彼我の差、超越者たる自己の幻像
自らの右手に突然あらわれた奇妙な力を目にし、思い悩む。
今のところは、この手袋があれば平気みたいだけど、何ていうか、毒とか腐敗とかって、こう、『邪悪』って感じで俺の考えるヒーロー像とは遠いっつうか、何か、だんだん悪役っぽくなってねぇぇぇ!?
そんな想いを知ってか知らずか、ジジは不思議そうに右手をみやり、つついて見せる。
「ふむぅ? 毒と腐敗か……。力の強さから見て、一般的なヒトや魔物ならば、軽く触れるだけで命を奪えるじゃろうな……」
そ、そんなにか――!?
「まあ、物は使いようよ。この力が宿ったのが、おんしで良かったと、儂は心から思うぞ? のう、そうじゃろう? カイトよ?」
ジジの言葉を聞いて、驚いた様子のアイシャが、釘を刺して来る。
「そんなに強力な毒なの――!? カイト、普段は、その手袋、絶対はずしちゃダメだよっ!? 後で、もっと良い性能の手袋を作ってあげるからねっ!」
言われなくてもそのつもりだ。魔物はともかく、人殺しになどなりたくない。例え、それが、自分の命を狙う相手だとしても。
ここで、アイシャは困った様子で、腐り、溶けたベッドの穴を見た。
「でも、どうしよう。シーツはともかく、マットの代えがないから、近くの村まで買いに行かなきゃ。……今日は、カイトの修行について行くつもりだったのに……」
多分、近くって言っても、大分とおいパターンだな。これ。
アイシャは悩んでいる様子だったが、気を取り直した様に、「とりあえずご飯にしよっか」と言って、隣の部屋へ行った。ジジは服を取り換え、その後を追おうとしたが、そっとその服の裾を掴み、引き留める。不思議そうな顔が、振り向き、こちらを窺う。
「いやぁ、昨日の、朝さ。言いかけてて、邪魔された事、覚えてるか?」
ジジは指を顎に当て、考える仕草を取る。
「はて? 何じゃったかの?」
思い切って、パジャマのズボンを降ろした。
「ええい、これだぁッ!」
「むほぉ!?」
ジジは、奇妙な嬌声を上げ、指で目を覆い隠すフリをして、その隙間からちらちらと視線を送って来る。
「な、何のつもりじゃ! 下着を見せつけるなぞ、おのことはいえ、はしたないぞ!」
恥ずかしさで、顔が火を吹きそうな中で、必死に伝える。
「この、下着さ。ずっと洗ってなくて、何日も履いたままなんだ! ……だからさ、お前の力で、複製して欲しくてさ。聞いてる?」
ジジは、俺の周りを飛び回り、下着の形をチェックしている様だったが、おもむろに挙げられたその手に、複製品が乗せられていた。
「簡単に構造を真似ただけじゃ。その真ん中にある。怪し気な穴は、作っておらんぞ。これで良いじゃろう? ……しかし、その穴、何が、通るのかのう? 使われている所を、是非とも目にしたいものじゃのう」
誘惑の様な、不穏な言葉を無視し、それを受け取り、「ありがとう」と伝え、着替えようと思ったが、なにやら良からぬ雰囲気を纏ったジジが、こちらを薄笑いで見ていた。
「くふふっ! おんしも大胆になったものよな! して、その古着は、どう処分するのじゃ!? ……今までの複製の代金がわりに、儂にくれぬか!?」
はあっ!? 何かんがえてんだ!?
俺の肩を揺さぶり、「のう? のう?」とせがむジジを、片手で追い払うジェスチャーを取り、黙らせる。
「ぐぬぬぬ。おなごにただ働きをさせておいて、その様な態度を取るとは! 見損なったぞ!」
ジジは、そのまま離れる様子もなく、こちらをねめつける。
くそっ! こいつに、関わってたら、話がいつまでも前に進まねぇっ!
「わ、分かったよ。脱いだら、お前にやるから、早く向こうに行ってくれ……」
「むほぉっ!? くふふふふっ! くふふっ! 最初からそう申しておれば良いのじゃ! では、約束じゃからな!」
ジジは、鼻息あらく、宙を舞う様に、飛び回りながら、隣の部屋へと去って行った。
「はあ、なんか、大変な約束しちまった。……あ、アイシャには秘密にしないと」
しかし、あいつ、昨日と比べると、欲望を抑えられてないな……? また、釘を刺しとかないとダメかなぁ。
そうして、ジジに新調してもらった下着に、上着、ズボンを履いて、ボロボロで、もはや腰に巻くにもみすぼらしい、地球から持って来た衣服を見る。
「もう、これは、使えないなぁ。お気に入りの服だったけど……。いや、でも捨てる気もしない。まあ、しばらくこのまま置いとくか」
ズボンの穴は、ファスナーの再現が無理そうなので、塞いでもらった。これで、人目を気にする必要はない。
朝の準備は滞りなく進み、朝食を終え、家の前の広場へと出たが、そこで、昨日、帰って来てから、心の中にちらついて、徐々に膨れ上がった問題と向き合う。アイシャとのやり取りで、一時的に気持ちは逸ったが、それは根本的な解決には至らなかった。
それは――あの神との激戦の記憶に起因していた。力なく草地の上に座り込むと、柔らかで瑞々しい感触が、尻を包んだ。
「はあ、何か――昨日の戦いがすごすぎて、やる気がどっかに行っちまった……」
そこへ、先に外へ出ていたジジが、不思議そうに近寄って来る。
「何じゃ? カイトよ。修行へは行かぬのか?」
情けないと自分でも思うけど、あの記憶が、鮮烈すぎる。ぽつぽつと心情をジジに話し始める。
「何かさ。笑われるかもだけど、昨日、あの人に加護をもらって、力も魔法も使い放題で、戦っただろ? それが、それがさぁ。……今の自分との差を意識しちまって、何か、やる気が萎んできてさ……」
ジジは、腕を組み、頷いて見せる。
「ふむ。分からぬでもないぞ。余りにも、今の己とかけ離れた力を扱った。その経験が、現状へ不満を感じさせておるのじゃな?」
ゆっくりと頷く。
「ああ。あんな域に、自力で辿り着ける日が、来るのかなぁって思うとさ。何か、虚しくなっちまって……」
ジジは、しばらく沈黙していたが、唐突に、大声を出した。
「喝ッ!」
それに驚き、後ろに転げそうになり、アイシャが家の中から飛び出して来る。
「ど、どうしたの?」
ジジは、アイシャの隣へ行き、その手を掴み、こちらを見据えてにっこりと笑った。
「ふむ。丁度良い。ここに腑抜けがおる。アイシャよ、二人で気合を入れてやろうではないか」
アイシャは、驚いた様子で、ジジに問う。
「何の話か、ぜんっぜん、分からないんだけどっ!」
ジジは、動き出し、座り込んだ俺に向けて、手を振った。
「何、儂の言う通りに動けば良い! ほれっ!」
身体中を縛り上げられた様に、動けなくなり、そのまま無理やり立ち上がらされる。ヒト一人も簡単に、釣り上げる様な強烈な、目に見えないパワーを感じた。
「う、うぐぐぐ、苦し! 何、すんだ、ジジッ!」
慌てて「ええ、大丈夫なの!?」と叫ぶアイシャを、ジジがたしなめ、耳打ちをする。それをしばらく聞いていたアイシャは、ゆっくり頷き、決意を込めた視線を送って来た。
「ゴメンねっ! カイト! ちょっと痛くするよっ!」
そして、俺の左頬が強烈に張られた。
「うぶぇっ!?」
だが、ジジの金縛りで身動き取れないせいか、力は逃げる事なく、頬を腫れあがらせる。
「どうした? 情けない――! 今のおんしならば、この程度の術、容易に解けるはずじゃっ!」
その言葉と共に、力は更に強くなり、身体が浮き上がって行く。
「く、くそっ! 何てパワーだ、触れてもいないってのに――!」
そして、また左頬を張られる。
「あびぇっ!?」
痛ってぇ!? ちょっとは手加減しろよっ!
「まだ分からぬのか……? やれやれ、仕方ないのう。……おんしは、修行で、何を学んだ? それを思い出すのじゃ! さもなければ、頬が天も衝く程に腫れあがるぞっ!」
く、くそっ! このまま嬲られるなんてゴメンだッ!
目を瞑れ、集中しろッ!
目を閉じた視界に――銀色に輝く何かが見えた。それは、身体をがんじがらめにし、ジジの右手から伸びていた。
そうか――これは、多分、ジジのマナの流れなんだ。それが、こんなパワーを? まだ未熟とは言え、自分がマナを操っても、これ程の力は出せないだろう。その事実に、にわかに悔しさがこみ上げて来て、思い切り、この束縛を破壊してやりたくなる。
どんなにパワーがあっても! マナの流れなんだッ! 振りほどく方法はあるはずッ!
身体を縛っている力の下から、全身を覆うマナの流れを生み出す。そいつで、押し上げろッ!
集中し、修行と同じ様に、マナを全身からつながったまま、放出し、ジジの束縛を押し上げて行く。
「おお! それじゃ、その感覚じゃっ!」
徐々に、放出量を増やし、身体を縛る縄を、内側から引きちぎるように、爆発的に膨張させた。すると、束縛から解放され、身体が地面へと落ちる。座り込んで、荒い息を吐いていると、手を叩く音が聞こえた。そちらを見やると、アイシャとジジが、揃って拍手をしていた。
「良くやったぞ! カイトよ!」
「凄いよっ! カイト!」
二人の温かな声援に励まされる。ジジは、ゆっくりとこちらへ来て、俺の頭を撫でた。
「どうじゃ? おんしの――やって来たことは、決して無駄なぞではない。……すぐには追いつけぬ、力の差に、挫ける時もあろう。じゃが、全ては明日へつながっておると信じよっ! それこそが――彼の神を破った力、『希望』ではないか? のう?」
その言葉に、倦んでいた心は、晴れやかな空を見た様に、明るく、軽くなって行く。心の中で呟く。ありがとな。お前のおけげで、今日もやれそうだよ。
アイシャは、羨ましそうに、駆け寄って来て、同じように、俺の頭を撫でる。
「ずるいよっ! ジジちゃんばっかり! 私もナデナデするんだからっ!」
おおい、今、何かいい感じにまとまりかけてたのに台無しだよ、アイシャさん。ジジは、やれやれといった具合でため息を吐く。
しばらくして、アイシャは満足したのか、手を離し、出かける準備を始めた。
「はあ、カイトの修行、ついて行けなくなっちゃった。……でも、くれぐれも無茶しないでね? 危ないと思ったらすぐ逃げるんだよっ! ……今日も、また変な人がやってくるだなんて、考えたくもないけど、可能性はゼロじゃないからねっ?」
何度も振り返りながら、去って行くアイシャの背を、ジジと二人で見送った。
そこで、あるアイテムについて、思い出し、新調されたズボンのポケットを漁る。先ほど着替える時に気付いたが、それは、ポケットに入ったままだった。
「お、あった、あった! これ、激しい戦闘でも失くさずにいられたなんて、ラッキーだったな。……効果を考えると、そうでもないかもだけど」
ジジは、俺が取り出したそれを、不思議そうに見つめた。
「何じゃ? その古めかしい指輪は?」
指輪を差し出し、嵌める様に促してみる。
「嵌めれば分かるよ……」
ジジは、指輪を受け取り、その可憐な指へと通して行く。すると、歓声が上がった。
「おお、おお! これは――!」
へ? そんな、喜ぶ様な効果だったか!?
「虫や獣の霊が見えよるわ! 何とも賑やかな光景じゃ!」
虫や動物? 人じゃなくて!?
「な、なあ。人の亡霊っぽいのは見えないのか!?」
ジジは楽しそうに答える。
「見えぬぞ! そもそも、ここいらには、元々、ヒトの霊なぞおらぬのではないか?」
ああ、そっか。それで。
「ふむ。しかし、この感覚。これは精霊界、霊界、なぞの多重世界と重なる指輪の様じゃのう。さしずめ魔力の指輪か……」
へ? 魔力の指輪? 何でそういう解釈になるんだ?
「分からぬかの? この世、つまり現世には、他にも様々な領域が、同時に重なっておる。そして、魔力の補充の速度は、ヒトやその他の生物の暮らす、現世よりも、精霊界や、霊界の方が速くなる。それこそ何十倍といった桁違いでの」
そうだったのか、他の世界と強制的に重なるから、幽霊が見えたりしたのか。
「で、この魔力の指輪。どうしたのじゃ?」
ジジに、事の経緯を簡潔に話し、ある思い付きを得る。
「それ、お前にやるよっ! あの神との戦いで、でっかい借りも、出来ちまったしなっ! それに、お前が戦う時、マナの補充が速くなったら、きっと今よりずっと強くなるだろっ?」
ジジは、瞳を潤ませて、こちらを見つめた。
「カイト……おんし……!」
そして、抱き着いて来て、激しく抱擁しながら、尋ねて来る。
「のう、のう!? 左手の薬指に嵌めても良いか? 大事にするから! のう、のう!?」
はあああ!? それって、結婚指輪のつもりかぁぁぁ!?
「だ、ダメだ! アイシャにあらぬ誤解を与えるじゃねぇかっ!」
「むう、ここで他の女の話を出すとは、何たる無粋! ……しかし、その様な所もおんしがおんしたる所以よなっ! まっこと愛い奴じゃあ!」
指輪のプレゼントがそれ程うれしかったのか、大層、上機嫌なジジに死ぬほど抱きしめられて、指輪なしでもあの世が見えた――。
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