♯34 外面似菩薩、内心如夜叉
ミラはイリスの無事に安堵する。
だがすぐに全身に緊張が走った。
今自分はサンブーカを回復している。
それを彼女に見られたのだ。
「ソイツ、さっきの神託者よね。……ミラ、なんでアンタが回復なんてしてるの?」
当然、イリスは突っかかってきた。
リー・ゼンフとの戦いでズタボロの状態でも尚眼光鋭くし、鯉口をきらんと左手を添える。
血濡れた肉体から放出する殺気の渦が、ミラの背筋をゾワリと泡立たせた。
今にも飛び掛かり喰らいつきそうなイリスを遮るように、ミラは勇気を振り絞り彼女の前へ出る。
「ミラ、どいて。ソイツ殺さなきゃ」
「いいえ、どきません。戦いは終わりました。血を求めるアナタを……彼の元へは行かせません」
「どきなさい」
「ダメです!」
「……どけ」
ミラの声に熱が宿ると共に、イリスの言葉は暗黒をまとっていく。
切られた鯉口から覗く白刃の輝きが、ミラの瞳に反射して映った。
思わず生唾を飲む。
まだ回復しきれていないサンブーカは黙って事の顛末を見守っていたが。
「まぁまぁまぁ御二方、仲間内でもめている場合ではありませんぞ」
この男、ルインが割って入ってきた。
「ダッチマン卿と合流し、一刻も早くこの街を離れるべきです。彼等のような刺客がうじゃうじゃ来るかもしれません」
「……だったら、コイツ殺してからでも出来るじゃない。それとも、アンタも斬られたいの?」
イリスの黒い声にルインは両手を広げ制すようにして首を左右に振る。
「生憎痛いのはイヤなので。……それに、彼を殺すのはアナタではございませんぞ?」
「……どういうこと?」
ルインはミラに視線を送る。
その視線の先のミラを見るイリス。
これだけで、大体は察した。
「……珍しい。コイツと再戦の約束でも?」
サンブーカを指さしながら、どうも腑に落ちないという顔を浮かべる。
ミラは最初戸惑ったが、これはルインがくれたチャンスであるとすぐに分かった。
「……彼とは、私が決着をつけますわ。だから、手を出さないでください。お願いします」
頭を下げ、どうか見逃してあげてと頼み込む。
しばらくしてから鍔鳴りの音がして、イリスが構えを解いた。
ミラは安堵し、ふと顔を上げると。
「……ふぅん、博愛主義のアンタが。自分が殺すから見逃せって? お行儀のいいアンタにしては、随分怖いこと言うのね?」
眼前すぐ近くにイリスの顔があった。
首を少し傾けながらこちらを覗き、無機質な表情の中に見開いた真っ黒な瞳を向けている。
――幽鬼だ。
ミラは戦慄した。
全てを見抜く目だ。
相手の嘘に嫌悪しちょっとでも違えば殺す、といったような。
「ウソハ、ツイテナインダヨネ?」
「え、えぇ……彼とは、再戦の誓いも、たて、ましたわ」
「コロスンダヨネ? イキノネヲ、トメルンダヨネ?」
まるで人形のようにジッとミラのことを睨みつける。
この視線と言葉だけで心臓を握りつぶされそうだ。
思わずルインに視線を送ってしまった。
それに気づいたルインがなにかをしゃべろうとしたとき。
イリスの顔だけがルインの方を勢いよく向く。
首が回るその可動域を超えそうになるのではないかと思うくらいに、不安定な状態で顔を向けてくる。
その様と表情に、不老不死身である彼ですら怖気が走り、なにも言えなかった。
イリスの左手が鯉口を切るように鞘を持ち、右手が柄を握ろうとしたその直後。
「本当だ……」
壁に寄り掛かっていたサンブーカがミラとルインの代わりにこたえる。
「彼女は我が人生における最大の宿敵。もしも俺を殺したいというのであれば、彼女との決着がついてからにしてくれ」
イリスの顔がゆっくりサンブーカの方へ向いた。
相変わらず不気味な表情で睨みつけているが、サンブーカは恐れない。
戦士としての矜持を宿した眼光を以て、イリスを睨み返す。
その心意気に納得したのか呆れたのかはわからないが、深い溜息と共に踵を返した。
「……好きにすれば?」
やや不機嫌そうにぶっきらぼうに答え、サンブーカとは向かいの壁に寄り掛かるようにして座った。
緊張の糸が解け両手で顔を拭うミラ。
生きた心地がしなかった。
その後もイリスはなにも言わず目を伏せていたので、ミラはサンブーカの回復の続きを行う。
「……これで終わりました」
「感謝する。……うむ、先ほどのダメージが嘘のようだ。しっかり回復している」
礼を言う、と野太く呟きながら頭を下げる。
「いえ、……その、次逢う時まで、どうか健やかに」
「あぁ……」
イリスの手前、あまり長くはいられないと悟り、簡単に挨拶を済ませてサンブーカは去りミラはその姿を見送った。
「終わった? さて、フレイム探さないとね。アイツのことだから負けてないとは思うけど」
「フム、そうですな。彼は神託だけでなくあらゆる武芸に秀でた人間。そうそう負けはしないでござろうよ」
「え、えぇ、では……」
3人はとりあえず裏路地を抜け、街に出ることとにした。
大通りの方が分かりやすいかもしれないだろうということで、先の戦闘で騒ぎになっている人混みをかき分けながら進んでいった。
そのとき、3人は知らなかった。
裏路地から出てきたと同時に、建物の中に潜んでいた何者かに尾行されていたのを。
彼奴は深々とローブをまとい、フードの中で荒い呼吸を繰り返しながら。
――イリスを憎たらしく睨んでいた。




