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安宿(やすやど)  作者: ウィリアム輝夫
序論(私と言う呪いについて)
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 私は今、少し寂れた町のビジネスホテルに泊まって、部屋の中の綺麗なベッドに横になって、携帯を見ている。そして、この小説のような文言を読んで、「ダメな作品だなあ」と思っている。だから、「小説家になろう」なんてものに投稿するアンポンタンなのだ。こいつは。って、知りもしないが、碌な奴ではないのだろう。ハッキリ言って、「お気に入り」に登録するのさえ嫌なのであるが、しかし、他にやることないので、見てやるかと、文字に目を走らせたのであるが、この人物は、小説というものがどういうものであるのか。ということを知らないようであった。まるで、暗闇の中で、言葉のナイフを振り回すようなものであり、この場合、読者は蝙蝠である。超音波を使って暗闇の中を移動しているので、この男の白刃には当たらないのである。男はどんどん疲労してゆく。そして、この暗闇の中で朽ち果てるのだろう。蝙蝠の方は、天井からぶら下がって見ている。男の死体を食べたいからである。しかし、腐乱死体になった状態では美味しくない。できれば、死にたてを食べたいのである。これは、我々人間が「活きのいい魚」と言って、死んだばかりの魚を食べるのと似ている。つまり、死ぬと言うことは「活きのいい」状態になることである。いつかは腐乱死体になるのであろうが、死んだ瞬間はどんな人間でも、たとえば、ロードローラーによってペシャンコにならない限りは「活きがいい」ものである。私は、意地悪な人間なのか、多くの人々のそういう「死」というもの、あるいはその姉妹編の「絶望」というものを求めて、携帯を掴んで、わざわざ「小説家になろう」という投稿サイトを見ている。それを逸脱と言ったり、文学的には脱構築と言うのらしい。しかし、難しい言葉を使うのは、良しとしておこう。使っている私の方でも、訳がわからなくなるからである。前に、そういうものを書いて、何度も何度も挫折して、私はこのサイトを退会してしまっている。遂には、退会が癖になってしまい、数人の人たちから文句を言われたこともあったが、奴らは、箸が転がっても文句を言う連中なので、そういう輩とは仲良くならない。よって、私はこの安宿にいたところで、平気なのであり、少しの寂寥感もない。といったら、嘘になるだろう。誰のどんな人生にも一抹の寂しさというものは、伴うものである。次回は、そこら辺について語ってみたい。が、もし、それは私が次回になって、このことを覚えていたら、という条件下で可能だということを、覚えておいてもらいたい。残念なことに、私は読者に負担を強いるタイプの著者である。

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