デルライラム
期待を込めながら思いついた名を口にする。まあ、特定の魔法名を知ってる訳でもないし、漠然とした種類なんだけど。
「それは――『身体強化魔法』だッ!!」
アイシャは不思議そうに復唱した。
「身体強化魔法……? 具体的にはどんなのをイメージしてるの?」
問われて閃いた事を言葉にしていく。
「あの力を使った時、負荷に耐えきれずに俺の身体がすぐに壊れてしまうのなら、それを避ける方法は、耐えられる様な強靭な肉体を持つ事だけど。身体を鍛えるのには限界があるかもしれないだろ? だから――魔法なんだ! 肉体の強度を一時的に、もしくは永続的に強化できる様な、そんな魔法があれば!」
息継ぎをしている間に、彼女が頷いた。
「なるほど、だから身体強化魔法、何だねっ」
彼女は口元に指先を当て、宙を見つめた。
「でも……。そんな魔法を使える知り合いがいたかなぁ? 私は出来ないし……」
ああ!? そっか! まずは誰かに教わらないと使えないのかあぁぁぁ! も、盲点だったぜ……。
アイシャは何かを思い出した様に、手を叩いた。
「ああ、デム爺。デム爺がそんな魔法を使えた様な……?」
デム爺……? 久しぶりに聞いた気がするな。確か、この家で初めて目覚めた時に聞いた言葉だ。やはり人の愛称だったのか?
「ええっとね。デム爺はね。私が勝手に呼んでるだけで、ホントはデルライラムって名前なんだよぉ。前は都で暮らしてて、すっごく有名な陶芸家だったらしいんだけど。何か理由があってこんな離れた場所に越して来たんだ。四十年くらい前だったかなぁ? 私も年に数度あうか会わないかくらいで、そんなに親しい訳じゃないんだけどねぇ。人間からすれば付き合いだけはすごく長く思えちゃうよね?」
この辺りには、他に家なんて見えないよな。何処に住んでるんだろ?
「デム爺のお家はねぇ。昨日、私が洗い物に出かけた川から、しばらく真っ直ぐ進んだ所にあるんだよっ! この家からだと普通に歩いて行ったら大分かかっちゃうかなぁ?」
うん? 曖昧な表現だな。それを聞いて、前に思った疑問が甦って来た。
「なあ。この家って時計はないよな? エルフって時計は使わないのか?」
発言した後で、問題点を見つけて自省する。この世界に時計がなかったら不味い質問だった。
「エルフはねぇ。時計なんて使わないよっ! 大体の時間は精霊に聞けば、教えてくれるからねぇ。まあ、都の中央の広場にはおっきな日時計があるんだけど。カイトは時計のある地方から来たのかなっ? ……ああ、そっか。人間は使うのが普通なんだっけ?」
へえ、そうなのか。精霊ってメモ用紙いがいにも時計代わりにもなるんだ……。
「とにかく、私が心当たりがあるのはデム爺くらいかなぁ? 名前は、確か……『硬化魔法』って言ってた様な……?」
硬化魔法? イメージ的には、身体を硬くして強化する様な奴かな? 思ってるのとは少し違う気もするが、それしか選択肢がないのなら、とりあえず覚えてみるのも手だな。
「カイトも硬化魔法を覚えてみたいのなら、後でデム爺のお家に連れて行ってあげるよっ。ちょおっと大変な道なんだけどねぇ……。あ、そうだ! 行くのなら氷をたくさん持ってってあげよっと」
大変な道? 平坦じゃないって事か? 登山したりするのだろうか?
とにかくそれを覚えて成長への第一歩を踏み出すぜ! うおおおお!? 俄然たのしみになって来た! 早く出かけたい!
ここでアイシャは何かを思い出した様子でこちらを見た。
「そういえばカイト。あのフード、失くしちゃったんだね」
ああ!? しまった!? 貴重品だって言われて渡されたんだった!
先ほどまでの熱量と勢いは明後日の方向へ飛んで行き、小声で口ごもりながら言い訳を試みる。
「その……、森の中で、俺を襲ってきた奴らがいて、頭を攻撃された時に、落としたんだ。あの場にはなかったかな?」
俺の態度を見たアイシャは、慌てた様子になる。
「別に咎めてる訳じゃないんだよっ。気になっただけだから。……あの場には落ちてなかったと言う事は、あの人間たちが持って行ったんだね。多分」
その言葉に、無意識の内に、心の重荷になっていた事実が鮮明に甦り、弾けた。
「アイシャ! あいつらの生きてる姿を見たのか!? 死んでなかったのか!?」
彼女は肯定とも否定とも取れない頷きを返す。
「私が見たのは、二人が一人を抱えて逃げ出す所だけだよ。……カイトの容態が安定し始めたのを確認してから少しだけ様子を見に行ったけど、あの人間たちの所持品らしき物は……。大木に刺さった大盾に、壊れた鎧と怪しい仮面が三つ、地面に捨てられていて……。ああ、折れた槍もあったね。都の警備隊に知り合いがいるから後で報告しようと思って、回収して来たけど、よく考えると連絡するだけなんだから持って帰る必要はなかったかも」
アイシャの話した物は奴らの装備に違いなかった。
「それから地面に点々と続く血痕を辿って行ったんだ。……でもね。大瘴域の近くの黒い森の付近で途切れてた。周囲を少しだけ調べてみたけど、人間の死体らしき物は転がってなかったよ。暗くて足跡も確認できないし、今、大瘴域に入るつもりはなかったから、そこで追跡は諦めちゃったけど」
生きていたのか! 安堵からため息を漏らす。自分が人の命を奪わなかったという事実が心を軽くしていた。
「途中で血痕が途切れたと言う事は、何らかの方法で出血を止めたんだろうね。逃げた人間たちはみんな生きてる可能性が高いよ……」
アイシャは忌々しそうに呟いた。そうか、彼女にとっては俺の命を奪おうとした敵でしかないんだよな……。いや、それは俺にとっても同じだ。
だが――。
「こんな事を言うとさ、何いってるんだって、思われるかもしれないけど、奴らが生きてた事に安心してるんだ。俺……。人殺しにはなりたくなかったから……」
彼女は呆れた様に、こちらの目を覗き込んだが、その表情が柔らかく優しいモノになる。
「はぁ。甘いなぁ、命を奪おうとした敵にそんな感情を持つなんて……。でも、それもカイトのイイ所なのかもしれないねっ」
優しさを湛えた瞳で笑いかけ、言葉を続けた。
「フードの事は、ホントに怒ったりしてないんだよ? 盗られたのなら悪いのは敵だし……。それに、まだあるんだ! 次のは簡単に外れない様に、紐でしっかり止められるタイプのを渡してあげるねっ」
ええ!? まだあったのか!? 貴重品だって言ってたから世界に一個しかない様なユニークアイテムかと思ってた!
「あるよぉ! 大体つくったのは私だしねっ! 貴重な素材をふんだんに使ったモノだからレアなのは間違いないよっ!」
アイシャが製作者だったのか!? でも、何の為に作ったんだろう?
「ああ、それはね、この精霊の森の南の、抜けてすぐの所にね、人間が住んでる街があるんだ。彼らは森には住んじゃいけない事は知ってるけど、森のエルフとは取引をしたいらしくてね。代表で交渉に出かける商人さんのために、エルフの姿に見えるあのフードを作ってあげたんだよっ! 前にも言ったけど、森のエルフは排他的な人が多いから少しでも助けになればいいなって思って」
なるほどな。エルフ同士でも排他的なのに、相手が人間じゃ尚更か。でも、あんなに便利そうな道具を、そんなに簡単に渡していいのだろうか? 悪用されたりしないか? まあ、彼女が直接あって渡した人間なら心配はないのかもしれないが。
「私はねぇ。他の森のエルフみたいに、排他的にはなりたくないし、もし出来る事なら、他の種族や地方から来た人たちとも交流が生まれる様にしたいと思ってるんだよっ! 閉鎖的なのって何だか性に合わなくって」
彼女らしい、そんな考えを持っていたからこそ、俺は救われ、ここにこうしていられるのだろう。また感謝の念が湧き起こって来た。
「まあ、私が、あのフードを作ってあげたのは三十年くらい前の事だから、今だとどうなってるかは分からないかなぁ。森の瘴域の分布は常に一定じゃないし、大瘴域に至っては、だんだんと大きくなってる節があるんだ。あの街へも真っ直ぐには行けなくなってるかも……?」
気になってたけど、その大瘴域って何だ? ただの大きな瘴域?
「大瘴域はね……第二次神界大戦の時に、生まれた世界の瑕だって言われてて、西にある『世界の背骨』の端から亀裂の様に、精霊の森を横切ってるんだ。そして、シレンディヴナ様とクリフトブラン様の領地を突き抜けてるの」
随分と久しぶりな気がするが、専門用語の嵐が来たな。世界の背骨って何だ? それに、何とか領? エルフって地方を治める領主とかいるのか?
「あれ? ここに来る時に見えなかったかなぁ? 世界の背骨はねっ。すっごく大きな山脈で別名は『剣の大山脈』なんて言われてるんだよっ。……頂きは地面からは見えなくてね。空高く伸び上がっていて、いつも消える事のない雲海に呑まれてるんだ。おっきな剣が空を突く様な形が並んでてね。高さは五千リーブ以上って言われてるの。頂上に行った人は一人もいないからはっきりとした事は分からないんだけど……。気になるのなら今度みせてあげるよ。さっき話したお母さんのお墓がある丘からなら見えるから」
俺がこの世界に来た時は、森に囲まれていたし、唯一あいていた部分の空にもそんな山は見えなかったな。方角が違ったのか。
もう一つの質問をぶつけた。
「この森のエルフにも領主はいるよっ。でもね、元々は各部族の族長だった人たちが都が出来た時に、大族長さまから領主に任命されたんだって、だから、人間みたいに爵位とかそういう階級もないんだよっ。各地方のまとめ役みたいな立場だね」
大族長と言うのは、王みたいなものなのだろうか?
一通りの疑問が解消されたので、回収して来たという、あの戦士たちの装備が見たくなった。
「外に置いてあるよっ。着替えたら行ってみよっか?」
手早くいつもの服に着替えたが、やはり血の染みは残っておらず、汗の匂いもなくなっていた。
「ふふぅん。カイトが寝てる間に、ちょっと無理して洗濯しちゃったんだっ。感謝してよね」
家の外に出てみると、あの獲物の解体小屋の隣、薪割り場に大盾や壊れた胴体ぶぶんの鎧と肩当、そして仮面と槍が置かれていた。陥没した鎧は分割されていて内側に黒く変色した血痕が見えた。
「こんなにへこんだ鎧を着てたら怪我をした部位が圧迫されて、治療どころじゃないから、外して捨てて行ったんだろうね。この怪しい仮面も割れちゃってるし、まだ使えそうなのは盾くらいかなぁ? カイト、使ってみる?」
アイシャは冗談っぽく笑いながら奨めて来る。壁に立て掛けられた自分の背丈をゆうに越える大盾を見上げた。
どうみても通常時の俺には手に余るから、持ち上げる事も出来ないだろうな。
奴らが生きているらしい事を確認したかっただけなのだが、この装備の状態からは想像も出来ないな。破壊の跡は常人では生存は絶望的だと言う事実のみを残していた。
「それじゃあさ、その、デム爺さん? の家に行ってみないか?」
アイシャはこちらを向き、首を横に振った。
「ダメだよ! カイトっ。まだご飯たべてないでしょっ! さっき起きたばっかりだけど、前も大丈夫だったし、ちゃんと栄養を摂らなきゃ!」
そうだった。今日は何を作ったんだろう?
「シチューだよっ。今日のはお肉なしだけどねぇ。……そんな顔しないの、私が狩りに行けてないんだから仕方ないでしょ? あ! それともカイトはぁ、またキュクロプスのお肉が食べたかったのかなぁ? ふふふふ」
アイシャは怪しげな笑い声を上げた。
鮮烈な記憶が甦る。
うああああ!? や、奴の目玉が!? 俺の身体の一部にぃぃぃ!?
※ ※ ※
デルライラムの家への道程はそう険しいモノにも見えなかった。
少なくとも、アイシャが洗い物に来たらしい川までは……。
大木をそのまま横たえた様な、粗雑な橋がかかっている。その川幅は五メートル程だろうか? 岸辺は浅いが、その先から急に深くなっている様だ。水質は良く、透き通った水は深さの違いを明確に目視できた。底の辺りには水草がそよぎ、魚の影が見える。
「流れはそんなに速くないみたいだけど、落ちたら大変そうだな。この橋だけど、ほんとに乗っても大丈夫なのか?」
今にも崩れ落ちそうな朽ちかけた大木の橋を不安を込めた眼差しで見つめる。下部を覗き込んで見ると、水に没した枝の部分にも水草が繁茂していて魚たちが群れていた。複雑な枝は絶好の隠れ場所と言った所だろうか?
「大丈夫だよっ。まあ、前に渡ったのは三カ月くらい前だけど! デム爺のお家って広くてとっても寒そうだから、冬に燃料になる木炭と薪に、毛布を持って行ってあげたんだよっ」
喋りながらアイシャは上手くバランスを取り、揺れ動く橋を渡ってみせた。こちらを振り返り手を振る。
「ほらっ! カイトも早く!」
生唾を飲み込み、不安定な橋へと向き合い、緩慢な動作で足を乗せ、体重をかけて行く。
この木、腐食が大分すすんでいるのか、踏みつけただけでへこんでないか? 木肌が剥げているからか、踏みしめた部分の周囲がめくれ上がり、小さな乾いた音を立てる。
少しずつ全体重を乗せて行った。
一歩ずつ確かめる様に、慎重に進むが、右足を置けば、右に、左足なら左に、大木は重心の位置に応じて、微妙に揺れ動く。その振動がなんとも言えず不気味で、恐れを喚起する。
視線の先に見える川底から魚たちがこちらの醜態を嘲笑っている気がした。
「向こうの岸辺まで後、少し……」
上手くバランスを取りながら橋を渡れていたが、最後に対岸を確認した時に、目線が足元から外れ、体重のかけ方を間違えてしまう。
その瞬間――。大木の幹は、滑るように、回転を始めていた。
「うわっ!? やばいっ!」
バランスを崩し、川に滑り落ちそうになる! 目の前を見ると、アイシャが慌てた様子で両手をこちらへ伸ばしていた。
残された足で幹を強く蹴り、彼女の待つ岸辺へ跳び上がり、両手を伸ばした。
足元で水音が響き、背後からは小さな滝の様な水が流れ落ちる音が聞こえた。
彼女の両手を掴み取り、何とか岸辺へと辿り着いたが、両脚の膝下が川に浸かりずぶ濡れになってしまった。
後ろを振り向くと、大木の水没していたはずの枝が空気中に露出していて、そこに隠れていた魚が一匹、幹の上で跳ねまわっていた。水を含んだ草が雫を次々と垂らしていく。橋の位置も少し動いた様だ。
「ふぅ。まさかこんなに簡単に回転するなんて思わないだろっ!」
アイシャは俺を引き寄せながら楽しそうに笑った。
「もう! カイトったら相変らずドジなんだからぁ……。でも、一緒に居ると飽きないねっ。ふふっ」
俺が立ち上がったのを確認したアイシャは、指先を宙に泳がせる。そして光が舞い踊り始めた。
「あのお魚、戻してあげないとねっ。それっ!」
枝に絡みついていた水草が浮き上がり、空中をそよぐ、起きた風は跳ねまわっていた魚を運び、水中へと戻した。小さな音が響き、魚は川を悠然と泳ぎ始める。
「じゃ、行こっかっ! 厳しいのはここからだよっ」
その言葉に不安が胸に満ちて行く。彼女と一緒に居るんだし、そんなに危険はないと思いたいが……。
しかし、その予感は的中する事になる、最悪な形で――。




