その夜、運命が動いた
物々しく、聳え立つ城壁の上には、無数の大砲が並び、都市全体が、ひとつの砦の様に機能する。『武装都市サフェヴィア』荒くれ者たちに守られ、多くの一般市民も暮らす、国と言う程、大きくもないが、武力だけは秀でた都市。
精霊の森の南東に位置し、グラティース大河を挟み、両側に双子の都市を築き上げ、南北の水上貿易を支配していた。その主要な機能が集約される北部、総督府の一室へ、ひとりの荒くれ者が、慌てた様子で入りこんで来た。
中に待ち受けていた、赤い長髪に、眼帯の、軍服をコートの様に、羽織り着崩した豊満な美女が、机に腰かけ、大胆に足を組み、片手の指に数本のナイフを挟み、荒くれ者に尋ねる。
「何だい? ノックもしないで、礼儀は守れと教えたはずだよ?」
女は、ナイフを弄びながら、問いかける。
「は、はあ、でも、姉御ッ! 精霊の森の奴らから霊信でさあっ! 何でも、帝国のドブネズミが北の森に入りこんだって話ですぜっ!」
にやけ顔で「ど、どうしやす?」と問う髭面で、乱杭歯の荒くれ者へ、ナイフが飛び、その着古したコートの裾が、壁に縫い止められる。驚いた顔で冷や汗を流し、作り笑いを浮かべる。
「は、はっ!? 何の真似ですかい? 姉御ッ!?」
もう一度ナイフが飛び、次は、頬を掠めて、後ろの壁に刺さり、小さな赤い染みを作り、同時に荒くれ者の頬を僅かな血が伝って行く。姉御と呼ばれた女は、ゆっくりと唇を動かし、咎める。
「そうじゃないだろう? 姉御じゃあなく、総督と、呼べ、と……いつも言ってるじゃないか? そうだろう?」
荒くれ者は、荒い息を吐き、目を白黒させる。
「それにねぇ。言葉遣いもなっちゃいないねぇ? あたしは、総督だよ? 簡単な敬語くらいは徹底して欲しいもんだねぇ?」
荒くれ者は、作り笑いを浮かべながら、逃げだそうと、身体に隠した後ろ手で、コートの裾を必死に引っ張る。そこへ総督の言葉が響いた。
「……次、同じ事をやったら、あんたの股のお荷物が、軽くなるよ……? いいかい?」
壁に縫い止めていたナイフが抜け、荒くれ者は「ひぇぇ!」と悲鳴を上げながら、部屋の外へと飛び出して行った。それを無言で見送った総督は、頭に手を当て、ため息を吐く。
「はぁ、元は、因果な海賊稼業、連中がああなのは、あたしのせいでもあるさ! けれど、足を洗ってからどれだけ経つと思ってるんだい!? ああ、全く忌々しい!」
今まで人形の様に、動かなかった、隣に立っていた青い髪の男が、言葉を発した。
「あまりイライラされては、お肌の艶に影響が出ますよ……」
総督は、隣の男を情熱的な視線で見つめ、誘惑する様に、胸の上部をはだけて見せる。
「ああ、アンディウ。あんただけだよ。あたしの味方は……。寝室へ行かないかい? じっくり楽しもうじゃないか?」
青い髪の男は、首をゆっくり振り、たしなめる。
「まだ、考慮に値する事項があるかと……」
総督は、その言葉に残念そうだが、急かされた様子で、話はじめる。
「北の森に、帝国のネズミねぇ。あたしたちには、ほぼ関係ないだろうさ。どうせ、通りすがりか何かで、放っときゃ、巣に帰る」
青い髪の男は、冷静に分析し、進言する。
「精霊の森から、友好関係でもない我々に、わざわざ霊信が来たのです。恐らく何かイザコザがあって、逃げ出した兵だと思われます。……捕らえれば、エルフ連中に恩を売れるかもしれません」
総督は赤髪をかき上げ、ため息を吐いた。
「面倒だねぇ。でも、恩を売って、友好的なフリをして、さらに北西の土地をかっさらうってのもアリだねぇ」
青い髪の男は、またゆっくりと首を振った。
「それは、無理があるでしょう。エーデルガルドが常に、目を光らせています。……北の森を占領できたのは、魔物が生息する厄介な土地であるのが、大きな理由のひとつですから」
「厄介な魔物も多いが、耕作地の少ないあたしたちにとっては、資源の宝庫でもある。……ああ、北に真っ直ぐ進出して、農地を拡大したいが、そこはエルフ連中と帝国が睨みあってる真っただ中だからねぇ。流石にそんな所へ農地を広げるバカはいないさ……」
青い髪の男は、頷き、窓の外を見た。
「耕作地の拡大については、南の弟君にお任せするのがよろしいかと……。北の守りが鉄壁であれば、自ずとその機会は訪れましょう」
総督は、同じように、窓の外を見て、声を荒げる。
「ああ、あのバカ弟が、あたしたちの意を汲んでくれるかねぇ? 今も、南で女たちを集めて、大はしゃぎだろう。はあ、あんたが二人いたら、南の管理も任せるのにねぇ……」
立ち上がり、窓の側へ移動した青い髪の男の隣に並ぶ。
「まあ、ネズミは放っときゃいいさ。どうせ一銭の得にもなりゃしないよ」
「ご随意に」
二人がやり取りを終え、口づけを交わそうとした瞬間、窓の外が明るく光り、黒い流星が飛ぶのが見えた。総督は驚いて、窓に張り付き、食い入るように見つめる。
「黒い流れ星だってぇ!? しかも、かなりの大きさだよっ!?」
「一体、どこへ――」
その光景を、その夜、大陸中の人々や、人ならざる者たちが目撃した。
「何だぁ、あれ……。凶星かッ!?」
「いや、分かんねぇ。吉星かも知れんぞッ!?」
人々のざわめきが、風に乗り、空を満たして行く。その先には、黒く禍々しく光る流れ星があった。
それを壁も屋根も一面が、白く彩られた豪奢な屋敷の一室で、真っ白な流れる様なストレートのロングヘアの、髪と同じ様に、透き通る白い肌に、青い瞳、そして、純白のドレスを身に纏った美しい少女が、慌てた様子で、窓に張り付き、見つめていた。
「何て事っ!? ――何て事なのかしらっ!? こんなに早く、来てしまうだなんてっ! ……早すぎますわっ! あれを、あれを、カイトさまに会わせてしまってはならないっ! 何とか、妨害しなければ……!」
少女は、少年の名を叫び、爪を噛みながら何事かを考えていたが、にわかに振り向き、部屋の外へ飛び出して行った。無人となり主を失った部屋が、空虚に揺れ動いて見えた。
再び、黒い流星を見た人々のざわめきが、聞こえる。もうその姿は空には確認できず、何処かへ落ちてしまった様だ。
「おら、見ただあ。あの流れ星さ。世界の背骨の頂きに消えただぁ」
「うそこけ。そったら事ある訳ねぇべ。おめの見間違いだべ」
精霊の森の西、ウィルスマイト王国の、とある農村で、そんな会話が成されていた時。北西に位置する砂漠では、その地に住まう民が、恐ろし気に慄き、嘆いていた。
「ああ、族長が、亡くなられたばかりだと言うのに、こんな怖ろしい事が……」
「クソッ! アインスフィラの偽聖騎士どもめッ! 奴らさえいなければ――」
「終わった事を嘆いても仕方ありません。今は、見守るしかないでしょう」
「この世界の運命を――」
そこから遥か南、世界の背骨と呼ばれる峻厳な岩山の、雲に隠れた頂きに、壊滅的な破壊の跡が見え、辺り一面が、抉れ、黒い炎がくすぶっていた。
その中心に、何かが動いた。
「わ、私。どうして、こんな所に……?」
その小さな影は、人間の少女だった。長く黒い髪が、右目を隠し、隠れていない左目は、黒く大きい。年の頃は、十七、八くらいだろうか。一目見て、美しいと分かる外見であるが、白いボロキレの様な服を纏い、その上に、白い外套を羽織っていて、それもボロボロになっている。素足で、靴ははいていない。
少女は、困惑した様子で、己の姿を見回す。
「どうして、こんな格好してるんだろ? 私の、服は――?」
「あっ!」と小さな声が響き、頭を抑えてうずくまる。
「痛い……。思い出そうとしたら、頭痛が――」
そこへ、奇妙な、それでいて、攻撃的な響きの鳴き声がこだまする。少女がそれに気付き、その視線を辿ると、巨大なトカゲか竜の様な魔物が見えた。今にも少女に襲い掛かろうとしている様だ。
「きゃっ!? 何なの!? これ――!? ドラゴン――!?」
竜はその巨体に見合わない素早さで、動き出し、少女を引き裂こうと、爪を振り上げる。
「きゃあああっ!?」
その瞬間、少女の叫びに呼応する様に、手元に、黒い二メートルはある大剣が現れ、握られた。少女の細腕では、到底ふりまわせるとは思えない、その巨大な剣が、閃き、竜の身体が両断され、その場に力なく倒れ伏し、辺りに大量の血の池が出来上がって行き、それがちらつく黒い炎を消した。
「はあ、はあ、……どうなってるの……? この、剣は一体? それに、私、無意識で――?」
呆然と竜の死体を見つめ、動かない少女の耳に何者かの声が聞こえた。
「悲鳴が聞こえたけど、大丈夫かい!? 今たすけるよ――」
「って――。もう、片付いてるじゃないか、これ、あんたがやったのかい?」
現れた巨大な弓を持った茶色の髪で、頬に大きな傷のある女が、白い息を吐きながら、少女に尋ねる。だが、少女は、何が起きたのかも理解できていない様子で、ただ首を振り続けた。先ほどの大剣は、既に消失していた。
「はあ、この状況……。どう考えても、厄介ごとを持ち込んだ張本人にしか見えないけど、困った事に、全く無害に見えるんだよねぇ」
女は、座り込む少女に、手を伸ばし、握る様に促す。
「ほらっ。行くよ。ここにいたら、またこんな奴が襲って来るっ! 私たちの隠れ里、本来ならよそ者は拒むんだけどねぇ。……あんたには、何か重大な事情がある様に見える。来な。私が、何とか説得してみせるから」
少女は、ゆっくりと女の手を取り、立ち上がり、頂きにかかった雲海の中へ、消えて行った。
※ ※ ※
眠りの中の暗い視界で、何かが聞こえた。夢を見ているのか、現実なのかも定かではないが、はっきりと耳を汚して行く。その不快な声は、何かを、望んでいる様だった。
「ケヒヒヒッ! うぬのほざいた。『希望』とやらが、いかほどのモノか、地獄の淵で見定めさせてもらおう!」
その言葉を契機に、目は覚め、意識が覚醒する。両隣では、アイシャとジジが、安らかな寝息を立てていた。俺は、動けない様に、両側から『豊かな実り』と『銀閃の双丘』でホールドされているが、それももう慣れたものだった。
「何だったんだ? 今の――まるで、あの邪神の声の様な……」
部屋の中を見回すが、何も変わった様子はない。まだ暗く、朝は来ていない。やがて、また眠気が押し寄せて来て、再び瞳は閉じられていた。
それからどれだけの時間が、流れたのかは定かではないが、朝の光が射し込む中、アイシャの悲鳴が聞こえた。さして緊迫感はなく、どちらかと言えば、驚愕に感じられる。
「ベッドがッ! シーツに穴が開いちゃって、マットもぼこぼこだよッ!? どうなってるの――!?」
へ? 何だ? 何が起きてる?
直ぐに起き上がり、状況を確かめると、アイシャの言った通り、ベッドのシーツと下のマットに、黒い染みが広がり、貫通していた。隣に寝ていたジジも、五月蠅そうにしながら起き上がる。
「何じゃ? 朝から何の騒ぎじゃ?」
アイシャは穴を覗き込み、状態を確認している様だ。
「ほっ。良かった。シーツと、マットが貫通しただけで、構造には傷はないみたい。お母さんとの思い出のベッドだもん。……出来るだけこのまま使いたいものね」
ジジは、何かに気付いた様子で、俺の右手を見た。
「むう? カイトよ。おんしの右手、強烈な毒と腐敗の力を感じるぞ。一体なにごとじゃ?」
ええ!? どういう事だ!?
そういえば、ベッドの穴も俺の右手が、接触してた位置だ。
そして、自らの右手を見つめる。何か、渦巻く奇妙な力を感じた。これが、ジジの言う、毒と腐敗の力なのだろうか?
「分かんねぇ。……でも、ゴメン、アイシャ。ベッドに穴が開いたの、俺のせいみたいだ……」
アイシャは慌てて手を振り、怒っていないとアピールする。
「カ、カイトを非難した訳じゃないよっ! ……でも、なんだか分からないけど、右手がそのままじゃ不便だよねぇ。――ちょっと待ってて!」
そうして、アイシャは箪笥を物色し、手袋を取り出した。それに、何かをしたのか、人魚と妖精、脈打つ心臓の小さな姿が現れ、三重の光の輪が徐々に集束し、手袋に不思議な刻印を施した。
「じゃじゃん! 元は、普通の手袋なんだけど、魔法や呪いの力を阻害する、封印のエンチャントをしてみたよっ! 応急的だけど、これを嵌めれば、カイトの右手も――!」
ジジが見守る中、そっと、その手袋に右手で触れた。今の所は、何も起きない。
「どうかなっ? あ、そっか、比較する対象がないと、分からないよねっ。待ってね――」
またアイシャが箪笥を漁り、布きれを取り出して見せた。
「まだ、カイトの右手のせいかも、確定してないもの、これに、触れてみて――」
右手を伸ばし、その布きれを掴むと、瞬時に黒くなり、それが全体へ染みの様に広がり、崩れ落ちて行った。
「うわあ!?」
起きた現象に、自分でも驚いて、声を上げてしまう。ジジはしたり顔で話す。
「先ほど言ったじゃろうに、カイトの右手、何やら奇怪な呪いでもかけられてしもうた様じゃな……。察するに、あの邪神か……」
さっきの夢、夢じゃなかったってのか!?
「カイト、何だか分からないけど、嘆いたり、驚いてても、始まらないよっ。今できる対策を取ってこっ?」
アイシャは、前向きだなぁ。
そして、再び差し出された手袋を嵌める。
「ホントに、これは、溶けたりしないんだよな……?」
突然あらわれた、奇妙な力。それがこれからの運命にどう影響を与えるのか、その答えは謎のままだった――。
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