで最初からそこにいたような顔をする。
セシリア「マスター、本当にいいのですか?」
レオン「聞くだけならな」
セシリア「甘いです」
レオン「知ろうとすることは、悪いことじゃない」
セシリアは少しだけ目を伏せた。
セシリア「……それは、そうですね」
バルド「じゃあ、再開するか」
レオンは新人たちへ向き直る。
レオン「今のも講習の一つだ」
新人冒険者1「今のもですか?」
レオン「ああ。想定外のものが現場に紛れ込むことはある」
トト「ものって言った?」
レオン「子ども、商人、迷子、怪我人、逃げ遅れた住民。戦闘中に守るべき相手が出てくることがある」
新人たちの顔つきが少し変わった。
レオン「その時、魔物だけを見ている冒険者は失敗する」
バルド「敵を倒しても、依頼人が死んだら失敗だ」
セシリア「護衛依頼では特に重要です」
レオン「だから周りを見ろ。自分の武器だけを見るな。敵だけを見るな。守る相手を見る。逃げ道を見る。足元を見る」
トト「拾い物も見る?」
レオン「見なくていい」
トト「ちぇ」
セシリア「拾わないでください」
新人冒険者2が恐る恐る手を上げた。
新人冒険者2「でも、強ければ何とかなるんじゃないですか?」
バルドが鼻で笑う。
バルド「その言葉、森で言ったらだいたい死ぬぞ」
新人冒険者2「す、すみません」
レオン「強さは必要だ。だが、強さだけでは足りない」
レオンは訓練場の端に置いてあった二つの籠を持ってきた。
一つの籠には薬草。
もう一つの籠には、よく似た形の毒草が入っている。
レオン「薬草採取の依頼だ。どちらが薬草か分かるか」
新人たちは一斉に覗き込んだ。
新人冒険者1「こっち……ですか?」
新人冒険者3「いや、葉っぱの形が違うから、こっちじゃないか?」
新人冒険者2「どっちも同じに見える……」
トトは後ろから手を上げた。
トト「はい!」
レオン「トトは答えるな」
トト「なんで!」
レオン「お前は講習を聞くだけだ」
トト「でも知ってる!」
セシリア「では、最後に確認として」
レオンは少し考え、うなずいた。
レオン「新人たちが答えた後ならいい」
新人たちは真剣に草を見比べた。
結局、答えは分かれた。
レオン「正解は、右だ」
新人冒険者1「左かと思いました……」
レオン「左は腹を下す」
トト「この前、ガルが間違えそうになったやつ!」
バルド「孤児院でも実地講習してるのか?」
レオン「日常だ」
セシリア「危険な日常ですね」
レオン「トト。なぜ右だと思った」
トト「葉っぱの裏がちょっと白いから」
レオン「そうだ」
新人たちが驚いた顔でトトを見る。
トトは得意げに胸を張った。
トト「へへん」
レオン「ただし」
トト「え?」
レオン「お前は前に、芋と間違えて石を食べようとした」
訓練場が静かになる。
そして、バルドが吹き出した。
バルド「石を!?」
トト「食べてない! 食べようとしただけ!」
セシリア「十分問題です」
新人たちも笑いをこらえている。
トト「レオン兄ちゃん、それ今言う必要あった!?」
レオン「知識があっても油断するな、という例だ」
トト「俺を例にしないで!」
レオン「ちょうどいい」
トト「ひどい!」
訓練場に小さな笑いが広がった。
緊張していた新人たちの肩の力が少し抜ける。
レオンはそれを確認し、次の説明へ進んだ。
レオン「次は依頼書の読み方だ」
セシリアが数枚の依頼書を掲示台に貼る。
討伐依頼。
採取依頼。
護衛依頼。
荷運び依頼。
レオン「依頼書で最初に見るべきところは何だ」
新人冒険者3「報酬です!」
バルド「正直でよろしい」
セシリア「ですが最初ではありません」
新人冒険者3「すみません……」
新人冒険者1「場所ですか?」
新人冒険者2「推奨ランク?」
レオン「どれも見る。だが最初に見るべきなのは、自分が生きて帰れる依頼かどうかだ」
新人たちは黙った。
レオン「報酬が高い依頼には理由がある。場所が遠い。魔物が強い。依頼主が怪しい。情報が足りない。危険は必ずどこかに書かれている」
セシリア「書かれていない場合は、さらに危険です」
トト「書かれてないのに?」
セシリア「隠している可能性があります」
トト「ずるい!」
レオン「ああ。だから確認する」
レオンは一枚の依頼書を指差す。
レオン「この護衛依頼。報酬は高い。だが護衛対象が書かれていない。目的地も曖昧だ」
新人冒険者1「受けない方がいい?」
レオン「少なくとも、このままでは受けるな」
バルド「高い金に釣られて行くと、面倒な荷物を押しつけられるか、危ない場所に連れていかれる」
セシリア「最悪の場合、犯罪に巻き込まれます」
トト「犯罪って、マルクス商会みたいな?」
セシリアの表情が少しだけ変わった。
訓練場の空気が静かになる。
レオンはトトを見る。
トトは言ってから、自分でしまったという顔をした。
トト「……ごめん」
レオン「いい」
レオンは新人たちに向き直る。
レオン「最近、商会の倉庫で子どもたちが見つかった」
新人たちはざわついた。
レオン「詳しい話はまだできない。だが、覚えておけ。悪い大人は、依頼書や契約書を使って人をだますことがある」
セシリア「署名する前に読む。分からないなら聞く。急かされたら疑う」
バルド「うまい話には、だいたい針がついてる」
トト「魚みたい」
バルド「そうだ。餌だけ食えると思うな」
レオン「冒険者は、剣だけでなく頭も使え」
新人たちは真剣にうなずいた。
午前の講習が進むにつれ、トトはだんだん身を乗り出して聞くようになっていた。
最初はこっそり潜り込んだだけだった。
でも今は、顔が本気だった。
薬草の見分け方。
魔物の足跡。
森での音の聞き方。
護衛時の立ち位置。
依頼人の嘘を見抜く質問。
トトにとっては、どれも新鮮だった。
――冒険者って、剣を振るだけじゃないんだ。
レオンはいつも言っていた。
派手な仕事だけが冒険者じゃない、と。
でも、今日初めて少し分かった気がした。
冒険者は、誰かが困っている場所へ行く人だ。
そして、ちゃんと帰ってくる人だ。
トトは自分の手を見た。
まだ小さい。
木剣だって、きっと上手く振れない。
でも、覚えることならできるかもしれない。
トト「……」
セシリア「トト」
トト「はい!」
セシリア「なぜ急に背筋を伸ばしたのですか」
トト「ちゃんと聞こうと思って」
セシリアは少しだけ目を瞬かせた。
セシリア「……それは良いことです」
トト「へへ」
レオンはそのやり取りを横目で見ていた。
――こういう顔をするなら、聞かせてよかったか。
もちろん、マーサ先生には怒られる。
それは間違いない。
だが、今日のトトはただ遊びに来たわけではない。
知ろうとしている。
なら、無理に追い返すだけが正解ではない。
昼前になると、実技講習に入った。
訓練場の中央に、木剣を持った新人たちが並ぶ。
バルド「よし。まずは構えだ」
新人冒険者1「はい!」
バルド「力むな。肩に力が入りすぎだ。そんなんじゃ、三回振ったら疲れるぞ」
新人冒険者2「こうですか?」
バルド「腰が引けてる。魔物はお前の都合で待ってくれねぇ」
新人冒険者3「うおお!」
バルド「振る前に叫ぶな。居場所を教えてどうする」
新人たちは次々に注意されていく。
トトは後ろで目を輝かせていた。
トト「俺もやりたい……」
レオン「駄目だ」
トト「まだ言ってない!」
レオン「顔に出ている」
トト「みんな顔で分かりすぎだよ!」
セシリア「トトは本当に分かりやすいです」
トトは頬を膨らませた。
その時、訓練場の入口から若い冒険者が一人、慌てて入ってきた。
エミル「す、すみません! 遅れました!」
彼は十九歳くらいの青年だった。
田舎から出てきたばかりのような素朴な顔つきで、まだ装備も新しい。
セシリア「名前は?」
エミル「エミル・クロウです! 新人登録、昨日済ませました!」
セシリア「遅刻理由は?」
エミル「道に迷いました!」
バルド「王都で迷う新人か。いいな、長生きしそうだ」
エミル「え、褒められてますか?」
バルド「半分な」
レオン「途中参加でいい。後ろに並べ」
エミル「はい!」
エミルは列の後ろに並ぼうとして、トトに気づいた。
エミル「君も新人冒険者?」
トト「そう!」
レオン「違う」
セシリア「違います」
バルド「違うな」
トト「全員否定早い!」
エミルは戸惑った顔をする。
エミル「あ、えっと……」
トト「俺は未来の冒険者!」
エミル「なるほど!」
レオン「納得するな」
実技講習が始まった。
新人たちはバルドの指導を受けながら、木剣を振る。
レオンはその動きを見て、必要な時だけ短く助言する。
レオン「足を止めるな」
新人冒険者1「はい!」
レオン「剣を見るな。相手を見る」
新人冒険者2「はい!」
レオン「怖い時ほど、息を吐け」
エミル「はい!」
エミルの動きは未熟だった。
だが、真面目に聞く。
言われたことをすぐ直そうとする。
それは悪くない。
バルド「エミル、お前は力が入りすぎだ」
エミル「すみません!」
バルド「謝るな。直せ」
エミル「はい!」
トトはそれを見ながら、思わずつぶやいた。
トト「俺もいつか、あそこに並ぶのかな」
レオン「並びたいのか」
トト「うん」
レオン「なら、まず読み書きと計算だ」
トト「またそれ!」
セシリア「依頼書が読めない冒険者は危険です」
バルド「報酬の計算ができないと、ぼったくられるぞ」
トト「う……」
レオン「森で薬草を十束採った。依頼書には一束銅貨三枚と書いてある。報酬はいくらだ」
トト「えっ」
突然の問題に、トトは固まった。
新人たちも振り返る。
トト「えーっと……三枚が十個だから……」
レオン「急がなくていい」
トト「三十枚!」
レオン「正解だ」
トト「やった!」
レオン「では、三人で分けると?」
トト「えっ」
トトはまた固まった。
バルド「冒険は厳しいな」
トト「急に難しくなった!」
セシリア「計算は大事です」
エミル「十枚ずつです!」
トト「あっ、そうか!」
レオン「エミル、正解だ」
エミル「ありがとうございます!」
トト「俺も分かったし!」
ガルがいれば絶対に笑っただろう。
トトは少し悔しくなった。
――帰ったら、ちょっとだけ計算やろう。
ちょっとだけ。
本当にちょっとだけ。
講習の最後に、レオンは新人たちを集めた。
レオン「今日覚えることは一つでいい」
新人たちは真剣な顔になる。
レオン「生きて帰れ」
訓練場が静かになった。
レオン「依頼を成功させることは大事だ。報酬を得ることも大事だ。強くなることも大事だ」
レオンは一人一人の顔を見る。
レオン「だが、死んだら終わりだ」
新人たちは何も言わない。
レオン「怖いと思ったら下がれ。分からないと思ったら聞け。危ないと思ったら逃げろ。逃げて生きて帰った者は、次に強くなれる」
バルド「逃げるのも技術だ」
セシリア「無謀と勇気は違います」
レオン「冒険者は、無事に帰ってきて初めて冒険者だ」
トトはその言葉を、胸の中で繰り返した。
無事に帰ってきて初めて冒険者。
レオンがいつも孤児院に帰ってくること。
それも、きっと大事なことなのだ。
講習が終わると、新人たちはそれぞれ頭を下げた。
新人冒険者1「ありがとうございました!」
新人冒険者2「薬草採取から始めます!」
新人冒険者3「依頼書、ちゃんと読みます!」
エミル「生きて帰ります!」
レオン「ああ」
バルド「次回は実地訓練だ。寝坊するなよ」
エミル「道に迷わないようにします!」
セシリア「それも大事です」
新人たちが訓練場を出ていく。
トトもこっそり一緒に出ようとした。
レオン「トト」
トト「……はい」
セシリア「どこへ行くつもりですか?」
トト「自然に帰ろうかと」
バルド「野生児か」
レオン「マーサ先生に謝りに行くぞ」
トト「やっぱり?」
レオン「やっぱりだ」
トトは肩を落とした。
だが、完全に落ち込んでいるわけではなかった。
講習を聞けた。
薬草も当てた。
少しだけ冒険者に近づけた気がする。
それが嬉しかった。
トト「レオン兄ちゃん」
レオン「なんだ」
トト「俺、冒険者になれるかな」
レオンはすぐには答えなかった。
軽く「なれる」と言うのは簡単だ。
でも冒険者は危険な仕事だ。
剣を持てば強くなれるわけではない。
勇気があれば生き残れるわけでもない。
だから、レオンは正直に答えた。
レオン「今のままでは無理だ」
トト「うっ」
セシリア「かなりはっきり言いましたね」
バルド「まあ、そうだな」
トトは少しだけしょんぼりした。
レオン「だが、覚える気があるなら変わる」
トト「!」
レオン「読み書き。計算。体力。危ないものに近づかない判断。人の話を聞く力」
トト「最後が一番むずかしいかも」
セシリア「自覚があるのは良いことです」
レオン「それを覚えていけば、いつか選べる」
トト「選べる?」
レオン「冒険者になるか、別の道に進むか。自分で選べる」
トトは少し黙った。
冒険者になる。
今までは、それしか考えていなかった。
でもレオンは、冒険者になれとは言わなかった。
なれるとも、なれないとも簡単には言わなかった。
選べるようになれ、と言った。
トト「……じゃあ、まず文字?」
レオン「ああ」
トト「計算も?」
レオン「ああ」
トト「薬草も?」
レオン「ああ」
トト「屋根修理も?」
レオン「覚えて損はない」
バルド「竜殺し流冒険者教育、範囲が広ぇな」
セシリア「生きる力としては正しいです」
トトは深く息を吸った。
そして、決意した顔で言った。
トト「分かった。俺、今日からちょっとだけ勉強する」
セシリア「ちょっとだけですか」
トト「最初からいっぱいは無理!」
レオン「ちょっとでいい。続けろ」
トト「うん!」
レオンは小さくうなずいた。
その時、ギルドの受付の方から職員が走ってきた。
受付職員「マスター!」
セシリア「今度は何ですか?」
受付職員「南門近くで、小型魔物の目撃報告です。けが人はいませんが、子どもが一人、魔物を見たと騒いでいて……」
レオン「小型魔物?」
受付職員「はい。ただ、その子が言うには、黒い石をくわえた変な獣だったと」
レオンとセシリアの表情が変わった。
黒い石。
禁忌の森の魔紋大蜘蛛から見つかった、黒い結晶の欠片。
レオン「場所は」
受付職員「南門の裏路地です」
トト「俺も行く!」
レオン「駄目だ」
トト「まだ何も言ってない!」
レオン「言った」
トト「言ったけど!」
セシリア「トトはマーサ先生に謝る予定があります」
トト「今じゃなきゃ駄目?」
レオン「今だ」
トトはがっくり肩を落とした。
バルド「俺が南門を見る」
レオン「頼む。俺もすぐ行く」
セシリア「マスター、まずトトを孤児院へ」
レオン「……分かった」
レオンはトトの頭に手を置いた。
レオン「今日の講習を覚えているか」
トト「生きて帰れ?」
レオン「ああ」
トト「あと、危ない時は大人を呼ぶ」
レオン「それもだ」
トト「あと、何も拾わない」
セシリア「最重要です」
トト「そんなに!?」
レオン「今日はそれを守れ」
トトは少し不満そうだったが、やがてうなずいた。
トト「分かった」
レオン「よし」
トト「でも、南門の話、あとで教えてよ」
レオン「ああ」
トト「絶対?」
レオン「約束する」
トトは少しだけ笑った。
講習は終わった。
けれど、王都の日常は終わらない。
新人冒険者たちは初めての依頼へ向かい、トトは孤児院へ連れ戻される。
そしてレオンたちは、また新しい小さな異変へ向かう。
レオンは訓練場を出る前に、依頼掲示板を見た。
そこには今日も、誰かの困りごとが並んでいる。
魔物討伐。
薬草採取。
護衛。
迷子探し。
壊れた柵の修理。
派手な依頼も、地味な依頼もある。
その一つ一つの向こうに、人がいる。
レオン「行くぞ、トト」
トト「うん」
トトは少しだけ背筋を伸ばして歩き出した。
未来の冒険者としてではなく、まずはひだまり孤児院の子どもとして。
そして今日、ほんの少しだけ。
彼は冒険者というものを知った。




