♯57 血塗られた宿命
2つの凶刃が閃光となってフレイムに襲い掛かる。
ひとつは、人間に対し特効の威力を持ち戦況の有利を自らに傾ける魔剣。
もうひとつは、神託者への憎悪と失った母への愛情から生まれた人斬り包丁。
これを自らが鍛え上げた功夫のみで凌ぐのは至難の極みであった。
「コイツ等……一撃のひとつひとつが重い……ッ!」
接近戦では圧倒的に不利だ。
イリスに至っては自分と同じ零縮地を体得しており、平地で距離を離してもすぐに間合いを詰めてくる。
それか、零斬を放ち殺しに来るだろう。
無論、同じく零縮地を体得する者である以上、見切れないことはないが、敵となったら厄介なことこの上ない。
一瞬の判断が生死を分ける。
しかもイリスの太刀筋は進化し、斬れば相手と異能を断ち切り使えなくすることが可能だ。
当然ながらフレイムはそれを知らない。
ゆえに、悲願をとげたいのなら、彼女に斬られることはあってはならないのだ。
「フレイムゥ! 逃げんな、アタシに殺されろぉお!!」
凄まじい威力を込めた連続斬りがフレイムを更に追い詰める。
イリスの興奮は最早留まることを知らない。
首のない女黒騎士をそっちのけでフレイムに襲い掛かる。
むしろ協力的だ。
「おのれぇえ!!」
宙に飛び上り神託『Missing-F』発動。
無数の幻影が現れ、夜闇を切り裂くレーザーのように彼女等に放たれる。
幻影を切り裂く2人の姿が見えたが、数で押し切られた為に全ては対応できない。
地面に巨大な爆炎が上がり続ける。
フレイムは飛び乗った家の屋根の上で、目を凝らしてみていたが、やはり嫌な予感はぬぐえない。
「どっちだ……? イリスか黒騎士か……右からか左からか……どこから出てくる?」
周囲に気を巡らせ、気配察知につとめた。
女黒騎士は無数の幻影と戦っている。
だが、イリスの姿は見えない。
もしも、あの攻撃を切り抜けてくるのなら、きっと僅かな隙でさえも見逃さずに斬りかかってくる。
となれば……。
「……後ろだ!」
「やぁああ!!」
思った通りイリスが背後から飛び斬りを繰り出してきた。
狂気に陥っていながらも武人としての冷静さは失っていない。
そして、鉄甲と刃がぶつかり、火花を散らした。
一瞬の煌めきが、夜闇の中で2人の顔を明るく映す。
イリスは着地し、彼と間合いを取りながら、素早く身構えた。
物の怪同然の形相で睨み、刀を構える様は実に恐ろしい。
フレイム・ダッチマンでさえ背筋に冷気が走ったほどだ。
「……やれやれ、最近屋根に上ることが多くなったような気がするな。だが、見くびるな?」
馬歩によるどっしりとした低い姿勢。
掌は虎、或いは龍が鋭い爪を立てるように開き、天地に構える。
大陸武術を侮るなかれ。
流派の中には揺れる船の上や山岳地帯のような、足場が兎に角不安定な場所を想定した戦い方も遥か昔に開発されている。
あらゆる状況下でもその拳が劣ることがないよう、彼は地獄の鍛錬にてそれを習得していたのだ。
しかし、イリスも負けてはいない。
イリスの零縮地は依然未熟。
入り組んだ場所や足場の不安定な所では、使用が困難なのだ。
ゆえに、現段階では平地専用の移動法となっている。
だが、だからといってそれで劣る等ということはなかった。
アレクサンド新陰流の太刀筋は最早《魔刃の域》まで達しており、イリス自身の戦闘能力も相俟って、いかなる状況にも折れぬ強い意志を獲得している。
「――――よろしい、中間テストだ。イリス・バージニア」
首のない女黒騎士に狙われているにも関わらず、余裕の表情を浮かべるフレイム・ダッチマン。
イリスは人斬りの狂気の中、彼の実力を冷静に受け止めていた。
――――この男は、今まで1度たりとも本気を出していない。
神託能力の強大さもあるのだろうが、一番特出しているのはフレイムの自力の底知れなさにある。
この男は今までどんな敵と戦ってきたのだろう?
この男を本気にさせたことがある相手がいたとしたら、そいつはどんな奴だろう?
考えれば考えるほどに湧きおこるこの感情。
嗚呼、これこそ、血に飢える人斬りの衝動。
倭刀・無銘がいつもより握りやすく、身体も心もなにもかもが軽やか。
今ならどんな奴でも膾斬りに出来そうだ……。
「フレイム……フレイムゥゥゥウウウッ!!」
彼との約束などすでに忘れてしまっていた。
今はただ、神託者を斬り殺したくて堪らないのだ。
本来それを咎めるべき本人ですら、かかって来いと言っているのだから遠慮などない。
まるで爆弾でも弾けたかと言わんばかりの突進を繰り出す。
零縮地を使わずとも、この人間離れしたスピードで圧倒することなど容易なことだ。
「勢把ッ!!」
一刀に全てを乗せる勢いのイリスに対し、変化に富んだ拳打と蹴撃が襲い掛かる。
イリスの斬撃に勝るとも劣らぬ神速の攻撃が目まぐるしいほどに繰り出されていた。
掌底、肘、裏拳、指先、足底、足刀、膝――――、胴体のありとあらゆる部分を使っての技巧。
それもただイリスの胴体や顔面を狙うだけだはない。
筋肉のスジや関節部、そして経穴と言った人体構造上の弱点をも正確についてくる。
「うぉおあああッ!!」
対するイリスの斬撃は猛々しくとも、まるで静かな水面のように一切の狂いなし。
フレイムの攻撃に怯むことなく、前へ、前へと圧し進む。
逆風からの唐竹、左からの斬上からの右薙。
剣閃がまるで爪で大木を抉る大虎のように、フレイムに襲い掛かる。
全てを寸でで躱す彼に舌打ちしつつも、斬殺の機を待った。
「勁は通った……経穴を打ち、体中を痛めつけてやった……。だのに、まだこれだけ動くか? 死にかけで襲い掛かってて……また死にかけるまでにダメージを負ったにも関わらず、その胆力と能力」
彼は心から敬服した。
そしてなにより彼女を愛おしくも感じたのだ。
死地にて窮地、然して尚、刀歌は止むことを知らず。
こんなにも瑞々しくも鋭い技を持つ剣士が未だいたことに、感動すら覚えていた。
幾合交えたか、最早わからない。
突如イリスは後方へ2.3歩ほど下がる。
腰を深く落とした右八相の構え、『虎伏』だ。
「ここで……殺すッ!」
「……狂犬はそうでなくてはな。よろしい、来たまえッ! このフレイム・ダッチマン、全身全霊で受け止めようッ!」
その言葉を合図に、一直線に突っ込んできた。
虎伏の構えからの斬撃軌道は知っている。
それゆえの対応も即座に浮かんだ、だがッ!
「ぬッ!?」
「ゼェアアアッ!!」
右八相からの斬り下ろし。
――――ではなく、その間合いよりもっと踏み込み、地に伏す虎の如くッ!
その姿勢から、胴部への斬上を行う。
下から死の流星が飛び出した。
不意をつかれたがそれでも身をそらせ躱す。
切っ先が衣服を掠めたのがわかった。
もしも刹那にでも反応が遅れていたら、腹部を斬られ臓物をブチ撒けていたか、掠り傷と共に異能の力ごと斬り裂かれ二度と使えなくなってしまっていたかだ。
「……そんな技もあったのかアレクサンド新陰流は」
「まだまだ……こんなものじゃあない!!」
再び剣と拳を交えるふたりの修羅。
まさに龍虎の戦いと形容するに相応しい荒れ模様であった。
一方、下でも動きがあった。
この村の惨劇に、終止符を打つときが徐々に訪れていたのだ。




