♯73 3500年の成れの果て
対峙する2人。
奇しくもイリスの敵になるであろう強靭者達だ。
だが、気が立っていた銀三は左手で鯉口を切りかけていた。
ここでフレイムを討つ気だ。
「俺は今機嫌が悪ぃんだ……。テメェをブッタ斬りゃあいくらか気が晴れるだろうし、仕事のひとつも完遂出来て一石二鳥。……死んでくれや」
「随分とイラついているな。大方、あの聖女のことだろう。凄まじい豹変ぶりだったな」
「テメェがあの娘のことを、知った風にいうんじゃあねぇや。元を辿ればテメェとイリスってぇガキのせいだ」
「あぁ聞いたとも。イリスがレイドを斬ったのだろう? それも聖女の目の前で……。だが君とて弁えているはずだ。これは"戦い"だ、油断すれば敵味方問わず、大事な物を失う。そして今、――――この修道都市は崩壊の刻を迎えている」
銀三の目が見開く。
これは彼自身薄々感じてはいたことだ。
だが確信はなかった。
しかし、目の前のこの男はその確信を以て、修道都市『サフレン』の崩壊を宣告したのだ。
「……どういうことだ」
「恐らく原因はあの機械の身体の女。聖女を操り、都市内の秩序を大きく乱そうとしている。――――3500年前、ただの小さな集落だったこのサフレンを、たったひとつのとても小さな宗教が年月を経てここまでの規模に発展させた。だが、その裏は腐敗と虚栄に満ちた悍ましい怪物共を重力場とした妄念の吹き溜まりでもあったのだよ」
ゆえに彼は語る。
バイパス・ロードはその象徴である都市と歴史をまるごと破壊する気である、と。
「なんでそんなことがわかるッ!」
銀三は堪らず声を張り上げた。
強い歯軋りと眼光で、皺のよった顔が鬼のように変貌する。
対照的にフレイムは余裕の表情を崩さず、冷静に応えた。
「実は私はある探し物をしていてね、そのときに見つけたのさ。……指示したのが聖女か機械女の方かは知らんが、行動が非常に早い。転移魔術、だったかな? それを使って大量の武器を仕入れていた。大方密輸だろうさ」
そう言って銀三になにかを投げ渡す。
――――拳銃だ。
どこからか仕入れた回転式拳銃、弾倉に弾は入っていない。
「おいおい、なんで銃器なんぞをッ!? ここは古き良き時代だかなんだかの理由で、こんなもん使わねぇはずだ!」
「拳銃だけじゃない、ライフルに大砲、数は少ないが魔導兵器もいくつか確認した。恐らくこれ等は都市の外部に向けた憎悪の念。――――武装蜂起だよ」
銀三は思わず息をのんだ。
涼し気な表情で答えるフレイムは、今この都市が如何に狂っているかを話す。
――――異教徒、背信者、及びその疑いのある者は皆敵だ。
――――神の意志の体現者である我々が、世界に裁きを下す。
銀三が思っている以上に、兵士やその他聖職者、そして住民へのミーム汚染が進んでいるらしい。
伝染病かなにかのレベルで、ものの数分でここまで至っている。
"信仰"をネットワークにした人々への連鎖反応の恐ろしさを垣間見た。
「まぁ安心したまえ。銃火器の扱いはかなりの時間を要する。扱いには訓練が必要だ。すぐには使われないだろう」
「そういう問題じゃあねぇ……ッ!」
一体どうしてこうなった?
聖女や勇者の目的はひとつ。
フレイム・ダッチマンとイリス・バージニアの討伐だったはずだ。
それが……いつの間にかとんでもない事態になっている。
「まぁ、あれだけの量の武器密輸だ。すぐにあらゆる国の機関が嗅ぎ付けるだろう。サフレン……いや、彼等の宗教は世界に及ぶほど根強い。国家と宗教の間に途轍もない緊張が生まれる。万人を救うはずの宗教が、味方共々万人を殺す宗教に早変わりするわけだ」
「……それが、サフレンの崩壊につながるってわけか?」
「……それ以前に、都市内における粛清が始まるだろう。『疑わしきは殺せ』、新たに出来たこの理念と共にな。このままいけば粛清と戦闘で、多くの死者が出るだろう。それでも今の聖女は神の意志と言ってはばからず、宗徒達にGOサインを出すはずだ」
淡々と話すこの男の言うことが本当なら、修道都市崩壊の話もあながち間違いではないだろう。
ならば、すぐにでも止めなくてはならない。
この男が大事な話として自分に持ち込んだということは、なにかの考えがあってのことだ。
そう思ったのだが、彼の口から放たれるのは耳を疑う言葉だった。
「あぁ、勿論武装蜂起は止めるさ。厄介なことこの上ないからな。……だが、都市の崩壊まで防ぐ気はない」
「なに!?」
「さっきも言っただろう。サフレンの裏側を。……君はサフレンの歴史を知らない。奴等が崇めてならない神とはなんなのか? どういった経緯でこの宗教は生まれたのか!! ……であるのなら、宗教ごと都市も滅べばいい。巨大な火柱と共になにもかもが焼き尽くされるのが好ましい」
……なるほど、レイドや聖女達が危険視するわけだ。
正直な話、本当に死んだ方が世の為人の為ではなかろうかと思うくらいに。
そして銀三にとってその憎悪はバイパス・ロードにも向けられる。
彼女もまたコイツと同類であるのでは、と。
だが、疑問が浮かぶ。
――――なぜバイパス・ロードはこの都市を崩壊させようとしているのだ?
「石見銀三、ここで提案だ。この暴挙を止めるには聖女とあの機械女の息の根を止める必要がある」
「……ッ!」
「私は、聖女を殺す。君はあの機械女をやりたまえ。もっとも、通常の刀で斬れるかは謎であるが」
それしかないのか……。
銀三は考える。
気に入らない選択だ、ましてや仕事でもない。
だが、もしものことを考えるなら……決断は必須だ。
「ハッ、俺の刀を甘く見るな。ただの倭刀じゃあねぇ。……ただし、本来の仕事もさせてもらう」
「ほう?」
「イリスってぇガキも殺す、テメェも殺す。……俺ぁ見ての通りどうしようもねぇ畜生だ。だが、自分が引き受けた仕事は最後までやり遂げる」
「……いいだろう、ただしあの小娘を侮らん方がいいぞ? まぁ、一度出会ってみるといい。すぐにわかる」
そう言うやフレイムはこの通路の奥の闇の中へ消えていった。
残された石見銀三は、ふと首筋に手をやると大量の汗が噴き出ているのに気づく。
剣士として生きてきた自分が、"狂信"という得体の知れない怪物の中に取り込まれているのだ。
「……しゃらくせぇッ!」
黒羽織をマントのように翻し、通路を進んでいく。
どこへ向かうか、どうしたらいいか。
決まっている。
自分のすべきことをするだけだ。
まずはバイパス・ロードを探す。
奴はあれから都市のあちこちを行き来しているらしい。
探し出して、事の真意を問い質す。
場合によっては、フレイムの言った通り斬るしかない。
「どいつもこいつもトチ狂いやがって……」
そのとき呟く震えた声は老爺の枯れた涙の声か……。
一方その頃、集合拠点である外れの墓地では、ミラは律儀にずっとイリス達が来るのを大人しく待っていた。
心配こそすれど、持て余す時間の中で少しでも聖書の中身を深めんと、内容に目を通している。
修道都市『サフレン』に来れたのはなにかしらの因果を感じる。
彼女が持ち歩いているこの書の内容は、サフレンから古くから伝わる教えでもあるのだ。
かの教えはこうだ。
――――この世は常に憎しみと悲しみを繰り返す。
しかしこの世の在り方は神であるエスタファドルが「楽園へと導く人間に対する試練」の場として創造したものである。
財や権力にて私腹を肥やす者、異教徒、そして力の強き者は神が試練の為に創造した"悪魔の使徒"であり、彼等は永劫に悪しき者、罰せられるべき存在なのだという。
逆に貧しき者、力なき者、惨めなる者、卑しき者、耐え苦しむ者は神によって選ばれた善なる存在であり、悪魔の使徒共の妨害や迫害に耐え抜く試練を生まれたときより仰せつかるのだ。
そして死後は楽園へと誘われ、その魂にため込んだ憎しみと悲しみを浄化し、永遠の安楽を与えるというもの。
同時に善なる存在を苦しめてきた悪魔の使徒共は地獄にて永遠の裁きを喰らう。
代表的な教義のひとつをあげるならこれだろう。
ミラは初めてこれを読んだとき、大きな衝撃を受けた。
やはり神の手によって善なる存在は救われるのだ。
……そう信じていた。
ふと、ミラはこれをフレイム・ダッチマンに見せたらどうなるだろうかと考える。
惰弱と罵るだろうか。
きっと彼なら、なんという卑屈の極み、ルサンチマンここに極まれりと吐き捨てるだろう。
人々の心を救わんとする教えでさえ、彼にとっては耳障りなのだろうか。
「ミラ、……ちょっとミラ聞いてる!?」
ぼんやりしていると、いつの間にやら帰って来たイリスがミラの顔を覗き込んでいる。
同時に、薄く血の臭いがした。
ズキンと心が痛んだが、それを抑えつつ比較的笑顔で迎える。
「えぇ、ごめんなさい。少し考えごとをしていて……。それよりも、街中がなんだが騒がしいわ。なにかあったの?」
「……さぁ?」
嘘、ホントはアナタが原因の癖に……。
心内で彼女を憂いながら聖書を閉じる。
「フレイムもルインもどこにいるかわからないわ。……それと、皆様子がおかしいの」
「様子が?」
「兵士達が街中を走り回って、住人や観光客を捕え始めてる」
「なんですって!?」
粛清が始まっている。
狂った聖女の狂った教義がこの都市に血飛沫を舞わせようとしているのだ。
「アタシは行くわ。この暴動の先にきっとアイツがいる」
「アイツって……?」
「フレイムに決まってるでしょ? ここに戻らなかったってことは、アイツもまたなにかを企んでる。ルインは……まぁ知らないけど」
「なら、私も行きますわ。アナタをひとりにはさせません」
(……)
イリスとミラは都市の内部へと向かう。
目指すは大聖堂。
そこにフレイム・ダッチマンはいる。
そして、想像を絶する強さを持った強敵も。
事、ここまで至りてようやく全ての役者達が動き出した。
血に濡れた崇拝がもたらす狂気の都市に変わり果てたこのサフレンで、新たな物語が始まろうとしていたのだ。




