終
今回の結末。
物語のオチにあたる部分。
そして同時に次回に続く部分。
ではあるが、生憎ながら今回の出来事にオチを付けるのは難しい。
瑞葵の母でるカーミラに認められるという当初の目的は確かに成った。その事について和仁は最初から不安を抱いていなかった。過激な母親である彼女に対して困惑の念は抱いても、それが吸血鬼である彼女への畏敬や、畏怖、恐怖には決してつながっていなかったからだ。吸血鬼程度なら如何とでもできる。その思いが和仁の思考の背景にはあった。
その事を誰も咎めはしなかった。
瑞葵も、雄介も、彼の師である夜空でさえも彼のその傲慢ともいえる考えを否定しなかった。
圧倒的な実力を基にした確かな自負であり、それが慢心を誘うことなどありえないことを、彼の実力を知っていれば理解出来るからであり、だからこそ殴って言う事を聞かせる事を選択させたのであり、その中でも雄介はそもそも敵になるはずがないと最初から見切っていた。その圧倒的実力差を同じ流派に属するが故に、誰よりもよく感じ取っていた少女の父親は、怒り狂う自らの妻でさえ敵にならないだろうと踏んでおり、その予想は寸分の狂いなく的中した。
が、予想外の事は何事にも付きもので、今回の場合は瑞葵の態度だった。
血潮零した瞳が治癒していく。
映像の逆回しを見ているかのような現象は、彼女の特異性に端を発する。龍の血が生半可な傷の存在を許さない。
「それで、なんでお前はそんなに不機嫌なんだよ。怪我をさせた事を悪いとは思うけどさ、謝るつもりはない。自業自得は理解して覗いてたんだろ?」
「ええ、そうね。お母様の術理に介入して貴方を見ていたことは事実。同化させていた月を砕かれたから、この目に痛みを受けることに成った。それについては別に怒ってはいないわ。仕方がない事だもの。お母様を無傷で打倒するために、貴方が無理をしてくれた事に感謝の念を抱けど、怒りを抱くことはない。それは事実」
「だったらその鬼気は何だ? 勝利の祝福のキスを求めるつもりは無かったけど、まさか殺気含んだ視線を向けられるとは思っていなかった」
「嘘つき。わかってるくせに」
そう言った瑞葵に対して和仁は頭をかいて答えとした。
そんな彼の態度に瑞葵はクスクスと笑う。
何物にも汚されていない無垢なる笑み。
それを見た和仁は仕方がないと、自身の本音を晒した。
「ああ、嘘だ。正直に言えばお前が何に怒っているのかは何となく理解できている」
「ええ、貴方は賢い訳ではないけど、人の心の機微に疎くはあっても、鈍するという訳でもないものね。おそらく分かっているのでしょう。ひどい人よね。だって私にこんな言葉を言わせたいがために、わからないふりをするんだもの」
「ふりじゃないさ。予想は出来てるけど確証はない。何となく言いたいことの察しがついているだけだ」
「それを、私に言わせるんだから意地悪なのは変わりないじゃない」
浮かべる笑みを深くして、瑞葵はそう言った。
その言葉の意味を和仁は誤解なく理解しているが故に漏れ出たのは大きなため息だった。そんな態度に心外と言わんばかりに彼女は唇を尖らせるが、ため息位つかせろと和仁は思った。
「何が不満だ、瑞葵」
「お母様相手にかまけて私の事をほったらかしににするなんて、こんなにもひどい事は他にないわ」
「……うすうすは気付いてたけどさ、マジで母親に嫉妬してたのかお前」
「あはは。当然。だってお母様美人で、若くて、昔の私にそっくり、貴方の好みど真ん中。そんな相手に長々とお互いを理解し合うために閉鎖された場所に閉じこもられれば、疑いもしたくなるでしょう?」
「まあ、百歩譲って俺を信じられないってのはいいさ。だけど、自分の母親を信じられないのか?」
「だって、私たち怪物だもの。ドラゴンとヴァンパイア。種族は違えど夜に、伝説に、神話に棲むバケモノ。そこにごく当たり前の倫理観を期待しろという方が間違いじゃない。それにね」
「それに?」
「あんな風に見せつけるように戦って、私に嫉妬するなという方が無茶な言い分よね?」
そう言って瑞葵は自身の青い瞳を輝かせた。
悪逆宿す破滅の音色。好色宿す嗜虐の響き。
空間に負荷がかかる音が彼女の本気と本音を伝えている。
「なんだ。結局はそういうことか。嫉妬したなんてよく言ったもんだな」
「半分は事実だよ?」
「だけど半分は本音ではないという事だろう? つまりお前、俺の拳打を今一度味わいたいってだけじゃないか。武術家でもないのによくもまあ……被虐趣味があったとは知らなかった」
そんなことを言いながら、茶化すような口ぶりで和仁は構えを取った。
半年前。瑞葵を殴って止めた時よりも鋭さと柔らかさを増した構えをもって彼女に相対する。
そんな和仁を見て瑞葵は舌なめずりでもしかねない程の雰囲気をもって、されどどこまでも優雅に、どこまでも残酷なまでに自らの構えを取った。圧力がそれだけで増す。周囲に満ちる魔力は可視化できるほどに濃密に、猛毒のように世界を犯し、蜜のように甘く和仁に纏わりつく。音が消え、光さえ彼女の喰われていくかのように錯覚させえる程に濃密な死の気配が目の前で喜色を湛え、自身を注視しているという並の人間なら発狂しているだろう、そんな状況下にあって冷や汗一つ流さない和仁の心胆の練り方に、瑞葵は恍惚の笑みを漏らした。
「ああ、やはり和仁。貴方はいい」
熱を、それも灼熱よりも地獄めいた熱を帯びた声が屋敷に響く。
その鬼気にもはや止めることはおろか、声も出せない、息も吸えなくなっているカーミラを雄介が柔らかく抱き寄せ、それを傍目に和仁は一歩前に出た。
「お褒めに預かり、恐悦至極……とでも言えばいいのか?」
「あは……貴方の武芸は私の為に。貴方の技巧は私の為に。貴方の鍛錬も貴方の努力も貴方の人生も覚悟も熱情も熱意も敵意、悪意、殺意、真意、奥義、絶招、秘技、秘拳、秘奥、全部、全部、全部……すべては私の為にある。それを、この一時だけは感じられる。だから許せない。本音を言えばあなたの武芸が他人に向けられることを私は許していない。貴方のそれは、貴方の天敵である私が独占すべきものだから……」
熱に浮かされた瞳が和仁をとらえる。
その眼を見て説得は不可能だと即座に諦める。
縦に割れた瞳孔。艶やかな唇を濡らすのは鮮血の色にも似た赤い舌。
身に纏う衣服は魔力によって変質し、禍々しささえ感じさせる。
それでも、まだましだと断じるべきは、この状況に至ってなお彼女の表側に出てきている龍の要素が少ない事か。以前見た龍鱗が変質した鎧も、魂の変質からなるしゃべり方の変化も出ていない。未だ瑞葵が主導権を握っている分、完全な怪物としての全力は振るえないだろう。だが……
「相変わらず圧倒的だ。純粋に魔力の圧だけで心がへし折られそうだ。殺意も敵意も向けることなく、これほどなんて……逃げ出したくてたまらない」
「ふふ……嘘つき」
自身の体を抑え込むように抱きかかえていた腕を開放するように構えに移行した。
足の位置は肩幅程度に開かれ、背筋は伸び、その両肘は脇腹に触れるか触れないかのところ。掌を空へと向けたその構え。応じて和仁の構えは両足を左右に極端に大きく開き、姿勢は低くかかとを浮かせ、しかして両手は顔の前に置いた防御、何より回避重視の構え。
瑞葵の取った攻撃的姿勢とは真逆。
術理を使うことなく、ただ拳理のみを重視したそんな構え。
空をかき鳴らすように瑞葵の指が嫋やかに蠢いた。
かき鳴らす音は聞こえず、掻き回された空の悲鳴は法則を破壊して瑞葵の自我を押し通す。
詠唱も無く、ただ指を動かすだけで発動する大魔法。
視界全てを埋め尽くすほどの魔法陣が地面と空を瑞葵の色に染め上げた。
それは牙剥く直前の顎門に似ている。
お預けを食らった猟犬の姿に似ている。
視線相混じるは僅か数瞬。その刹那に交わす情念に限りなく。結局お預けを受けていたのは瑞葵自身の事であると和仁は悟って苦笑を零した。その態度が瑞葵の癇に障る。理解して触れないのは優しさではなく、ただヘタレなだけだと睨む眼光を強めて抗議した。
光が降り注ぐ。
驟雨のごとく。流星群のように。夢の世界の光景が再現された。
まさに悪夢。
その光の一粒一粒が人を殺すに足る破壊の粒子であり、触れただけで人を分解する奇跡である。
それを防ぐために和仁はわずかに一歩だけ踏み込んだ。
床が跳ねた。
蹴り上げられた大理石が絨毯ごと盾としてそびえ立つ。
当然破壊、粉砕、周囲に粉塵が舞った。
その一瞬の目くらましの隙をついて雄介はカーミラ抱えて部屋から脱出。それを和仁は視界の端で捕えながら、瑞葵の真後ろへと回り込む。
踏み込む速度は神域にあって、気配の遮断と攻撃モーションに入るまでの殺気の隠蔽は本職の暗殺者顔負けだ。回り込んで後頭部へと叩き込まれるエルボーは、瑞葵が纏う障壁によって止められ、その障壁を砕いて迫る。
「あは……」
「チィ」
その技量と威力に瑞葵は笑みをこぼした。
障壁によって僅かに止められた事により、直撃するはずだった一撃は、僅かに彼女の頬を掠めて、鮮血を噴出させるだけにとどまる。その傷も蒸気を吹き出しながら一瞬で治癒する化物ぶりに、和仁は舌打ちを隠せなかった。交錯する爪と拳。
その悉くを回避して、その悉くが着弾して、お互いに何の痛痒も見せず戦いに埋没する。
爪の余波は屋敷を削る。それだけで、世界が砕けていく。呪いにも似た重圧に和仁の身が竦みそうになる。敗北することでこの恐怖より逃げ出せるのであればそれは幸せなのではないかと肉体が錯覚しそうになり、それを勇気を振り絞る事で振り払う。
眼光が輝く。
深い蒼い輝きを湛えたその瞳は、呑み込まれてしまいそうな程に、そして焼き尽くされてしまいそうな程の熱量を宿しながら和仁を誘わんと、更にその輝きを増していく。魅了の瞳。魅入られれば死が近づく魔性のそれを、真っ向正面から睨み返す英雄性に瑞葵は更に自身が昂ぶるのを感じていた。
吐息触れ合う距離で、一撃の被弾さえ許さない圧倒的な怪物相手に、その一撃の悉くを叩き落すのはまさしく英雄のそれで、相対している瑞葵をして見惚れてしまいそうになる。その技巧が、その技量が、その身体能力が、その鍛錬が、彼の全てが彼女の為に捧げられるこの瞬間が堪らなく彼女は好きだ。怪物が英雄に倒されたがる理由が理解できる程に。
戦い方をシフトさせる。
埒が明かないと戦況に見切りをつけたのは瑞葵が先だ。
吐息がかかる程の近距離であることを利用した、自傷覚悟のドラゴンブレス。
世界を焼き尽くす地獄の火炎。それを魔法陣の展開を省略して、予兆なしにたたきつける。
威力は全力の一割にも届かない程度。それでも人間が直撃を受ければ、骨も残さず蒸発する程度の火力はとっさの判断では防ぎようがない。必然、吐かれた瞬間に距離を取るだろう。そんな彼女の予想を和仁は柏手一つで裏切った。
乾いた音が響く。放たれたドラゴンブレスが霧散した。
そもそも柏手とは神様に拝謁を願うための神事である。神に感謝を喜びを伝えるためのその行為は、それ故に邪気を払う。勿論、特に信仰のない一般人が行っても、瑞葵のドラゴンブレスを散らすことなどできはしない。しかし、和仁程の達人が行えば話は別だ。神に捧ぐ神事でなくとも、武芸に捧ぐ祭事にはなる。込められたのは信仰ではなく、鍛え上げた先の氣であり、それを柏手に注ぎ気迫となって邪気をはねのけて見せた。
「は……はは……」
堪えられない笑みが零れ落ちた。
ブレスの隙を穿つ強烈な一撃が、彼女の熱を更に引き出す。
益々その身に宿す熱がその規模を増していく。慰め程度のつもりが、本気になっていく。貪欲なまでに凄惨なまでに徹底した彼女の愛が、抑えきれない魔力となって和仁を絡めとる様に更に充満していく。
「もっと、もっと……私を楽しませて……和仁……」
熱に浮かされたような彼女に答えることなく。
だがそれに応えない理由も無く、和仁は更に死地へと踏み込んでいった。
次章
愛欲滅裂のドラゴンズリターン




