07
優しく呼び掛ける杏路の声に、柊の意識がゆっくりと浮上し、目を開ける。
微笑みかけながらシートベルトを外してくれたの杏路の首筋に、柊が甘えるようにそっと抱き着くと、杏路はそのまま柊を抱き上げて車から降りた。
その様子を見て、後から降りてきた灯が柊の後ろ頭を優しく撫でてくれる。
「奏、悪いんですが靴を預かってもらえますか? 柊は私がこのまま抱えて行くので」
「了解」
先に降りて出迎えにきていた綾瀬と話し込んでいた奏が振り返り、杏路が抱き上げながら片手で器用に脱がせた柊の靴を受け取る。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
歩き出した杏路の肩越しに奏と一緒に近付いてきた綾瀬に返事をして、柊はぎゅっと抱き着いていた腕から力を抜いた。
車を戻しに行った飛沫と荷物を降ろす為に付いて行った燕以外のメンバーで、手洗いとうがいをしっかりと済ませてから、葉が待っているリビングへ移動する。
灯の後に続いて、杏路に抱っこされたまま柊がリビングの扉を潜ると、ソファーに座っていた葉が笑って柊に「おかえり」と声を掛ける。
「ただいま」と答えてから、杏路にお願いして葉の膝の上に下ろしてもらう。
「修学旅行は楽しかったか?」
「うん」
「そうか。それは良かったな」
脱いだ上着を渡して柊の隣に腰を下ろした灯は、睦月が運んできた飲み物に口をつけながらほのぼのとした空気を醸し出しているふたりの様子を楽しそうに眺めている。
話がひと段落したところで、タイミング良く京がリビングに入ってきた。
「おし、これで関係者は全員集まったな」
「守役は呼ばんくても良いのか?」
「そっちは分家の方でまとめて話すみたいだからなぁ。別の方が良いだろ?」
「そうか」
疑問を口にした葉が納得したところで、ソファーの横に控えていた睦月が手にしていた資料を灯が受け取り、中身を確認する事無く柊に渡してきた。
柊が受け取った資料にざっと目を通したのを確認してから、灯は話を再開する。
「まあ、詳しい説明は今更不要だろ? 俺と京で取った検証結果の裏付けと、葉がかき集めた情報とを合わせて判断した結果、柊の立てた仮説でほぼ間違いないだろうって話しだ」
柊は自分の立てた仮説が間違いないと分かり、ずっと抱えていた恐怖と不安が解けて行くのを感じた。
もう一度、確かめるように資料を捲る柊の頭を撫でた灯が、顔を上げた柊に優しく笑いかける。
「これでもう、"眠り人形症候群"《sleeping doll syndrome》で死ぬ人間はいない」
返事は、喉が震えて声にならなかった。
灯の体に力一杯抱き着いた柊を、灯も優しく抱きしめ返す。
大切な理解者を失うかもしれない絶望に襲われる事も、原因のわからない不安に苛まれる事も、目覚めぬ恐怖に晒される事もない日常が約束される事が、どれほどの喜びか……。
本当の意味で理解できるのは、きっと柊と灯の二人だけだろう。
「ありがとな」
しがみつく柊の背中を優しく撫でながらそっと感謝を告げる灯と、それに続くように葉と京からも同じ言葉をかけてもらった柊は、灯に抱きついたままただただ頷く事しかできなかった。
*
暫くして、柊がある程度落ち着いたのを確認した杏路が淹れてくれたミルクティーを飲みながら、恥ずかしさを誤魔化すように灯の背中にかくれる。
そんな柊の様子を優しく見守る大人達の元にも飲み物の追加や軽食などが運ばれて、ゆったりとした空気が流れる。
「その資料、俺等も見せてもらって良いっすか?」
「おう、構わねぇぞ」
灯が許可を出したので、柊はソファーの上に置いてあった資料をページがしっかりと揃っている事を確認してから、燕の手に渡す。
資料に書かれているのは、検証の元になった柊の仮説と、それを元に行った検証の内容と結果である。
ゲーム知識と本能的な直感から柊が立てた仮説をざっくり説明すると、それを聞いた灯が真剣に検討してくれて、一緒に情報を集めたり資料の作成を手伝いながら色々と検証を重ねることになった。
その結果、これまで任意発動型だと思われていた能力が、実は精神系の能力者においては、常時発動型だったという事が判明した。
言ってしまえば、ただそれだけの話だ。
ただ、能力者本人の認識としては、能力を使わなくても何となく相手の感情が理解できたり、ちょっと勘が良いぐらいの感覚で殆ど無自覚だったのと、外から見ただけでは能力使用の有無が判断しにくかったのが要因で、真相が迷宮入りしていただけで……。
それに加えて、任意に発動できる能力と無自覚に発動している能力に齟齬のある者が居たのも、原因究明が遅れた理由だと思われる。
そうして、無自覚のままに取り込んだ精神的負荷が本人の知らぬ間に蓄積され、無意識のSOSが体調不良という形で現れる。
最終的には、耐えきれなくなった精神を癒すために、体が睡眠という形で強制的に意識を落とす。
「厄介だったのは、本人の意識が無くても能力が発動したままって事だな」
「もしかして、意識を回復するまでの期間にばらつきがあるのはそのせいか?」
「そうだろうな。無自覚に使ってる能力が強いほど、目が覚めるまでに時間がかかる」
「じゃあ、ひぃ様が眠ってる時に特定の相手以外が近付くと目を覚ますのとかも、無意識に判断してるからとかなんっすか?」
「多分だけどな」
「なるほど、そう言う事か……」
無自覚に蓄積された負荷を癒すための睡眠のはずが、無防備な状態になった事によって制御を失った能力が見舞い客や守役の感情を拾ってしまい、それが原因で余計に負荷がかかった結果、回復までの時間が余計に長引く。
そうして回復と蓄積を繰り返す内に、徐々に回復が追いつかなくなり、意識が閉じたまま、身体が先に限界を迎える。
「それで、明確な対処法や予防策は見つかったのか?」
「一応そっちも色々検証して、ある程度形にはなって来たんだがな……。正直、かなり個人差があるから、まぁ、その辺は個別に対応して行くしかねぇな。とりあえず、今のところは能力暴走の時と同じ対応で様子見しつつ、色々試しながら最適化してくしかねぇだろうよ」
「それもそうだな」
「ってな訳で、暫く俺と柊は離れで寝泊まりだ。接触する相手も最低限で調整してくれ」
「畏まりました」
飛沫と杏路がタブレットを取り出して、お互いの守役達と一緒に、直近の予定を確認している。
「学校の方はどう致しますか?」
「んー、今年いっぱいはお休みかな? 一応、桜ノ宮には通信制度もあるしね。その辺りは冬休み明けにでも学園側も含めて話し合おうか」
「了解っす。学園側にも、それで通達しときますねー」
「よろしくね」
杏路と燕が外出関係の予定を確認している横で、奏は病院関係の予定を調整しているようだ。
「来週の定期検査はどうします? 延期しますか?」
「本邸でも出来るヤツだろ? こっちで調整しといてくれ」
柊の場合は、元々他人のいる場所が得意ではないし、柊に確認が必要な予定も特にないので、調整にはさして時間はかからなかった。
灯の予定を確認していた飛沫が一区切りついたのか、タブレットから顔を上げる。
その様子を見て、灯が思案げに口を開く。
「あとは他家んところに対する情報の開示か……。」
「そちらは私の方で対処しよう」
「おー、頼んだわ」
この情報を元に他家の能力者達にも有効な対処法が判明がすれば、きっと同じような症状で亡くなる人間は居なくなるだろう。
もしかしたら、ゲームでは助からなかった攻略対象者の初恋の相手も、亡くさないで済むかもしれない。
正直、ヒロインの役目を奪うようで気が引けたが部分もあるが、灯の命と自分の未来には変えられないので、柊は原因の特定に全力を注いだ。
事情を知っている灯が、柊の名前は出さない方針で進めてくれているので、その点ではあまり心配はいらないと思う。
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