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 全く小説を書くとは何かということにまた戻ることになるのだろうが、私が若い頃に読んだヘンリー・ジェイムズは、とても思念的観念的な文章を書いているのであるが、その手法を使って、色々な人生を描写してゆき、最後には実践的な生の真実に迫ろうとしていた、ということなのである。だから、あれほど多くの人々に好かれているのだ。彼の作品が原作の映画を私は4、5本見た。どれも傑作だった。『黄金の嘘』『鳩の翼』『ある貴婦人の肖像』『緑色の部屋』だと思ったが、どれも色々なシチュエーションがあって、人生とはこういうものさということを学ばせてくれようとしているし、作者がそれを試みることによって、自分も人生を再び体験しようという試みなのであった。意外なことに彼の一番有名な短編『ネジの回転』だけは映画化されていなかった。晩年、夏目漱石が彼の作風に影響されて『明暗』を描くのであるが、それも恐らく彼の思想の影響を受けていると思う。夏目漱石は、駆け落ちしたら人生はどうなるかという作品を何本も書いている。そこが新鮮だったりする。普通、駆け落ちを書いて終わりにするのだろうが、彼はその後を書いているのだ。しかも、彼自身は願望はあったのだろうが、それはしなかった。彼はそういう作家なのであろう。やらなかった、やれなかった世界線を描こうとしていたのである。非常にスタンダードな姿勢であり、たとえば、もしあの恋が実っていたらどうなったであろう。ということである。日本の作家というのは『もしも』をかなり馬鹿にする傾向がある。一方、西洋人はSFという『もしも』があるのだが、漱石は、『もしも』をもっと克明に彫琢してゆく。彼はそれを書くことにより自分の人生の逃走線を張ったということになる。ドゥルーズのヘンリー・ジェイムズについて言ったことと、同じことである。歴史にもしもはない。という言葉は有名であるが、小説こそ『もしも』だらけの作品であるのだ。そして、それは、実際の人生とは別の人生を描くことにより、この人生とは何か、この世界とは何かを描こうとしているのである。『生き直し』ということも言えるだろう。さて、私にとっての『もしも』は何だろうか。もしも芥川賞を取ったらどうなるだろうか?なんてのは面白そうだ。あるいは、もしもあの人と結婚したらどうなるのだろうか。もしも、余命半年になったらどうなるのだろうか?とか、色々あるなー。何を書くにしても、その根底には自分の人生の実感を書いてゆかないといけない。そこら辺が難しい。

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