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緊急クエスト『本を死守せよ』

 一連のやり取りを終えると、デルライラムはおもむろに空を見上げた。


「もう日が傾いてきやがったな。カイト、今日はそろそろけえりな。急げとは言わねぇが、その本の中身を読み込んどくんだぜ?」


 あ、そっか。アイシャならエルフ語でも読めるよな。夕食の後にでも彼女に頼んでみるか。てか、ゼスパール共通語……だったっけ? 多分、それも俺は読めないと思うけど……。

 「じゃあな」と残し去って行くデルライラムの背を眺めながら、今日の修行の内容を思い出していた。

 あの鉄片を球に成形する過程……。最初に試した時は、粉々になって、二回目は丸く握れた。纏ったマナの流れ、その量が多い程、物体を圧縮する力も強くなるのか……? だとすれば、どういう原理なんだろう?

 思い立って、右手に多量のマナの循環を築き、その辺に落ちていた石を握って見た。


 すると、石は弾ける様に、砕け散り、手から零れ落ちて行った。


「うわっ。こわっ。なんだこれ」


 やっぱり纏うマナの量が増えるほど握った時の圧縮力が強くなってるのか。ん……? もしかして、これだけでも攻撃手段になってないか?

 近くに生えていた森の木の、目立たない側面に右手をやり、表面を引っかく様に、握って見る。


 しかし、幹の表面には小さな傷も出来ていなかった。


「あれ? 触れれば破壊できるとかそんな単純な事じゃないのか……」


 今度は、落ちていた小枝を拾い上げ、握りしめてみる。


 小枝は、石の時と同じように、弾け飛び、乾いた音を立てながら周囲に四散する。飛び散った破片が危うく自分の身体を傷つける所だった。


「うぅん? 握ると破壊できるって事かな……? まあ、今の所ためす相手もいないし、頭の中に留めておくだけにしよう」


 実験をやめ、暗くなり始めた空を見上げた。


「さて、そろそろ帰らないと、家につく頃には真っ暗になってるぞ」


 ボロキレに包んで置いてあった本を取り出し、持ち上げて帰る準備を始める。そこで今まで忘れていたあいつの存在を思い出し、森に向かって小声で呼びかけてみる。


「おいっ! いないのか? おぉい?」


 あれ、あいつ、どこまで遊びに行ったんだ……? まあいい。放って帰ろう。周囲の森からはけたたましい鳥の声に紛れて、小さな虫たちの合唱が始まろうとしていた。

 それに耳を澄ましながら、デルライラムから受け取った本を大事に抱えて帰路へ着く。


「ま、あいつなら勝手に家まで戻ってくるだろう」


 夕焼けの色に変わり始めた森を少し進んでそう呟いた時、何かが茂みから飛び出し、腹に体当たりして来た。


「うぐっ」


 続く驚きの声が口から漏れ出す前に、事態を察知し、言葉を呑み込んだ。


「うりゃあ! どうじゃ? 驚いたかの!? 心の臓が危うく口からまろびでる所じゃったか!?」


 テンションの高いヘンタイの声を聞き流しながら、呆れたため息を漏らすが、その間もぎゅうぎゅうと抱きしめられ、『銀閃の双丘』が容赦なく圧迫してくる。その状態は普段なら興奮を隠せず動揺を誘っていただろう。


 だが、今はそんな事より大事な物があった。一度おおきく息を吸い込み、わざと声を低くして、ジジに苦言を呈する。


「お前ぇぇぇ! 今、俺は、大事な、それは大事な本の運搬中なの! 余計な事をして、汚れたりしたらただじゃ済まさないぞ!」


 弾ける様な笑顔で抱き着いていたジジは、瞬く間に不機嫌そうな顔になり、歯を剥きながら噛みつく様に答えた。


「な、何じゃと! その様な書物が儂より大事だと申すのか! 取り消せ! 今すぐ取り消すのじゃあ!」


 両手をばたつかせ、本を奪い取ろうとするジジの攻撃をかわし、呆れた声を出す。


「はあ、そういう話をしてんじゃないから……」


 良く見るとジジの頭や身体には葉っぱや砂埃が乗り、薄汚れていた。一番めだつ頭に乗っていた、小枝と葉を優しくつまんで払いのけてやる。「ん……ぅ」と小さな声が漏れ出す。


「汚れてるぞ……? 高貴な精霊さまなんだろ? 身なりにもっと気を使えよ」


 続けて、片手で汚れを払ってやっている間、ジジはもじもじと揺れ動きながら、俯いて黙り込んでいた。

 一通りの汚れを払いのけた頃、頬を染めながら目を逸らし、おもむろに口を開く。


「うむ。おんしの真心は伝わったぞ。先ほどの無礼な言は水に流してやろう」


 この時、「じゃが」と消え入るような声で呟かれた言葉は、全く耳に届いていなかった。

 両目を見開き輝かせたジジは、俊敏な獲物を狩る肉食動物の様な動きで、右手に持っていた本に狙いを定めていた。瞬きも出来ない一瞬で奪い取られてしまう。


「ああっ! お前!」


 時すでに遅く、ジジは本を無造作に開き、中身の確認を始めていた。その長い耳が驚きを表す様にぴんと張り、次いで瞳は不審な挙動を始め、左右に揺れる。


「な! 何と! ……お、おんしに斯様な猟奇的な趣向があったとは……! これは、愛する男を間違えたかのう」


 その言葉に何を勘違いしているのか一瞬で理解し、本を取り返すため、落ち着きなく揺れていた耳を優しく撫でる。こういう時に弱点は便利だ。


「ああん!」


 予想通りの反応だ。続いて柔らかく耳を覆っていた銀色の毛に触れ、くすぐる。暗くなり始めても銀の毛は薄く輝いて見え、その美しさに心を奪われそうになるが、首を振りながら受け流し集中する。


「な、何を――!」


 頬を染めながらくすぐったそうに身をよじる姿は劣情を誘うが、今はそれが目的じゃない。そのまま力の抜けた手から素早く本を取り返した。ジジは悔しそうに声を荒げる。


「な、卑怯じゃぞ! 斯様な卑劣な手段を用いるとは、もののふの風上にも置けぬ輩よ!」


 左手をひらひらと振りながら「へいへい、何とでも言ってくれ」と返し、本に傷みがないか確かめる。ふむ、大丈夫みたいだな。そして、再びジジに向き直った。


「いいかぁ? この本はな、師匠からもらった魔法の修行のための、とても大事な本なんだ。分かったのなら金輪際、乱暴に扱わない事! いいな? 傷つけたりしたら一生をかけて償ってもらうぞ!」


 俺の真剣な気迫を受けてもどこ吹く風。ジジは勝手に単語を足して興奮し始めた。谷間を押し開ける様に、片腕を通し、口元へ指を沿える。


「か、身体で……!? わ、儂の肉体で償えと……!? それは儂を所望すると言う事じゃな!? それだけにとどまらず一生をかけろとは……! 本望じゃ!」


 気迫で黙らせるつもりが、逆に気圧されてしまう。その間にもジジは詰め寄って来る。


「くふふ。今宵はいつになく積極的ではないか。良いぞ? 儂なら何時でも準備は出来ておる。さあ! 今ここで存分に愛し合おうぞ――」


 俺めがけて飛び掛かって来る身体をすんでの所でかわし、帰路へと急ぎ走り始める。振り向くとジジは後ろにあった低木に、両手を突っ込みもがいていた。


「こいつに関わってると、話がこじれる所か、一生かかっても終わらねぇ!」


 右手で本を抱えて走るが、背後からは派手に枝葉をかき分ける音が響く。


「くそっ。もう立ち直りやがった!」


 言い終える前に背中に柔らかな感触を覚える。一瞬で追いついて来たジジがぴったりとくっついている様だ。


「うえっ! 気持ちわりぃ! 動きながらぴったりくっつくなっ!」


 不満そうな声と共に、背中に指らしき物が突き立てられる。


「何じゃ? 良く聞こえなんだが、今、なんと言った? 事と次第によってはただでは済まされぬぞ?」


 不満を隠そうともしない刺々しい声が刺さるが、相手をしている暇はない。


「うっせ! お前と遊んでると一生、家に着かないんだよ!」


 背後からは打って変わって楽しそうに「何じゃ、あの様な家に帰らずとも、儂が二人の愛の巣を築いてやるぞ! そこで暮らせば良い!」と上機嫌な妄想が垂れ流される。

 正直に言って、そのまま逃げだしたかったが、目の前にはある懸念を抱かせる場所が迫りつつあった。見慣れた木々が様相を変えた辺りで、急ブレーキをかけ、背中には心地よい重圧を感じた。

 近くの木の幹や地面には何か黒い影が蠢いている。その不気味さに血の気が引いていく。


「くそっ! ここ、あの毛虫ちたいだ! 本を汚さずにここを通るなんて不可能だぞっ!」


 驚いた事に、背中に張り付いていたジジが助言をくれた。


「何じゃ、それならば木々の上空を進めば良いではないか。簡単な事じゃろうて」


 そっか! イシとデイの力を借りれば! 今まで存在を忘れていたなんて二人には言えないけどな。少し意識を集中すると、透明になったままの精霊たちが、遠く離れた背後から必死に追いかけて来ているのが感じられた。


「透明化してると速度が歩くくらいになるんだったな。もう姿を現していいぞ! すぐここまで来てくれ!」


 声かけと共に、二人は姿を現しすぐに追いついて来るが、少し拗ねている様に見えた。近づいて来た二人を撫でてやり、優しく声をかける。


「追いついて来てすぐに悪いな二人とも。巨大化して俺を乗せて、この毛虫ちたいの向こう側まで運んでくれ!」


 頷いた様に見えた精霊たちはすぐさま巨大化し、その上に両足と尻を乗せる。同時にしがみついて来たジジが忠告する。


「飛ぶのは良いが、枝葉に脳天から突っ込まぬ様、注意するのじゃぞ」


 幸い、まだ木々の状況を把握できる程度の明るさは保たれていた。密集した部分を避け、出来るだけ枝の張り出していないポイントを選びながら木々の上空へと飛び上がる。

 しばらくして、美しい夕焼けに染まった空が現れ、その情景に目を奪われる。


「へえ。いつもこの時間は森の中を歩いてたから、これを見るのは初めてだな」


 遠くまで赤や黄、橙のグラデーションに彩られ、その間に夕焼けを引き立たせる様に、灰にたなびく雲が見えた。空気が澄んでいるからか、どこまでも見通せるその景色には心が洗われる。そして、再び今日あった事を思い出しながら、譲り受けた本を胸に抱く。

 しがみついていたジジは感嘆の声を上げ、これを二人きりで独占している事に悦に入っている。


「くふふっ! これは愛を語るには良い情景じゃの! あの小娘にも分けてやりたい所じゃが!」


 この景色を眺めていると、すぐに降りるのが惜しくなってくるな。このままあの鳥のフン地帯の向こうまでも進んでしまうか。どうせあそこでも本を守るためには飛ばないと行けないしな。

 イシ、デイ。予定へんこうだ。このままあの鳥のフン地帯の上空まで進むぞ!


 しばらく美しい空模様を眺めつつ快調に進んでいたが、あの鳥のフン地帯の上空へ差し掛かった辺りで、枝葉の間を動き回る鳥たちがこちらの姿を見咎め、不満そうに耳をつんざく様な合唱を始める。それには非難の意志がありありと感じ取れた。


「だあああ! うっせぇ! 毎日まいにち、お前らのフンの標的になってたまるか!」


 鳥たちは喚くだけでは飽き足らず、翼を広げて飛び回り始めた。こちらを狙う気はまんまんだ。鋭い嘴を突き出した突進が頬の側面を掠めて行き、ついでにフンも落とされて、左肩あたりを汚した。抱き着いていたジジは顔をしかめて忌々しそうに鳥を睨む。


「うおおお!? やっべえ! イシ、デイ! 全速力で飛ばしてくれ! このままじゃ本を守り切れねぇ!」


 だが、いくら速度を上げても、巨大化じょうたいでは鳥たちの方が何倍も速い。状況は圧倒的な劣勢だった。次々と近くを鋭く裂く、突進と共にフンが爆撃される。今はかろうじて躱しているが、このままでは何れ本を汚されるだろう。それだけは何としても避けなくては!

 そこで黙っていたジジがおもむろに口を開く。


「カイトよ、良いか? 出来るだけ上空へ飛び、あやつらが眼下に固まる様に誘い込むのじゃ」


 突然の提案に考えている暇もなかったが、頷いて飛び上がる。


「何か考えがあるんだな!? それに賭けるぜ!」


 こちらの考えが読めなかったのか、突然、さらに上空へ飛び上がった俺たちに鳥は対応できていなかった。群れは様子を見ながら眼下で旋回する。そこを狙いすましたジジが左の指を弾いて見せた。


 すると、鳥たちは一斉に動きを止め、力を失い木々の上部へと落下していき、賑やかな音と共に、もうもうと埃をたてた。術を逃れた者たちも事態が呑み込めず委縮している様だ。


「ははっ! やったな。これで、安全に向こうまで飛べるぜ!」


 だが、考えが甘かった。鳥の群れは多くの仲間を失いながらも、更に雄叫びの様な鳴き声を上げ、こちらへ追い縋って来て、瞬く間に周りを囲み始めた。この勢いで突進されれば本の表紙に穴が開きかねない、最悪の事態なら取り落として地面に激突させてしまうだろう。そうなればどれだけ傷んでしまうか想像も出来ない。


「お、おいっ! もう一回さっきの術で動きを止めてくれよ!」


 ジジに懇願するが、彼女も困惑ぎみに答えた。


「これは厄介じゃ。こうばらけられては一羽ずつ狙うしかないが、それではこの数は止められん!」


 くそっ! あと少しで家だってのに、こんな所で本を守れずフン塗れにしてしまうのか!

 お前ら鳥には分かんねぇだろうけど、この本は師匠の生きて来た証の一部でもあるんだぞ! それだけの情熱が籠ってるんだ! それを――お前らのフンなんかで!


「そんな事! そんな事させるかぁ!」


 考えた訳じゃなかった、ただそれが最善なのだと無意識に動いていた。イシへと飛び移り、デイに無心で命じる。


 今だけでいい! お前の限界を超えた大きさで! 奴らの侵攻を防いでくれッ!


 肉体に重なった霊体が金の輝きを放ち、導管の全てからありったけのマナが放出される。


 振り向いた視界には、アイシャの家の様に巨大化し、傘と盾として鳥たちを止めるデイの姿が見えた。その軟体に飛び込んだ鳥たちは半ば埋まり、身動き出来なくなっている様だ。その隙に出来るだけ遠くへ離れようとするが、乗っているイシの速力もどんどん弱まって来ていた。


「だ、ダメだ。もう意識が保てない……」


 一瞬で真っ暗になった視界と共に、身体が浮く感覚と次いで猛烈な風に迎え入れられる。

 だが、その勢いはすぐに弱まり、飛びかけていた意識も明瞭になる。

 気が付けば、ジジに抱きかかえられて見慣れた草原へと着地していた。

 背後からは小さなため息が聞こえる。


「まったく無茶をしよる。しかし、鳥たちはもう追っては来ておらん様じゃな。……それ程までにその書物を守りたかった。その、理由は分からぬが、おんしは良くやったぞ」


 そう言ってジジは俺の頭を優しく撫でた。

 気恥ずかしさから逃げ出そうともがくが、もう身体にも力は残っていなかったため、されるがままになる。

 しばらくして、気が済んだのか、撫でるのを止めたジジは溌剌とした声を上げた。


「ほれ。もう家はすぐそこじゃ。動けぬのじゃろう? このまま抱きかかえてやるから感謝するのじゃぞ?」


 そして、鮮やかな明かりに彩られた家の窓を横目に、ドアに手をかけ開け放つ。

 いつものように台所に立っていたアイシャは、輝く様な笑顔で振り向き――。

 そして、一転して鬼の様な形相へと変わる。


「カイト? ジジちゃん。一体なにしてるの、かな?」


 どうにも安寧の訪れはまだまだ先の様だ、だが、心の内には晴れやかな充足感があった――。

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