守りたいモノ
目の前の老人の冷たい視線を受けながら、思案していたらアイシャが代わりに用件を話し始めた。
「えっとね、こっちの人間の男の子! カイトがねっ。デム爺に魔法を教わりたいんだって! どうかなっ?」
簡潔に述べられた言葉に否定がかぶせられる。
「アイシャ、お前は黙ってろ。……おい、そっちの小僧。お前は喋れないのか?」
水を向けられてしまった。何と答えようか。正直に話すのが得策か?
「その、アイシャにデルライラムさんが、硬化魔法の達人だって聞いて。それを教わりたくて来ました! お願いします! 俺は、少しでも強くなりたいんです!」
頭を下げながら、そう答えたが、反応は芳しくない様だ。
アイシャが小声で、「私、達人だなんて言ってないよ」と突っ込んで来た。
「ふんっ。小僧、お前の国じゃあ、人に物を頼む時に、フンまみれになる慣習でもあるのか? さっきから臭くてたまらねえな」
あからさまに嫌みな態度を取り、片手で鼻をつまんで、もう片方で匂いを飛ばす様に、扇いで見せる。
くそぉ! この爺さん絶対、性格悪いだろ!
「それによぉ。俺ぁ達人なんてちゃちなモンじゃねぇ。硬化魔法を極めし者、だ」
自分で言うのか!? 随分と自信があるみたいだな。
「後は、アレだ。分かってんだろ? 魔法の習得もただじゃねぇ。それなりの代価が必要だ。それは用意してあんのか? ああ?」
「そ、それは……」何も用意できていないため、口ごもる。この老人には、熱意があればなんてお気楽な考えは通用しないだろう。
俺たちは目的も忘れてしばらく睨みあっていった。そこでアイシャが空気を変えようとしたのか、背負っていた袋から大きめのガラス瓶を取り出す。
「ほ、ほらっ! デム爺のために氷をたくさん持って来てあげたんだよっ。クリオライトとエレスティアルもおまけでぇ。保冷の魔法を瓶じたいにかけてあるから、溶けずにしばらくは持つと思うよっ! 残った触媒は保管しててくれたら後で取りに来るから」
「おお、すまねぇな、ありがたくいただくぜ」とデルライラムは氷を受け取り、「だが」と付け加えた。
「これはアイシャ、お前の厚意だろ? それには、今度、出来のいい皿でも焼けたらそれで返す。……だがよぉ。そっちの小僧の代価は別だよなぁ?」
世の中はそんなに甘くないとでも言いたげだ。
「どうするんだぁ……? お前が魔法を教わる代わりに、俺の家で下働きでもやんのか?」
「いや、それは……」答えを返す事が出来ない。強くなるための修行なら余計な事に費やす時間はないだろう。だけど、今のままでは、魔法の教授を承諾させられそうにない。
「ふんっ。話にならねぇみたいだな。出直して――ん? いや、お前――!? まさか!?」
デルライラムの態度が急変する。俺を見て何かに気付いた様だ。両眼を見張ってこちらを凝視する。
一体なんだ?
「アイシャ……。お前は、優れた精霊魔法の使い手だが、他人の魔法の素養を見る目はほんとにねぇみたいだな」
どういうことだ? お、俺には魔法の才能がないって事か!? 全く使えないとかか!? 地球から来たただの人間だから、そうでもおかしくないぞ!
「小僧……。代価はお前の命って事だな……? 本当にその覚悟があるのか?」
予想もしていなかった言葉に血の気が引いて行くのを感じる。まさか、ここで力を示せとかフィクションでありがちな展開に……?
慌てた様子のアイシャが口を挟む。
「な、何いってるの!? デム爺! カイトは危険な目に遭わないために強くなろうとしてるんだから!」
デルライラムはアイシャを見据え冷たい言葉を放つ。
「アイシャ、お前はもう帰ってろ。俺ぁ、こいつと二人っきりで話がある」
アイシャは困惑していたが、仕方なく承諾した様だ。何度も振り返りながら、離れていき。俺に声をかけた。
「カイトっ! 私は先に帰って、都の警備隊に昨日あった事を報告してるね。……デム爺は変な事はしないと思うけど、気を付けてね」
そう言って、去って行った。
俺は再びデルライラムへと向き直ったが、老人は顎に手をやり少しずつこちらへ近づいて来る。そして値踏みする様に全身を見回した。
「ふむ。なるほどなぁ。やはり、お前、通ってねぇな」
何が通っていないのだろう?
「手ぇ貸してみな」
言われるままに右手を差し出す。老人はそれを手に取り、何かを調べている様につぶさに観察する。
「やっぱり導管が通ってねぇ。これじゃ魔法は使えねえ」
その言葉に目の前が真っ暗になる。目一杯つめ込んで来た希望を打ち砕かれた気分だ。その場に膝をつき頭を抱えたくなったが、堪えて老人に問いかける。両手の指先が微かに震えているのを感じた。
「じゃ、じゃあ。俺は一生、魔法を使えないんですか!?」
老人は落ち着いた声音でこちらを諭す様に答える。
「おいおい、答えを急くんじゃねぇよ。……あるんだ。お前の霊体の中心には確かにマナの源泉がな。だが――それを全体へと通す管がねぇ。小僧、こいつぁな。肉体にある血管みてぇなモンで。誰の霊体にもあるはずなんだがな。お前……。一体どこから来たんだ?」
その問いに答えを返す事は出来なかった。ただ俯いて呆然と立ち尽くす。老人はその状態を見て、呆れた様子で言葉を続けた。
「はぁ。答えられねぇのか? だがな、人の話は最後まで聞くモンだぜ? 特に、これから師事しようって相手ならなぁ。ある。導管を通す方法じてぇはあるんだ。ただし、それは――ヒトには不可能なんだがな……」
絶望に呑まれかけていた精神がわずかに復活し、にわかにざわめき始める。どういう事だろう? 詳しく聞いて確かめないと!
「ヒト……には、無理なら誰が――?」
老人はこちらの目を見据え簡潔に答えた。
「精霊だ――」
※ ※ ※
老人は、顎に手をやり、長くちぢれた白い髭を弄びながら走りゆく少年の背中を見送った。
「行きやがったか……。さっきまでは絶望したみてぇな顔してやがったのによぉ。現金な奴だぜ。……へっ。振り返りもしねぇで、猪突猛進って感じだな」
そう呟いて、懐かしそうに目を細め、中空を見つめる。
「俺にも、あんな時があった。前しか見ねぇで、目的のためだけに走り続ける。だがよぉ――そうやって、振り返りもせずに進み続ければ、他の何かを零しちまう。ままならねぇモンさ。……小僧、死ぬなよ。お前にも、いつか選ぶ時が来る。それまでに死ぬんじゃねぇぜ」
その呟きを最後に、老人は家へと入って行った。
※ ※ ※
デルライラムの家で借りたぼろきれを頭の上に掲げながら、森の危険地帯を駆け抜ける。頭上からは、次々と毛虫が落ちてくるが、ぼろきれのおかげで身体には取りつかれずに済んだ様だ。抜けた場所で、手早く振り回して、毛虫を払う。
「ふぅ。何とかなったな……。次は、あのフン地帯だが、さっき出した所だからもうないんじゃないか?」
その甘い目論見は見事に覆された。フンは帰り道でも再び嵐の様に降り注ぐ。
「だあああ!? お前らどんだけ溜めこんでんだよっ! 普通はそんなすぐに出ないだろ!」
だがぁ、完封したぜ! ぼろきれは真っ白になったけど……。返すって約束して借りて来たものの、フンまみれで渡す事になるのか……? それはとても非常識な気がする。
後ろを振り返ると、鳥たちは嬉しそうな歓声を上げていた。その様子を見てほくそ笑む。
「まあ、あいつらにとっては、爆撃できれば良くて、相手に被害があったかは関係ないんだろうな」
そしてあの川の橋を再び、今度は最後まで慎重に渡り切る。
「よし! 後は、まっすぐ行けば、大精霊域まではすぐなはずだ!」
アイシャの家へと続く道を駆け抜けて、家の正面、右手の道へ入り、昨日とおらなかった。緩やかな上り坂を見据え、奥へと歩き始めた。
その時――。奥からこちらへ向かう人影が見えた。
あれは――、アイシャだ!
「あれ? カイト、こんな所に来てどうしたの? 私? 私はぁ、都の警備隊の知り合いのパスールさんに昨日の事を報告してたんだよぉ。この先は大精霊域だって話したでしょ? あそこだと風の精霊の力も何倍にも増幅されるから、遠くの人と交信するには便利なんだっ」
「それで、カイトは、もしかして……」彼女には気付かれている様だった。包み隠さず話す。
「俺、君には行くなって言われたけど、大精霊域に行くよ。魔法を使うためには必要な事なんだ」
アイシャは俯き、思案している様だ。そして不安そうな瞳をこちらへ向けた。
「カイトが決めたのなら仕方ないよね。普通の人には危険な所だから入って欲しくなかったけど……。出来るなら私もついて行きたい、でも……、一人でやらなきゃいけない事なんだよね……?」
決意を込めた頷きを返した。
アイシャは一度、瞳を閉じ、何かを考えていた様だが、再び目を開き、右手の方向を指さした。
「ねえ、前に話した丘、ここから登って行くとすぐなんだっ! 行ってみない?」
時間が惜しい気もしたが、彼女に促されるままに、ついて行った。
坂道を少し登って行くと、森が切れ、開けた草地が姿を現したが、その広場の端には、切り立った崖があり、まだ上に何かある様だった。
アイシャはそこを見上げた。
「あそこの崖の上、そこがお母さんのお墓なんだよっ。この森を、世界を出来るだけ広く見渡せる場所で眠って欲しかったんだ。でも、今日はお墓参りに来た訳じゃないから……」
そう言って彼女は丘の先端へと走り出した。
「見てっ! カイト。すっごく広いでしょ! ここからなら森が遠くまで見渡せるんだよっ」
彼女の後に続いて、端へと進む。登って来た道は緩やかだったが、ここから先は急な下り坂になっていた。生い茂る草も数少ない平らな場所に密集していて、波状の模様を作り出していた。所々に露出した岩も見える。
そして視線を戻し、目の前の開けた空へと目をやる。森の木々の上部の空間が見えるその丘では、遥か彼方の景色が見渡せ、遠くの雲まで一望できた。
「うわぁ。確かに広くて雄大で、見てると気分が晴れやかになるな!」
吹き渡る風が頬を撫で、髪を優しくとかした。
「ほらっ。あそこ! 私がカイトを初めて見つけたのは、あのご神木の所だよ!」
本当だ。あの途轍もなく巨大な木がここからでもはっきりと視認できた。森の他の木々と比べて異質な程、巨大なためそこだけが山の様に、盛り上がって見える。
「あの木は『境界の守り』って言われてて、なかったら瘴域はもっと広がってるかもしれないんだって!」
守り神みたいなものなのか?
「私たちが出会ってから……まだ三日くらいしか経ってないのに、ずっと前の事みたいだね」
その言葉を受け、目を瞑り自分のこれまでの歩みを振り返っていた。しばらくの沈黙の後、アイシャは気持ちを切り替える様に、明るく伸びやかな声になり、身体の向きを変え、指さして見せる。
「それでねぇ。あれが、前に話した。世界の背骨だよっ」
その言葉に誘われる様に、視線を移す。
「何だあれは――!?」
そこには思わず絶句する様な巨大な山脈がそびえたっていた。鋭い刃の剣が並び立つ様な断崖に覆われた急峻な岩山で、途中から雲海に呑まれていて、その先端は見えない。
「ねっ。すごいでしょ? あれをカイトに見て欲しかったんだっ!」
アイシャはこちらへ振り向き、満面の笑みで語りかけてくる。
「ねっ。カイト。いつかこの森を出て、世界中を冒険してみない? そしたらあの山の麓にも行ってみようよっ! 登るのは、無理かもしれないけど。絶対たのしい旅になるよっ」
彼女の気持ちを、言外に含まれた意味を感じ取り、目頭が熱くなる。
「カイト、今日も必ず帰ってきてね。私は、いつでもあの家で待ってるから」
自然と彼女の手を取っていた。
「ああ、必ず帰るよ。約束する!」
アイシャは照れくさそうに笑い、握り返して来た。その柔らかな感触と温かさが渦巻いていた不安や恐怖を払って行く。
「うんっ。約束だねっ! それじゃあ、もどろっか」
来た道を戻り、出会った地点の近くまで来た。
「じゃあねっ。私はご飯の用意とか色々あるから、また後でねっ」
そう言って彼女は振り返らずに帰路へとついた。それを信頼の表れと受け取ってもいいのだろうか? 目を閉じ、彼女から伝わって来た想いを噛みしめる。
そして再び目的地へと視線を戻した。
「大精霊域はこの奥か……。師匠の話じゃ、入り口に巨大な要石が置かれていて、巫女いがいの出入りを禁じているとか」
そこを通り抜けるために渡されたアイテムを胸元から取り出し、師の言葉を頭の中でなぞる。
(「いいか? よく聞け。これは『幻廊の真珠』と呼ばれる道具だ。こいつを握りしめるとな、肉体は物質界を離れ、一時的に精霊界へと入る。これが、大精霊域の要石を普通のヒトが通り抜ける方法よ。……入るだけじゃねぇ。出るのにも必要だからな。絶対になくすなよ」)
紐を通して、首にかけていたそのアイテムは、白くて丸く、表面が艶やかに輝いてはいるが、一種の宝石の様な物で、特別な力を宿しているとは思えなかった。
歩みを進めると前方に巨大な岩石が見えて来た。森の一部を封鎖する壁の様に高く迫り出している。縦に五メートルはあるだろうか?
「あれが――要石か。確かにあの高さじゃ普通は出入り出来ないな。石が切れる辺りは、小さな崖になってるみたいだ」
そこで自分の服装を見回して思わず苦笑する。
「これから命が危険にさらされるかもしれない場所に行くってのに、しまらない格好だなぁ。いや、でもただの迷い人の俺らしいか……。わずか数日だったけど、本当に色々とあったなぁ。でも、これからのために……これからも二人で進んで行くために。俺は、今日、ただの迷い人を卒業しなきゃいけないんだ!」
深呼吸をして、心を出来るだけ落ち着かせる。脳裏には楽しそうに笑う彼女の顔が浮かんでいた。
「行くぞっ! あの笑顔を守れる力を手にするために!」
覚悟を決めて、死地へと一歩を踏み出した――。




