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D壊の英雄  作者: 闇薙
第五章 溺愛魔護のドラキュレイドルマザー
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 深紅の夜に二人が踊る。


 何もない荒野の果てを望むように。


 行き着く果てのない絶望を振り切るがごとく。


 振るわれる斬撃は人の領域を超えた加速を持って和仁に迫る。一撃で大地を割り、一撃で天を割く。人にあらざる膂力をもって振るわれるその一撃は、その技量が拙くとも人に向けるには過ぎたる一撃で、それ故にカーミラには理解できない。目の前の男が未だ無傷であるという事実を。


 触れれば砕け、掠めれば撥ねられる。


 人体の強度ではそうあることが自明の理であるはずなのに、未だ砕けず人の形を残しているという現実が理解できずにいる。とは言え彼女はその攻撃の手を緩めはしなかった。振るわれる一撃は伝承に語られる怪物のそれだ。すなわち厄災。すなわち人ではどうしようもないはずの破壊が疾風をまとって振り抜かれるたびに世界を揺るがす。


 それを技巧を持って受け流す。


 正面から受けてしまえば和仁の形は残らない。それを彼は理解しているが故にその力の向きを、流れを、呼吸を掴み、揺るがし、傾けて自らの生存をつかみ取っている。その技量は他者が見れば感嘆のため息を漏らすだろう。相対しているカーミラをして上手いという感嘆の言葉以外出てこないなど尋常ではない。

 だが、それでも。



「防ぐだけか、婿候補殿」



 嘲る様に嬲る様にカーミラが言ったその言葉に対して和仁は舌打ちを一つだけ打つことで返答とした。月が出てから今の今まで、和仁は終始押されっぱなしだった。今までは通じていたはずのフェイントの大半が唐突に通じなくなったが故に、それ以外の技巧をもって誤魔化すしかなくなったためだ。カーミラが作り上げた偽りの月とは言え、その性能は本物に劣るわけではないという事か、世界を夜に沈め、赤い月が天上に輝くこの場所では確かにカーミラの性能は大幅に向上している。日中でさえ人を容易く超える性能を保有しているというのに、現状では人型であるという事以外に共通点を見いだせない程に、人間から隔絶した力を見せていた。怖気が奔るほどに凄絶に。



「だが、どうやらそれだけじゃなさそうだ」



 カーミラに触れることさえなく、視線だけで自身の体勢だけで、あるいは自ら作り上げた隙を用いてカーミラの攻撃を一撃も受けずに捌きながら和仁は小さく独り言ちた。身体能力が上がるのはいい。月が昇れば吸血鬼の性能が上がるのは自明の理。感知能力が強化されるのだってその付随と考えればそれほど不自然ではない。



「しかし、フェイントに対する対応能力が上がるのは少しばかり腑に落ちない。感知能力が上がれば防げるフェイントはそりゃ増えるだろうけど、見えていないはずの一撃を事前に感知されたのは少し納得がいかない。ならば……」



 独り言をつぶやきながら和仁はチラリと視線を赤い月に向けた。


 天上に輝いてこの世界を支配している血染めがごとく赤い月。


 それを視界の端に入れながら、血色の剣が真横に振るわれる。薙ぎ払うように放たれたそれ回避して、一気に踏み込んだ。


 彼我の距離が一瞬で零になる。


 柔らかささえ感じさせるようにゆっくりと息を吐いて、和仁はその右拳を叩きつけた。


 轟音が響く。しかし破砕音は聞こえず、その一撃はカーミラの身に纏う影による鎧によって阻まれた。拳と鎧がぶつかり合った反動で二人の距離が空く。そしてその距離は間違いなく剣を持つカーミラの距離だ。


 剣が振るわれる。彼女の剣は血液より生み出された剣。故にその形状に一貫性は無く、伸縮自在である。それをその剣が生み出された瞬間に和仁は見切ったが為に絶対に刃先を自身の体へと向けさせなかったが、この状況では流石に刃先までかわせそうになかった。


 あっさりと訪れた決着の瞬間に向けてカーミラは引き戻した剣を和仁に向けて振るう。


 和仁が見切った通り振るわれるが儘に剣が伸びる。


 細く、鋭く。その斬撃をかわす手段はない。


 拳を叩きつけた反動。崩れた姿勢。その斬撃の速度。それら全てが致命的だった。当然吸血鬼の膂力から放たれる斬撃を受け止めることなど人間の筋力では引きちぎれるほどに筋力を引き出しても不可能。抵抗するすべはなく、背骨ごと両断される未来を幻視して。



「は」



 空中に手をついてその場所で一回転。


 斬撃を見事にかわして頭上まで取って見せた和仁の動きに漏れ出た言葉はそれだけだった。


 反応が遅れる。


 頭上を取ると同時に放たれた三連撃。


 見えないその一撃は、されど受けなければ意識を飛ばされうるが為に、すべて防がなければならず。ギリギリで影の防御が間に合った。三度の攻撃だが音は一度。どちらの足から繰り出されたのかさえ分からず、それどころか、どうやって回避したのかさえ理解できずに困惑したままカーミラは再度着地した和仁と相対した。



「人は何時から空に手を付けるようになった」


「いやいや、そんなことできるわけないじゃないですか」


「ぬかせ、ならば今の曲芸、どう説明する」


「説明も何も貴方が振るった剣。それに手をついて体を上に跳ね上げただけ。曲芸と呼ぶようなものじゃないでしょうに」


「……ふん。ならば軽業師の類か、体が羽でできているのか。ユウと同じ構えを見た時から予感はしていたが、武術家というやつはどうにも人を止めている奴が多すぎる。とは言え人を止めている程度では、瑞葵を任せるわけにはいかんが。逃げる事ばかり達者でも攻めることも出来ない臆病者では、運命は変えられん」



 言ってカーミラは剣を構え直した。


 黒い影が全身に纏わり付いて彼女の四肢の子細を隠す。


 紅い月光にのみが唯一の光源として天上に輝くこの状況下では、攻撃の予兆を隠されると和仁にはとても厳しい。夜目が効かないという訳ではないが、吸血鬼と比べると流石に分が悪い。運命の加護なく、環境の有利なく、種族としての優位も取れない以上、覆すために唯一残るのは和仁の手腕のみ。


 その技をもって自身を越えて見せろと、カーミラは超越者の笑みを浮かべて言う。


 人智を越えた技巧をもって、理不尽をさらなる理不尽でねじ伏せる事が出来ないのであれば、結局瑞葵が背負う運命に喰われるのみだから。そんなことを今さら言われずとも理解しているからこそ、和仁は呼気を整えた。大体の絡繰りは見切った。その絡繰りを砕く手段もその手にはある。だが、それをすると不機嫌になるであろう、自身の姫の事を思って和仁は苦笑した。


 その苦笑を見てカーミラが疾駆する。


 それに応じるように和仁の構えが奥義のそれへと変質する。


 相対するは吸血鬼。


 血を啜る人ならざる鬼。


 心の臓を貫いても、全身の骨を砕いても、頭蓋を叩き割ってなお、その戦闘行動に一切の支障をきたさない、月下の怪物。そしてカーミラという存在はその怪物の中でも飛び切りだ。


 伝承に曰く。


 不浄たる吸血鬼は陽の光に弱いという。


 その弱点を自ら夜を作り出すなんて手段で回避するような存在。それが飛び切りでないはずがない。


 月がある限り、夜である限り、吸血鬼の不死性に、その怪力に、その理不尽さに果てはない。


 相対しているのが魔法使いであれば、この結界の弱点を見切ることも出来たであろう。


 相対しているのが、吸血鬼を上回る怪物であるドラゴンであれば、存在の格によって押しつぶすことも可能だっただろう。


 だが、相対していたのは人間で、魔法に関する知識が豊富とも言えない和仁だった。


 故に対策などあるはずも無く。


 彼に用意できるのは、自身が修めた武芸の果てのみ。


 不可能で理不尽な現実が目の前にある。


 しかしそれこそが運命で、それこそが彼の超えるべき敵で、越えられないのであれば即ち、彼女を愛する資格なしと、カーミラは切り捨てる。



「双天絶衝」


「やはりか」



 構える。


 そして放つ。


 和仁に与えられた選択肢はそれしかない。


 それしかない故に全力をもってその行動に邁進する。


 抜けば必殺、当たれば必滅。故に奥義。故に絶招。


 夜を砕き、邪悪を撃ち滅ぼす破邪の一撃。


 その一撃を彼女は見知っている。


 その一撃を彼女は見たことがあった。


 かつて自身の狩りより生き延び果せた愛すべき男が使った終幕の技。二十の年月を数えて尚色褪せることなく、脳裏に焼き付いて色あせぬ鮮烈なる技のキレ。その名を



「夜砕」


「知っているとも!!」



 闇を穿つ、神聖なる一撃。


 肉体に宿るエネルギー、世界に満ちるエネルギー、その二つを体内で練り合わせる事で生み出されるそれを武術の世界では氣と称し、魔法の世界では魔力と呼ばれるそれに自らの意思と、武術の理をもって指向性を与える事で、その一撃は超常の事象を引き起こす。その指向性を陽に傾かせれば神聖なる一撃に、その指向性を陰に傾かせれば邪悪な一撃に。それが夜砕の真髄だ。極限まで陽に傾かせた自然界には存在しえぬエネルギーをもって神話の事象がここに像を成す。


 回避した。


 恥も外聞も無く全力で夜砕の射線から外れて、和仁の一撃を転がるように回避する。


 かつて見た。


 かつて敗北を喫した幕引きの一撃。


 かつての経験が彼女に自身さえ驚くほどの反応を発揮して



「いや、悪いな。これしか思いつかなかった」



 そんな和仁の言葉に失策を悟った。


 見える。


 見えている。


 その視界全てを覆うかのように夜砕が迫りくる。



「夜砕はその放つ技の形をもってその名前が付いているわけじゃない」



 その技が内包するエネルギーの形質が、夜を祓うからこそその名を戴く。つまり極限まで陽の方向へ傾かせた氣なり魔力なりを両手に宿して放てば雨風流においては全て夜砕となりうる。それが相手の体内にて破砕するように直接ぶつける様な形でも、あるいは纏った気を直接飛ばすような形でも。



「婿殿っ!」


「お墨付きどうも」



 吠えられた声に余裕はなかった。だからこそ、その言葉にそんな風に余裕をもって返して


 直撃。


 砕け散った。


 カーミラの視界が赤に染まる。


 カーミラの瞳から血潮が噴き出た。


 月が落ちる。


 砕けて落ちて消えていく。


 和仁の放った夜砕は寸分の狂いなく彼女が作り上げた月へと着弾。その偽物の月を粉微塵に粉砕する。


 月が砕け、空がひび割れ、世界が軋む。


 世界の核であり、彼女の力の根源として空に君臨していた紅い女王が砕けると同時に世界に呑み込まれるように解れ、解けて消えていく。


 カーミラが作り出した世界において彼女は無敵の存在だ。


 吸血鬼。その中でも飛び切りである彼女の不死性は、太陽が沈んだ後であれば竜種さえ上回る。だからこそ、彼女を打ち倒すには夜以外に戦いを挑む必要がある。かつて雄介はそれ故に持久戦にをもって彼女に挑み、夜を越えて朝に持ち込むことで勝利を得た。


 だからこそ、次の為に。


 その理屈は理解できる。

 

 彼女は世界を夜で塗りつぶすことを自らの修練の果てとした。

 

 自らのホームグラウンドで戦えば敗北はないから。


 勿論。奥の手を用いれば月下において吸血鬼の打倒も不可能ではないが。とは言え、和仁にはカーミラを殺すわけにはいかない理由がある。ご両親への挨拶に来て、肝心のご両親をぶち殺すという訳にはいかないという理由だ。



「それで? どうします」


「は……伝えたろうに婿殿と」


「それじゃあ、認めてくれるんですね」


「ふん。……自らの領域をこうまで容易く攻略されれば、認めぬわけにもいくまい」



 そう言うとカーミラはひび割れた世界へ向けて指を鳴らした。


 心地よい音とともに、その空気が彼にもなじみ深いものへと回帰する。


 視線だけであたりを見渡せば、そこはさっきの部屋だった。


 もうひと悶着くらいあると思っていただけに、その言葉は和仁にはとても有難い。なにせ、これよりお姫様の機嫌を取らなきゃいけないわけである。



「で? 大丈夫か目」


 左目の眼より零れ落ちる血液を中指で救い上げている瑞葵にそんな風に声をかけると、彼女は不機嫌そうな声を出して和仁を問い詰めるように答えた。


「わかってたくせに」


「まあ、それはそうなんだが、これ以外に手段が思い浮かばなかったんだよ」


「ふん。どーせ、お母さん美人さんだから、傷つけたくなーい。なんて思ったんでしょう」


「雄介さんの最愛の奥さんを傷つけるわけにもいかんだろうに」


「雄介さんの最愛の娘さんを傷つけるのはいいくせに?」


「……ほら、覗きはいかんってことで」


「ふーん。ふぅーん」


 蒼い瞳を爛々と輝かせ、そこから血潮零しながら瑞葵は和仁の事を舐めるように眺めている。そんな彼女に対して和仁は大きくため息をついた。


 そんな彼に、奥からお茶を持ってきた雄介が声をかける。



「すまないね。うちの娘が迷惑をかける」


「いいですよ。いつもの事なんで」


 更に、瑞葵の視線に宿る重圧が増した。



 

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