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銀色の虹

 その場に倒れ伏した少年を、見守っていた銀髪の少女は優しく声をかけた。主の側を守る者と、遠く墓所よりの出口を塞ぎ、消えて行く精霊たちにもその言葉は向けられていた。


「そなたらは良くやった。その働きは千金に値する。無論、主もな! 後は儂に任せてしばらく眠るが良いぞ」


 出口を塞いでいた精霊が消えたため、奥から骸骨の姿の霊たちが次々と這い出して来る。それを鷹揚に眺めながら独りごちる。


「ふむ。思った以上に数が多いな。こやつらを全て消滅させれば、カイトの修行に支障が出るかのお? まあ、その時は、他の手段でも道はあるか」


 崖の下の空き地は夥しい数の霊に占領され、倒れた少年にその牙が迫っていた。だが、少女がおもむろに指を弾くと、霊たちは何かに縛り上げられたかの様に、一斉に動きを止めた。薄く透け青白い霊体は物理とは無縁の存在のはずだが、軋んで不気味な音を立てていると錯覚する。それは異様な光景だった。

 狂気を剥き出しにした十数体の霊たちはまるでマネキンの様に、動かなくなり、ただその場で震え続けている。


「うぬらを制するなぞ、児戯にも等しい行いよ。さて、狂犬ども。儂の愛し子から離れてもらうぞ」


 そう言って、少女は右手を振り払った。それと同時に目に見えないマナの暴風が起き、密集した霊たちは、吹き飛ばされて背後の壁面に叩きつけられる。手から離れた剣が次々と宙を舞い、やがて地面へ彼らの墓標でもあるかの様に、突き刺さって行く。


「では、トドメと同時に、この場に再び日の光をもたらすとするかの」


 少女は、右手を嵐の様相をみせ始めた空に向かってかざし、呟く。


「水と風の精霊たちが踊り狂っておるわ、気を悪くするでないぞ? こちらにも都合があるのじゃ。しかし、この数を全て無に帰すのはいくら儂でも骨が折れるな」


 その言葉の終わりと同時に、突如、降りしきる雨粒が空中に静止した。そして、不可視の壁がせり上がる様に、水滴は次々と弾け、上空へ向かって、遡る滝が形成されていく。やがて、滝は集束し巨大な水泡となり、覆った暗雲の手前で止まった。

 水泡の大きさは目測で定かではないが、半径だけでも数十メートルはあると思えた。それが、無重力であるかの様に、空中に留まり、浮遊する。


「あれだけの量を相殺するのは手間じゃな。かと言って、そのまま落とせば地上に甚大な被害をもたらそう。……やはり、ここは弾けさせて、周囲に満遍なく降らせるか」


 その様子を遠くからみつめる者たちがいた。

 白髪の老人は、空を仰ぎ見て、驚愕の声を上げる。


「何だぁ? ありゃ、すぐ近くじゃねぇか!? 一体どうなってやがる!」


 遠く離れた小さな家の玄関から、空を仰ぎ見た金髪の少女は、不安そうな声を漏らす。


「あれ、デム爺のお家の方だ。……カイトたち大丈夫かな……?」


 不安を振り払う様に、首を振り、再び空へと向き直る。


「あれは――、誰かの魔法なの? 余りにも強大な……! でも、カイトにはジジちゃんがついてるから、きっと大丈夫だよね」


 銀髪の少女は空を仰ぎ見ながら、上空へ向けて開いた右手を力強く握りしめた。

 次の瞬間、轟音が上空より響き、巨大な水泡が弾け、周囲に大量の水滴を振り注がせる。森の木々がその力を受け止め、枝葉を震わせ、ざわめく合唱を形成していく。


 水滴がひとしきり降り注いだ後に、空を見上げると、幾重にも層が分かれた暗雲に巨大な穴が開き、太陽が顔を覗かせていた。そこから射す日光が少女の見下ろす空き地を満たし、それを受けた霊たちが光に呑まれ次々と消滅していく。

 上空より地上を照らす光の柱は、その場にのみ限定的な晴れ間をもたらし、清浄な力で闇を払って行く。


「さて、これで、これ以上はいでてくる事もあるまい。儂の力はおいそれと他者に披露できるモノではないからのう。例えそれが、我が将来の伴侶であってもな。……カイトが眠っておったのは好都合じゃ」


 少女は呟いて、次に驚きの声を上げた。その視線の先には、小さな泥と岩塊の姿の精霊たちが現れていた。彼らは倒れ伏した主の周りに集まり漂い始める。


「ほう。入眠から幾ばくも無い。このわずかな時で、もう精霊たちを形作る程に魔力を回復させたか。……やはり、この治癒能力も危険な呪いに依るモノか……。引き続き、注視する必要があるな」


 少女は、崖の下へふわりと降り立ち、眠っている少年を優しく動かし座り込み、膝に乗せ、頭を撫でた。


「くふふ! こうしてみれば、まるで幼子じゃな! 心を溶かされる様な純真な寝顔じゃ!」


 安らかな寝息を立てる少年は、優しい少女と精霊たちに見守られ、眠り続けていた。


「おお、そうじゃった。身体を乾かしてやらねばのう」




※ ※ ※ 




 ほぼ真上から注ぐ強烈な光が視覚を刺激し、うなされる様に、ゆっくりと目を開いた。

 すると、視界の中に二つの大きな膨らみが入り、頭の後ろには別の柔らかな感触を覚えた。額には温かな手が添えられている。


 ど、どどど、どうなって!? これって、膝枕か!? ってことは、目の前のこれは、『銀閃の双丘』かぁぁぁ!?


 うひょう!?


 興奮して鼻息を荒くしていると、添えられた手に動きがあり、声が聞こえた。


「うんむ。カイト……。目を覚ましたのかの?」


 あわわわ、起きた。どうしよ!? いや、落ち着け、この状況、ジジのやつが能動的に作り出したものだろう。何も咎められる様な事はないぞ! ここはひとつ、こっちから強く出てやる!


「おい、お前! こんな所で膝枕なんて! また嫌らしい事を企んでたんだろう?」


 ジジの不満そうな声が聞こえるが、大きな二つの膨らみに遮られ表情は見えない。


「何を申すかと思えば、儂の献身に対しての答えがそれなのかの? 見損なったぞ!」


 さらに反論しようとした所で、突然の嬌声に掻き消された。


「ああん!」


 な、なんだ今の声!? 妙に艶のある嬌声に思いもよらず身体が反応してしまう。いや、さっきからジジの膝が震えている様な……?


「あ、脚がしびれてしもうた。おんしが目覚めるまでずっとこうしておったからの。まったく感覚がなくなっておるぞ!」


 その言葉を聞いて、彼女の膝を圧迫していた頭をどけるために、横転して草地に降りた。そして、ジジの様子を横目で窺う。

 ふおお!? 巨大な双丘の向こうに見える、顔を紅潮させて、足のしびれに耐える姿は何処となくエロティックで、興奮を禁じ得ない。そして、邪な想念が首をもたげる。


 うおおお!? つついてやる! しびれた脚を心ゆくまでつんつんしまくって弄んでやるぞぉぉぉ!

 すぐさま行動に移し、横になったままジジの脚に手を伸ばし、しびれた部分を指でつついてやる。また艶めかしい嬌声が漏れ出した。


「ああっ! な、何をするのじゃ! 儂は脚がしびれ――ああん!」


 「や、やめ!」と小さく漏らすジジの脚を丹念に揉みほぐす様に、指を押し当てて行く。ふおお!? たまんねぇ! 両手で揉むために身体を起こし、膝をついた姿勢で十本の指を押し当てる。


「んあっ! 頼む、もう許しておくれ。この耐え難い感覚は――ああん!」


 こんな機会そうそうないだろうからな! 満足するまで続けてやるぜ! 血の巡りを良くするためか、必死に身じろぎし、両脚を伸ばしたジジのはだけた下腿をさらに揉む。柔らかで張りのある肌が指を押し返して来る。


「ああん! お、おんしが、斯様な、外道であったとは……! く! 頼むからもう――」


 ジジの懇願を無視して、揉み続けていたが、徐々に血が通い始めたのか。彼女はおもむろに立ち上がり、こちらをきつく見据えた。離れていく脚を名残惜しく見つめていると、棘のある声が聞こえる。


「はぁ、はぁ。も、もう大丈夫じゃ。……しかし、あれだけ懇願しても容赦なく踏みにじるとは――! おんしの性根を少々、叩きなおしてやらねばならぬかのう?」


 ふええええ!? その言葉の圧に震えあがる。

 しまった。こいつは、俺に対してとことん甘いと思って、無意識につけあがっていた!

 やべぇぞ! アイシャの時みたいに、ぶたれまくるのか!?


 ジジはこちらを鋭い視線で見据えていたが、その表情がふっと柔らかくなり、おかしそうに言葉が漏れる。


「まあよい。実は、まだ少ししびれておるのじゃ。今の行い、儂をおぶってここから連れ出してくれたなら、不問にしよう」


 おぶって? おんぶって事か? そうなると――せ、背中に当たり放題じゃねぇか!?

 そこで視界の隅に見えた物が気になってそちらを向く。


 昨日も見たはずの崖に囲まれた空き地には、無数の剣が突き刺さり、転がっていて、様相は一変していた。思わず疑問が口から漏れ出す。


「お、おい。あの大量の剣って――奴らが装備してた物か? 何でここに転がってるんだ?」


 「装備?」とジジは首を傾げたが、何処か雰囲気が怪しい。


「さあ? 何があったのじゃろうな? 儂はおんしを抱えて崖上に身を隠しておったからな。大方、嵐の終わりで日光が注いだために自滅したのじゃろう」


 むむむ? 怪しい、はぐらかそうとしているのか?

 気を失う前の事を思い出す。あの時、確か、デイが出口を塞いでいて――ん? その後どうなった?


「なあ、俺、またマナ切れで寝込んでたのか? だったらマナが底をついた時は、固有精霊はどうなるんだ?」


 ジジは何かを隠したがっているのか、歯切れ悪く答える。


「うむ。それは、主の魔力が尽きれば、精霊たちは当然きえるぞ」


 だとすると、この場には封鎖が解けた通路から骸骨霊たちが雪崩れ込んできたのか。その状況が容易に想像できた。それで、こいつは俺を抱えて崖上に逃げたって事か? ふむ? 特におかしな点はない気もするな。


「あれ? でも、あの霊たちは日光で消滅したんだろ? あれからすぐに晴れたのか? 結構、降り方が激しかったと思うけど――」


 むにっ。


 な!? なんだ!? 気が付くとジジは、隣から消えていて、背中に何かがおぶさって来た。こ、この感触は――!


「カイトよ。しつこく詮索するなぞ女々しいぞ? 皆、無事であった。それで良いではないか。ほれ、このまま儂をおぶって老翁の家まで行くのじゃ。もうすぐ昼時じゃからな。腹も空いてきたのではないか?」


 ジジにおぶさられてもそれ程おもさを感じなかった。不可思議な感覚だ。そういえば身体に入り込んだ時にも、重さはほぼなかった。何か特殊な力が働いているのだろうか?

 アイシャには悪いが、彼女に同じ様にされたら重圧で身動きが取れなくなるかもしれない。そんな姿を想像して可笑しくなる。


 後ろから抱きついて来るジジの言葉を無視して、地面に刺さった剣に近づく。このままだとずっと疑問が渦巻きそうだ。解消しておかないと。

 暗い墓所の中では、何で出来てるのか見当もつかなかったが、この輝きには覚えがあった。古びてはいるが、錆びひとつ見られず、無数の刃こぼれや傷、そして持ち主の背景いがいには経年を感じさせる情報はないに等しい。何よりも傷だらけでありながら美しく輝く銀色は、見つめていると吸い込まれそうになる。覗き込む自分の顔が、微細なひびを浮かしながら鏡の様に、映り込んでいた。

 息を呑んでジジに尋ねる。


「なあ、これって。精霊銀で出来てるのか?」


 ジジは提案を無視されたのが気に障ったのか、不満そうに答えた。


「そうじゃ。……儂の言葉よりも斯様な剣が大事なのか? まったくおのこと言うのは」


 背中でぶつくさと文句を言うジジの声を聞きながら、その柄にそっと手を伸ばした。そして、ゆっくりと力を込め、引き抜く。

 太陽にかざすと刃は美しく煌めき、虹色の輝きを映す。その光景に疑問を持ち、左手に広がる空へと目を向けた。


「おお! 虹だあ! 初めて見た!」


 その言葉にジジが疑問を挟んで来る。


「何じゃ? 初めてとな? それ程に稀有な現象であったかの? それにしても、ならば何故しっているのじゃ?」


 しまった! この世界で初めて、って意味だったんだけど、勝手に口から出てた!


「ま、まあいいじゃないか。あんなに綺麗なモノが見られたんだし!」


 「ふむ?」と訝しむジジを尻目に、この光景をアイシャも目にしているのだろうかと、彼女の事を想っていた。きっと可愛い顔で目を輝かせながら笑うんだろうな。


「一緒に見たかったな……」


 耳ざとく聞きつけたジジが、その真意まで見透かしたのか背中を指で突いて来た。


「何じゃぁ? 儂と共におりながら、あの小娘と見たいとな……? はあ、カイトよ。おんしはまったくおなごの心が分かっておらぬな」


 な、何だよ。好きな娘と一緒に見たいと思うのは当然だろ!? 背中を突く指の力が強まり、抉る様に動かされる。


「うおお!? いててて! ぐりぐりすんじゃねぇ!」


 不満を隠そうともしないジジにひとつ提案する。


「分かったよ。消える前に、もっと良く見える所にお前と行ってやるよ!」


 手に持っていた精霊銀の剣を地面に突き立て、周囲を漂っていたイシとデイに命じて、二人に乗り、崖の上へと浮かび上がる。視線はどんどん上がって行き、崖が切れた所で一気に視界が広がった。背負っていたジジから感嘆の声が上がる。


「おお! これは、中々に良い景色じゃな!」


 森の木々の上部にかかる虹の橋を見ながら、空を見上げると晴れやかな雲一つない空間がどこまでも広がっていた。


「だろっ? あ、落ちるなよ? ……そっか、お前は飛べるんだったっけ。まあ、どっちにしろいい景色だ!」


 心の内まで晴れ渡って行く様な光景を、しばらく見つめ続けていたが、満足したので、精霊たちに命じ、地面へゆっくりと降りた。


「さてと。じゃ、今日の修行に行くか!」


 背中の温かかな感触は修行へ赴く俺を鼓舞し、激励している様に思えた――。

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